「わが生活と音楽より」
An die Musik 10周年に寄せて(2)
二枚のシューベルト/弦楽四重奏曲第10番を聴く文:ゆきのじょうさん
前回は当サイト「10」周年として、やや無理矢理に「0」番を採りあげました。やはり「10」番も考えてみなくては、と思ったのですが、良いアイデアが出てきません。An die Musikのホームページ全体とにらめっこしていて、ふと「An die Musik」という文字を改めて眺めました。言わずと知れた、これはシューベルトの歌曲のタイトルです。この歌曲を10人の歌手で聴き比べというのは・・・と思いついたのですが、そもそも歌曲を熱心に聴いているわけではないので、手元にはわずかしかありません。やっぱり難しいものだと思ったところで、自分が愛聴するシューベルトの弦楽四重奏曲が第「10」番であることに気づきました。これも何かの偶然と思い、今回はこの曲を採りあげてみることにしました。
■ シューベルト:弦楽四重奏曲第10番との出会い
歌曲ほどではないにしろ、私はオーケストラ曲を主に聴いてきたので、弦楽四重奏曲というジャンル、特にシューベルトの作品については聴き込んできませんでした。その中で第10番だけは気に入っていたのです。
第10番との出会いは、大学オケでゴリゴリとヴァイオリンを奏でていたときのことです。先輩たちが大学祭の余興で弦楽四重奏をしようと盛り上がり、その時に選んだ曲だったのです。私もお遊びで弾いてみたのですが、私の技量では到底弾きこなすことはできませんでした。第一ヴァイオリンはコンマス、第二ヴァイオリンは見目麗しい女性の先輩で、彼らが(出てくる音楽の質は度外視して)楽しそうに演奏しているのを、羨ましく見ていたものでした。
さて、この第10番ですが、調べてみると以前は「遺作、作品125,1」と記載されており、晩年の作品と考えられていたようです。しかし実際には1813年11月シューベルト16歳のときの作品なのだそうです。
■ ブランディス
大学オケの先輩らが参考にしていたディスクの演奏家は忘れてしまいましたが、たぶんウィーンの弦楽四重奏団のものだったと思います。というのは彼らの演奏がウィーン気取りのものだったと記憶しているからです。それはさておき、私自身は相も変わらず「隠れ」天の邪鬼でしたので、ウィーンのどこかの弦楽四重奏団には目もくれずに、以下のディスクをLPで買い求めてこっそりと聴いていました。
シューベルト:弦楽四重奏曲第10番変ホ長調 D87
ブランディス・カルテット、ベルリン
トーマス・ブランディス、ペーター・ブレム ヴァイオリン
ヴィルフリート・シュトレーレ ヴィオラ
ヴォルフガング・ベトヒャー チェロ録音:1982年11月、ベルリン、ランクヴィッツ、ジーメンスヴィラ
独ORFEO (輸入盤 C113 851 A)ブランディスはカラヤン時代のベルリンフィル・コンサートマスターとして有名で、彼が結成したブランディス・カルテットは「小型ベルリンフィル」などとレコード会社が広告していたと記憶しています。確かにベートーヴェンの弦楽四重奏曲などを聴いてみると、低音が粘り轟音をたてて、その上を輝かしくブランディスのヴァイオリンが響いており、カラヤン指揮のベルリンフィルと同質の色彩を感じました。しかし、このシューベルト/第10番でも、確かに厚みのある音が構築されるものの、ベートーヴェンと比べると実に屈託のない伸びやかさがあります。特に長い音の末尾の処理が特徴的で、十二分に音が最後まで響いており、弓の返しの瞬間にほのかにとろけるような甘い香りが漂っています。これはウィーンの団体で聴かれる香りとは別種だと思います。
ブランディス・カルテットのアンサンブルは唖然とするくらいに正確無比なのですが、息が詰まることがなく、アインザッツも揃っているのかずれているのか判然としないくらいです。しかし全体を聴き通してみると、やはり極上の演奏なのだと認めざるを得ません。第一楽章の展開部への転調はとても自然です。第二ヴァイオリンとヴィオラの刻みでブランディスが歌うところや、第二楽章のスケルツォではちょっと白熱してみたりもするので飽きさせることなく聴き続けることができます。私にとってのこの演奏の聴き所は第三楽章です。何気なくあっさりと弾いているように思えて、よく聴くと互いの呼吸を合わせて弓使いも実に自在です。長い音ではブランディスが一つとして同じようには弾いていないのにはあっけにとられます。いつ聴いても心が満たされる演奏だと思います。最終楽章はとても快活で万華鏡のように移り変わる色彩をただ楽しむことができます。ブランディスが奏でる人なつっこい旋律も、過度に粘ることはないのですが、十分な芳香漂う魅力を湛えています。けだし名演だと個人的には思います。
