「わが生活と音楽より」
ジャズでバッハを聴く文:ゆきのじょうさん
ピリオド楽器によるバッハ演奏が当たり前になった現在、装飾音符をつけたり、繰り返しの後に即興的に演奏したりするディスクも多く目にします。バッハが活躍していた当時はどのような即興演奏が繰り広げられていたかはわかりませんが、私自身はバロック音楽には即興ありきではないかと素人考えを持っています。そんなふうに考えるのも子供時代から、ジャズ奏者がバッハ演奏を行ったレコードを耳にしていたからかもしれません。ジャズでバッハを演奏したものは異端かもしれません。しかし演奏者たちはバッハの楽曲を愚弄するどころか、どれもがクラシック奏者に劣らない敬愛の念を込めて演奏していると感じます。そんなディスクを今回は紹介したいと思います。
■ プレイ・バッハ 第1集
平均律クラヴィーア曲集 第1巻 より
- 前奏曲第1番ハ長調 BWV.846
- フーガ第1番ハ長調 BWV.846
- 前奏曲第2番ハ短調 BWV.847
- フーガ第2番ハ短調 BWV.847
- トッカータとフーガ ニ短調 BWV.565
- 前奏曲第8番変ホ長調 BWV.853
- 前奏曲第5番ニ長調 BWV.850
- フーガ第5番ニ長調 BWV.850
ジャック・ルーシェ・トリオ
ジャック・ルーシェ ピアノ
ピエール・ミシュロ ベース
クリスチャン・ギャロ ドラムス
録音:1959年 パリ
ユニバーサルクラシック(国内盤 UCCU5069)当時25歳だったルーシェがDECCAレーベルから世に送り出し、センセーションを起こしたアルバムです。おそらくバッハの曲を使ったジャズ・アルバムとしては最初のものでしょう。発表された当時はカール・リヒターがマタイ受難曲を録音した翌年に当たりますので、如何にこのディスクが先駆的であったかが伺えます。このCDの解説書にはルーシェの述懐が収められており、それによると「プレイ・バッハ」を出した当時、保守的な人(クラシックファン?)からは「バッハの音楽は書かれたとおりに演奏すべきであって、それ以外は認められない」と言われ、ジャズファンからは「演奏の焦点は甘く、インプロヴィゼーション(即興演奏)は優柔不断」とされて「鼻であしらわれた」と振り返ります。そして今なお「私の大好きなバッハの曲が原型を留めないほどに歪められるのは許せない」とする人もいるようです。
私は中学生の頃に、ルーシェの演奏を初めて、ベストアルバムのLPレコードで聴きました。バッハの曲がどんどん即興的に演奏されて、それでいてバッハの曲自体からは離開していない絶妙のバランスが、私の心を奪いました。
■ ジャズ・セバスチャン・バッハ
- フーガの技法からフーガ ニ短調
- オルガンのためのコラール前奏曲第1番《目覚めよと呼ぶ声あり》
- 管弦楽組曲第3番からアリア
- 平均律クラヴィーア曲集第2巻からプレリュード第11番 ヘ短調
- イギリス組曲第2番からブーレ
- 平均律クラヴィーア曲集第2巻からフーガ第2番 ハ短調
- 平均律クラヴィーア曲集第1巻からフーガ第5番 ニ長調
- 平均律クラヴィーア曲集第2巻からプレリュード第9番 ホ長調
- パルティータ第2番からシンフォニア
- 平均律クラヴィーア曲集第2巻からプレリュード第1番 ハ長調
- カノン
- 二声のためのインヴェンション第1番 ハ長調
- 平均律クラヴィーア曲集第2巻からフーガ第5番 ニ長調
スウィングル・シンガーズ
録音:1963年、パリ
仏PHILIPS(輸入盤 314542552-2)私と同じ昭和30年代生まれの世代なら一度は耳にした「ダバダバ」のスキャットコーラスである、スウィングル・シンガーズの有名なデビュー・アルバムです。これを父から聴かされた時の衝撃は忘れられません。当時グループサウンズに夢中であった私にとって、このアルバムの洒落っ気は余りにも上質で、大人の世界を垣間見た気持ちになりました。CDで買い直した時に、この団体のスウィングルとは、ジャズのスウィングから来ているのではなく、創設者のウォード・スウィングルに由来していることや、ミシェル・ルグランの姉がソプラノとして参加していたことを初めて知りました。最小限度のリズムセクションをバックにしているだけで、ほぼア・カペラでバッハの音楽を崩さずにきちんと歌い上げながらも、全体の流れはスウィングしており、身体が自然にリズムをとって心地よく揺れてしまいます。今聴いても駄作がなく色あせない名盤です。惜しむらくはこのディスク、オリジナルジャケットに拘るために一枚の収録時間が短いことでしょうか。
■ ブルース・オン・バッハ
