ARCHIVE OF WHAT'S NEW?
2001年9月

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CD9月30日:本日は2部構成です。

その1:浦和フィルハーモニー管弦楽団

私の住む浦和のオケ、「浦和フィルハーモニー管弦楽団」が10月7日(日曜日)にさいたま芸術劇場で定期演奏会を開きます。チケットプレゼントも行っておりますので、ぜひいらして下さい。私も最前列に陣取る予定です。私のすぐ側の席は、諸井誠さんだそうな(◎-◎)。詳しくはこちらをどうぞ。

その2:父の反省

すっかり涼しくなってきました。というより寒くなってきましたね。そうなると、夏場にはあまり聴く気にはなれなかった曲も聴きたくなります。...と思って、今日はふとバッハの「ミサ曲ロ短調」をCD棚から取り出してかけてみました。そうしたら、大変なことが! 2歳1ヶ月のみずなが「コワイ、コワイ」と言って怯えるのです。

みずなは女房のお腹の中にいたときからマーラーやブルックナー、ワーグナーにR.シュトラウス、果てはシェーンベルクやバルトークまで幅広く聴かされて育ちました(ヒ、ヒドイ)。こんな父親を持ったせいでそんな目に遭わされてしまうのです。しかし、不思議なことに、みずなは今までクラシック音楽には全く反応したことがないのです。それはモーツァルトやシューベルトでも同じです。音は流れていたとしても耳には入っていないのではないかと私は思っていました。

ところが、「ミサ曲ロ短調」には、曲(キリエ)が始まると同時に大きく反応しています。確かに「キリエ」は少しコワイかもしれません。教会音楽は私が普段耳にする音楽の中でも異質です。しょっちゅうはかけません。私がかけたのはジュリーニがバイエルン放送響を指揮した録音でした。あれは美しく清澄な演奏なので、気に入っているのですが、子供にはぞっとするような音楽なんですね。みずなはバルトークやシェーンベルクを聴いていてもあのような反応は見せたことがなかったので、私も驚いてしまいました。すぐさまCDプレーヤーを止め、J.シュトラウスのワルツ集に変更したことは言うまでもありません。

もしかしたら2歳になってようやく周りの音がしっかりと聞こえるようになったのかもしれませんが、父の私もしばしショックでした。家族といるときの音楽の選択にはこれから細心の注意を払いたいと思います。


CD9月29日:音だけで楽しめるオペラ

先頃、わが女房は私が所有する「トゥーランドット」のCDを聴きまくってから新国立劇場の公演を観に行ったわけですが、そんなことができたのは、「トゥーランドット」が音だけでも十分楽しめるように作られているからです。オペラというものは、もともと舞台上における演技や大規模な舞台装置を伴うものですから、CDだけで鑑賞するのは、邪道だと私は考えています。オペラハウス通いを一度でも経験したことがあれば、録音だけでオペラを鑑賞することに大きな不満を感じるようになるはずです。

しかし、「トゥーランドット」のように音だけでも楽しめるオペラは例外的に存在します。私もあの曲はオペラの最高傑作のひとつなのではないか、と思っています。同じプッチーニであっても、「ラ・ボエーム」や「蝶々夫人」を音だけで楽しんだ経験は、私にはありません(あくまでも私の場合です)。

日本にもやっと新国立劇場のようなオペラハウス?ができましたが、オペラの文化が根付いたとは到底言えません。どんな地方都市に行ってもオペラ公演を楽しめるドイツとは雲泥の差があります。ほとんどの人はオペラを知らないはずです。オペラを本来の形で楽しめるのは、よほど恵まれた環境にいる人だけです。そのことを考えると、極東のクラシック音楽ファンが音だけでオペラを鑑賞せざるを得ないのはいたしかたありません。

DVDのようなソフトが登場しても、舞台芸術をちっぽけな画面で鑑賞する気にはあまりなれません。私を含め、中途半端な画像を見るのであれば、かえって音だけでオペラを楽しんだ方がよいと考えているクラシック音楽ファンは多いかもしれません。実際、私が知っているクラシック音楽愛好家で、オペラにもかなり詳しい方々であっても、DVDは誰も持っていないのであります。が、舞台芸術を音だけで楽しむにはちょっと辛い場合もありますよね。

