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99年9月
9月30日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「ベーム指揮<英雄の生涯>」を追加しました。
ペーター・ダム&当団のCDはもう1枚やりたかったのですが、いくら何でもしつこすぎると思ってスキップしました。でも、こう書きますと、「きっとあのCDに違いない!」と心当たりの方もおられるのでは? あの「ロマンティックな」CDですが...。
9月29日:奥州の金
高橋克彦著「炎立つ(ほむらたつ)」全5巻を読んでみました。これは数年前NHKで放送された大河ドラマの原作です。もちろん、私は歴史ファンでありますから、大河ドラマも見ましたし、ロケ地であった「江刺藤原の郷(さと)」も見学し、さらに平泉詣でもしております。
「炎立つ」は前九年の役、後三年の役、そして源頼朝による奥州征伐までを扱った大作なのですが、鍵となるのは奥州で大量に産出される「金」であります。金があるからこそ人間が争ったのであります。
奥州で金が産出されたのは事実らしく、その結果平泉には中尊寺金色堂のような豪奢な建造物ができました。しかし、頼朝以降、奥州の金はどこへ行ったのでしょう。さすがに「炎立つ」を読んでもその答えは書いてありませんでした。日本史の一角を担うほどの金を産出したはずなのに、頼朝以降、金に関する話は奥州からなくなっています。歴史的には、後三年の役に参戦した新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ、源氏の棟梁源八幡太郎義家の実弟)が奥州の金を一部奪取し、甲斐源氏の資金源にしたといわれています。確かに甲斐源氏(武田氏など)は金の力を使って勢力を伸ばしましたが、甲斐にも金山があったわけですし、新羅三郎義光が持ち帰った金の量も高が知れているでしょう。
では、一体どこへ消えたのでしょうか。頼朝の奥州征伐時にはもう払底していたのでしょうか?あるいは鎌倉政権が徹底的に掘り尽くし、使い果たしてしまったのでしょうか?歴史の教科書を読んでも、その他の歴史関係書を見ても、そんなことはどこにも載っていませんね。私はこの謎を10年ほど調べていますが、いまだに分かりません。もしかしたら、金にまつわる話は徳川埋蔵金あるいはM資金を始め、いろいろありますから、歴史のタブーなのかもしれません。ご存知の方、是非教えて下さい。
9月28日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」の「ペーター・ダムのR.シュトラウスを聴く」に「続編」を追加しました。
「続編」があることはきっとばれていたでしょうね。そうです、あのCDです!
9月27日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「ペーター・ダムのR.シュトラウスを聴く」を追加しました。しつこくペーター・ダムを取り上げますが、重要人物につき、何卒ご容赦下さい。
9月26日:CDラック
女房さんからの強い圧力に耐えかね、ついに新しいCDラックを買いました。ものはCD800枚を収納できるTD-172(ツノダ産業、25,800円)。本当は1100枚収納できるTD-173が欲しかったのですが、当面ラックの置き場所がなかったので、800枚収納のラックで我慢したのです。
一昨日届きましたので、昨日は女房さんの協力も得て二人でエッチラホッチラ組み立ててみました。専用ラックはいいですね。すっきりしていて無駄がありません。目指したCDがすぐ取り出せるのは気分爽快であります(CDの大きさに合わせて作ってあるだけに、奥行きがなく、どっしりとした安定感がないのが欠点といえば欠点でしょう)。
一昨日までは、難行苦行の毎日でした。たった1枚のCDを取り出すために、少しずつCDの山を移動させ、20分以上かけて取り出していたのです。が、これからはあっという間にピックアップできますo(^o^)o。良かった良かった。
しかし、ある程度予想はしておりましたが、野積みにされていた分を収納しただけで新しいラックも満杯になってしまいました(*_*)。これではまたCDが山積みになるのは時間の問題です。女房さんには「もういい加減にしろ!」としかられまくり、私も肩身が狭くなってきました。でも、それができたら誰も苦労はしません。こうなれば、開き直るしかありませんね!( ̄へ ̄)。そうなると、次はCDケースを薄いものに変更するしかないかな? いよいよ壮大な作業になってきましたね。
9月25日:1週間を振り返って
「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」を開始して1週間が経ちました。自分にこんな大それたページが作れるかどうか、先週の日曜日まで非常に不安でした。が、いざ始めてみると、自分でも作るのが楽しくなってきました\(^o^)/。確かに、まだ始めたばかりですから、将来についての不安はあります。シュターツカペレ・ドレスデンに関しては私などとても足元に及ばない愛情、知識をお持ちである読者諸氏をさしおいて、私がこんなページを作るということには未だに気恥ずかしい気もします。
そこで私は考えました。どうせなら腹をくくって、ここで「当団」宣言をしてしまおうかと思います。そこまでやってしまえば、私も気合いを入れてドレスデンのページを作らざるをえないでしょう(^^)v
「当団」! いいですねえ。この響き(^^ゞ。ウィーンフィル在日代表(自称)である旧友フォルカー氏のホームページ「フォルカーの部屋」を最初に見た時には「ありゃりゃ、やつめ、ついにこんなこと始めてしまったか!」と呆れたものでした。が、私も追随することになるとは夢にも思いませんでした。「当団」という表記はフォルカー氏の専売特許でありますが、きっと彼も笑って(呆れて)許してくれるでありましょう。
なお、「他のページの更新はどうした!」と女房さんからもしかられてしまいました。ボチボチ再開しますので何卒もう少しだけお待ち下さい。
9月24日:昨日のペーター・ダムの話の続きを追加しました。お手数ですが、もう一度ダムのモーツァルトについて考えてみましょう。というより、協奏曲における指揮者とオケの役割について考える話であります。
9月23日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「天才ペーター・ダムのモーツァルトを聴く」を追加しました。
