「わが生活と音楽より」
わたしのカラヤン 第7章:
カラヤンのマーラーについての管見第1節 資料編
■ 第1項:カラヤン、マーラーを語る文:ゆきのじょうさん
■ はじめに
カラヤンの音楽を語る上で、音楽以外のコトバを採りあげることには私は慎重になっています。誰かの執筆による伝記や評論、関係者に聞いてまとめたルポルタージュやレポートの類は第三者がコトバの主体である以上、その人の意志が入り込むからです。したがって以前も今も、私はカラヤンに関する評伝の類はわずかな例外を除いて読んだことがありません。
カラヤンのインタビュー記事はより直接的な情報であると思いますが、一方でその時点でのカラヤンが発したコトバが、そのまま不変のものとしてインタビュー以後もカラヤンの音楽活動を支配しているとも思えません。また、いろいろな思惑からカラヤン自身が脚色して発言している可能性もあるでしょう。そしてインタビュアーの編集も加わっているはずです。このような危惧があることを踏まえて、本稿では以下の二つのインタビュー記事を資料として引用したいと思います。
第一は、「第2章 ベートーヴェンとバッハに聴く大いなる幻影」でも採りあげたカラヤンのインタビュー記事(『カラヤン音楽を語る』 ききて:アーヴィング・コロディン 訳:萩原秋彦、カラヤン/ベルリン・フィル ベートーヴェン交響曲全集国内盤解説書、1977年)です。ここで、カラヤンはマーラーについて触れていました。そして、これが私自身におけるカラヤンのマーラーとの出会いになります。
「マーラーの第五、そして「大地の歌」もやりました。一年半ぐらいのうちには第六もできるでしょう。第三もそのうちに・・・」
第二は、私が目にした範囲で1982年シュテルン誌のインタビュー記事があります。私は当時何かの音楽雑誌で邦訳を読んだ記憶があるのですが、現時点で出典が見つかりません。ここでは「カラヤン30番勝負」と題されたカラヤンに関する論考記事で掲載された訳文を引用させていただきます。なおボールドなどの文字飾りのみ変え、便宜上、訳者のコメントはフォントを小さくしてあります。さらに文中の対話者である「S」氏とはインタビュアーのフェリックス・シュミット氏であることも付け加えさせていただきます。
S
「病気後、今までやらなかった作曲家を振るようになりました。たとえば、マーラーですがなぜですか」
カラヤン
「マーラーを避けていたのは、マーラーの特殊な音色が、私のキャパになかったためです。マーラーは『崇高さ』と『卑しさ』が近しい状況にあります。しかし、自分が納得いく衣をかけたような音を手にすることができました。マーラーの全ての交響曲は指揮しません。私の生涯に残った5曲には到達しない(「選択されない」かも?)ことを理解しています」
S
「1年に1曲なら」
カラヤン
「どうなるのでしょうね」(ここの翻訳は重要ですが、単語だけではニュアンスがわかりません)
(中略) S
「最近のあなたは多く『死』に関する音楽を取り上げています。マーラーの『亡き子』や『9番』そしてモーツァルトの『レクイエム』です。」
カラヤン
「意識してないです。言われてみるとそうですね。マーラーの『9番』は素晴らしいです。不気味になります」
S
「何が不気味なのでしょうか」
カラヤン
「死の感覚です。自分が切り刻まれているようです。あと1年しか命がないことを知ったマーラーがこの作曲にはいっていたことを忘れないでください」
なお注釈させていただきますと、上記でシュミット氏が、カラヤンが採りあげる「死」に関する音楽の一例として、「亡き児をしのぶ歌」を引き合いに出していますが、第1節第2項で見るように「亡き児をしのぶ歌」は1974年に録音しており、しかもインタビュー当時の1982年を含めて一度も実演していません。さらにモーツァルトのレクイエムも、ベルリン・フィルとの二度目の録音が1975年、三度目がこのインタビューの後の1986年であり、演奏会でも1982年当時は採りあげていませんでした。
2009年8月27日、An die MusikクラシックCD試聴記