「わが生活と音楽より」
不定期連載 「わたしのカラヤン」
第2章 ベートーヴェンとバッハに聴く大いなる幻影

文:ゆきのじょうさん

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 今回は、ベートーヴェンとバッハにおける、わたしのカラヤンに対する感じ方を書いてみたいと思います。その前に昔話をさせていただきます。

 

■ カラヤンのベートーヴェンとの出会い

 

 クラシック音楽を聴き始めてすぐ、カラヤンという指揮者の名前を知るところになりましたが、実際にカラヤンのベートーヴェンを意識したのは、記憶にある限りは母に連れられて行った、まだ改築される前の関内ホールでカラヤンが指揮する「田園」の映像を観たのが最初だと思います。あの凝った証明とアングル、果てや木管楽器の画像をアニメのようにはめ込んだ、「やりすぎ」との悪評高いユニテルのものです。これ1曲だけだったのか、「運命」も上映されたのかは定かな記憶がありません。まだ小学生であった私は、ただ呆然と「ファンタジア」と同じようだと感じながら観ているだけでした。この映像は現在、DVDでのベートーヴェン交響曲全集(欧DG 0734107)で観ることができます。

 

■ 1977年、カラヤンのベートーヴェンとの再会

 

 その後、私がFMを中心にクラシック音楽を聴いていた1970年代後半に、カラヤンがベートーヴェン/交響曲全集を再録音した、というニュースが大々的に流れました。日本人の音楽評論家による収録風景のルポが掲載されたりして、それは大騒ぎだったと思います。そんな中、おそらく1977年だったと思いますが、母が横浜でカラヤンが聴けるらしいという情報を入手して、私と、小学生であった弟とを連れて出かけました。場所は「田園」を観たのと同じ関内ホールだったと思います。もちろん本物のカラヤン/ベルリン・フィルが来たわけではなく、新しい全集のレコード・コンサートでした。舞台は緞帳がおろされ、舞台両脇には大きなスピーカーが据え付けられていたと思います。音楽評論家らしい男性がひとしきり講釈を述べていたように思いますが、内容はまったく覚えていません。それから「田園」「運命」の順番に大音響で流されたと思います。音楽が素人な私でも圧倒されるような演奏でした。興奮して帰ったのを覚えています。

 その後、同じ年である1977年11月にカラヤンはベルリン・フィルと来日して、ベートーヴェン・ツィクルスを行いました。これに関連して銀座の山野楽器がカラヤンのサイン会を行い、同店で全集を買うと参加できるという話を聞き付けた私たち兄弟が、国内盤の全集を親にねだって買ってもらったのは言うまでもありません。サイン会には弟が行きました。ネットで調べるとそれは11月11日のことであったそうです。全集の解説書のカラヤンの横顔の写真に指定してのサインでした。弟が言うのにはカラヤンは娘二人と座っていて、娘の一人が解説書を開いてカラヤンがサインをしてくれたそうです。弟が片言で「ダンケ・シェーン」と言うと、カラヤンは微笑んで握手してくれたそうです。すごく柔らかい手だったと言います。このサイン入りの全集は今でも私のLP棚にしまってあります。

 昔話がずいぶんと長くなってしまいました。このカラヤンのベートーヴェン交響曲全集は先頃廉価で再発されました。それが、このディスクです。

 

■ 75-77年盤ベートーヴェン/交響曲全集

CDジャケット

ベートーヴェン/交響曲全集
(1960年代の序曲集をカップリング)

アンナ・トモワ=シントウ ソプラノ
アグネス・バルツァ メゾソプラノ
ペーター・シュライアー テノール
ジョゼ・ヴァン・ダム バス
ウィーン楽友協会合唱団
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル

録音:1975年1月23-24日、76年5月7日、9月22-23日、10月19-22日、12月6日、77年1月27-31日、3月8-9日、フィルハーモニーザール、77年2月6日、ベルリン、ムジークフェライン・ザール、ウィーン
欧Universal / DG Eloquence(輸入盤 4429924)

 この全集ほど当時賛否両論入り交じったものはなかったかと思います。第1章「モーツァルトはお好き」で書いたので繰り返しは避けますが、録音芸術の粋を結集して作り上げた一つの頂点であることは同じだと考えます。第九の合唱部分だけをウィーンで別録音して編集したことも、当時は格好の批判材料でした。これが合唱団のスケジュールの都合だったのか、それとも「あえて」録音芸術の限界への挑戦としてカラヤンが意図したものなのかは分かりませんが、結果的にこの全集の注目度が上がったことは事実だと思います。