9月22日:クラシックWeb界の話題をさらっております「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「ドレスデンの想い出 その1」を追加しました。
ここは「ですます体」です。揃ってなくてすみません。
9月21日:大好評?「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「ブロムシュテット指揮シューベルト交響曲第9番<グレイト>」を追加しました。
次回のテーマは、このオケを支えるホルン・セクションの、そのまた中心となる人物であります。ということは...。
9月20日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」を開始しました。
このページは私がホームページを立ち上げる際に、どうしても取り組みたいと考えていたものです。今までこのページを作れなかったのは、やはり私の力不足が原因であります。シュターツカペレ・ドレスデンのCDを全部持っているわけでもないし、情報も不足しています。何度も作成を断念しました。本日、何とか開始できましたが、恥ずかしながら、皆様のご協力なくしてこのページを維持できるかどうか分かりません(^^ゞ。私も背伸びしたページであるとは承知していますが、できる範囲で頑張ってみたいと思います。
なお、今回はCD紹介第1弾の文章まで完成できませんでしたm(__)m。明日以降、CD紹介を開始します。さて、第1弾は何でしょうか?エヘヘへ。それは明日のお楽しみ。
9月19日:名曲アルバム
先日、女房さんがテレビをつけたら、「名曲アルバム」をやっていたそうです。NHKの「名曲アルバム」といえば、大変な長寿番組です。かなり昔から続いているように思えます。数分の間にこれぞという名曲が流れるのですが、選曲もさることながら、売りはやはりきれいな画像でしょう。いかにもロマンチックなヨーロッパの風景などが音楽に花を添えていますね。演奏はN響がほとんどですが、その画像のお陰で特に上手く聞こえてしまいます。
字幕による解説もよくできており、かなり長くクラシックを聴いてきた私も知らなかったようなエピソードが紹介されたりします。NHKには注文が沢山ありますが、あの番組ばかりはNHKらしい立派さがあると私は思います。長寿番組であるということはきっと視聴者の評判もいいに違いありません。
ところで、女房さんが見た「名曲アルバム」ではドニゼッティのオペラ「愛の妙薬」が紹介されたとか。その中の1曲といえば、第2幕の「人知れぬ涙」で決まりでしょう。どんな放送内容だったのか私には分からないのですが、女房さん、この曲をすっかり気に入ってしまったようです。女房さんから「この曲のCDはないのか?」と私はおねだりされてしまいました。その結果、我が家ではあのトローンと甘いメロディーに包まれてしまいました。クラシック音楽を自分から聴こうとはしない女房さんを完全に感化する「名曲アルバム」。私のホームページも、この番組の前ではひとたまりもないということですね。
ところで、ご連絡であります。
このホームページはここ1ヶ月ほど「みずなちゃん誕生モード」を続けてまいりました。が、各ページの更新が滞ったままですから、作者としては気になってしょうがありません。ついては、そろそろ以前のモードに復帰したいと思います。先週あたりからそのつもりで更新してきたのですが、何とかなりそうな気がしてきました。ちょっとだけ心配ですが...(^^ゞ。「名曲アルバム」に負けない楽しいページを目指し頑張っていきますので、よろしくおつき合い下さいますようお願い申しあげます。明日からの更新、乞うご期待!
9月17日:舞台のアクシデント
ワーグナー
楽劇「神々の黄昏」
クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管
録音:1951年
TESTAMENT(輸入盤 SBT 4175)クナの新譜「神々の黄昏」。私もかっこよく大々的に取り上げたいところですが、それはクナ総本山であるSyuzo's Homepage に任せることにして、私はCDの枝葉末節に拘ることにしました(^^ゞ。CDの解説はSyuzo's Homepageをご参照下さいますようお願い申しあげます<(_ _)>。
さて、「神々の黄昏」は悪党ハーゲンによる「Zurueck vom Ring !(指輪から離れやがれ!)」という叫びを契機として奏でられる壮大かつ感動的な管弦楽演奏によって大団円を迎えます。が、クナのCDにはどういうわけか、そのハーゲンのセリフが入っていません。「どうしたのかな?」と思ってリブレットを見てみると、「この録音では聴き取れません」とあります。
「聴き取れない」とはどういうことでしょうか?舞台ではハーゲンさん、ちゃんとこの重要な「指輪」最後のセリフを叫ぶことができたのでしょうか?少し不安になりますね。何しろライブですから、何が起こってもおかしくはありません。何かの拍子に落ちてしまったかもしれません。私が何らかのアクシデントがあったのではないかと考えます。
私がベルリンで「神々の黄昏」を観た時も、最後に予想外の珍事が起きました。終結部で管弦楽が最後の盛り上がりを聴かせる前に、ハーゲンから指輪を奪う女たち(ヴォークリンデ、ヴェルグンデ、フロスヒルデ)が登場しますが、このうちの誰かがけつまずいて、すっころんでしまったのです(◎-◎)。
ご存知のとおり、「神々の黄昏」の終結部はワーグナーの燃える想いが凝縮されたような曲で、管弦楽だけで完全に聴き手を圧倒する力があります。長い長い「指輪」を聴くカタルシスはまさにこの終結部にあると言っても過言ではありません。こともあろうに、そこでスッテンコロリンを演じてしまうわけですから、観客も動揺します。神々の世界がテーマでも、役者はあくまでも人間だということを私はいやというほど味わわされました。何となく、ワーグナーを観ながら現実世界に引き戻されたような気になったことを今でもよく覚えています。ただ、それで舞台が台無しになったという気はしませんでした。不思議なもので、私は「これこそ舞台芸術というものだ」などと感心してしまったのです。
オペラの指揮にはこうしたアクシデントがつきもののようです。クナの録音でハーゲンのセリフが消えてしまったのは何故なのか、私は密かに想像し、一人でニヤニヤしてしまいます。さて、他にもあのCDにはアクシデントがあったかもしれませんね。録音だけでは分かりませんが、もっと詳しく聴いてみましょう。
