ARCHIVE OF WHAT'S NEW?
2001年8月
8月29日:青木さんによる「コンセルトヘボウ管のページ」に「コンセルトヘボウ管弦楽団のレコ芸推薦盤大全(1968〜1981)」を追加しました。
うーむ、こういう切り口がありましたか....。今はともかく、昔はレコ芸にも格式がありましたからねえ。カペレでもやってみようかな?
8月26日:青木さんによる「コンセルトヘボウ管のページ」に「コンセルトへボウ大ホールの歴史」「コンセルトヘボウのレアCDガイド」を追加しました。青木さん、CD画像はもう少しお待ち下さい。レアものは私も持っていないものですから(^^ゞ。
8月21日:CD試聴記に「ゲルギエフの<春の祭典>」を追加しました。やっと輸入盤が発売されました。
8月20日:ドメイン取得
ついにドメインを取得しました。取得したドメインは「kapelle.jp」です。「kapelle.com」を狙っていたのですが、既に登録済みでした。でも、「kapelle.jp」の方が一字分少なくていいかな? 候補としては「staatskapelle.com」があって、こちらは取ろうと思えば取れたのですが、こんなドメインを取ってしまうと訴訟に巻き込まれそうなのでやめました。ドメインとしてはちょっと長いし、誰もが正しく「staatskapelle」と表記できるかどうか疑問でもありました。
ドメインの取得にともない、近々メールアドレスも「karl@kapelle.jp」に切り替えます。今使っているのは「karl@mti.biglobe.ne.jp」ですから、大幅に簡略化されます。これならすぐに覚えてもらえそうですね。もっとも、女房さんもアドレスが変更され、「chifumi@kapelle.jp」になるのですが、さすがに女房さんはこの新しいアドレスを使うことに抵抗が強いようです。「何で私がカペレなのよ!」。....ごもっともでございます。が、こういう亭主を持ってしまったことを諦めてもらうしかありませんね。
15日からの夏休みは大酒のみと、An die Musikの改訂作業、そしてこのドメイン移行作業で終わってしまいました(T_T)。付加価値を生み出すことができなかった休みであります。特に改訂作業とドメイン移行を一緒にやったのは大失敗でした。ただでさえ繁雑な作業であるのに、移転にともない、ファイルの確認作業は気を遣います。肉体的にも精神的にもヘトヘトです。それでもなお不具合が生じている可能性があります。明日以降も細かく動作確認をしますが、奇妙なところがありましたらぜひご連絡下さい。お願い申しあげます。
改訂作業は、懸案であった非フレーム化を徹底させました。非フレーム化するといっても、最近はもっと上手にやるのですが、私はテクがないものですから、ひたすら手書きのインデックスを張り付けました(^^ゞ。このようなページ作成をしているWebマスターはクラシック界でも私くらいでしょう。実に恥ずかしいです。もう少し技術をつけないと...。技術力の向上も今年の懸案であったのですが、頑張らねば。
なお、とりあえず、An die Musikの基盤はこれで固まったということになりますので、ボチボチ更新を再開します。皆様、のんびりした作者で誠に申し訳ありません。
8月11日:どんな演奏で聴くか?
シェーンベルク
「浄夜」作品4(リヒャルト・デーメルの詩による弦楽六重奏曲)
弦楽三重奏曲 作品45
ラサール弦楽四重奏曲
録音:1982年11,12月
DG(国内盤 POCG-3150)シェーンベルクの「浄夜」が作曲されたのは1899年。マーラーやR.シュトラウスが旺盛な作曲活動を繰り広げていた後期ロマン派の絶頂期にあたります。そんな時代の作品ですから、いかにシェーンベルクの作といっても、「浄夜」がいわゆるゲンダイオンガクだとは言えません。シェーンベルクの作品群でも特にわかりやすいものです。
しかし、初めてこの曲を聴いたとき、私はその良さを理解することはできませんでした。最初に耳にしたのはカラヤン指揮ベルリンフィルの録音でした。音楽雑誌にはカラヤンの傑作録音として掲載されることが多いのですが、私は何10回と聴いた現在でも高い評価を与えることはできません。私はカラヤンが嫌いなわけでも何でもないのですが、致し方ありません。そもそもこの曲は、弦楽合奏には向かないのではないかとも思っています。この曲の寒々とした、しかし、どこかでわずかな光明が見えそうな雰囲気は、やはり弦楽六重奏でしか味わえないと思います。
では、弦楽六重奏であれば問題ないかといえば、そうだとは言い切れないのが難しいところですよね(^^ゞ。読者の皆さんもいろいろな演奏をお聴きだとは思いますが、私はラサール弦楽四重奏団(+ドナルド・マキネス、ジョナサン・ペギス)の演奏が大好きです。これは作品を隅々まで血肉化した演奏家達による渾身の演奏が聴けるからです。どんなにうまい演奏でも、どんなに細部まで聴き取れる録音でも、*それだけ*では聴き手をずっとスピーカーの前に釘付けにすることはできません。これ以上はないという技術の上に、曲に対する愛情が込められなければ、聴き手を獲得することはできません。ラサールの演奏はこの曲に関する限り申し分のないもので、「浄夜」が聴き手に生々しく迫ってきます。繊細で残酷なほどの美しさと、激情がない交ぜになって聴き手を襲います。シェーンベルクを聴いていてこれほどの感動を与えられることはあまりないかもしれません。私はこの録音を聴くと、感動のあまりほとんど呆然としてしまいます。さて、皆さんはどんな演奏がお好きですか?
