ブレンデル唯一のバッハを聴く
文:松本武巳さん
ヨハン・セバスチャン・バッハ
- イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971
- コラール・プレリュード「イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ BWV639」(ブゾーニ編)
- プレリュード(幻想曲)BWV922
- 半音階的幻想曲とフーガ BWV903
- コラール・プレリュード「来たれ、異教徒の救い主よ BWV659」(ブゾーニ編)
- 幻想曲とフーガ BWV904
ピアノ:アルフレッド・ブレンデル
録音:1976年5月27日、ロンドン
PHILIPS(国内盤LP;X-7814)(国内盤CD;32CD-153)(ジャケット写真、録音データはいずれも初出国内盤LPより転載)
■ ブレンデル唯一のバッハ録音
ブレンデルのバッハは、単一曲であれば他にも録音は多少存在するが、1枚のディスク全体をバッハ作品のみで構成したものは、実はこれが唯一である。今回はこの70年代後半に制作されたディスクを取り上げたい。今回の執筆に至る契機は、伊東さんが最近記された試聴記を受けてのものである。執筆のきっかけを作ってくださった伊東さんにまずは御礼を述べたい。
■ 2004年から2009年にかけての連載記事
私には、2004年8月から2009年1月にかけて連載した、ブレンデルの特集記事が既に存在するし、2011年秋にはクラシックジャーナル044号(アルファベータ刊、現アルファベータブックス)において、ブレンデルのリスト演奏についての小論を書く機会も与えられた。しかし、ブレンデルのバッハ、ハイドン、モーツァルト録音については、かつてほとんど言及したことがないのである。そこで、この機会に、久しぶりにブレンデルについて再考してみたい。
■ 偶然の産物であったバッハ録音
ブレンデルは、1976年5月下旬(24日〜27日)に、「リスト・リサイタル2」というディスクの録音セッションをロンドンのウォルサムストウで行った。セッションは順調に進行し、以下の曲が収録された。
- J.Sバッハのカンタータ「泣き、悲しみ、悩み、おののき」のコンティヌオによる変奏曲
- 死者の追憶「詩的で宗教的な調べ」第4曲
- BACHの主題による幻想曲とフーガ
- 孤独の中の神の祝福「詩的で宗教的な調べ」第3曲
私は、ブレンデル特集の第7回で、このディスクの4番目の収録曲である「孤独の中の神の祝福」を取り上げており、私にとってとても思い出深いディスクである。ところが、セッションは順調に推移し、予定日が1日余ってしまったのである。そこで、ブレンデル自身の発案で、演奏会でバッハプログラムを弾いたばかりであったので、「せっかくだから、これらの作品を録音してみましょうか」と提案したところ、即決で録音が決まったと言う、まさに副産物としてブレンデル唯一のバッハ録音が生まれたのである。1976年5月27日のことであった。「リスト・リサイタル2」の最終チェックに引き続き、たった一日で全ての収録が完了した。そもそも「リスト・リサイタル2」に、バッハ所縁の楽曲が2曲含まれており、バッハを録音する環境も経緯も自然ではあったのだが、上記の発言はブレンデル自身によって語られた真実である。名盤とは、本当に思わぬ形で残されることが多い、そんな典型の一つだと言えるだろう。
■ ブレンデルとバッハ
これもブレンデル自身が語っているのだが、ブレンデルはバッハ演奏については、バロック楽器でも現代ピアノでも演奏が可能であると考えているようだ。その一方で、スカルラッティは現代ピアノで弾くべきではないとも主張している。そして、バロック楽器によるバッハ演奏がどのように進展するか見守っていたことと、彼の唯一の師であるエトヴィン・フィッシャーのバッハ演奏を聴いていたことで、バッハ作品への集中的取り組みを躊躇していたため、結果的に多くの録音に取り組む時機を逸してしまったと語っている。ところがブレンデルは、生まれ変わったらきっとバッハを取り上げるであろうとも発言しているのだ。
あまりにももったいない話であるが、若いグラーツ在住時代からアーノンクールと旧知の仲であり、その直後のウィーン在住期にレオンハルトもウィーンにやってきて活動していたとのことで、彼らの活動を見守っているうちに演奏機会を失ってしまったようでもある。かえすがえす残念でならない。
■ 生まれて初めてのリサイタル
ブレンデルが17歳のときに、当時在住していたオーストリアのグラーツで開いたときのプログラムは以下の通りである。最初がバッハの半音階的幻想曲とフーガ、ブラームスのヘンデルの主題による変奏曲、休憩後に自作のピアノソナタ、さらに休憩後、マリピエロの三つの前奏曲とフーガ、リストのバッハの主題による幻想曲とフーガ、以上であった。お気づきだと思うが、この1976年5月の集中セッションに含まれる曲が2曲(リストとバッハ)含まれている。また、クロアチア(当時はユーゴスラビア)のザグレブにおける学校内の演奏会で最初に弾いた曲も、どうやらバッハの幻想曲であったようである。
さらに、ブレンデルが90年代に入る前後に取り組んだ、変奏曲シリーズ(メンデルスゾーン、リスト、ブラームス、シューマン、ベートーヴェン等)の中に、バッハのゴルトベルク変奏曲を含めるかどうかを悩んでいるとのインタビュー記事が掲載されたこともあった。本当に惜しいことをしたと思われてならない。
■ 当盤についての若干の感想
久しぶりに聴いてみて、以下のように感じたので、メモ程度に書き残しておきたい。ブレンデル自身が語っていることに「音楽は基本的に、感覚と理性を融合させたものです。古典派でもロマン派でも現代ものでも、それは同じことです。」というものがある。またこうも言っている。「人々が考えているよりも私は感覚的に反応していることが多いのです。まず何よりも自分の感覚を信じている演奏家ですが、理性によるコントロール機能を利用しているだけです。」
ここでのバッハは、まさに自由に飛翔している感が強い。元来ブレンデルが持っていた資質に加えて、当該録音が本来予定になかったハプニングから、結果として精神的に余裕を持って行われた経緯も大きく寄与していると思われる。いつものブレンデルに増して、このバッハ録音でのブレンデルは、感覚側への傾斜度が強いように感じてならないし、同時に演奏の自由度も高いように思える。そして帰するところ、現代には珍しいロマンティックなバッハ演奏として、永久に名を残す名演となったのである。私はそのように考えるし、この考えは久しぶりに聴き返してみたが、以前と何ら変わることがなかったのである。
(2015年7月20日記す)
参考文献(ブレンデル自身の発言は岡本和子訳を引用した)
- Alfred Brendel“Über Musik”Piper Verlag,München,2005.
- マルティン・マイヤー(岡本和子訳)「さすらい人」音楽之友社,2001.
2015年7月20日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記