9月16日:音楽の感動をどう表現するか
9月14日の日経新聞夕刊に小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラによる「ファウストの劫罰」の記事がありました。音楽評論家岡本稔さんが書いたものです。
ここまで書くと、「ああ、また、小澤の話か」と思われるかもしれませんが、そうではありません。今回は文章について考えてみたいのです。日経新聞の見出しには「秋色を思わせる響き」とあります。想像されるとおり、記事の中身は格調高く、レコ芸で頻繁に見かける難しい言葉もたくさんありました。「自家薬篭中の」というお馴染みの言葉ももちろん使われています。「自家薬篭中」。意味は分かるのですが、不自然な日本語ですね。私は月に10冊は本を読みますが、音楽評論以外でこの言葉を見かけたことはいまだかつてありません。クラシック音楽の評論はどうも小難しい言葉ばかりが氾濫していますから、よけい敷居が高く感じられます。なお、断っておきますが、私は別に岡本稔さんにイチャモンをつけるつもりはありません。単なる例として岡本さんの文章を取り上げただけですのでご了承ください。私が思うに、あれはクラシック評論の標準体でしょう。
ところが、同じ日経新聞夕刊にあった「レイ・チャールズをめぐり 白石かずこ」はうって変わって大変分かりやすい文章でした。確かにクラシックとポップスという音楽ジャンルの違いはあれど、とても同じ音楽について語った文章とは思えません。例えば、こんな文章があります。
そこで知りあったミセス・グリーンの家での日曜毎のバーベキュー・パーティでは、男たちが庭で肉をやき、家では女たちがサラダをつくる。食べ終わると独身の男たちが皿を洗い、食事をつくったものはスコッチをのみ、くつろいだ。 その時、まだ誰もおなかいっぱいで踊り出さない広いフロアにレイ・チャールズの「アイ・キャント・ストップ・ラビング・ユー」がかかった。すると、19才の一番若い黒人のティミー君が「ああ、せつない!」といって、いきなり、まるです巻きのように床に寝転び、ゴロゴロとこっちの端からあっちの端までころがっていった。私はあまりの表現に心うたれ、口がきけないほど感動した。ホントにレイ・チャールズの歌をきくと、泣けてくる。せつなくて、人恋しくて、愛がしたくて、恋人がいないティミー君は淋しくてたまらなかったのだと思う。私の決定的レイ・チャールズの思い出はティミーのひとり床ころがりにつきる。 |
この文章を読むと、誰もがレイ・チャールズを聴いてみたくなるでしょう。私も思わずレイ・チャールズのCDを取り出してみました。平易ながらも説得力のある文章です。ひらがなが多いのも特色の一つです。おそらくレコ芸の月評にこのような平易な文章が掲載されることは今後もないと思います。が、私は白石かずこさんの文章はすばらしいと思います。音楽を聴いて感動し、そのすばらしさを伝えるのに、わざわざ漢文調の表現を使うことはありません。私も「レコ芸用語」は使わないように努めているつもりです。妙に気取った文章が多いクラシック音楽界は厄介なものです。
ところで、私もレイ・チャールズが好きです。本当にせつなくなります。ティミー君が床にゴロゴロころがったのも頷けます。レイ・チャールズをご存知ない方は、左の写真をご覧下さい。10年前に「サントリー・ホワイト」のCMで「愛しのエリー」をピアノを弾きながら歌っていた盲目のシンガーがレイ・チャールズであります。どうです、思い出してきましたでしょう?え?古い?やっぱり年がばれますね。
ベートーヴェン
交響曲第9番ニ短調作品125
録音:1970年
「荘厳ミサ曲」作品123
録音:1966年
イッセルシュテット指揮北ドイツ放送響
TAHRA(輸入盤 TAH 9905/9906)ターラのイッセルシュテットはこれが3セット目です。CD試聴記でもご紹介いたしましたが、ブルックナーの交響曲第7番が非常な名演奏でしたので、このベートーヴェンのセットも心待ちにしておりました。さっそく買ってきて一聴。期待を裏切らないすばらしい演奏です。両曲とも、放送用録音らしく、ノイズがない大変鮮明な音で聴けるのも嬉しいです。ターラの録音には不満な方も多いようですが、私のような一般的リスナーには何ら問題がないどころか、鮮明さの点では高く評価できるのではないかと思っています(イッセルシュテットにはウィーンフィルとの全集がありますが、あの録音は高域がうるさく、非常に聴き疲れします。私だけの思い込みでしょうか?)。
イッセルシュテットの演奏は端正そのもの。第9番にはもっと激しく暴れ回るような演奏を期待したい気もしますが、それでは期待しすぎになりますね。イッセルシュテット盤は隅々まで気配りが行き届いていて、大変好感が持てます。表面的な演奏効果を狙わずにじっくりと音楽を醸成させる手腕には思わず「うーむ」と唸る方も多いでしょう。
さて、このセットでお勧めしたいのは第9番よりも「荘厳ミサ曲」です。これは期待を大きく上回る出来でした。「見事」の一言につきますね。特に中心部にある「グロリア」「クレド」は聴きものです。端正な演奏という印象はこの曲でも変わらないのですが、こちらは音楽の量感が圧倒的で、「荘厳ミサ曲」という名にふさわしい意気軒昂たる熱演となっています。ソリスト、合唱団による声楽陣が優秀なのは第9番同様ですが、この「荘厳ミサ曲」では声楽陣はいっそう好調なのではないかと思われます。そうそう、オケの優秀さも忘れてはいけません。いわゆるライブ録音ではないようですから、ある程度のパッチワークがあったかもしれませんが、それを考慮しても力のあるオケです。音色は潤いたっぷりで魅力的です。指揮、オケ、ソリスト、合唱団、どれをとっても非の打ち所がありません。本当に完成度の高い演奏です。「荘厳ミサ曲」にはクレンペラーや、バーンスタインの熱烈爆発演奏盤がありますが、イッセルシュテット盤は必ずしも爆発的ではないにしても、それらの名盤に引けを取らない感銘を与えます。
もしこのCDがセットものではなく、ばら売りされていれば、「荘厳ミサ曲」を大推薦したいところです。が、ターラはどういうわけかセット販売が好きなので困ります。別に競争力のない録音の組み合わせではないですから、抱き合わせ販売とはいえないかもしれませんが、2枚組で約4000円は安くはありません。何とかならないものでしょうか?
