ARCHIVE OF WHAT'S NEW ?
2000年10月

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CD10月31日:CD試聴記に「シューリヒトを聴く 後編」を追加しました。今回の曲はベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」です。


CD10月30日:CD試聴記に「シューリヒトを聴く 前編」を追加しました。曲はブルックナーの交響曲第9番です。ORFEOから発売された新譜です。すると、後編は....バレバレですね(^^ゞ。


CD10月29日:続・リマスタリングについて

最近の傾向として、新しいリマスタリングによる音質改善が、CD販売の一手法になっていますね。各社がリマスタリング手法に鎬を削っています。CDジャケットにも独自のリマスタリング名が記載されていますが、10月25日の「What's New?」でもご紹介したように、リスナーにはもう何が何だか分からない状態です。EMIにいたっては、輸入盤がart、国内盤がHS2088と、内外で使用技術が違っています。リマスタリング技術乱立ですね。もっとも、リマスタリングで音質が改善する場合は確かにあるようですから、結果的には私たちはその恩恵を被っていると言えます。

CDが市場に続々と現れ始めた80年代初頭の音質は実にひどいものでした。高音質を売り物にしていたはずのCDでしたが、高域を強調しすぎたり、楽器の分離を明瞭にするのを意識しすぎた結果、聴くに堪えない乾き切った音質のCDが大量に出回りました。私のCD棚にも当時入手したCDがありますが、大枚をはたいて、潤いのない非音楽的な音を聴かされた私はかなり落胆したのを覚えています。「デジタルはアナログと違う」ということをメーカーは主張したかったのでしょうが、デジタルであっても、アナログであっても、耳が求めるものは変わらないはずです。デジタル臭を売り物にするCDは、デモ用にはいいかもしれませんが、音楽ファンにとっては最悪の商品でした。

その後、メーカーも自分たちの愚に気がつき、アナログの温かみのある音がリスナーに受けいられやすいことを理解しました。そこでデジタル初期のリマスタリングを一新する動きが始まったわけです。それ自体はまっとうな流れですので、歓迎すべきことなのです。が、リマスタリングという工程は、なくても構わないのではないかと私は思っています。ことに、アナログ時代にしっかりとしたマスターテープが作られている場合、それをそっくりそのままCD化してくれれば、いいCDができると思うのですが...。

それは可能なはずです。事実、50年代に名曲・名盤・名録音が集中するジャズのCDは、「AAD」の表示となっています。これは、アナログ・マスターをそのままデジタルに置き換えたと読めるのですが、どうなのでしょう。特段にデジタル・マスターを作らなくても、いい音で録音したものはCDに焼き直してもそのまま鑑賞に堪えるのです。私は、50年代の「AAD」表示になっているジャズのCDで、音質に不満があるものに出会ったことがありません。

デジタルのマスターを作る際には、音質がかなりいじられているような気もします。EMI国内盤のHS2088がひどい高域を聴かせるのは、特定のエンジニアの嗜好によるものでしょう。あれは変な色づけを行った典型であります。また、「アナログのマスターに遡って...」という謳い文句もおかしいですね。今まではそうでなかった、ということです。本当のマスターはひとつしかないそうですが、欧州に拠点のあるレーベルならば、日本にはそのコピーを取って、日本用のマスターを送るのだとか。その日本用のマスターでマスタリングを行っているのでしょう。EMIのリマスタリングが内外で2種類もあるのは、ここに原因があるのではないかと私は睨んでいます(違っていたらごめんなさい)。

さて、繰り返しますが、本来いい音で収録されたものは、改めてリマスタリングをする必要はないはずです。レーベルの中には新しいリマスタリングを売り物にしていないものもあります。例えば、旧東独の録音をほぼ一手に扱うBERLIN Classicsが、新しいリマスタリングを宣伝しているのを私は見たことがありません。ここはアナログ時代にしっかりとした音のマスターを作っていたらしく、ことさら音質に手を入れている感じがしないのに、いつも自然な音を楽しめます。私の場合、このレーベルの録音を大量に聴いていますが、不満が残るCDはまだありません。耳のいい技術者が録音を担当し、その音をデジタル時代になっても見失わなかったのでしょう。重要なのは新しい技術ではなく、耳だということをこのレーベルは教えてくれます。先頃発売されたヨッフム指揮シュターツカペレ・ドレスデンによるブルックナー全集も(10月18日の「What's New?」ご参照)、万が一、BERLIN Classicsに別のマスターがあって、そこからCDが発売されれば、驚異的な音を聴かせるでしょう。あくまでも万が一の話ですが...。


CD10月27日:ジャケットの使用方法

昨日は庄司紗矢香さんのポスター及びCDジャケットの話を書いて、大顰蹙を買いました。読者に見放されるのではないかと本気で心配しています。というわけで、今日はもう少し硬派路線でいきましょう。

先日、カペレのページでブロムシュテット指揮によるベートーヴェン「第九」の記念碑的ライブ盤について書いたところ、ある読者から「LP時代はLASERLIGHTレーベルではなく、CAPRICCIOレーベルから発売されていて、立派なジャケットでした」というお便りが来ました。しかもLPのジャケット写真まで添付していただきました\(^o^)/。私だけが見るのはもったいないので、全員で拝見しましょう。こちらをどうそ。

大変立派なジャケットですね。CDの発売元であるLASERLIGHTは、CAPRICCIOよりワンランク下のレーベルらしいので、ジャケットも無理矢理安っぽくしなければいけなかったのでしょう。でも、あれだけの演奏内容を持つ歴史的録音なのですから、それ相応の販売の仕方があってしかるべきだと私は考えます。あんなジャケットになったのは、「小さなCDのジャケットだからこれでもいいや」という考えがレーベルの担当者にあったのでしょう。CDはその名のとおりコンパクトで扱いやすいのですが、CD時代になってジャケットの芸術的価値は著しく低下していますね。もったいないことです。