 さて、その全集ですが当時の私たち兄弟としては大変高価な代物です。それは宝物のように大事に聴いていました。おそらく第1番、第2番などはこのLPで初めて聴いたと思います。レコード・コンサートでも聴いた「運命」は全体で30分を切る演奏でありながら、LP1枚の両面に分けてカッティングされており、快速なテンポでありながら重厚感がたっぷりあるのが、国内プレスを自宅の貧弱な装置で聴いても十分伝わりました。何よりも「第九」は、それまでN響の大晦日の演奏と、東芝EMIで買ったフルトヴェングラー/バイロイトの疑似ステレオ盤を聴いていただけでした。それに比べてカラヤンの演奏は、とても劇的で、しかも畳み掛けるような演奏だなぁ、と感じました。もちろん楽譜などがあるわけでもなく、漠然とした印象で「個性的」と捉えていたのです。

 さて、カラヤンがサインをしてくれた解説書も、折り目や汚れがつかないように気をつけながら何度も読み返したものです。オーケストラの全メンバーの写真がパート毎に写っているのも圧倒されました。その中にカラヤンのインタビュー記事があり(『カラヤン、音楽を語る』 ききて:アーヴィング・コロディン、訳:萩原秋彦)、こんなことが書かれていました。

 「ハ短調の第1楽章では、どうなさいますか。例のバスーンの使用について」。
 「使いますとも」とカラヤンはあっさり答えた。「もちろん、いま私たちは、バスーンを重ねて、ホルンを吹かせています。」

 「(前略)あなたは、スコアに書かれたとおり忠実に従われるのですか」(中略)
 「だいたいはそうです」と彼(=カラヤン、ゆきのじょう注)は言った。「テンポやメトロノーム記号・・・などについては必ずしもそうではありません。メトロノーム記号について言えば、私たちは、それに忠実に従おうとしてきました。しかし、時々、うまく行かないことがあるのです。『エロイカ』の第1楽章には、多くの人たちがショックを受けるでしょうね。じっさい速いのです。ハ短調については、メトロノームの指示どおりに出来ると思いますよ。スケルツォでさえ96で、そんなに速くない・・・(中略)
 もうひとつ、それまでずっとやられていた旧式な解釈ではなく演奏しているところは、第九のスケルツォのリタルダンドです。しかし、今度の録音で、私は楽章全体をひとつのテンポで通しました。」

 これらのカラヤンの話が私にはとても意外に思えました。カラヤンはどちらかというと自己主張の強い指揮者だと思っていたからです。例えば第7番の第二楽章などは連綿たるレガート奏法で始まるので、正直ぎょっとしました。また提示部の繰り返しをやっていないことも多く、田園の第三楽章でもリピートせずに演奏することもあったはずですから、ベートーヴェンの楽譜を忠実に演奏するなどということとは無縁だと思っていましたのです。それがベートーヴェンの楽譜や指定を尊重しながら録音を行っていたというのです。

 そういう視点で聴き直してみると、「第九」で畳み掛けるようだと思ったのは、実はカラヤンが楽譜通りの演奏をしようとしたからだと気が付きました。第一楽章の冒頭、混沌とした序奏から第一主題が奏でられるところは、曲想が変わるので一旦一呼吸おいてから演奏されるのが多いように思います。しかし、楽譜には休符がないので間を置くことは「楽譜通り」ではありません。そこでカラヤンは序奏の最後をややテンポを緩めてクレッシェンドすることで違和感を与えずに、間を置かないで第一主題につながるようにしていると感じました。また第四楽章の冒頭も同様で、残響を利用して少しリタルダントしたかのように見せかけてつながるように工夫していると思ったのです。バリトンの歌い出しも効果を狙っただけではなく、実際に楽譜には休符がないから行った、しかもそれを逆手にとって劇的にして見せたということなのだな、と想いました。これらは、あの即物的と言われたトスカニーニも慣習的に「間」を空けて処理していた部分でした。