9月14日:日本人オペラ指揮者
昨日の朝日新聞夕刊を見て私はびっくりしました。小澤に続く日本人オペラ指揮者の一覧が載っているではないですか。あまり馴染みのない名前もありますが、どなたも若手というにふさわしい年齢で、しかも主としてドイツの歌劇場で活躍しています。オペラには言葉の壁があるから、日本人が生きるには無理があるのではないかと私は考えていたのですが、この現状を見ますと、そうでもないことがよく分かります。かりにも本場の歌劇場の指揮者を勤めるわけですから、いくらエキゾチックな雰囲気を漂わせる東洋の若者であっても、実力が伴わなければすぐにお役ご免であります。きっと生き馬の目を抜くような激烈な競争の世界なのでしょうが、頑張って成長してもらいたいですね。
朝日新聞には以下の10名が紹介されていましたが、日本人の活躍ぶりには全く目を見張るものがあります(括弧内右側は現在の活躍場所です)。
- 大野和士(1960年生まれ、バーデン州立歌劇場カールスルーエ)
- 上岡敏之(1960年生まれ、ビースバーデンのヘッセン州立歌劇場)
- 大勝秀也(1961年生まれ、マルメ歌劇場)
- 児玉 宏(1952年生まれ、バイエルン州立コーブルク歌劇場)
- 北原幸男(1957年生まれ、フィレンツェ在住)
- 阪 哲朗(1968年生まれ、ベルリン・コーミッシェ・オパー)
- 増田宏昭(1952年生まれ、ザールラント州立歌劇場)
- 岡本和之(1962年生まれ、レーゲンスブルク私立歌劇場)
- 井崎正浩(1960年生まれ、ハンガリー国立歌劇場−予定)
- 村中大祐(1967年生まれ、テアトロ・マッシモ−予定)
いやあ、これだけ並ぶと圧巻です。みんな若いし、バリバリ仕事をしている感じです。私は1960年生まれですから、ちょうど私と同じ年代の俊英たちが大活躍しているわけです。私も頑張らねば、と思いますが、この世界だけは勝手が違いますので、陰から応援することにしましょう。
何だか日本人も知らず知らず国際的になってきましたね。小澤まではやっぱり日の丸を背負っているような気がしますが、この方々にはそうした印象は感じられません。ここで気を付けなくてはならないのは朝日新聞が紹介しているのは「オペラ指揮者」であることです。すなわち、シンフォニー指揮者は別なのです。となると、ヨーロッパで活躍する日本人音楽家は一体どのくらいの数になるのでしょう(きっと誰か調べているに違いありませんね)。
日本の不況とは裏腹に、ニッポンジンが音楽の面でこれほどの躍進をしていたとは驚きです。今後、コレペティトールなどの地道な下積み生活をくぐり抜けた日本人が、大指揮者として世界を騒がせることも十分予想されます。クレンペラーをはじめ、世紀の大指揮者たちは必ずオペラ指揮者として地道な経験を積んでいますから、若き俊英たちもどのように大化けするか分かりません。ますます楽しみなオペラ界であります。例えば10年後、どんな曲を聴かせてくれるんでしょうか。
70 YEARS OF MUSICAL EXCELLENCE
AN INTRODUCTION TO THE EARLY YEARS
TELDEC(3894-26919-2)テレフンケン70周年記念CD。私は寄せ集めCDには興味がないのですが、「豪華ブックレット付」という言葉に釣られて買ってしまいました。値段も980円で、手頃だったせいでもあります。
というわけで、内容を知らずに買ったのですが、なかなか楽しいCDです。ただの寄せ集めCDではなく、貴重な音源が揃っているのです。私は大満足です。「豪華ブックレット」というには物足りない解説集だったのが少し不満なくらいでしょうか。このCDに納められているのは1931年から41年までのSP録音ばかりで、往時を偲ぶ癖がある私のようなノスタル爺(^^ゞには打ってつけです。
収録曲はメンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ管によるレントゲン作曲「From Old Dutch Dances, Op.46」(1940年録音)に始まり、クレメンス・クラウス指揮ウィーンフィルによるR.シュトラウス作曲「サロメ〜7つのヴェールの踊り」(1941年録音)まで全12曲。その間の10曲はすべて1930年代に録音されています。ところが、そんな古い録音であるのに、音質が驚くほど良いのです。どの曲も非常に丁寧に復刻したらしく、ノイズほとんど目立たないばかりか、歪みも最小限に抑えられています。よほどいい条件の原盤があったのでしょう。
