ホロヴィッツ・ファンではない私にとっての「永遠のホロヴィッツ」

文:松本武巳さん

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LPジャケット

スクリャービン
ピアノソナタ第3番作品23
前奏曲集(16曲)
録音:1955年
RCA(輸入盤 LM 2005)MONO


LPジャケット

ベートーヴェン
ピアノソナタ第23番作品57
ピアノソナタ第7番作品10−3
録音:1959年
RCA(輸入盤 LSC 2366)STEREO


 

 
ファンによる著作(左:石井、木下共著、右:藤田著)

 

■ ホロヴィッツの熱烈ファンによる2冊の著作

 

 1冊目(写真左)は「ホロヴィッツの遺産−録音と映像のすべてー」(石井義興、木下淳共著、2014年11月刊)、2冊目(写真右)は「ホロヴィッツ 全録音をCDで聴く」(藤田恵司著、2019年11月刊)で、出版社はいずれも株式会社アルファベータブックスである。いずれの著者の方とも面識があり、石井氏とは1度出版パーティの場で短いお話をさせて頂いたに過ぎないが、木下氏は彼自身の演奏を聴いた経験を含めて、数回ゆっくりとお話をする機会があり、藤田氏とは15年くらい前のオークションでの取引以来の、散発的ではあるが長いお付き合いである。彼らは、まさにホロヴィッツの熱烈なファンであり、ディスク蒐集においても、コンプリートをあくまで追求されている。

 

■ ホロヴィッツのファンではない私

 

 一方の私は、およそホロヴィッツのファンであるとは言い難い。An die Musik上でも、2016年11月(セルとのチャイコフスキー)と2019年8月(展覧会の絵)に、比較盤として取り上げたことがあるに過ぎない。また、いずれの論評もかなり微妙な言い回しではあるものの、結論に於いて若干否定的な試聴記となっている。ところが、私は間違いなくホロヴィッツ・マニアであると自認している。例えば、上記2冊の著作に出てくる音源は全て視聴済みであることや、1983年と86年の来日公演も、1回ずつではあるが実際に聴いているのである。また、LP時代の録音に関しては、すべて今でもLPで聴くことが可能なのである。

 

■ 残された録音の評価が、ファンと私ではまるで異なる

 

 端的に言って、私の好きなホロヴィッツの録音の大半は、1965年以前のスタジオ録音である。大昔のライヴ録音は、録音上の瑕疵も多いので、つまるところヒストリック・リターン以前の、スタジオ収録の落ち着いた録音が中心なのである。一方でライヴ録音の中でも、一定の環境が前提であるようなライヴ録音を好んでおり、聴衆を熱狂の坩堝に巻き込んだライヴ録音の大半は、ホロヴィッツの場合は好みでないのだ。しかし、トスカニーニの睨みが効いたライヴ録音や、王室絡みのコンサートや、歴史的公演の演奏会ライヴへの評価は、結構高いのである。

 また、誰がなんと言おうが、2度の来日公演では、1983年の初来日の方をより高く評価している。もちろんこのコンサートは、正規ディスク化されていないので評価対象外ではあるが、1983年のリサイタルでも、さすがに後半に置かれたショパンのエチュード3曲(作品10−8、25−10、25−7)の完全に破綻した演奏については勘弁して欲しいが、それ以外の演奏については、冒頭のベートーヴェンのソナタも、シューマンの謝肉祭も、ショパンの2曲のポロネーズも、一定の満足感をもって帰宅したことを、今でも鮮明に記憶している。

 

■ 私にとってのホロヴィッツ‐その1

 

 1954年から64年にかけての、長い隠遁生活中に残した、RCAとCBSへの少なからぬスタジオ録音には、非常に強く惹かれるものが多い。そのため、この時代の録音の多くはオリジナルLPを所持し、今もそのレコードで愛聴しているくらいである。特にクレメンティ、スクリャービン、ベートーヴェンなどは、この当時の録音が最も優れていると思われてならない。また、ショパンの録音は、この時代以外には演奏していない曲が多く含まれており、たいへん貴重である。なお、スカルラッティに関しては、個人的事情でコメントができない。実は、ピアノのレッスンで失格の烙印を押され、それ以後今も楽譜すら所有していないためである。ロンゴ番号であれ、カークパトリック番号であれ、番号を見ても遺憾ながら頭に楽曲がまったく浮かんでこない、そんなどうしようもない楽曲なのである。お許し願いたい。