鑑賞に堪えるという点ではCDはLPにかないません。しかも、LPのジャケットの価値は視覚的に美しいだけではないのです。よく楽団員の写真がジャケットに使われていますが、CDだと写真が小さくなりすぎて楽団員の顔を判別できません。私は視力が弱いので、特にきついです。そこへいくとLPは最高ですね! 画像がよく見えます。音楽ファンにとって、LPジャケットなどに使われている録音風景、演奏風景のスナップは誰が参加した録音であるかを知るための大切な資料なのです。例えば...。

ウィーンフィルやベルリンフィルのような超一流どころについては、様々な情報を音楽ジャーナリズムが勝手に流してくれますから、ファンはそれを集めていけばいいのですが、カペレの情報となると情報は希少で、しかも信憑性に問題があります。いい加減な情報が、検証されることなくまことしやかに出回ったりします。そうなりますと、もともと検証が難しいのですから、そのまま真実としてまかり通ってしまう場合があります。カペレに対する悪評のほとんどは、そうしたところに淵源があるのです。私ども熱狂的カペレファンは、ガセ情報を修正すべく、検証活動をひっそりと、しかし熱意をもって行っています(これがヲタク道に生きる人間のつとめだ!)。多くの情報が大きな画像になって残っていたLPは、そうした意味でも貴重な財産です。20年ほど前に若気の至りでLPをほとんど全て処分してしまった私が言うのもなんですが(^^ゞ、LPを再認識しましょう。「こんな画像があったよ!」ということなどございましたら、ぜひご一報下さい。


CD10月26日:おじさん現象

山野楽器浦和店における会話

どぅふふふふふ...。そうなんです。私はこうしてついに、あの天才バイオリニスト庄司紗矢香さんのポスターをゲットしたのであります。うれしいなあ。もう平常心ではいられませんね! このページの更新を行っている書斎に、あの庄司紗矢香さんの微笑みがやってきたのであります。

え?「An die Musikの作者ともあろうものが、何だか情けない?」。うーん、しょうがないですねえ。私も39歳。すっかりおじさん化してきましたので、山野楽器に、ばばばば..と並ぶ庄司紗矢香さんのCDジャケットとポスターの力に抵抗できなかったのであります。何卒ご容赦下さい。全てはグラモフォンと山野楽器のせいであります(ちょっと違うかな?)。

というわけで、ポスターを頂いたくらいですから、庄司紗矢香さんの記念すべきデビュー録音を買ってきてしまいました。

CDジャケットパガニーニ:バイオリン協奏曲第1番ニ長調 作品6
ショーソン:詩曲 作品25
ワックスマン:カルメン幻想曲
ミルシテイン:パガニーニアーナ(ソロ・バイオリンのための)
バイオリン演奏:庄司紗矢香
ズービン・メータ指揮イスラエルフィル
録音:2000年7月、テルアヴィヴ
DG(国内盤 UCCG-1020)

いやあ、演奏を聴く前から感動しますね! 「これでメータの顔がなければ、もっといいのに!」と思っていると、CDジャケットの裏には庄司紗矢香さんだけのスマイル写真が! さすがDG、かゆいところに手が届きますね。国内盤は高くて音質が悪いので、よほどの事情がなければ私は敬遠するのですが、今回は許してしまいます。ポスターとCDジャケットを眺めているだけで幸せであります。もうここまで興奮してしまいますと、冷静に演奏を聴いて試聴記を書くことは難しくなります。...こんなことを書いているんですから、きっと皆様は愛想をつかすでしょう。明日から読者数は激減ですね(T_T)。

しかし、「CD試聴記」の趣旨がありますので、簡単に演奏について述べますと、ことパガニーニについては、まだまだ努力の余地があると思います。これは庄司紗矢香さんだけではなく、ややおっとりとした伴奏をつけているメータにも言えます。最近発売されたパガニーニのバイオリン協奏曲第1番の中で出色だったのは、コンヴィチュニー指揮シュターツカペレ・ベルリン、ソロはリカルド・オドノポソフによる演奏でした(録音:1961年3月24日、カップリングはチャイコフスキーの交響曲第4番。Weitblick 輸入盤 SS0008-2)。このいかにも地味なコンビによる演奏は、初めて聴いたときから感心しどおしでした。CDジャケットは面白みのない顔をしたコンヴィチュニーの横顔ですが、演奏は極めて立派です。テンポ設定、音楽の揺るぎない流れ、緊張感の持続、確実な技術、余裕のある表情、そしてモノラルながら高音質、ということなしでした。心を鬼にして書きますが、その演奏と比べると、技術と音質以外のところでDG盤は若干の遜色があります。庄司紗矢香さんは1983年生まれですからまだまだこれからです。日本が生んだ世界的才能の持ち主であることは間違いないのですから、頑張って大バイオリニストになってほしいですね。


CD10月25日:リマスタリング再び

CDジャケットR.シュトラウス
4つの最後の歌(録音:1953年6月)
歌劇「アラベラ」から二重唱等(録音:1953,54年)
「ナクソス島のアリアドネ」からアリアドネのモノローグ(録音:1954年4月)
歌劇「カプリッチョ」から最後の場面(録音:1954年4月)
ソプラノ:デラ・カーザ
カール・ベーム、モラルト、ホルライザー指揮ウィーンフィル
DECCA(輸入盤 467 118-2)