 カラヤンのベートーヴェンの全集での目指した姿勢は、カラヤンの死後1990年に発表されたベーレンライター版のような、学術的な視点からではないことは明白です。使用楽譜はおそらくはブライコプフ慣行版であろうことは想像に難くはありませんし、私は何の曲の何処の部分をどうやっているかという細部を逐一検証するだけの耳も学も持ち合わせてはおりませんから、慣行版に従っているところが沢山あるだろうという想像をするだけです。さらに前述の反復の実行の問題にしても、第九の第二楽章の反復をすべてしていないというのは慣行版の指定にすら従っていないではないか、その意味では使用楽譜通りではないだろう、という反論も当然あると思います。

 ただ、私が注目しているのは、カラヤンはただ何も考えずに、伝統的(旧来の)解釈のまま録音に供しているのではなかったということです。少なくとも75-77年盤を録音するに当たっては、(モーツァルト/後期交響曲集と同様にフィルハーモニーザールが録音環境として整ったということだけではなく)原典をできるだけ尊重するという一つの方針を立てたのだと考えます。再録音が多かったカラヤンですが、再録音するだけの意味を常に考えていたのだと思うのです。

 さて、カラヤンが再録音したディスクの中で、私個人がとても驚いたのが、バッハ/ブランデンブルク協奏曲集でした。

 

■ 78/79年盤バッハ/ブランデンブルク協奏曲

 

  カラヤンはブランデンブルク協奏曲全曲を、サンモリッツで録音しています。それが以下のディスクです。

CDジャケット

J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲全曲BWV1046-1051
      管弦楽組曲第2番BWV1067、第3番BWV1068

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル

録音:1964年8月17-24日、1965年2月22日、ヴィクトリアザール、サンモリッツ
独DG(輸入盤 453001)

 ここでのバッハ演奏は、それまでのバッハ演奏史の延長上にあると言っても良いと思います。すなわち室内オーケストラで比較的厚みのある響きで演奏するというスタイルです。かのカール・リヒター/ミュンヘン室内管もそうでしたし、次に掲げるヘルムート・コッホ盤も、その頂点の一つだと思います。

CDジャケット

J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲全曲BWV1046-1051

ヘルムート・コッホ指揮ベルリン室内管弦楽団

録音:1970年8月、1972年1月、ベルリン放送局SRKホール
徳間ジャパン(国内盤 TKCC-70026)
(最近ではキングレコードから、KICC9453として再発)

 このコッホ盤では、バッハは重心が低く、がっちりとした骨格を持っています。今聴くと古色蒼然としている感がありますが、確固たる信念を持って演奏しているのが伝わります。

 カラヤンはこの流れを受けて、完璧なアンサンブルを誇るベルリン・フィルを用いて一層磨き上げた音でバッハを歌い上げています。「サンモリッツ・シリーズ」に共通してみられる伸びやかさもありますが、旧来のバッハ演奏にさらなる拡がりを求めたと感じます。

 これは上記のDG盤にカップリングされている、同時期にサンモリッツで録音された管弦楽組曲第2番、第3番を聴くと、より顕著です。ここには(比較的)大編成で絢爛豪華に奏でられたバッハがあります。管弦楽組曲第2番でフルート・ソロを受け持つツェラーが、バックのオーケストラの音響に対抗して吹ききっているため、途中で音が裏返りかけるほどですし、一方、第3番第2曲アリアは、これ以上の演奏は望めないくらいの美しい音の洪水に酔いしれます。

 その後、バッハを初めとしたバロック音楽の演奏史は大きくパラダイム・シフトすることになります。拙稿「随想 マリナーとピノックを聴いて」で書いたように、1976/77年レオンハルト盤の登場が一つの分岐点となって、バッハ演奏はピリオド楽器を用いる流れになったと個人的には考えています。

 その流れの中で、カラヤンのブランデンブルク協奏曲の再録音が忽然と世に登場します。

CDジャケット

J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲全曲BWV1046-1051

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル

録音:1978年7月1-3日、79年1月28-29日、フィルハーモニーザール、ベルリン
独DG(輸入盤 415374)

 古くからリヒター盤が教典のように位置づけられ、ピリオド楽器が隆盛となってきた中での登場したこのディスクは、当時ほとんど話題にされるどころか、黙殺に近い扱いを受けたように記憶しています。しかし、私はこのディスクの登場そのものも驚きでしたし、聴いてみるとカラヤンがその時点でのバッハ演奏の潮流を随分意識していることに興味をそそられました。