そのせいもあって、音楽を心ゆくまで楽しめます。私のようなノスタル爺にとっては、1936年録音のJ.シュトラウス作曲「美しき青きドナウ」など感涙ものでした(指揮者不詳)。これはベルリンドイツ歌劇場管弦楽団による演奏で、ソプラノソロと男声合唱が入ったもの。「美しき青きドナウ」といえば、毎年ウィーンフィルのニュー・イヤー・コンサートで聴いています。が、このCDの演奏はあれほど豪華ではなく、鄙びた雰囲気がするし、大変ほのぼのとしていて、一風変わった持ち味があります。録音時は決して明るい世相ではなかったはずですが、不思議ですね。
最も嬉しいのは、エーリッヒ・クライバー&ベルリンフィルによる「エグモント」序曲(1931年録音)が聴けることでしょう。これはいいですよ。燃え立つような熱気が緊張感と両立した音楽作りが堪能できます(ただしこれは歪みの目立つ録音です)。古い録音だとはいえ、このような名演奏が聴けるのは音楽ファンにとっては喜ばしいことでしょう。
輸入盤の上、記念CDですから、どこでも入手できるCDではないかもしれません。が、980円なら十分お買い得だと思います(私は山野楽器で入手しました)。
9月12日:音楽を聴くと...。
既に古い話かもしれませんが、9月8日の朝日新聞「天声人語」の話題は大変興味深いものでした。ピアニストの久元祐子さんによるレクチャー・コンサートが好評であることから説き起こされる「モーツァルト効果」の話です。
モーツァルトを聴くと頭が良くなるとか、お酒がおいしくなるとか様々な形でモーツァルト効果が喧伝されています。実際私も、酒蔵でモーツァルトが流れているのを目の当たりにしたこともあります。世のママさんの間でもモーツァルトは引っ張りだこのようです。「天声人語」は「モーツァルト効果」なるものが本当かどうかという結論こそ出してはいません。が、久元さんの実にウィットあふれるコメントを紹介しています。曰く、「頭が良くならないことは、毎日弾いている私が証明していますが、心に響く効果は格別のものがあります」。
モーツァルトといいますと、天才中の天才のように思われていますから、その音楽を聴けば特別な効果があってしかるべきだと誰もが考えてしまうのでしょう。でも、ちょっと考えてみますと、天才作曲家は別にモーツァルトに限ったことではありません。ベートーヴェンだって、ブラームスだって、ショスタコーヴィッチだって天才でした。にもかかわらず、モーツァルトばかりがもてはやされるのは不思議なことであります。おそらくは他の作曲家の音楽が、ある程度はいかめしい顔つきをしているのに対し、モーツァルトの音楽はいつも聴き手に微笑みかけてくるような印象があり、特別に聴きやすいということが反映しているのではないでしょうか。
ところで、モーツァルト以外にも何らかの効果があると思われるのはバッハでしょう。学生の頃、「バッハを聴くと頭が良くなる。試験勉強の時にはバッハを聴くといいぞ!」とまことしやかに私に説明した友人がおりました。私は「さもありなん。あのような理知的な音楽であるからには、頭が良くなるに違いない」と確信し、すぐさまバッハを聴きながら勉強することにしました。が、結果は惨憺たるものでした。バッハの音楽に夢中になってしまうために勉強にならないのです。いかにも当たり障りのなさそうな「ブランデンブルク協奏曲」でさえ、真剣に聴いてしまいますし、「フランス組曲」や「イギリス組曲」もBGMになりませんでした。「ブランデンブルク協奏曲」はアーノンクール盤を、「フランス組曲」と「イギリス組曲」はグールド盤を聴いていましたので、刺激が強かったのでしょう。しかし、他の曲を聴いても気になってしまい、勉強どころではありませんでした。したがって、「バッハを聴くと頭が良くなる」という話が本当だったかどうか、私はいまだに答えを出せないでいるのです。私なりの答えがあるとすれば、「理知的な音楽であるバッハを聴いても興奮する。音楽を聴いていると演奏そのものに気を取られてしまい、とても勉強どころではなくなる。だから、ながら勉強をするときにクラシックは最悪である」ということでしょうか。さて、皆さんはどうでしょうか?