このブランディス盤を最初に聴き込んでしまった私は、それから、これを越える演奏というのにはなかなか出会うことがありませんでした。ウィーンの団体の纏綿たる情緒にも惹かれるところがありますが、ブランディス盤にあると感じる輝きの前には、譲るところがあると感じてしまうのです。こういう演奏には出会えないのだろうな、と思ったときに、別の魅力で衝撃を与えてくれたのが次に紹介するディスクです。
■ カルヴェ
シューベルト:弦楽四重奏曲第10番変ホ長調 D87
カルヴェ・カルテット
ジョゼフ・カルヴェ、ダニエル・グィルヴィチ ヴァイオリン
レオン・パスカル ヴィオラ
ポール・マス チェロ録音:1937年10月25日
欧Warner Classics / TELDEC (輸入盤 0927 42661)テレフンケン・レガシー・シリーズの一枚です。元々は戦前に独TELEFUNKENに録音されたもののCD復刻盤です。伊東さんも9年前の10月にメンゲルベルクのディスクでこのシリーズを採りあげていらっしゃいました。紙ジャケットなのですが、CDのラベルはLPのレーベル面を模したもの、CDを入れる袋もLPジャケット時代の紙製の内袋を模したものと、凝ったつくりのディスクです(ただしCDはちょっと取り出しにくいのですが・・)。曲目欄において、第二楽章と第三楽章の標記が入れ替わってしまっているのはご愛敬でしょうけど。カルヴェ・カルテットは第二次世界大戦前に活躍したフランスの弦楽四重奏団です。しかし、私は不勉強で、このディスクに出会うまで名前を聞いたことがありませんでした。
当然モノラル録音なのですが、聴き出してみると70年以上前の録音とは思えないほどの生々しい音で驚かされます。メンゲルベルクで伊東さんも指摘されているようにリマスタリングがとても丁寧に行い、それが成功しているのでしょう。しかし、さらに驚かされるのが、ここで繰り広げられるカルヴェ・カルテットの演奏です。
古色蒼然としたポルタメントこそありますが、音楽そのものはとても速めのテンポで演奏されており、第一楽章から荒れ狂う疾風のような激しい感情が横溢しています。これはウィーンの団体の優美さや、ブランディス盤の芳香とはまったく異なります。曲想の移り変わりで音楽は一旦止まりますが、これはEPの面が変わるための中断が影響しているのかもしれません。それにしても何と生々しい音なのでしょうか。奏者の息づかいも聞き取れ、眼前に松ヤニが飛んでくるような迫力です。第二楽章では弓を置き換えるときの弦の音も入っており、ライブを聴いているような興奮を誘います。いや、実際ほとんど録音し直しはしていないのではないでしょうか。第三楽章になりますと、今度は一転して分厚く音は積み重ねられますが、音楽は今にも止まりそうな儚さに満ちてきます。まるでブルックナーの交響曲のアダージョを聴いているようです。最終楽章は前半2楽章の激情とは異なり、煽り立てることのない堂々たる進め方になります。演奏時間もブランディス盤より1分以上も長いのですが、もたついたところは微塵もなく、最後の終結部までどっしりと演奏されています。カルヴェ盤での4つの楽章を通した全体のバランスは、ブランディス盤とは全く異なりますが、また別の味わいをもたらしていると思います。私にとっては、この曲の新しい姿を見せてくれたと感じました。
一つの曲には、それと出会ったときの想い出や経験がどうしても込められます。音楽理論があれはある程度の客観視ができて、分析的な考察ができるのでしょう。ブランディス盤とカルヴェ盤の構造の違いも、理論に基づく分析を行えば、もっと明解な言い様もできるのだと思います。しかし私のように学のない人間にとっては、無理難題でしかありません。
私にできるのは、ただ楽しむことだけです。このサイトにはそんな楽しみ方を許容する大きい器があり、そして大変驚くことに、その器は10年間古びることなく。むしろ大きく、輝き続けてきたという事実があります。これは賞賛以外になにものも語る言葉は存在しません。
2008年11月9日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記