 特に特徴的だと感じたのは、第3番でした。サンモリッツ盤では編成の大きめのオーケストラが浪々と演奏しています。響きは厚く壮大になっていると言って良いでしょう。ところが78/79年盤での第3番は各パートを一人ずつに演奏させており、「ヴァイオリン:ブランディス、シュピーラー、ヴェストファル。ヴィオラ:カッポーネ、ユーベルシェール、シュトレーレ。チェロ:ボルヴィツキ、バウマン、トイチュ。コントラバス:ヴィット。」としっかりクレジットされているのです。第6番も同様な編成で行っているようですし、他の曲もサンモリッツ盤と比べて、かなり少人数の編成のようです。このくらいの人数で、クレジットされた名前だけで圧倒されるような名奏者たちなら、カラヤンがいなくても充分に演奏可能に思えるのですが、実際の演奏はやはりカラヤンならではの、磨き抜かれた響きを持っていました。

 私自身の想像としては、カラヤンはレオンハルト盤を聴いたのかどうかは分かりませんが、バッハを初めとしたバロック音楽の演奏がピリオド楽器を用いることが趨勢になっていくことに注目していたのだと思います。そして、その新しさを認めてもいたでしょうし、自分のバッハ演奏が一時代前のものに位置づけられていくことも感じていたと思います。一方においてピリオド楽器やピリオド奏法については自らの美意識から照らし合わせてみて「美しくはない」と思ったことでしょう。だから、目の前で始まっているバッハ演奏の流れを取り入れながら、自らのバッハ演奏がどう構築できるかを試みたのではないかと妄想します。モダン楽器、モダン奏法で演奏しても、バッハは充分美しく演奏できるではないかという提言です。第4番の第二楽章では八分音符二つをスラーで結んでいる音型を、やや付点八分・十六分音符のようなリズムで演奏しているのもピリオド楽器でのディスクを意識しているように思うのです。

 もちろん、この演奏には学究的な色合いが希薄であることは明白です。第2番や第4番でフラウト・トラヴェルソを用いないのは不徹底と言われそうです。当然カラヤンはこの楽器を使用する気はさらさらなかったのでしょう。カラヤンが目指したのはあくまでもモダン楽器、モダン奏法からみた原典との接点の模索だったと思います。始点は常に現在にあり、過去にさかのぼることではなかったのだと考えます。

 なお、このジャケットも実に興味をそそられます。よく見るとケーテンの見取り図なのですが、デザインを上下反転すると、このディスクが登場する直前1977年公開の映画「スターウォーズ」冒頭の宇宙戦艦登場シーンに似ているなと思ったものです。

 

■ 大いなる幻影

 

 以上のベートーヴェンとバッハを聴いてみた私の感想は、少なくても70年代後半において、カラヤンは「原典」回帰とまでは言わないまでも、原典を尊重する姿勢をみせていたということです。

 カラヤンはオーセンティックかと問われれば、10人中10人とも「違う」と答えるでしょう。原典主義者かと問われれば「そんな馬鹿な」と笑う人がいても不思議ではありません。しかし私は、カラヤンが既得権に拘ったり、今までやってきたことを保守的に捉えるのではなかったと思います。原典に従うことをモットーとしたとまでは言えませんが、自身の演奏を行う上で原典を参考にし、最新の動向にも注目して、その中でカラヤンとしての存在を刻印するという立場を取っているのだとしたら、そしてその結果出てきたものが懐古趣味に陥らない極上の品質を提供しているのだとしたら、これはカラヤンがクラシック音楽史にその名を永遠のものとした一つの理由ではないでしょうか?

 しかし、このカラヤンの試みの継承者はいなかったのも事実です。ベルリン・フィルもウィーン・フィルもピリオド奏法を参考にした演奏スタイルや、ノンビブラートのスタイルで録音を行っています。世の中は、それまでの「モダン」を始点にするのではなく、「ピリオド」を基軸にするコンセプトが注目されています。カラヤンは「モダン」を中心とした「ピリオド」との共存を夢みたのですが、それは幻影に終わりました。カラヤンもそれを感じており、80年代になってからは演奏スタイルも、録音コンセプトも変容していったと私は思っています。しかし、ここに残されたベートーヴェンとバッハの録音は、そのカラヤンの大いなる幻影の、偉大なる遺産なのです。

 

(2008年3月9日、An die MusikクラシックCD試聴記)