9月10日:演奏中のトラブル
昨日紹介いたしましたフルトヴェングラーのブラームス。非常にいい演奏なのですが、1ヶ所妙なキズがあります。第4楽章が始まったところで、何かが「ガタン!」と落ちたような音がします。聴衆の咳などはあまり気になりませんが、これははっきり聞こえますし、全く気にならないとは言えません。マイクがあれほどはっきり音を拾うからには、おそらくは指揮台の近くでのハプニングでしょう。
この雑音を聞いてすぐに思い出したのが、トスカニーニがフィルハーモニア管を指揮したブラームス交響曲第4番のCDです(SEVEN SEAS、国内盤 KICC 2514、左CDジャケットご参照)。これは1952年、フィルハーモニア管の絶頂期に、御大トスカニーニがロンドンでブラームス交響曲チクルスを行った際の録音のひとつです。このチクルスは記念碑的名演ぞろいと言われておりますので、ご存知の方も多いことでしょう。この第4番は私も驚き慌てるほどの超名演でした。速めのテンポでありながら、ものすごく情熱的で、聴いておりますと、興奮を通り越して動悸・息切れがしてくるのであります(本当です)。フルトヴェングラーもタジタジの情熱であります。晩年のトスカニーニを知る格好のCDでしょう。
話を戻します。このCDにもフルトヴェングラー盤と同じ様なキズがあるのです。やはり第4楽章が始まるとすぐに、かなり大きな音で「ガタン!」という音がします。これはドキッとするほど大きな音で、フルトヴェングラー盤とは比較になりません。間違いなく、せっかくの名演奏の盛り上がりに水を差しています。「まあ、1度くらいなら、ライブだし仕方ないだろう」などと思って聴いていますと、また「ガタン!」。これもたいそう大きな音です。猛烈に盛り上がるパッサカリアでこれが続くと、少し応えます。しかも、私の記憶ではもう一度「ガタン!」があります。
一体何が起きたのでしょうか?トスカニーニ&フィルハーモニア管は騒音にもめげず、最高の演奏を続けているのですが、少しは気になったはずです。何度も同じハプニングが繰り返されますと、嫌がらせだったのではないかとも思われるのですが、まさか高い入場料を支払って、嫌がらせをしに来る人はいないでしょうから、単純なハプニングなのでしょう。とすれば、あれは何の音なのでしょう?もしかしたら、トスカニーニ・マニアの常識なのかもしれませんが、私はいつも疑問に思っています。
ところで、このCDはKINGから発売されておりました。いかにも正規盤らしい顔をしておりますが、事実上の海賊盤であります。KINGから発売されていますと、いかにも正規盤のように見えますが、どうもそうではないのです。トスカニーニがこの録音を認めたとも思えません。海賊盤以上に海賊的なCDなので、KINGも気が引けて廃盤にしてしまったようです(今もどこかにあるかな?)。
しかし、海賊盤でも何でも構いません。いい演奏であれば、私は満足です。ハプニングはあれども、このトスカニーニ盤では世紀の名演を聴けます。業界関係者からはお叱りを受けてしまいそうですが、こんな海賊盤であればどんどん出してもらいたいと心から思う私であります。
9月9日:フルトヴェングラーを聴いて感激する
ベートーヴェン
「レオノーレ」序曲第3番
プフィッツナー
交響曲第2番ハ長調
ブラームス
交響曲第4番ホ短調
フルトヴェングラー指揮ウィーンフィル
録音:1948、49、50年
ORFEO(輸入盤 C 525 991 B)フルトヴェングラーの録音が相も変わらず次から次へと発掘されています。やはり売れるからでしょう。1954年に死んでから既に半世紀が経つというのに、クラシックファンに忘れられることもなく、今も聴き手を魅了し続けています。また、クラシック音楽にも演奏スタイルの変遷がありますが、フルトヴェングラーは流行とは全く無関係であります。
今回ORFEOから出たCDは、ザルツブルク音楽祭でそれぞれ別の年に収録された録音の集成です。曲名を一瞥しますと、別のコンサートのものとは思えないすばらしい配列ですね。ORFEOはコンサートの雰囲気を出すのが上手です。実際、演奏を続けて聴いてみると、雰囲気が首尾一貫しており、「やはり同じ日のコンサートだったのではないか?」と信じたくなります。フルトヴェングラーのあの熱い演奏スタイルがどの曲からも感じられるからです。
音質は良くありません。ORFEOでも一昨日にご紹介いたしましたベーム盤は69年のステレオ録音であるだけにすばらしい音質でしたが、こちらは歪みがかなり目立ちます。しかし、その音楽の何と豊饒であることか。
激情のおもむくままに演奏したようなドラマチックな「レオノーレ」。爆発的なエネルギーを発散するプフィッツナーの交響曲第二番。そしてロマンチックで甘美なブラームスの交響曲第四番。音質の悪さなど、これらの演奏の前では全く問題になりません。もしこれがステレオ録音であれば、さらに凄みが加わったことでしょうが、音楽の流れは貧しい音でも十分に味わえることがよく分かります。
ブラームスの演奏は感情移入が激しすぎて、聴き始めた時には粘っこく感じられました。ちょっと引きづり過ぎとも思えます。しかし、聴き進むにつれてすっかりのめり込んでしまいました。第1楽章の半ばにはすっかりフルヴェンの世界にはまり込むのです。ウィーンフィルもフルトヴェングラーの指揮に応え、現在では考えられないような情熱的な音を出しているようです。まさに感動の演奏です。懐古的になってしまうのは私の悪い癖でありますが、こうした録音を聴くと、「昔は良かったんだなあ」などとつい考えてしまいます。高音質のステレオ録音で、いくら形だけが整った演奏を聴いても、これほどの感銘を受けることは滅多にありません。つくづく偉大な指揮者であったと思います。
9月8日:オペラ
最近ゲストブックではオペラの話をしておりますが、私はオペラについての話題をずっと意図的に避けていました。オペラとは劇場で見るものであり、CDで楽しむものではないと考えているからです。「CD試聴記に最もそぐわないジャンルである」と決めつけていました。しかし、よく周囲を見回してみますと、優れた録音は結構ありますね。私も最近考えを少し改めて、家中が寝静まった頃、一人ヘッドフォンでオペラを楽しんでおります。オペラといえば、金切り声のソプラノがヒーヒー歌いまくるという印象が強く、舞台なしのCDでは到底我慢できないだろうと思いきや、ヘッドフォンではまともに聴けてしまいます。カラヤンのような卓越したオペラ指揮者が残した録音は、音だけでも楽しめることが今になってやっと分かってきました(^^ゞ。
ところが、オペラを真剣に聴き始めますと、困ったことが生じます。ドイツに行きたくなってしまうのであります。特にワーグナーは「ドイツなるもの」を彷彿とさせます。「ワルキューレ」などを聴いておりますと、興奮のあまり翌日から長期休暇を取ってしまいたくなります(何故か私はウェーバーを聴いてもそのような気分にはなりません。皆さんはどうですか?)。かつてヒトラーがワーグナーを利用し他のもよく頷けるというものです。
もうひとり、私を興奮させて止まない作曲家はヨハン・シュトラウスです。その作曲になるオペレッタ「こうもり」。これはめっぽう楽しいです。ウィーン国立歌劇場で正月に観たことがありますが、私の劇場経験の中でも最高の演目でした。すばらしいと思ったのは周囲の観客です。舞台と一緒に聴衆が盛り上がってきまして、劇場全体が暖かい雰囲気に包まれていました。おそらく、演奏する側と観る側の距離が近く、お互いの反応を確かめながら進められるからこそあんな雰囲気になるのでしょう。西洋の古典芸能恐るべし、ですね。
うむむ。自分でオペラの話をしておいて自分で興奮してきました。どなたか私にストップをかけて下さらないと、ホームページを女房さんに預けて出国してしまいそうです。助けてくれぇ!