では、音だけで楽しめるオペラとしては何があるでしょうか? いくつかはすぐに思い浮かびます。R.シュトラウスの「サロメ」。ワーグナーの「リング」。ヴェルディの「リゴレット」など。これらは音だけでも相当なものです。これらの演目とて、オペラハウスで観た場合と音だけでは印象ががらっと変わるのは間違いないのですが、それでもなお音だけの鑑賞に堪えうるものです。

さて、他にはどんなオペラがあげられるでしょうか? 私もそんな視点で一度オペラの全曲録音盤を聴いてみたいものです。


CD9月26日:「ヴァイオリンと翔る」

諏訪内晶子さんの著書「ヴァイオリンと翔る」(NHK出版)を読みました。カバーには「自分の音楽を問い直す若きヴァイオリニストの自伝的エッセイ」とあります。私はひねくれた発想をする悪い癖があります。実は、この本もあちこちにあるタレント本のようにゴーストライターにでも書かせたものだろうか?などと思っていたのです。が、それは大間違いでした。実に立派な著書ですね。どう考えても本人にしか書けない内容です。それも「自伝的エッセイ」という言葉から連想される簡単な文章ではなくて、最初から最後まできちんと章立てを考え、論旨・流れを明確にした見事な文章が続きます。面白さも抜群で、あっと言う間に読了してしまいました。

第6章までありますが、第5章ではベルクのバイオリン協奏曲について言及、ここが最大のクライマックスだったように思います。感動的な第5章は、ここで一部を紹介するには内容がありすぎますので、まだ読まれたことのない方にはぜひご一読をお薦めします。わずか870円です! 私はクラシック音楽の奥深さを諏訪内さんの名文によってまた思い知らされました。

それにしても、音楽の才能だけでなく、文筆の才能まで同じ人間に与えられるとは驚きです。かつて私は中村紘子さんの著書を読んで、その卓越した文章力にショックを受けましたが、今度は諏訪内さんです。これほどの知性の持ち主だったとは。「ヴァイオリンと翔る」は1995年12月に初版が出ていますが、このすばらしい著書に今まで気がつかなかったことを恥じるばかりです。


CD9月25日:好みの違い

昨日の更新で、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が登場、私はエミール・ギレリスが演奏するRCA盤を掲載しました。An die Musikを丹念に読んできた読者ならば(いるかな?)、私がギレリスに少なからぬ愛着を抱いていることをご存知かと思います。実はけっこう好きなんです(^^ゞ。それは多分、私がクラシック音楽を本格に聴きはじめた頃、ギレリスがベートーヴェンのピアノソナタの録音を順次進めていたためであると思われます。要するに、同時代の演奏家だったことから生じる愛情だったのかもしれません。

ギレリスのベートーヴェンを聴くと、「ワルトシュタイン」のように屹立した演奏があるかと思えば、「ハンマークラヴィーア」の第3楽章のように、もしかしたら音楽を持て余し気味だったのではないかと思わせるところもあり、かえって微笑ましく感じたりしたものでした。

ブラームスも大好きです。ソロはもちろんですし、ヨッフムの指揮でベルリンフィルと録音したピアノ協奏曲第1番、第2番(DG)は私の脳裏に刷り込まれ、その後に演奏を聴く際には常に評価基準になっています。

しかし、そのギレリスでも万人に受け入れられているわけではないことを、私は「クラシックのCD名盤 演奏家篇」(文春新書)で初めて知ったのでした。宇野功芳氏が書いた文章に私は驚愕したものです。曰く、

一部の人が極めて高く評価するギレリスだが、ぼくにとってはやはり体育会系、存在しなくてもさっぱり困らないピアニストだ。ほんのわずかなシンパシーも持っていないので、これ以上書くのは遠慮しよう。(p.194)

さすが宇野功芳氏、思い切ったことを書くものです。私なら思っていても公に出版される書物にここまでは書けません。だからこそ宇野氏には熱心なファンができるのでしょうね。この率直さは敬服すべきでしょう。逆に宇野氏は、「これは良い」と判断した場合は徹底的に褒めますから、信用度は倍増しますね。提灯記事は書かない、ということなんでしょう。

しかし、面白いことに、宇野氏が絶賛してやまないギュンター・ヴァントのブルックナーに対する評価は私と大きく違うのです。面白いですね。これほど宇野氏と波長が合わないとは長く宇野氏の著書を読んでいながら私はついぞ気がつきませんでした(^^ゞ。