先日、DECCAのLEGENDSシリーズに含まれるCDをいくつか買いました。このLEGENDSシリーズは、往年の名盤を最新のリマスタリング技術によって高音質化し、発売したものです。往年の名盤が対象ですから、発売されているものは私が既に保有している録音が多く、ちょっと手を出しにくい状況にありました。今回は試しに未架蔵盤を買ったわけですが、CDジャケットを見ますと、「96KHz 24-bit super DIGITAL Transfer」とあります。よく「ビット競争」といいますから、ビット数が多い方が高音質化が図れるのでしょうが、技術音痴の私には「96KHz 24-bit...」と言われただけでは何が何だかよく分かりません(T_T)。

デラ・カーザの名唱を集めたこのCDはカール・ベーム指揮によるR.シュトラウスが聴けるという優れものです。「4つの最後の歌」がそうです。通常、「春」「9月」「眠りにつくとき」「夕映えの中で」の順番で演奏されるこの曲を、カール・ベームは「眠りにつくとき」「9月」「春」「夕映えの中で」の順で演奏しています。これはR.シュトラウス本人が希望した順番で、通常の順番は本人の意図を反映していないといいます。R.シュトラウスの忠実な使徒であったカール・ベームは一般的な曲順ではなく、R.シュトラウスの意思を尊重した曲順を採用したと解説にあります。

それはともかく、音質についてです。CDに収録されたほとんどの曲については音質が改善しているのかどうか、私には確証がもてません。歌劇「カプリッチョ」からの最後の場面を聴く限りでは大きく変化はしていないような気がします。「カプリッチョ」最後の場面はいわゆる「月光の音楽」から始まります。少し前に「月光の音楽」の特集をした際、親切な読者から「ホルライザー指揮ウィーンフィルの演奏もお忘れなく」ということで、LPからテープにダビングしたものを聴かせていただいたことがあったのですが、そのテープの音質と、たいして変わらないんです。こういうことを書きますと、私のリスニング環境がいかに貧弱なものであるかを暴露してしまうことになりますね(^^ゞ。ですが、最新技術によるリマスタリングが、常に目が覚めるような音質を創り出せるものではないということはいえるかもしれません。

ただ、ハイエンドの装置で聴くと、違いは歴然としているのかもしれませんね。私はたまたま「カプリッチョ」の「月光の音楽」を聴き比べしただけなのですが、もしかすると、リマスタリングが大成功しているケースもあるかもしれません。気になるのは、このシリーズに含まれるカール・ベーム指揮ウィーンフィルのブルックナー「ロマンティック」や父クライバー指揮ウィーンフィルによる「フィガロの結婚」「バラの騎士」です。これらは手持ちのCDで聴いても既に高音質で、「さらに一体何を望むのか」という水準だと私は思っているのですが、好きな演奏はよりよい音で聴きたいと思います。そうなると、それらのリマスタリング盤をそっくり買い直してしまいたくなります。それはメーカーの策にはまったことになるのですが、どんなものでしょうか。「CD試聴記」などというタイトルのホームページを作っていながら、まことに恥ずかしいのですが、これらを聴き比べた方、ぜひ感想をお聴かせ下さい。


CD10月24日:カペレの新人

ドレスデン特派員Y氏が持ち帰った資料の中に、ゼンパー・オパーが毎月発行している「Theaterjournal」(劇場ジャーナル)があります。これはゼンパー・オパーに関する様々な情報が記載されていて大変重宝な代物です。9月号には今年カペレに入団した新人の情報が載っています。カペレの個別団員の情報などオタッキー過ぎて、興味のない方がほとんどだと思いますが、以下のとおりご紹介いたしましょう。

氏名

セクション

前職
Erbe,Jens-Peter チューバ ベルリン警察管弦楽団
Hanemann,Volker 首席イングリッシュホルン マンハイム国立歌劇場
Hohbach,Kea 第1バイオリン ベルリン音楽大学
Horwath,Michael ビオラ ワイマール音楽大学
Kittel,Sabine 首席フルート ドレスデンフィル
Milatz,Christiane ハープ フリー
Ubbelohde,Jochen 首席ホルン フランクフルト歌劇場管弦楽団
Wollong,Matthias コンサートマスター、第1バイオリン ベルリン放送響

シュターツカペレ・ドレスデンと聞くと、「ドレスデンの音楽大学を出てすぐカペレに入団、その後はずっとカペレにいて伝統の音を伝える」というイメージがあります。私が今までに読んできた日本語による活字情報はほとんどそうした内容を連想させるものです。全団員の名簿を見ますと、確かにそうしたキャリアを積む人も多くいます。が、上記の表を見ると、必ずしもドレスデンの音楽大学からカペレへの「直結型」が現在の主流とはいえません。新人はドイツ各地から集まってきていますね。

この表では前職しか分からないので、その前の経歴を調べると面白いかもしれません。カペレには若手に武者修行をさせる風土があるようで、ベルリンなどにそうしたルートを持っているようです。私もまだ詳しくは調べていないのですが、このうちの何人かはドレスデン音楽大学の出身でしょう。一番怪しいのは首席フルートのザビーネ・キッテルさん(女性)。カペレのフルート奏者と言えば、重鎮ヨハネス・ワルター教授。彼はドレスデンで学び、1960年から63年まではドレスデンフィルの首席フルート奏者を努め、その後は現在に至るまでカペレの首席をはっています(40年近くも!)。キッテルさんはいかにもこのワルター教授の教え子くさいですね。ドレスデンフィルに出している?のが怪しいです。

