「わが生活と音楽より」
二人の女性による、クルト・ヴァイルを聴く文:ゆきのじょうさん
■ クルト・ヴァイル
クルト・ヴァイルについては、松本武巳さんによる ニナ・ハーゲンが参加したクルト・ワイル『三文オペラ』(全曲)を聴く で紹介されていますので繰り返しとなりますが、記しておきます。
クルト・ヴァイル(Kurt Weill, 1900-1950)は、20世紀初頭のドイツで活動を開始し、その後アメリカ合衆国で活躍した作曲家です。彼の音楽は、クラシック音楽とポピュラー音楽の境界を超え、革新的な舞台作品や映画音楽で知られています。それらの作品には、政治的・社会的メッセージを含むものが多く、演劇との融合が特徴的とされています。《三文オペラ》(Die Dreigroschenoper, 1928)、《マハゴニー市の興亡》(Aufstieg und Fall der Stadt Mahagonny, 1930)などが挙げられます。1933年にナチスの台頭を受け、ヴァイルはドイツを離れ、最終的に1935年、アメリカに移住しました。アメリカでは、ブロードウェイ・ミュージカルの分野で多くの成功を収めました。たとえば、《レディ・イン・ザ・ダーク》(Lady in the Dark, 1941) や、《ストリート・シーン》(Street Scene, 1947) があります。これらの作品は、ヴァイルの音楽がアメリカの音楽劇のスタイルに適応しつつも、彼独自の革新性を保持しているとされています。
なお「Weill」の日本語表記ですが、ドイツ語では「ヴァイル」に近く、アメリカ移住後の英語では「ワイル」です。本稿ではアメリカ移住前の作品も扱いますので、「ヴァイル」と表記しますが、決して「ワイル」の表記を排除する意図はありません。
■ ヨアナ・マルヴィッツ
クルト・ヴァイル:
交響曲第1番『ベルリン交響曲』
バレエ『七つの大罪』
カタリーネ・メーリンク 歌
マイケル・ポーター テノール
ジモン・ボーデ テノール
ミヒャエル・ナグル バリトン
オリヴァー・ツヴァルク バス・バリトン
交響曲第2番『交響的幻想曲』
ヨアナ・マルヴィッツ 指揮
ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団
録音:2024年1月&2月、ベルリン、コンツェルトハウス
独DG 486 5670
ヨアナ・マルヴィッツは1986年ドイツ、ヒルデスハイム生まれ。3歳でヴァイオリン、5歳でピアノを始め、後にハノーファー音楽演劇大学で学びました。2006年から指揮者としての活動を始め、2014年には27歳でエアフルト歌劇場の音楽総監督に就任(当時、欧州で最年少の音楽監督)、2018年から2023年までニュルンベルク州立劇場初の女性音楽総監督(GMD)。2023/24シーズンからベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督を務めています。2023年、ドイツ・グラモフォンとの専属契約を結び、本盤がデビュー盤となります。ブックレットにはマルヴィッツと、ヴァイルの作品を校訂したジェームズ・ホームズとの長文に渡る対談記事が掲載されています。それを元に収録曲を概観していきます。
交響曲第1番をクルト・ヴァイルが作曲したのは21歳、ベルリンでフェルッチョ・ブゾーニの作曲クラスに入った直後でした。ヨハネス・R・ベッヒャーの祭典劇のためにヴァイルが予定していた付随音楽から派生しています。1930年代初頭、ヴァイルは自身の初期作品のいくつかを音楽学者ヘルベルト・フライシャーに送りました。フライシャーが彼についての論文を書いていたからです。ところが運悪く、そのスコアはフライシャーの持ち物のトランクに紛れ込んでしまい、ナチスが台頭した際に安全のためイタリアの修道院に送られました。その際、修道女たちは原稿の表紙を取り外しました。そこにはユダヤ人作曲家であるヴァイルの名前と、同じくナチスから迫害されていたベッヒャーの戯曲からの引用が書かれていたからと考えられています。そしてそのスコアはイタリアに留まり続けました。戦後、さらにヴァイルが亡くなった後、彼の妻ロッテ・レーニャが呼びかけ、そのスコアが返還されました。そして1958年に初演が行われています。四つの不協和音から始まる導入部とそれに続く3つの部分から構成されており、切れ目なく演奏されます。