9月7日:ベームのシューマン
ベートーヴェン
交響曲第4番変ロ長調作品60
マーラー
さすらう若人の歌
シューマン
交響曲第4番ニ短調作品120
カール・ベーム指揮ウィーンフィル
録音:1969年8月17日
ORFEO(輸入盤 C 522 991 B )カール・ベームが1969年8月17日、ザルツブルク音楽祭でウィーンフィルを指揮したライブ録音。このCDは当日の演目をそのまま収録している模様です。ORFEOらしい嬉しい配慮ですね。
最晩年のカール・ベームは日本で異常な人気を博しました。私の年代ではベームファンが今でも多いと思います。中学生の頃、私もカール・ベームを盲目的に崇拝いたしました。谷川俊太郎の「ベートーヴェン」でいう「かっこよすぎるカラヤン」に対するアンチ・テーゼとしてのベームは、良心的な音楽家のイメージそのものでした。私も風采があがらないベームが何となく好きで、LPを好んで聴いたものです。
その後、反動が来て、ベームの演奏は鈍重に感じられてきました。70年以降の録音を聴きすぎたせいだと思います。しかし、ベームの音楽は本来的には剛毅なものであり、70年代の演奏は幾分オケの力に頼った、ベームとしては半分抜け殻のようなものではないかと私は考えています(ファンの方、ごめんなさい!)。私見では、最も剛毅なベームの音楽を聴くには30年代から50年代までの録音を漁らねばなりません。
というわけで、最晩年の演奏は、私はあまり好きではありません。そのため、晩年のライブ録音も少々ご無沙汰だったのですが、このORFEO盤は大変気に入りました。演奏スタイルは最晩年の重厚長大型です。が、オケがウィーンフィルであるために響きが重厚であるだけではなく、語り口が饒舌でさえあります。
ベートーヴェンの4番は快速演奏のクライバー盤が出てから、このようなベームのスタイルはもどかしく感じる時もありますが、やはりベートーヴェンらしい重厚感を感じさせる演奏は聴き手を唸らせます。
もっとすばらしいのはシューマンの4番です。ベームのシューマンは珍しく、このCDの売りもそこにあるわけですが、申し分のない迫力、重量感で聴き手を圧倒します。ウィーンフィルもベートーヴェンの4番の時よりはるかに出来がよく、絶好調とさえ言えるでしょう。重厚すぎる演奏に少し辟易する人もいるかもしれませんが、これはこれで最晩年のベームの成功作と思います。
シューマンといえば、セルの有名な全集を思い出します。セルが自らの音楽観を投影して作った全集です。あの全集の中で、セルは透明感あるシューマンを聴かせていますね。第4番でも、リズムは歯切れ良く、音楽の構造がよく分かる演奏です。やや言い過ぎかもしれませんが、ベームのシューマンはそれとは対極にある演奏で、悪くいえば鈍重で、野暮ったいものです。しかし、ライブであるためか、ベームの音楽は鈍重とは感じられず、落ち着いた重厚な響きとなっています。
少し晩年のベームを過小評価していただけに、この演奏を聴いた驚きは大変なものです。やはり、音楽家を評価するには、CDでもライブ盤を聴かねば駄目だとつくづく感じた次第であります。
9月6日:サークル活動
7月1日以降、女房さんは産前・産後の休職中です。有り難いことに、その休職中の勤め先から女房さんにサークル活動への勧誘がありました。忘れずにいて下さって、本当にいい会社ですね。そのサークル名は、何を隠そう「ムジークフェライン」。すごい名前です。もともと「楽友協会」程度の意味しかないドイツ語なのですが、ウィーンのムジークフェラインザールのイメージが強烈であるために、クラシックの本場を連想させるに十分であります。実際クラシックのコンサートに行くのが活動の中心だとか。
女房さんは別にクラシックを語れるわけでも何でもなく、会社でもクラシック音楽の話をしたなどということは全く考えられません。今回このような勧誘メールが届いたのは、ひょっとすると私のアングラ活動が知れてしまったからかもしれません(私は会社の人間にはこのページのことは内緒にしています)。
それはともかく、ムジークフェラインの活動はなかなか面白そうです。既にミシャ・マイスキーのチェロ・リサイタルやパイヤールのバロック・コンサートに進出するほか、クラシックのLP、CDを1万枚秘蔵する会長宅でのレコード・コンサートまで企画されたそうです。すごいですねえ。私も一緒に参加したいところであります。
しかし、私が書きたいのはそうしたことではありません。ムジークフェラインの今後の活動が気になるのです。何と、今後は「能」を見に行ったりするそうです。「能」。私はこの年になるまで一度も見たことがありません。皆さんはどうでしょうか。クラシック音楽という西洋の古典芸能については「あーでもない、こーでもない」と蘊蓄を語りたがるくせに、自国の古典芸能については呆れるほど未知なのです。