もっとも、「ドレスデンで音楽を学んだ者でなければカペレにふさわしくない」などとは私も思っていません。実は、カペレのサウンドを作り上げてきた実力者は意外にもドレスデン出身者でない場合があります。泣く子も黙るコンサートマスターのペーター・ミリング教授はベルリン音楽大学、ペーター・ダム教授はワイマール音楽院出身であります。興味深いのは、本来外部の人間である彼らが、最もカペレの伝統の音色を守ろうとしていることです。カペレに対する貢献は計り知れないでしょう。カペレは時々外部から新しい天才の血を導入することで新陳代謝を行っているんですね。武者修行の制度(?)はその一環にあるのでしょう。伝統のサウンドとはいっても、常に高い水準を保つには、そうした制度が必要であることをカペレの人事は教えてくれます。もっと深く研究すれば、伝承とはどんなものなのか、分かってくるかもしれません。


CD10月23日:ヴァントのシューベルト

9月28日の「What's New?」で話題になったヴァント指揮によるシューベルトの交響曲第2番のCDをようやく入手しました。

CDジャケットシューベルト
交響曲第1番ニ長調 D.82(録音:1978年12月21日)
交響曲第2番変ロ長調 D.125(録音:1979年9月29日)
ヴァント指揮ケルン放送響
BMG(輸入盤 GD 60097)

演奏は期待を上回るものでした。北ドイツ放送響との交響曲第3番を聴いた後だったので、大体どんな演奏をしているか見当はついたのですが、それは想像の域を出ないものです。別の曲を聴いて類推しても致し方ないことがよく分かりました(^^ゞ。正直に申しあげますと、70年代まで遡ったヴァントを聴くことには不安もありました。私が聴き始めたのは80年代後半からのヴァントでしたから、70年代ではまだあまり良い演奏をしていないのではないか、と思ったのです。幸運にもそれは杞憂に終わりました。このCDでは、シューベルトらしい旋律美が溢れたすばらしい演奏が聴けます。

演奏スタイルは今のヴァントに通じます。昔からこうだったんですね。過度に甘ったるくなったり、感傷的になったりはしませんでした。多分、ヴァントは感情移入を行うことなく、厳格に楽譜に取り組み、シューベルトの音楽を再現させたのでしょう。さらりと流しているように聞こえる場所がたくさんあります。それでもなお聴き手をシューベルトの音楽にじかに触れたような気にさせるのは、「シューベルトはかく演奏すべきなのだ」というヴァントの確信によるものでしょう。指揮者や演奏家による独自のロマン的解釈がなくても、聴衆にアピールできるということです。そうした確信を持っていたからこそ、ヴァントはぶっきらぼうとも思える醒めた指揮ぶりを貫きながらも、結果的には聴き手に深い感銘を与えうるのだと思います。ヴァントが就寝前に夫人と聴くという第2楽章もさらりとしていますが、味わい深い演奏でした。後半の変奏で音楽が盛り上がってきても、ベーム盤と違って穏やかな流れを維持しています。8分32秒の楽章ですが、確かに就寝前にぴったりです。私も今日はこれを聴いて寝ることにします(^^ゞ。

ところで、シューベルトの全集はベートーヴェンやブラームスの場合と違って、あまり売れないと思います。皆さんはいくつお持ちですか? クラシック音楽ファンなら、ひとつくらいは全集を手元に置いてもいいでしょう。「未完成」と「グレイト」しか知らない人でも、すぐ全曲に馴染めますよ。特に知名度の低い初期の交響曲はお薦めです。今日取り上げたヴァントのCDも単売されておらず、全集で入手しました。まだ全部は聴いていないのですが、第2番とカップリングされている第1番、それから、77年録音の交響曲第9番「グレイト」を聴いた限り、私は全集としての価値はとても高いと思いました。ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデンに次ぐ愛聴盤になるかもしれません。やっぱりヴァントはすごいですね。来日公演がますます楽しみになってきました。


CD10月22日:ベートーヴェン全集

先週はやっとの思いで更新を完了しました。もっと書きたいことはあったのですが、完璧なものを作ろうとすると、いつまでたっても公開できないので、例によって見切り発進しました。文章が舌足らずであったり、文脈の流れがおかしいところもあるのですが、何卒ご容赦下さい。走りながら直して行くつもりであります。

1週間ずっとおつき合い下さった方はよく分かると思いますが、先週の更新はシノーポリによる「第九」の話が終着点でした。ブロムシュテットはそれを書くための前段だったのですが、これはAn die Musik始まって以来最も長大な前段ですね(^^ゞ。

しかし、前段で使ったからとはいえ、侮ってはいけません。何度も断っておきますが、ブロムシュテットのベートーヴェン全集は大変立派な録音です。日本ではネームバリューがなかった頃の録音であったため、今やほとんど忘れ去られていますが、それは全く不当だと私は考えています。「第九」をはじめとして名演揃いです。「第6番 田園」についてもコメントをゲストブックに書き込まれたかたがいらっしゃいましたが、他の曲もすばらしいです。あまり内容を詳しく書いてしまいますと、今後の更新に差し支えるのでやめておきますが、どれも私のお気に入りです。特に、第7番の第4楽章では超人ティンパニスト、ゾンダーマンの超絶的な技巧に驚嘆するでしょう。

ブロムシュテットのベートーヴェン全集、国内盤は徳間から廉価盤でばら売りされていましたが、現在生産中止のようです。たまに中古CD屋さんで見かけますから、目に入ったらぜひお求め下さい。多分1枚600円程度で買えるでしょう。カペレ絶頂期の名演奏、名録音がそんな値段で買えるんです。輸入盤ではBERLIN Classicsの全集が現役盤で頑張っています。中古CD屋さんは都心や大都市にしかないでしょうから、一般的にはこの輸入盤がお薦めです。インターネットショッピングでどうぞ。5枚組の全集を買っても4,000円程度かな? これまた格安です。