一方、同新書の中で驚くほど私の聴き方と似ている、あるいは好みが似ている人もいるのです。中野雄さんです。例えば、件のヴァント指揮ブルックナーについて、中野さんはこう書いておられます。

その中ではヴァントの音楽、詰めがキツ過ぎ、聴いていて私はいつも疲れる。特にブルックナーが苦手。ブラームスは時々聴くことがある。(p.92)

中野さんは中野さんで、今や批判がましいことを書くにも勇気が要るギュンター・ヴァントに関してここまでのことを書くだけでも大変であったでしょう。でも、この文章を読んで私はかねがね疑問に思ってきたヴァントのブルックナー演奏に対する疑義を解決することができたのです(ここだけの話ですが、ベルリンフィルと録音したブルックナーの交響曲第4番、第5番は私が感心した数少ない例外なのです)。これとて趣味嗜好の問題ですから、全く正反対の意見もあろうかと思いますが。

私はだからこそクラシック音楽は面白い、と思います。クラシック音楽に関するレビューが掲載されるホームページがWeb界に大量にあるのは、まさにそのためでしょう。好みが違うというのは実に興味深いと思いませんか?


CD9月24日:「私が選ぶ名曲・名盤」を久々に更新し、「チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番」を追加しました。演奏はギレリスとホロヴィッツです。

「私が選ぶ名曲名盤」はここしばらく改訂をしていなかったのですが、今読み返してみるとどれも人様にお見せできる文章ではないですね。ひどいものです。時間を見ながら改訂作業や、追加などテコ入れをしていきたいと思います。


CD9月19日:「こうもり」

月刊音楽誌「MOSTLY CLASSIC」が先日届きました。今月号から値上げされ、300円から500円になりました。値上げにともないページ数も大幅に増加しました。もともとこれが無料で配布されていたこと自体が不思議な音楽誌でした。500円でも十分安いものだと私は思っています。

今月号には値上げ直後だったためか(?)興味深い記事がたくさん載っていました。面白い記事が目白押しです。気になる記事もありました。中でも私を考え込ませたのは、今年のザルツブルク音楽祭の模様です。問題の演目は「こうもり」。オペレッタの代表作として名高いJ.シュトラウスの名作ですね。

この名作が今年はハンス・ノイエンフェルスの演出で上演されたそうですが、その公演に立ち会った音楽評論家 岡本稔さんの文には驚くべきことが書かれています。あまり気持ちよくない内容なのでごく一部だけを引用いたしますが、こんな具合です。

...フェルゼンシュタインは新興ブルジョアの象徴なのだろう。彼の二人の子供たちは、登場するとさっそく近親相姦の行為をあからさまに行う。父もまた男でも女でも片っ端からやりまくる漁色家。オペレッタの軽快なリズムにあわせて腰を動かし、やられた少年が痛そうに尻を押さえるところを観ていると笑いどころではなく、悲しみがこみあげてくる。...

(MOSTLY CLASSIC、p24)

ここから先は私の心情をさらけ出すことをお許しいただきたいと思います。はっきり言って、私は暗澹たる気持になりました。このような内容の演出でなければ、21世紀にオペレッタ(あるいはオペラ)は生き残っていけないのでしょうか? オペレッタを心から楽しむことはできないのでしょうか?

オペラもオペレッタも人間の色恋沙汰を扱うものがほとんどです。そのため、官能的な描写は、ワーグナーの「トリスタン」のように必ず登場してきます。そもそも人間が登場するからには、人間の営みが何らかの形で表現されてもおかしくはありません。

しかし、この演出は、いただけません。私のような人間を世間では堅物と呼ぶのでしょうが、どこかおかしいと思います。MOSTLY CLASSICの見出しには「ザルツブルク史上に残る賛否両論」とありますから、少なからぬ賛同者がいたのでしょうが、私はこのような恥知らずの演出が行われる劇場に、女房・子供を連れていく気にはとてもなれないのです。

そもそも、人間の性行為は、人目にさらすものではないと私は考えています。人目にさらすのであれば、それはよほど変わった神経の持ち主です。一般的には、人前でそのことを露骨に口にすることさえ憚られるはずです(そうではないのでしょうか?)。それが劇場では許されるのかもしれませんが、何かおかしいと思います。性行為が悪いと言っているのではありません。性行為を否定したら、人間の存在自体が危うくなります。しかし、それは人間が排泄をするのと同じようなもので、それをあからさまに公言するものではないと私は考えています。我が家の子供(2歳)も時々「うんこ」とか言って喜んでいますが、それは自分が口にしていることの意味がよく分かっていないのと、それを他人がいる前で口にすると大人がちょっと困った表情をするのを子供ながら知っているからだと私は思います。要するに、こうしたことは表に出すのは恥ずべきことなのです。演出家ハンス・ノイエンフェルスは、この点をどう考えていたのでしょうか?