- リグレット?(オルガンのためのコラール前奏曲「古き年は過ぎ去りし」BWV.614)
- Bフラットのブルース
- やさしき朝の光(コラール「目覚めよと呼ぶ声あり」BWV.140)
- Aマイナーのブルース
- プレシャス・ジョイ(コラール「主よ、人の望みの喜び」BWV.147)
- Cマイナーのブルース
- ドント・ストップ・ジズ・トレイン(アンナマグダレーナのためのクラヴィーア小曲集からフーガニ短調)
- H(B)のブルース
- ティアーズ・フロム・ザ・チルドレン(平均律クラヴィーア曲集第1巻から前奏曲第8番)
モダン・ジャズ・カルテット
ジョン・ ルイス ピアノ、ハープシコード
ミルト・ジャクソン ヴィブラフォン
パーシー・ヒース ベース
コニー・ケイ ドラムス
録音:1973年11月26、27日、ニューヨーク
米ATLANTIC(輸入盤 1652-2)ジャズの歴史上、その名を残すMJQが解散する前年に発表したディスクです。バッハの作品を並べて、その間にルイスとジャクソンによるブルース4曲(コードを並べていくとBACH、となります)を挟んだものです。ルイスはピアノやハープシコードを弾き、ジャクソンのヴィブラフォンは美しく響き渡ります。品格がありながらめくるめく色彩感も持ち、万華鏡のような演奏です。
このMJQとスウィングル・シンガーズが共演したディスクが一枚あり、そこでもバッハが取り上げられています。
■ ヴァンドーム
- リトル・デヴィッドのフーガ(サッシャ)
- ディドのラメント(パーセル/歌劇「ディドとエネアス」から)
- ヴァンドーム
- リチェルカーレ(「音楽の捧げ物」第5曲6声のリチェルカーレ)
- G線上のアリア(管弦楽組曲第2番から)
- アレキサンダーのフーガ
- スリー・ウィンドウズ
モダン・ジャズ・カルテット
スウィングル・シンガーズ
録音:1966年9月27日、10月30日、パリ
ユニバーサルクラシック(国内盤 UCCU5134)ここでの聴き物は、何と言ってもG線上のアリアです。ミルト・ジャクソンの美しいヴィブラフォンの響きを導入部としてスウィングル・シンガーズの静かな歌声が加わり、その中でジャクソンの即興的な伴奏が絡みます。後半はルイスのピアノがこれまた素晴らしく、スウィングル・シンガーズと一体になっています。
MJQは1982年に再結成しますが、コニー・ケイの死によって1995年に解散しました。この間にジョン・ルイスは日本からの依頼で、平均律クラヴィーア曲集第1巻を元にしたアルバムの録音を始めます。その最初が次の一枚です。
■ プレリュードとフーガ Vol.1
- プレリュード第1番
- フーガ第1番
- プレリュード第2番
- フーガ第2番
- プレリュード第6番
- フーガ第6番
- プレリュード第7番
- フーガ第7番
- プレリュード第21番
- フーガ第21番
- プレリュード第22番
- フーガ第22番
ジョン・ルイス ピアノ
ジョエル・レスター ヴァイオリン
ロイス・マーティン ヴィオラ
ハワード・コリンズ ギター
マーク・ジョンソン ベース
録音:1984年1月、9月、ラッガーズ教会、ニューヨーク
フィリップス(国内盤 PHCE-12001)プレリュードはルイスのピアノ・ソロ。フーガはギター、ヴァイオリン、ヴィオラなどが加わります。どちらも最初はバッハの譜面通りに演奏して、次第に即興演奏となって、再び原曲に戻るという趣向になっています。大層な装飾音符をつけなくても、バッハの音楽が見事にブルースになっていくのは圧巻ですらあります。ルイスは1989年までに計4枚で第1巻全曲を発表しています。このシリーズはどれも聴き応えがあり、世間ではVol.1がよく取り上げられていますが、私はVol.3の枯淡とも言える味わいが好きです。プレイバッハシリーズと収録曲が重なるところが多いので聴き比べてしまえば、(ルーシェ自身も認めていますが)ルイスはやはり凄いと感じてしまいます。ピアノの音が美しく録られていることや、録音当時25歳ルーシェと64歳のルイスを比較するという点で問題があるのは当然ですが。
ジョン・ルイスは2001年にこの世を去りました。伊東さんが紹介した本には「ジャズはすでに終わっている」という見解もあるようです。今後、新しいアプローチでバッハをジャズで聴くことができるのでしょうか? 私は期待していきたいと思っています。
「再び、ジャズでバッハを聴く」はこちら
2006年6月15日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記