ちょっと前までは、いくらCDの値段が下がってきたとは言っても、全集ともなると、買うのに勇気がいりました。全曲を聴き通せるかという不安もありました。が、最近、全集の低価格化が猛烈なスピードで進展していますね。ジンマンのベートーヴェン全集がARTE NOVAから2,800円ほどで発売されたときは、「これ以上安いCDは他にない」と思ってさっそく飛びつきました。が、10月18日の「What's New?」で取りあげたヨッフムのブルックナー全集はそれ以上でした。レコ芸最新号によると、今度はDISKYからケンペ指揮ミュンヘンフィルによるベートーヴェン全集(EMI録音)がついに再発されるとか。DISKYはザンデルリンクのベートーヴェン全集をやはり破格の値段で発売した経歴があります。今回はいくらになるのか、興味津々です。


CD10月20日:「シノーポリのベートーヴェン交響曲第9番 後編」を追加しました。

今週の更新は今日の内容を目指して作りました。が、相変わらず言葉が足りませんねえ。反省することしきりです。もっと時間がほしいです。でもこれ以上ホームページに専念できない!ううう....。


CD10月19日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「シノーポリのベートーヴェン交響曲第9番を聴く 前編」を追加しました。時間の都合で全文を書けませんでした(T_T)。本題は明日に譲ります。明日は今日の分を含め、必ず読んでいただくよう、伏してお願い申しあげます<(_ _)>。


CD10月18日:art

私にとって待望のCDがついに登場しました。これです。

CDジャケットブルックナー:交響曲全集
ヨッフム指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1975年〜1980年、ルカ教会
EMI(輸入盤 5 73905 2)

ヨッフムがカペレを指揮したブルックナーの交響曲全集は、とっくの昔からあります。別に珍しくはないのですが、今回発売された輸入盤は、EMIが誇るart(abbey road technology)方式によるリマスタリングCDなのです。「だからどうした?」という声が聞こえてきそうですね? 私にとって重要なのは、交響曲第8番のリマスタリングです。1976年11月に録音された第8番は、演奏内容が卓越しているにもかかわらず、音質がぱっとしませんでした。それも、全曲中、録音に難があるのはこれだけなんです。国内盤、輸入盤とも新しいプレスが発売される度にブル8のCDを買い直してきた私は、その度にがっかりしてきました。満足する音質のCDになっていないのです。最近、LPも聴く機会がありましたが、最も音質がよいと思われていたLPにおいても、音が少しダンゴ状態になっていました。

ヨッフムのブルックナー全集で録音を担当したのは、Claus Struebenという旧東ドイツの録音技師でした。彼は8番だけではなく、全曲を担当しています。ヨッフムは1975年には交響曲第4番「ロマンティック」から全集録音を開始していますが、最も古い録音である「ロマンティック」は鮮明な録音でカペレサウンドが見事に捉えられています。第8番は「ロマンティック」に次ぐ録音ですし、同じルカ教会で収録しているわけですから、第8番だけが殊更音質に問題があるのは納得できませんでした。そのため、「EMIのリマスタリングに根本的問題があるのではないか」と私は思っていたのですが、今年になってart方式でリマスタリングされたこの第8番を聴くと、ダンゴ状態だった音質はすっかり改善され、各楽器の音の輪郭が明瞭になっています。予想していたとおり、最初のリマスタリングに問題があったのですね。これほどすっきりした音で大好きなヨッフムのブル8を聴けるようになって、とても嬉しいですo(^o^)o。ついこの前までは、ダンゴ状の音を頭の中で整理して聴いていたのでした。隔絶の感があるというものです。しかも、この9枚組全曲CDは、何と、税込みで3,900円ほどで入手できるのです。1枚500円もしないんですよ。これでは、1枚あたり1,800円ほどするHS2088方式リマスタリングによる国内盤はその価値をほとんど失ってしまいますね(HS2088は高域がうるさいんです)。ブルックナーファンはさっそくCDショップに走った方がいいでしょう。

ただし、正直に書いておきますが、art方式によるリマスタリングでも欠点はあります。ヨッフムのブル8最大の魅力である第4楽章開始直後の強烈なティンパニ、あの第1主題ファンファーレが鳴りやんだ直後に来るティンパニですが、ちょっと強烈さが薄れてますね。今までのCDでは、その部分にさしかかると、その度にびっくり仰天したものでした。それがart方式になってから、すっきりし過ぎた気がします。もっとも、この部分に注意して聴かなければ気がつかないとは思いますが...。

余談ですが、あんな強烈かつ音楽的なティンパニをぶっ叩けるのは「特別な男」ゾンダーマンしかいないでしょう。ほかのどんなブル8を聴いてもゾンダーマンのティンパニに及びません。それほど目立つティンパニですから、やっぱり気になりますかね? いかがでしょうか?


CD10月17日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「ブロムシュテットのベートーヴェン交響曲第9番 後編」を追加しました。

このCDをお持ちの方の試聴記を熱烈にお待ちします。「私のカペレ」にて受け付けますよ!


CD10月16日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「ブロムシュテットのベートーヴェン交響曲第9番 前編」を追加しました。

よく見ると、カペレのページ本文を更新するのは久しぶりです。毎日カペレのことを考え、カペレの録音を聴き、カペレの公演に思いを馳せているわりには更新が少なかったんですねえ。なるべく偏らない更新を心がけていたのですが、これは逆に偏ってしまったのでしょうか?