20世紀に入ってからというもの、どぎつい描写を含むオペラはあります。しかし、私はそれが音楽の価値を高めるのに資するかどうか疑問に思っています。天国にいるワルツ王J.シュトラウスは、この演出をどう評価するのでしょう。件のレポートを書いた岡本さん同様、「笑いどころではなく、悲しみがこみあげてくる」のではないでしょうか? そこまで恥知らずにならなくても、音楽はそれ自体面白くできているのです。なぜ皮肉な見方による演出で観衆を困らせるのでしょうか? 何だか暗澹たる気持になってしまいました。

私はその公演を観てはいません。ですから、本来は当公演の批判などできる立場にはいません。私の上記文章に反発される方も大勢いらっしゃるでしょう。ですが、こうまでしなければオペレッタの魅力を伝えることができないのかと思うと、悲しいです。本当に悲しいです。


CD9月17日:昨日の続きです。「コンセルトヘボウ管のページ」に「ショルティ指揮のマーラー交響曲第4番」を追加しました。


CD9月16日:「コンセルトヘボウ管の名録音」に「ハイティンクのマーラー交響曲第4番(1983年録音)」を追加しました。前2回分と違い、これは「コンセルトヘボウ管のページ」の家主、青木さんの文章です。


CD9月15日:リンクを追加しました。

The Freestylernew

プロスキーヤー、それもフリースタイルの第一人者である角皆優人(つのかい まさひと)さんのページです。角皆さんは「角皆 F-style School」の校長でもあります。トップページを開けると、K2の板を持ち、プレデターのウェアを着た格好いい角皆さんが登場します。「なぜスキーヤーのページがAn die Musikに?」という疑問は無用です。角皆さんはクラシック愛好家としても知られ、このホームページを立ち上げるに際しては、音楽のページも特設しました。実は、角皆さん、スキーの著書の中でもクラシック音楽に対する熱い思いを吐露されているほどです。音楽のページのトップにはこう書かれています。

スキー単行本の中に、音楽の話しを無理矢理書いたこともありますが、そのページへの批判も多かったように聞いています。確かに、フリースタイルスキーヤーのなかでクラシック音楽が好きな人はわたし以外、日本に一人しか知りませんし、海外でもわずか数人です。
 そんな状況であることは知ってはいますが、しかし、わたしにとってクラシック音楽は「命の泉」と呼んでもいいほど、重要で大切なものです。

私はへたっぴなゲレンデスキーヤーですが、角皆さんの気持ちがとてもよく分かります。このページの読者の中にも、クラシック音楽を聴いて、勇気づけられたという方は少なくないのではないでしょうか? もしスキー関係者が角皆さんのスキーページにクラシック音楽が入り込んでくることを批判しても、構いません。クラシックファンが角皆さんの支持をすると思います。角皆さん、頑張って音楽のページの更新をお願いしますね。

なお、随分前になりますが、99年2月14日の「What's New?」に、私は角皆さんの著作を紹介したことがあるのです。感動のあまり書いてしまった文章です。探しにくいと思われましたので、今回はその「What's New?」の全文を掲載してみます。ご興味のある方は角皆さんの「モーグル・テクニック・バイブル」をどうぞ。

2月14日:角皆優人著「モーグル・テクニック・バイブル」(山海堂)。

著者の角皆さんは全日本フリースタイルスキー選手権で7回の優勝を飾るほか、世界大会でも華々しい記録を残し、現在はモーグルスキーのコーチをやっておられます。「モーグル・テクニック・バイブル」はそうした角皆さんのスキー技術の集大成であるわけですが、角皆さんのすばらしい人格が伝わってくる本でもあります。というのも、この本はバリバリのスキー教則本でありながらも、スキー技術に直接には関係のない数々のエッセイが載せられているからなのです。角皆さんが熱心なクラシック音楽ファンであるためか、「音楽と私」というエッセイまであります。どのエッセイも涙なしには読めない感動的なもので、できればここで全部ご紹介したいのですが、それでは著作権法に抵触してしまいそうなので、ひとつだけ取り上げてみます。それは「コリー・ザペック物語 −わたしの信じている現代の神話−」であります。