8月8日:コバケンの作曲
もう新譜とは言えないのですが、我が家でけっこう気に入られているCDをひとつご紹介します。
チャイコフスキー
交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」
小林研一郎
パッサカリア
小林研一郎指揮チェコフィル
録音:2000年10月19,20日
EXTON(国内盤 OVCL-00036)我が家でよく聴かれるのはコバケン得意のチャイコフスキーではなく、コバケン自身が作曲した「パッサカリア」であります。私はコバケンが作曲をするとは知りませんでした。そのため期待もせずに聴いたのですが、いわゆるゲンダイオンガクではなく、とても聴きやすい音楽でした。むしろ、「現代の作曲家が書く曲としては馴染みやすすぎて玄人筋の評判は高くならないのでは?」と心配してしまいます。
コバケンのこの曲は、「ヨーロッパのテーマ」と「日本のテーマ」が並立し、それが変奏されつつ最後には「未来への祈り」の壮大なファンファーレの中で統合されます。「日本のテーマ」の変奏の中では「夏祭り」を表す楽しい曲もあり、夫婦どころか親子揃って楽しめます(祭りの笛と太鼓の音が気持いいです)。フィナーレはプッチーニの「トゥーランドット」やサン・サーンスの交響曲第3番「オルガン」をごちゃ混ぜにしたような荘厳な雰囲気。聴いているとちょっと気恥ずかしくなりますが、いかにも熱血のコバケンらしいです。チェコフィルもいい音で力演しています。
さて、なぜコバケンはこんなに分かりやすく楽しい曲を書いたのでしょうか? コバケンはライナーノーツの中でこう語っています。
しかし夢を追い続け、芸大の作曲科に入った僕を待ち受けていたのは、当時の現代音楽のカオスの世界であった。電子音楽やチャンスオペレーション等、無機質な音楽が横行し、精神的な面からのものは皆無といえる時代だった。そこから逃れるように、いつしか指揮の道を選んでいる自分がいた。しかし作曲の意欲が失せていたのではなかった。
なるほど。コバケンほどの音楽家でさえゲンダイオンガクに辟易としていたことがよく分かります。これを読んで私は安心しました。ゲンダイオンガクが分からなければ、あるいは楽しめなければ一人前のクラシック音楽ファンとは言えないのではないかと恐れていた時期があったからです。「無機質な音楽が横行し」と言い切ってしまうあたりに、コバケンの苦渋に満ちた表情が想像されますね。
要するに、この「パッサカリア」はコバケンによる抵抗なんでしょうね。音楽を無機的にしたくはないと真剣に考え、誰もが聴いて楽しめる曲を作ったのでしょう。私は単純な人間ですので、そういうコバケンが大好きです。いかがでしょうか?
8月7日:「コンセルトヘボウの名録音」に「ヨッフム来日公演のブルックナー」を追加しました。最近ALTUSから発売された交響曲第7番のCDです。前回は古いモノラル録音でしたが、今回は80年代半ばのデジタル録音です。
8月1日:「私のカペレ」を久しぶりに更新。「ゆきのじょう」さんによるケンペの「グレイト」を追加しました。
(An die MusikクラシックCD試聴記)