なお、案の定時間が足りず、舌足らずな文章になりました。何卒ご容赦下さい。そのうちにこっそり加筆訂正しますです<(_ _)>。


CD10月15日:食い過ぎ

今週末は苗場に行ってきました。親子三人、福島屋旅館に泊まり、山の幸を食いまくってきました。おいしかったなあ。私はすっかり食い過ぎてお腹がパンパンであります。

苗場というと、日本でも有数のスキー場があるところですから、知名度は高いです。が、冬以外の苗場はほとんど知られていないでしょう。いいところですよ。スキーシーズンがよいのはもちろんとして、ここは春も夏も秋もそれぞれの風景を楽しめます。魚釣りをしても、山登りをしても、あるいは散歩をしても楽しいです。福島屋旅館でかつて知り合った釣り師Kさんは、苗場を訪れるうちに苗場が気に入ってしまい、小川の畔に山荘を建てていました。首都圏にお住まいだった方ですが、週末には山荘に入る生活を続けていたようです。最近は定年退職し、ついに首都圏を脱出し、山荘を本拠にしてしまいました。苗場近辺でも名うての釣り師であったKさんは、今日も魚釣りに精を出しています。

10月半ばともなると、苗場は冷え込んできます。昨日私が到着した時は寒さに震えました。先週末の福島帰省の教訓で厚着をしていったのですが、段違いの寒さです。それはそうですね。あと2ヶ月もしないうちにスキーができる場所ですから。うちのみずなは、雪んこのように厚着をして旅館内を走り回り、おいしい川魚をむしゃむしゃ食べていました。苗場に行って一番楽しかったのは私ども夫婦ではなく、みずなだったと思います。宿のおじさんにもかわいがられてご機嫌でした。

宿のおじさんは、困ったことに私の女房が好きであります。実は、わが女房さんには「じじ殺し」の才能がありまして、60歳以上の男性にとても人気があります。その才能は、私も結婚するまで全く知らなかったのですが、驚くべきものがあります。福島屋のおじさんも、女房がいるとそれだけでご満悦になってしまうのです。困りますねえ。

毎回おじさんとは八海山を飲んで語らいます。お酒に強い人ですので、私も闘志満々で挑戦しています。が、私の戦歴は連戦連敗です。お酒には強い方だと思っている私も福島屋旅館では「とても弱いやつ」ということで呆れられています。ほとんど子供相手であります。今回こそは、と思って昨晩も挑戦しましたが、あろうことか、10時前には限界に達して退散してしまいました(T_T)。女房さんはその後1時間半、おじさんとさしで飲んだそうです。一体何が語られたのか、知る由もありません。危険であります...。

去年は女房さんが子育てでノイローゼ寸前でしたから、スキーなど思いもよりませんでしたが、今年はスキーを再開できそうです。親子で行く際には、宿から徒歩3分の浅貝スキー場でそりをする予定です。冬場、私とビール、あるいは八海山対決をしたいという奇特な方がおられましたら、ぜひ福島屋でお会いしましょう。年末から囲炉裏に入り浸っています。


CD10月13日:反省

今週は「クライバーの録音を聴く」などという壮大なタイトルで書き始めたわりには、扱う範囲が少なすぎましたね。非常に反省しています。かりにもエーリヒについて書くなら、オペラ演奏に対する貢献を書かずにはすまされないはずです。DECCAに録音した「フィガロ」(1955年録音、DECCA)や「ばらの騎士」(1954年録音、同)について言及しなかったことについては、内心忸怩たるものがあります。何卒ご容赦下さい。

「ばらの騎士」については、私もいろいろと研究中でして、新旧の演奏を比較しながら楽しんでおります。クライバーの演奏はモノラル録音であるにもかかわらず、その後に現れた軟弱デジタル録音を寄せ付けないすばらしい出来です。クライバーの録音では「フィガロ」くらいしかステレオ録音されませんでしたが、50年代前半のウィーンフィルが演奏していることもあって最高の名演になっています。

今回、私はクライバーの「エロイカ」、それもウィーンフィルとの演奏ではなく、コンセルトヘボウ管との演奏を褒めちぎりましたので、「本当だろうか」と思った読者もいらっしゃるでしょう。趣味・嗜好の問題ですから、私がコンセルトヘボウ管を褒めちぎっても何とかお許しいただきたいのですが、「エロイカ」の場合、決してウィーンフィルのレベルが低いわけでは決してないので、念のためご理解いただきたいと思います。それどころか、多分、50年代前半にはウィーンフィルは黄金時代を迎えていたのではないか、と私は推測しています。そのウィーンフィルを指揮した「エロイカ」は録音のよさもあって、クライバーの代表盤とすることに私は何ら躊躇を感じません。ただ、あの場合、コンセルトヘボウ管がすごすぎるのであります。

当時、コンセルトヘボウ管はベイヌムが首席指揮者を務め、盛んな録音活動を行っていました。その録音を聴いていると、コンセルトヘボウ管の輝かしいサウンドに芯から痺れてしまいます。その時代の代表盤はブラームスの交響曲第1番(51年録音、DECCA)あるいはシベリウスの「伝説」です。そうした録音、しかもモノラルの音を聴いて私はコンセルトヘボウ管に魅了されてきました。あの輝かしいサウンドは、さすがに現在では失われているようです。それもオケの国際化のなせるわざなのでしょうが、何とも寂しいものですね。あの「エロイカ」が録音されたのは、コンセルトヘボウ管が最も栄光に輝いた時期だったのではないかと私は思っています。皆様も是非お試しあれ。50年代のオケが好きになりますよ。危険な音盤道の入り口であります。


CD10月12日:CD試聴記に「父クライバーの録音を聴く 後編」を追加しました。今回の曲は、ベートーヴェンの交響曲第9番です。

なお、このシリーズはこれで一応終わりです。「フィガロ」も「ばらの騎士」もないのか!という罵声が飛んできそうですが、それはまた後の機会に取っておきたいと思います。何卒ご容赦下さい。


