「わが生活と音楽より」
ロザリオのソナタ 2008年■日本公演 を聴く文:ゆきのじょうさん
ハインリヒ・イグナツ・フランツ・フォン・ビーバー:
ヴァイオリンのための15のソナタと、無伴奏ヴァイオリンのためのパッサカリア(ロザリオのソナタ)全曲演奏会パヴロ・ベズノシウク バロック・ヴァイオリン
デイヴィッド・ロブロウ チェンバロ、オルガン
ポーラ・シャトーネウフ テオルボ
リチャード・タニクリフェ ヴィオラ・ダ・ガンバ
新井弘順 語り2008年12月13日、王子ホール
「ビーバーのミステリー・ソナタを聴く」で採り上げ、「二人の女性ヴァイオリニストによるビーバーのミステリー・ソナタを聴く」の末尾で触れた、ベズノシウク盤のメンバーによる、ミステリー・ソナタ(ロザリオのソナタ)朗読付き全曲演奏会を聴きに行ってきました。プログラムは下記のようであり、午後3時から始まり、およそ午後7時に終わるという長丁場の演奏会でした。
第一部 喜びの玄義 約50分 ソナタ第1番 から 第5番
休憩 30分
第二部 悲しみの玄義 約60分 ソナタ第6番 から 第10番
休憩 30分
第三部 栄えの玄義 約70分 ソナタ第11番 から 第15番、パッサカリア演奏者はCDと同一メンバーでしたが、いつくかの点で違ったところもありました。
- 朗読が真言宗住職であること
- ベズノシウクは6挺のヴァイオリンを用意して、演奏会の前と休憩時間に、ソナタ1曲に対して1挺のヴァイオリンを当てはめて、スコルダトゥーラの調弦を行っていたこと。
- シャトーネウフは、テオルボだけ演奏していたこと
このうち、2については、各々のソナタと楽器の相性を考えて当てはめたとパンフレットに書かれていました。ルディガー・ロッターはライブ録音盤では3挺のヴァイオリンで行ったとありますが、ベズノシウクは三部構成の1曲1曲に楽器を当てはめた訳です。3についてはパンフレットのインタビュー記事で、実際的な理由で、つまり飛行機で運ぶことを考えてテオルボだけにしたそうです。
■ 開演前
王子ホールという所は初めて行きました。1991年に作られたと言いますからバブル時代の名残なのでしょうか。王子製紙社屋ビル2階にある315席のこじんまりとしたシューボックス型のホールです。座席もゆったりめだと感じました。会場に着くと、ベズノシウクが舞台にいて調弦していました。舞台下手に黒いクロスが掛けられたテーブルがあり、そこにヴァイオリンが6挺並べられています。そのそばに、まるでコントラバス奏者が使うような腰の高い椅子があり、上手に向かってテオルボ、ヴィオラ・ダ・ガンバの席が半円形に並べられています。その奥に下手からチェンバロと小さなオルガンがありました。いずれの奏者にも譜面台が用意されています。さらにそこから上手にぽつんと譜面台が置かれており、その奥に椅子があります。ここに朗読を担当する住職が座るわけです。
開演時間が迫り、ハンドベルらしい音が鳴る頃には、ほぼ満席となっていました。比較的、中高年の方が多かったように思います。私が購入できた座席はほぼ真ん中の舞台に向かって右端でしたが、舞台はよく見え、演奏自体の音もよく聴くことが出来ました。
ほぼ定刻通りに照明が落とされて、住職と4人の演奏家が登場しました。いよいよ全曲演奏会が始まります。
■ 第1部 戸惑い
入場してきた演奏家達は思い思いの服装でした。ベズノシウクとロブロウが白の上下に白のベスト、シャトーネウフは黒の上下、タニクリフェは青い上着でした。ベズノシウクも腰の高い椅子に座っての演奏です。住職は僧侶の服装です。最終の調弦が終わりベズノシウクが頷いて合図すると、舞台奥に腰掛けていた住職が立ち上がり譜面台まで進み、玄義を朗読します。朗読の間は住職にスポットライトが当たり、読み終わって住職が一礼すると演奏が始まります。
この時点では私はどうしても違和感、戸惑いを持ってしまいました。別に宗教に格別の思い入れはないのですが、住職が「聖母マリア」と口にするだけで、そんな異教のことを話して良いのだろうか、そもそも日本公演だから日本語で朗読するというのはともかく、何故真言宗僧侶なのか、キリスト教の神父で良かったのでは、などと考えてしまいます。
この戸惑いは、演奏にも感じるところになりました。残響が良いホールらしいのですが、満員の聴衆のためか、あるいは私がいる端の席だからなのか、響きは思ったよりデッドです。ベズノシウクのヴァイオリンは間接音がほとんど無く生々しく聴こえてきます。
第2番からスコルダトゥーラになると、更に戸惑いは増しました。通常の調弦ではないヴァイオリンは、さらに響きが陰鬱になってきました。音色は渋く、呻きすら感じます。そして、スコルダトゥーラのため、左手の指のわずかな位置のずれで、和音が不気味になってきました。この危うさは、怖さすら感じるものです。CDではもっと柔らかな曲想だと思った第2番が、まったく違った面相の曲となってしまったのです。その後の第3番から第5番でも住職が高らかに語る「喜びの玄義」とは全く違う音空間に包まれました。ベズノシウクの技巧がCDに比べて衰えたとは全く思わないのですが、録音の磨き抜かれた美音とは全く違うことが目の前に起こっているという戸惑いがあったのです。
第5番まで演奏されてから、事前に求められていたように拍手があり、休憩になります。私は戸惑いをどう考えたらよいのか思案しながら、ホワイエをうろうろして過ごしました。
■ 第2部 安らぎ