 

■ 私にとってのホロヴィッツ‐その2

 

 ここでは、ライヴ録音中、私が一定の高い評価をしている録音について記したい。取り上げるのは、1982年の英皇太子夫妻(当時)ご臨席コンサートのライヴである。技巧の衰えが急に始まっている等々の批判があり、また子どもの情景全曲演奏に関しても、デフォルメが目立つ晩年の典型的演奏に数えられているようである。しかし、私はここで有名かつホロヴィッツの代名詞ともなっている「トロイメライ」を、ホロヴィッツ自身が単なる折返しの曲ととらえて、最後の第12曲、第13曲あたりに愛情を一気に注ぎこんだかのような、この全曲演奏の方向性に対して強い愛着を感じるのである。また、当日の録音はイギリスBBC放送も同時に行っており、こちらの方がいつものこのホール特有のピアノの響きが感じ取れ、私には落ち着きを感じられる録音となっているように思える。また、1986年のモスクワ・ライヴは、ファンの評価や世評が高いことに、私も完全に同意したい意見の合致した珍しい音源である。

 

■ 私のピアノ曲の聴き方について

 

 私は、ピアノ曲に関しては、独自の判断基準を持っていると言えるだろう。それは、きわめて幼少のころから、本格的な教育(専門家による個人レッスン)を受けてきたことと関連する。私の幼少時は、男の子でピアノを学んでいる田舎の子どもなどは、ほとんどいなかった当時である。しかし、専門家になった姉がすでに本格的な学習を開始していたことも手伝って、本格的なレッスンを幼少時から受ける幸運を享受していた。加えて、手が大きかった(幼稚園当時で9度、現在は11度が届く)ことと、病弱で学校を休みがちであったこともあり、ピアノ学習経験者なら早熟度が分かるであろうが、なんと就学前にすでにベートーヴェン、ショパン、シューマンの楽曲を弾いた経験を有していたのである。私はその後、残念ながらピアノ学習への興味を徐々に失っていったため、決して順調に伸びていったわけではなかった。

 ところが、この経験則のおかげで、最初に楽譜全体に必ず目を通し一定の譜読みをするまでは、レコードを一切聴かないことが習慣化されていた。これは、今でもディスクを聴く前に、楽譜を一瞥してから聴く習慣として生かされているが、特にピアノ曲の場合は、幼少時から専門教育を施された結果、多くの古典的な名曲をとりあえずは譜読みに留まらず、弾いたことがあるのである。さらに、興味がピアノから徐々に作曲に移っていたおかげで、楽譜を早くかつ正確に読み込むように常に訓練されていたのである。

 演奏家としては、そもそもの才能不足もあって、世に出ることなどなかった私であるが、一方、公衆の面前で弾く経験をすることは、私自身の音楽形成にとって、あまりプラスではなかったのも事実である。若いころは、どうしても技巧をひけらかしたいものであるし、見栄も張りたいものである。まして、男の子でピアノを学ぶものが少ないとなると、猶更である。そんな私であるが、ピアノの師匠はそもそもコンクール懐疑派であられたので、おかげで見栄を張る機会もせいぜい学校内の学芸会、文化祭、授業での個人演奏に限られていたのである。実際、コンクールには小6で参加したのが最後であったが、その程度の私でありながら、男の子である珍しさも手伝ってか、小5の秋に参加したコンクールでは、県本選レベルの時点でありながら、テレビ局の報道番組にフォーカスされる有様であった。

 

■ 天地がひっくり返るほどの差こそあれ

 

 そんな私であったため、コンクールから脱落し、さらに人前でピアノを弾くことも多くないまま、1983年から2005年までの長期間ピアノを一切弾かない時期があったのである。復帰コンサート(招待のみ)では、物笑いの種になるレベルの演奏しかできない自分を、まさに思い知ることになったのは当然である。

 レベルの差は、まさに想像を絶するほどあるものの、ホロヴィッツの経歴は、私をホロヴィッツ・マニアにするのに十分すぎるくらい、他人とは異なる形でホロヴィッツへの興味を私に強く抱かせたのである。このことが、私のホロヴィッツのディスクへの評価に影響を与えていることは、否定しえないだろう。私にとって、ホロヴィッツはまさに永遠の夢の目標であり、今もって輝けるスターなのである。

 

(2020年12月26日記す)

 

2020年12月27日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記