CD10月11日:CD試聴記に「父クライバーの録音を聴く 中編」を追加しました。時間切れで書けなかった昨日の続きです。


CD10月10日:CD試聴記に「父クライバーの録音を聴く 前編」を追加しました。

今日の分はアムステルダム・コンセルトヘボウ管を指揮したベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」です。まだまだ書き足りないです! もっともっと書くことがあるのに! ですが、時間がありません! というわけで、続きは明日にします。乞うご期待であります。ううう、やっぱり時間がない私....(T_T)。


CD10月9日:田舎の風習

連休中は私の田舎である福島へ親子三人で帰省しておりました。浦和とは気温差が4度くらいあるようで、半袖で出かけた親子は福島でブルブルしておりました。来週はもっと寒い苗場に行く予定ですので、要注意です(スキーに行くのではもちろんなくて、いつもお世話になっている福島屋旅館のおやじと八海山を飲むのが目的です)。

福島では親戚がぞろぞろ集まって、「芋煮会」をやってきました。これ、「いもにかい」と読みます。この言葉、ワープロですぐ漢字変換できないところを見ますと、一般的な日本語ではないことが分かります。これは山形から福島あたりにある風習でして、大勢がでっかい鍋を持って河原に集まり、里芋を中心に野菜やら肉やらをガンガン突っ込んでみんなで食するというものです。空気はいいし、みんなで食べる鍋料理は最高においしいです。今年初めて芋煮会に参加した女房さんも大満足でした。

この「芋煮会」。私は福島育ちですので、どこにでもある風習だと思っていたのですが、20年前上京してから、関東でこの言葉を耳にしたことは一度もありません。いかにも田舎臭い「いもにかい」という言葉の響きがよくないのでしょうか? とても楽しいのですが....。この季節、地元のスーパーでは「芋煮会セット」まで売り出しています。秋の風物詩ですから、市民はこぞって河原に出かけ、芋煮会を楽しむのであります。私が出かけた河原にも、福島弁をしゃべる若者達がたくさん鍋を作っていました。若い衆にも芋煮会の伝統がちゃんと根付いているので、おじさんとしてはほっとしています。

ちなみに、我が家で使う鍋は1950年ものの巨大鍋であります。ここで写真をお見せできないのが残念ですが、非常に立派な鍋であります。作られてから50年もの風雪にたえた優れもので、周囲は真っ黒。土鍋とは違い、味がしみ込んでいるとはあまり考えられないのですが、歴史的な鍋を使うと味もまた格別に感じられるから不思議であります。

そんなことをしていたら3日間はあっと言うまでした。私の両親はクラシックはおろか、音楽など全く興味がありませんので、オーディオセットも自宅にはありません。したがいまして、私は3日間クラシック音楽とは無縁の生活をしたわけですが、これもまた一興です。たまには河原に出て、自然の音と向かい合うのも、新鮮です。すっかりリフレッシュされてきました。田舎から帰ってきますと、こちらもすっかり秋の気配。いよいよクラシック音楽鑑賞最適のシーズンがやってまいりましたね! An die Musikも鋭意更新を再開しますので、乞うご期待であります。


CD10月6日:小澤征爾

人気爆発「200CD ウィーン・フィルの響き」に、小澤征爾について書かれた文章がありました。一部を引用いたしますと、こうあります。

小澤の、特に”サイトウ・キネン”との仕事への厳しい批評・不人気と、朝比奈への異常な尊敬の対比に見られる日本のファンのある種のねじれ、その精神分析は、最近盛んな「日本洋楽史」研究の課題となりうるだろう。

p.215 新田孝行さん

短い文ですが、含蓄に富む内容だと思いませんか? 朝比奈隆さんの評価はここ数年鰻登りです。高齢であるだけに、「もうこれが最後か?」と思うファンが殺到するのでしょうか、ステージに立てば、そのライブ録音がたちまち発売されるというすごい人気です。これほどの人気を誇るのは、他にはギュンター・ヴァントくらいでしょう。

一方、小澤は、サイトウ・キネンを毎年振って、CDも多数発売されているのに、某月刊誌などでさんざんに叩かれています。小澤バッシングが顕著になったのは、まさにサイトウ・キネン・オーケストラとの活動が脚光を浴びてきた90年代前半からでしょう。87年以降、小澤はサイトウ・キネン・オーケストラにかなり注力しています。が、その努力に反比例するように、「美音ばかりで何を表現したいのか?」という決まり文句が月刊誌に載るようになりました。

でも、小澤はそんなに堕落してしまったのでしょうか? 私はそうは思いません。もしかしたらもっと昔の小澤の演奏も「美音ばかりで...」と思っていた人が多かったのかもしれませんが、1980年前後の録音を耳にすると、やはりすごい美音を創り出しています。ボストン響はかつて最もヨーロッパ的と形容されたそうですが、小澤はこのオケを大変な美音マシーンに変えています。小澤が聴かせるサウンドは、それこそ、とろけるような美音であります。私の記憶では、そうした小澤の演奏を、かつては「官能的」と言って日本の音楽評論家達は褒めちぎっていたのではないでしょうか?