演奏者たちの服装が替わって登場しました。シャトーネウフは赤い上着と黒いズボンで、他の男性たち全員、前は赤で背中が黒のベストを着ています。
第二部は、キリストが磔にされるまでの状況を語っていくところです。第一部での音空間ですっかり心が乱されてしまったようになったので、第二部ではどうなってしまうのか、と心配していたのですが、第6番のソナタが始まると、雰囲気は一変しました。苦しみや、悲しみの玄義が語られているはずなのに、流れる音楽を聴いていると心が安らいで来るのです。第一部ではあれほど渋く、暗かった音色も、張りが強まり冴え冴えとしてきたのです。
自宅に戻ってから、あわててCDを聴き直してみたのですが、CDではベズノシウクのヴァイオリンは第一部と同じように響いていました。演奏会で受けた印象とは随分違います。
この長閑で、余計な緊張感がない演奏は、他の聴衆にも感じられたのかどうか、あちこちでうつらうつらする人がいました。第二部が終わって休憩で会場を出る人々の漏れ聞く話でも、第一部では「すごいね」という感心の声でしたが、第二部では「素晴らしいね」という声があったと思います。
すっかり気分が変わった私は、ワインでも飲もうかと思ったくらいでしたが、寸前で思いとどまりました。
■ 第3部 白熱
またも服装を替えての登場です。今度はタニクリフェだけが緑色の上着、他の演奏者は上下とも白です。
第三部ともなると、会場もずいぶんと音が馴染んだように聴こえ、演奏者たちや、楽器も暖まったように思います。ベズノシウクのヴァイオリンも興が乗ってきたのか装飾音が入ったり、大見得を切ったりするようになります。
ここでの私にとっての白眉は第13番でした。ベズノシウクのヴァイオリンと、シャトーネウフのテオルボだけの演奏なのですが、シャトーネウフがぐいぐい仕掛けてくるのです。シャトーネウフはジャケット写真で見ても、そして実際に演奏会で見ても、とても小柄な女性です。それが自分の背丈以上の高さがあるテオルボを操るのです。調弦にとても気を遣っておりどの曲の間でも、充分な時間を使って納得するまで調弦していました。それまでは控えめな演奏でしたが第13番では、どんどん合いの手を入れてきています。CDでは聴けなかったシャトーネウフの熱い演奏でした。これに触発されたのか、ベズノシウクも切れ味の鋭い弓裁きを見せてくれます。この曲だけでも聴きに来て良かったと思いました。第14番ではチェンバロとの果たし合いのような演奏を聴かせてくれ、ついに第15番となります。ここでは全員が参加するのですが、始める前のベズノシウクの調弦が終わって「次、君は?」というようにシャトーネウフに目配せするのに、それまで慎重に調弦していたシャトーネウフが「必要ないわ、さぁ始めましょう」とでも言うように小さく首を振って演奏の構えをしたのには「おお」と感じ入りました。
さすがに第15番ともなりますと、ベズノシウクには疲れが感じられます。それでも細かいパッセージでは、これでもかと弾ききっていきます。CDでは優しく語りかけるように演奏していますが、演奏会では多少の雑音が入っても、モノともせずに引き込んでいきます。シャトーネウフも、タニクリフェもガリガリと弾いて付いていきます。手に汗握るというのは、まさにこういう演奏を言うのでしょう。
大団円のパッサカリアにも熱が帯びていました。他の演奏家への照明も落とされて、しんと静まりかえった会場でベズノシウクのヴァイオリンだけが響きます。CD盤にはなかった激しさと、もの悲しさが歌い抜かれて、これ以上にないピアニッシモで曲が終わりました。ゆっくり弓が離れ、下ろされて、それから上体が動き出してから、拍手が始まりました。下品なブラボーもない、大きな拍手が続きました。
住職も交えて、一同は何度か舞台に現れて、引っ込み、演奏会は終わりました。
演奏会が終わり、帰宅の途につく聴衆もいれば、演奏家たちに会おうとホール入り口に残った人々もいました。私も急いで帰る用事もなかったので、残っていましたが、なかなか出てきません。30分も経つとだんだん去っていく人々が多くなり、ついに私ともう一人だけになってしまいました。
どうしようかと思っていた矢先に演奏家たちが現れました。片言の英語でこの夜の演奏会が素晴らしかったことを伝えると、ベズノシウクが「それは私にとってもハッピーなことだ」と答えました。もう一人の方とパンフレットに、住職も含めた全員のサインをいただきました。舞台ではあれほど神経質に調弦していたシャトーネウフが、とても人なつこい笑顔でいたのが印象的でした。
このビーバーの曲が全曲演奏されることは、これからも滅多には経験できないと考えます。演奏家の精神力、体力に多くを求められると思うからです。会場では鉛筆を手に大学ノートに一所懸命に書いている人や、パンフレットの余白に演奏中に覚え書きをしている人がいました。もしかすると評論家諸氏なのかもしれないと思いました。彼らがどういう批評を書くのかはわかりません。全曲演奏の偉業を労うのかもしれませんし、些細な演奏上の傷をあげつらうのかもしれません。
少なくても、私にとってはビーバーのこの曲集について、また考えることが増えたと思いました。そして、CDでは得られないような体験をさせてもらったのも、貴重なことでした。この体験を心に刻んで、またディスクを聴いていこうと思います。
2008年12月21日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記