『七つの大罪』は、ヴァイルがドイツからパリに逃れた後、ブレヒトとの最後の共同製作として、1933年6月7日にパリのシャンゼリゼ劇場で初演されました。ロッテ・レーニャがアンナTを歌い、ダンサーのティリー・ロッシュがアンナIIを演じました。この作品は「バレエ・シャンテ(歌うバレエ)」と呼ばれ、7つの楽章から成る全1幕の歌付きバレエです。それぞれの楽章はカトリックの伝統的な「七つの大罪」(傲慢、怠惰、怒り、貪欲、暴食、嫉妬、色欲)に対応しています。アンナは家族のためにお金を稼ぐため故郷のルイジアナを発ち、7つの都市を巡り、それぞれの都市で「罪」と向き合います。ここで皮肉なのは、アンナが経済的成功を手に入れるために社会が要求する「美徳」が、実際には七つの「罪」として彼女を苦しめる点であることです。ヴァイルとブレヒトは、資本主義社会が個人の人間性を抑圧し、「罪」を強要する構造を浮き彫りにしたとしています。また主人公をアンナT、アンナUに分裂したのは、人間の理性と感情、欲望と道徳の対立を表しており、現代人の内的葛藤が、作品を通じて普遍的なテーマとして提示されているとされています。バロックの対位法、ジャズのリズム、キャバレー音楽、タンゴ、ワルツなど、さまざまなスタイルが取り入れられています。
交響曲第2番は1933年3月、ヴァイルがベルリンからパリに亡命するまでに第1楽章が書かれ、1934年2月に、パリの西郊ルーヴシエンヌで全曲を完成しました。同年10月11日、ブルーノ・ワルター指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管で、アムステルダムにて世界初演、さらにワルターは同年12月13日にニューヨーク・フィルで米国初演も行っています。ワルターは初演のときから暗譜で指揮するほどこの曲を評価していました。ワルターはヴァイルにこの交響曲に標題を付けることを勧めていて、ニューヨーク初演のときには「三つの夜の情景」というタイトルを提案するほどでしたが、ヴァイルは同意しませんでした。『七つの大罪』のモチーフの引用が指摘されています。第1番と同様に3つの部分から構成され、切れ目なく演奏されます。
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交響曲第1番は他の演奏を聴いたことがありますが、どちらかと言えばヴァイルの前衛さを強調するアプローチが多いように感じました。マルヴィッツ盤はこの曲の構成美に目をむけているようです。ゲンダイオンガクに向かう無調性の響きと跳躍する音符の群れを、マルヴィッツは過度に煽り立てることなく、ベルリン・コンツェルトハウスの適度な響きを利用しながら、スケールの大きい演奏をしています。なお、この曲はマルヴィッツの首席指揮者兼芸術監督就任記念演奏会において、プロコフィエフ、マーラーの「第1番」とともに演奏されました。
『七つの大罪』はもっと退廃的に、えぐるような音楽にすることも可能なのでしょうが、マルヴィッツは音楽的に妥当なテンポとバランスを提示します。しかし堅苦しさは皆無であり、歌手の呼吸にピタリと合わせているのは、伝統的なカペルマイスターとしてのキャリアを積んでいたゆえでしょう。第6曲Habsucht(強欲)におけるたたみ掛け方は見事の一言です。
交響曲第2番も気持ちよく疾走するようなテンポで始まり、音符の切れ目の鋭さは抑えられていて、それぞれの旋律が心地よく舞い踊ります。第1番と違って調性があり、より聴きやすいながらも、世界初演当時に「寄せ集めの旋律をつなぎ合わせたもの」と批評された移り変わりを、マルヴィッツはわずかにテンポを変えながら紡いでいます。
ベルリンからパリに移り変わるヴァイルの波瀾万丈の人生における三曲を、見事に描いた演奏です。ヴァイルの魅力がようやく分かってきました。マルヴィッツの奇をてらわない、楽曲の持っている力を余すところなく具現化し、ここぞというところでの盛り上がりは、往年の名指揮者ルドルフ・ケンペを思い起こします。
次回のドイツ・グラモフォンの録音は「三文オペラ」かと思いましたら、なんとハイドン/『天地創造』なのだそうです。
■ ウテ・レンパー クルト・ヴァイルを歌う
第1集
「銀の湖」(1933)より
・フェニモアの歌
・シーザーの死
「三文オペラ」(1928)より
・メッキー・メッサーのモリタート
・ソロモン・ソング
・セックスのとりこのバラード
「ベルリン・レクイエム」(1928)より
・ポツダムに通じるカシワの並木道
・ナナの歌
「銀の湖」(1933)より
・富くじの胴元の歌
「マハゴニー市の興亡」(1930)より
・アラバマ・ソング
・薄情の歌
・あんたを愛していないわ
「ヴィーナスの接吻」(1943)より
・私は自分でも勝手が分からない
・西風
・スピーク・ロウ
ウテ・レンパー ヴォーカル
ヴォルフガンク・マイヤー ハルモニウム