確かに「美音だけど、それだけ」という録音もあります。でも、それをいうなら、「美音すら作れない、しかもそれだけ」という指揮者はどうなのかと私は考えます。おそらくは、小澤に対する過度の期待が、ジャーナリズムに変なバイアスをかけているのでしょう。サイトウ・キネン・オーケストラが浪花節的にできあがった過程が気にくわない人もいるのでしょう。ウィーンやベルリンのオケでなければ認めたくない、などという人もいるのかもしれません。サイトウ・キネン・オーケストラに注力すればするほど小澤が叩かれるのは、そうした背景があるからだと私は睨んでいます(本当のところは分かりません)。今や、「小澤を叩かずんば、批評家の書く文章にあらず」という風潮になってきました。一方方向に流れやすい日本人の悪癖が垣間見られるようで、私は困惑してしまいます。また、極論すればファッショ的風潮なので私は空恐ろしさを感じます。

やや感情的な書き方になりますが、そもそも匿名あるいはハンドルネームにて小澤を酷評する記事は私は読むに値しないと思います。そうかどうか確証はもてませんが、コンサートに最初から小澤を批判する気でに出かけ、CDを聴き、小澤の演奏が自分の望むものとは違うからと言って、鬼の首を取ったように騒ぐのはどうかと思います。最初から悪意が見え隠れしているのはいただけません。そうした匿名性の高い記事を載せるメディアも高く評価できません。

興味深いことに、小澤は変わりつつあります。昨年ザルツブルクで演奏したブルックナーの交響曲第9番は涙なしには聴くことのできない見事な演奏でした。「ドイツものにはまだ弱いかな」と思わせていた小澤が、ヨーロッパ音楽の本拠地のひとつウィーンで大化けする可能性があります。もしかしたら、小澤はとてつもない巨匠になるかもしれないのです。その時、小澤がまだサイトウ・キネンの指揮台に立っていれば、やはり日本のジャーナリズムは小澤を酷評するのでしょうか? 私はこれから5年先、10年先、小澤がどうなっていくか真剣に見守りたいと思います。日本が生んだ世界に通用する数少ない名指揮者なのですから、それなりに応援してあげても良いのではないでしょうか。


CD10月5日:CD試聴記に「セルの録音を聴く 後編」を追加しました。


CD10月4日:セルを聴いて思うこと。

正直に申しあげますと、私は惰性でクラシック音楽を聴く時もあります。普段は好きで聴いているのですが、別に聴きたくなくても、いつもの習慣でクラシックのCDをかける時があるのです。無論、そんな聴き方をする場合に限って、お酒でも飲んでいたり、まともな聴き方をしていません。サロン向けの作品ならともかく、ベートーヴェン以降の音楽は聴衆が真剣に耳を澄まして聴くように作られていますから、いい加減な聴き方をしてクラシック音楽を正しく理解できるとは私は考えられません。

今週取りあげているセルの演奏、特にスタジオ録音盤は、適当に流し聴きしていれば、まず良さが伝わらないものです(少なくとも最近まではそう考えていました)。セルはかなり細かいところにまで神経を配っていますが、大見得を切ったりしないので、「をを!ここは他の指揮者と違うぞ」などという、あからさまな違いに気づきにくいと思われます。しかし、じっと耳を澄ませると、指揮者の指揮者たるべき仕事を完璧にやり遂げていることに感心します。指揮者には様々なタイプがありますが、セルは大衆受けする音楽作りに走らず、孤高の道を選んだのですね。そうした指揮者は他にもおりますが、オケに大道芸人的な見せ場を要求するのではないのがセルらしいと私は思っています。

今回発売されたシベリウスのライブ録音でも、セルは精緻極まりない演奏をしつつも、正攻法で責めており、決して奇を衒った解釈を示していません。それでいて無類の感動を与えうる演奏をするからすごいのであります。それはスタジオ録音盤からはほとんど窺い知れないものでした。そうなりますと、セルの音楽は神経の細やかさだけではなく、ライブにおいては音楽に対する熱い思いがあったのだと考えざるを得ません。セルをスタジオ録音でばかり聴き続けていたため、微に入り細を穿つ「重箱の隅を突っつく」方式による鑑賞がセルを最も良く理解できるなどと考えていた私は大馬鹿でありました(^^ゞ。繊細、入念な指示があるのはもちろんのこととして、その先に大きなプラスαがあったことが、セルが大指揮者と言われてきた理由なのでしょう。

セルが東京文化会館で指揮したシベリウスは、クラシック音楽をかなり聞き込んで、シベリウスの交響曲第2番には不感症気味であった私を打ちのめすほどの衝撃を与えました。私は、久しぶりに「クラシック音楽を聴いていてよかった」と思いました。これほどの衝撃、感動を与える演奏は滅多にありません。今年になって聴いたクラシック音楽の中ではダントツの1位です。面白いことに、最近発売されたCDの中で特に良かったものを挙げるとなると(旧譜は除きますよ!)、これまたセルの指揮したベートーヴェンの交響曲第5番が思い出されます。先ほどその事実に気づいてびっくりしました。セルは本当にすごい人ですね。またまた気になってきました。


CD10月3日:CD試聴記に「セルの録音を聴く 中編」を追加しました。曲目は、...たくさんあります!


CD10月2日:CD試聴記に「セル来日公演盤」を追加しました。まだ聴いてない人は、会社を抜け出してすぐ買いに行くべし!


CD10月1日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「来日公演メンバー表」を追加しました。さらに、「ペーター・ダム分室」には「ペーター・ダム・ディスコグラフィー」を追加しました。いずれも、当ページ読者である村山さん@ホルン奏者の力作であります。ディスコグラフィーについて、「ここに載っていないけど、こんな情報があるよ!」というケースもあると思われます。その際にはご連絡下さいますよう、お願い申しあげます。

なお、いずれの表ともInternet Explorer ver.4.0以降で表示されることは確認しましたが、ver.3.0以下で正しく表示されるかちょっと不安であります。「うまく見えないぞ!」という方、大変お手数ですが、ご連絡下さいますよう、お願い申しあげます。


(An die MusikクラシックCD試聴記)