コリー・ザペック、1993年1月当時35歳。彼は15年前、角皆さんの生徒でした。

どうしようもない生徒だったようです。角皆さんの言葉をそのまま引用すると、「...彼が前代未聞といえるほど運動神経の鈍い男だったからである。準備運動の前転で頭を打って首を捻挫し、全力疾走すれば足をからめて転倒した。ボールを投げればあらぬ方向に飛び、雪上に出たなら、それこそお笑いだった。スキー用具をもてあまし、ブーツのバックルさえうまく締めることができなかったのである。神経が雑で細やかさに欠け、トレーニングは人の2倍も3倍もこなしたのだが、少しも上達できなかった。その姿は彼が明るく前向きであればあるほど、悲劇的に見えた」とあります。

もちろんこのエッセイではその後、当時のザペック氏の練習状況が書かれているのですが、それは省略するとして、角皆さんは数知れぬ生徒の中でもダントツで出来が悪い生徒として彼を記憶していたそうです。ところが1993年1月のある日、彼が突然角皆さんの前に現れます。しかも、「世界最高レベルを誇るカナダのワールドカップ代表として、かつ世界最年長のワールドカップ選手として」です。角皆さんはまさかザペック氏が世界のトップレベルに躍り出るとは夢にも思わなかったようです。ザペック氏はどうしようもない運動神経でありながら、その後15年間鉄の意志をもって練習を重ねたわけですが、おそらく並大抵の努力ではなかったでしょう。それだけでも大変感動的です。

ザペック氏はこんなことを言っています。「もしやりたいことがあったなら、すべてを出し切ってそれを行わなければ意味がない。70%や80%の力を出してやるだけなら、世界は広がらない。わたしは成績のためにやっているのではなく、自分自身の世界を豊かにするためにやっている。だから、限界を超えることに意味があるんだ。」と。こんな言葉を目にすると、毎日の自分の生活が反省されます。安閑とした生活をし、決まりきった日常に埋没しそうになります。この本を読むたび私は感動し、自分を奮い立たせるのです。スキーをやらない方でもエッセイ「音楽と私」には心を揺り動かされるものがあると思います。機会があればどうぞ。


CD9月13日:ゼンパー・オパーからシュターツカペレ・ドレスデンのJahrbuch(Yearbook)2001/2002が届きました。

シュターツカペレ・ドレスデン ヤールブーフ2001/2002これは永久保存版ですね。今までのヤールブーフと違い、完全にシノーポリを追悼する作りになっています。表紙からしてシノーポリ追悼記念コンサートの写真が使われています。追悼記念コンサートは5月14日、コリン・デイヴィスの指揮で行われました。曲目はブラームスの「ドイツ・レクイエム」。舞台の右手にはシノーポリの大きな写真が置かれています(左の写真では小さくて、はっきりと確認できないかもしれませんね)。

さらに、トップページ以降もシノーポリの写真がずらり。圧巻は後半の40ページを割いたクロニクル。1987年、ブルックナーの交響曲4番を録音したのを皮切りに、カペレと行った演奏会、録音などの情景が延々と綴られています。シノーポリのカペレ首席指揮者在任は1992年から今年4月20日に死亡するまでの10年に及ぶわけですが、それ以前からのつきあいを考えますと、これだけ丁重な扱いを受けるのも当然かもしれません。生前はシノーポリの録音を聴いて悪態をついてきた私も、真剣にこのヤールブーフを読んでしまいました。

ところで、CD情報も掲載されていたのでご紹介します。Koch Classicsからコリン・デイヴィスの指揮でベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ソロ:Anna Gourar)が出るのと、何とエラートから、やはりデイヴィスの指揮でベートーヴェン、ウェーバー、メンデルスゾーンのオペラアリア集が出るようです(いずれも発売時期等の記載はありませんでした)。目を引いたのは聖母教会再建のためのチャリティCD(こんな言葉があるのかな?)。シノーポリがヴェルディの「レクイエム」を指揮した2001年2月13,14日のライブ録音です。聖母教会は第2次世界大戦末期の連合軍空爆によって灰燼に帰したのですが、2006年までに再建する計画だそうです。その再建費用にシノーポリCDの売り上げが貢献することになるわけですね。ところが、このCDは大手レーベルから発売されるのではなく、聖母教会が独自に販売するようです。私も買いたいなあ。早速手配してみましょう。インターネットでも販売するそうです(こちらをどうぞ)。極東の島国にも送ってくれるんでしょうか? ちょっと心配です。