カイ・ラウテンブルク ピアノ
ジョン・マウチェリ指揮
RIASベルリン室内アンサンブル
録音:1988年8月、ベルリン、RIAS Studio No.7
西独DECCA 425 204-2第2集
「ハッピー・エンド」(1929)より
・ビルバオ・ソング
・スラバヤ・ジョニー
・マドロスさんたちのいうことにゃ
・マンダレー・ソング
・ブランデーの闇商人の歌
ユーカリ
「マリー・ギャラント」(1934)より
・ボルドーの娘たち
・天国行きの列車
・大怪物リュスチュクリュ
・アキテーヌの王様が
・私は船を待っているの
「闇の女」(1941)より
・人生は一度だけ
・ジェニーの一代記
・マイ・シップ
ウテ・レンパー ヴォーカル
ロンドン・ヴォイシズ
ジェフ・コーエン ピアノ
ジョン・マウチェリ 指揮
ベルリンRIASシンフォニエッタ
録音:1991年10月21,22,26,27日、ベルリン、Hansa Studio
米London 436-417-2
レンパーによるヴァイルに関しては、これも松本武巳さんによる ウテ・レンパーによる「ベルリン・キャバレー・ソング集」を聴く で、時代背景から音楽に関してまで詳細に論述されていますので、そちらをぜひ参照ください。松本さんが紹介された「ベルリン・キャバレー・ソング集」は、レンパーのヴァイル作品集としては「第3期」にあたります。レンパーの最初のヴァイル・アルバムは、1986年録音の「ウテ・レンパー・シングス・ヴァイル」でした(■補遺参照)。本稿で採りあげるのは「第2期」となる、1988/1991年録音です。
ウテ・レンパーは1963年ドイツ・ミュンスター生まれのドイツの歌手です。「マレーネ・デートリッヒの再来」と謳われています。したがって、その歌唱はクラシック音楽とは一線を画しますが、そんな違いを気にすることが野暮なくらいの魅力があります。良い意味で飾り気のない声色ですが、ドイツ語の発音の明瞭さが相まって、唯一無二の歌唱となっています。
興味深いのは曲目です。第1集、第2集ともアメリカ亡命前の作品が並べられていて、亡命後の作品はどちらも最後に採りあげられています。経年的に並べた第2集に対して、第1集は行きつ戻りつして徘徊した構成です。
英語の発音も綺麗であり、ヴァイルの作品に対するレンパーの思い入れの強さが伝わります。実際、「三文オペラ」「七つの大罪」なども録音しています。レンパーによるヴァイル全集が実現していたら良いのにと思うくらい、この二枚のCDのヴァイルは極上と言えるでしょう。
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マルヴィッツ、レンパーとも、ヴァイルのドイツ、ヨーロッパ時代の作品に重点が置かれていました。アメリカ亡命後のヴァイルは、ミュージカル作品が主となるため、まだ総括できていないのかもしれません。しかしながら、ヴァイルの魅力をこの二人の女性音楽家たちが形にしてくれたのは、価値が高いと思います。
これからの「ヴァイル再評価」に期待したいと思います。■ 補遺
ウテ・レンパー・シングス・ヴァイル Ute Lemper singt Kurt Weill
「ハッピー・エンド」(1929)より
・ビルバオ・ソング
セーヌ哀歌
「フローレンスの熱血漢」(1945)より
・バラードを唄わないで
「三文オペラ」(1928)より
・バルバラ・ソング
「ベルリン・レクイエム」(1928)より
・溺死した娘のバラード
・赤いローザ
・硬い胡桃の歌
・スラバヤ・ジョニー
・マドロスさんたちのいうことにゃ
・地獄の百合
「マハゴニー市の興亡」(1930)より
・あら考えてよ、ヤーコプ・シュミット
「石油の島」(1929)より
・褐色群島の歌
別れの手紙
まだあとどれだけ?
「マリー・ギャラント」(1934)より
・私は船を待っているの
ユーカリ
「ニッカポッカー・ホリデイ」(1938)より
・セプテンバー・ソング
「闇の女」(1941)より
・チャイコフスキー
「星空に消えて」(1949)より
・トラブル・マン
「闇の女」(1941)より
・マイ・シップ
ウテ・レンパー ヴォーカル
ユルゲン・クニーパー ピアノ
1986年8月29、30日 ドイツ、ザントハウゼン、ファン・ゲースト録音スタジオ
Bayer Records TEC-1011
太字は後年に再録音している曲
CD化としては、独MILAN CL-110407015 がありますが、LP全20曲のうち12曲しか収録されていません。
2024年12月22日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記