CD9月11日:番外編です。NECソリューションズのホームページに私が一部登場しています。しかも顔写真入りです。なんだか猿山の猿みたいな顔で写っているのが笑えます。なお、この内容はクラシック音楽とは何ら関わりがありませんので、関心がない方は無視して下さいm(__)m。


CD9月10日:CD試聴記に「ラトルのベートーヴェンを聴く」を追加しました。


CD9月9日:本日は2部構成です。

その1:青木さんの「コンセルトヘボウ管のページ」の更新です。

来日公演 第5回〜第7回」を追加しました。青木さん、原稿ありがとうございました。私が更新をさぼっている間、青木さんがどんどん原稿を書かれるので、An die Musikはすっかりコンセルトヘボウ色が強くなってきました。もっと頑張らねば。

その2:リンクを追加しました。

クラシック世界遺産new

クラシック関係の情報を満載した網羅的ページ。多様なページへのリンクが行われており、クラシック音楽のポータルサイトを目指した作者の迫力が感じ取れる。膨大な情報量なので毎日少しずつ逍遙したい。ヨーゼフ・クリップスやロスバウトのディスコグラフィーなどもある。

ウェルザー=メストのファンHPnew

オーストリアが放つ大器、ウェルザー=メストのページがついに誕生。作者はよしじゅんさんとYukiさん。よしじゅんさんにとって二つ目のページとなる。既にかなりの情報量があるが、ウェルザー=メストは注目される指揮者でもあるので、今後の更新も期待したい。


CD9月7日:トップページに「サイト内全文検索」を設置しました。

これは随分前からやりたいと思っていたものです。というのも、An die Musik開設以来、自分でも驚くほどの文章を書いてしまい、どこに何を書いたのか分からなくなってしまったからであります(◎-◎)。お盆には非フレーム化などの作業を行いましたが、その際にも改めて分量の多さに呆れてしまいました。よっぽどの暇人でもなければ、これほど大量の文章を書くことはありませんね。

ところで、この全文検索、多分簡単なcgiでできているのでしょうが、私はディレクトリの指定方法に躓き、なかなかうまくいきませんでした。ところが、昨晩知り合いの辣腕エンジニアに尋ねたらあっと言う間に問題が解決したんです。後から考えるとごく簡単な設定なのですが、指定の決まりを知っているのと知らないのでは雲泥の差です。何とかできてよかったです。

ただし、HTMLファイルの書き方に不統一な部分があり、検索結果現れる各ページタイトルは、英文あり、和文あり、和文の中でも詳細表現ありと、現れ方は様々です。週末以降、きちんと工事をしますので何卒ご容赦下さい。

また、この全文検索はご親切にも「ダム」(シュターツカペレ・ドレスデンの首席ホルン奏者ペーター・ダムのことです)で検索すると「アムステルダム・コンセルトヘボウ管」も検索結果として表示してくれます。何卒ご容赦下さい。キーワードの間に半角スペースを入れると「&」指定ができるので、それをぜひともご利用下さいm(__)m。


CD9月3日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「シュターツカペレ・ドレスデンのレコ芸推薦盤大全(1968〜1981)」を追加しました。

え? どこかで見たことがある企画だって? うーむ。鋭いですねえ。これは青木さんによる8月26日の企画の続編です。ついにカペレのページにまで青木さんの手が及んでしまいました。反省です。青木さん、ありがとうございました。


CD9月2日:CD試聴記に「オーディオはお金がかかる?」を追加しました。


CD9月1日:ご連絡です。本日よりAn die Musik宛のメールアドレスは「karl@mti.biglobe.ne.jp」ではなく、「karl@kapelle.jp」となります。よろしくお願い申しあげます。まだしばらくは前のアドレスも使えますが、ぜひ新しいアドレスをご利用下さい。


(An die MusikクラシックCD試聴記)