「能」といえば、<眠くなってしばらくウトウトしても、役者さんが全く同じ動きのままであった>などという風説があります。本当なのでしょうか?見たこともないために、まともなことも書けません。きっとムジークフェラインの中には「能」を語れる人がいて、先導役を務めているのだと思われます。羨ましいですね。何事もあらまほしきものは先達だと思います。
困ったことに、休職中の身では女房さんもサークル活動に参加できません。女房さんに「能」に行ってきてもらえばそれで少しは疑問が氷解するのですが、そうもいかないのです。何だかモジモジしてしまいます。
もしや、読者の中にも日本の古典芸能に詳しい方がいらっしゃるのでは?「実は能はとても面白いよ!」とか「いやいや、やっぱり眠いだけだよ」とかだけでも教えていただけないものでしょうか。私も興味津々になってきました。
9月5日:「コンサート・フォー・ザ・ヤング」
NHKの特別番組「コンサート・フォー・ザ・ヤング」を見ました。今年5月5日の子供の日、小澤征爾がボストン響を指揮した子供向けコンサートです。もちろん、大人が見ても非常に面白い番組でした。西田ひかるとコニシキの司会はげんなりするほど邪魔でしたが、小澤征爾の企画が良かったお陰でとても楽しいコンサートだったと思います。
冒頭はベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。全曲ではなく、第1楽章のみでした。それでも小澤の音楽作りはよく分かります。緊張感の固まりのような鋭い演奏で、息をのんで聴いてしまいました。第1楽章が終わった瞬間、西田ひかるがいきなり次のプログラムの解説を始めていなければ、演奏の余韻まで味わえたことでしょう。ポップスと違って、クラシック音楽は残響や余韻を楽しむものです。少し残念でした(>_<)。
それはともかく、小澤征爾はいろんな試みをしています。子供合唱団を呼んでオルフの「カルミナ・ブラーナ」の演奏をさせたり、ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」に盲目のジャズピアニスト・マーカス・ロバーツを呼んだり、レスピーギの「ローマの松」では36人の高校生ブラスバンドを参加させるなど、など。良いクラシック音楽を子供たちに聴かせ、楽しんでもらいたいという気持ちが伝わってくる素晴らしい企画です。参加した子供合唱団やブラバン高校生も小澤征爾&ボストン響という世界でもトップクラスのコンビと協演できたわけですから、得たものも大きかったと思います。もし私があんな豪華なコンサートに行っていたら、もっと早くからクラシック音楽を聴き始めたことでしょう。
小澤は教育者として生きることを決意しているらしく、こうしたイベントをよく企画しますね。子供にはちょっともったいないほど豪華な組み合わせですが、子供相手だからこそ最高の演奏を聴かせるべきなのでしょう。小澤も演奏のレベルを落としてなどいません。どの曲も最高の出来だったと思います。
ウィーン国立歌劇場の音楽監督就任事件以来、私もすっかり小澤が気になってきました。それまで私は「小澤は音楽的にはまだイマイチかな?」などと思っていました。しかし、よく聴いてみると、素晴らしい演奏が沢山。最高の演奏を聴かせ続ける小澤の姿を見ておりますと、私は大きな声でエールを送りたくなってきます。皆さんもそうではありませんか?
なお、「コンサート・フォー・ザ・ヤング」で印象的だった演奏について簡単にコメントしてみます。
「カルミナ・ブラーナ」は子供合唱団が全部を歌うわけではなく、晋友会合唱団がメインでした。小澤の得意とする曲です。昔この曲をかけた時、女房さんが「こんな野蛮人の音楽はやだ!」と拒絶して以来、我が家では聴いたことがないのですが(T_T)、小澤の演奏を聴いて、私は非常に感動してしまいました。小澤の演奏は「野蛮さ」こそ不足していましたが、音楽の持つ躍動感・生命力がひしひしと伝わってくる演奏だったからです。
「ラプソディー・イン・ブルー」には、マーカス・ロバーツが参加したと書きましたが、実はマーカス・ロバーツ本人だけでなく、ベースとドラムスを加えたトリオでの参加でした。シャルル・デュトワの「若者に贈る音楽事典」でもマーカス・ロバーツの即興演奏を聴いたばかりでしたが、今回の演奏はほとんど小澤&ボストン響の出る幕がないほどマーカス・ロバーツの独り舞台でした。マーカス・ロバーツ・トリオの即興演奏が延々と続きます。それはそれは夢見るような演奏で、マーカス・ロバーツはオケを意識することなく、完全に自分のジャズを演奏しているように感じられました。小澤がマーカス・ロバーツの演奏中、じっとその演奏に見入っていたのが印象的でありました。あんな演奏を聴かせられたら、CDで出回っている普通の演奏はつまらなくて聴けなくなりますね。実に贅沢な組み合わせであります。
「ローマの松」。演奏されたのは全曲ではなく、アンコール・ピースとして名高い終曲「アッピア街道の松」だけでした。これはローマの大軍が甲冑をきらめかせ、軍楽隊とともに近づいてくる情景を表した曲ですね。わずか5分の曲でありながら、猛烈に盛り上がる曲です。小細工は要りません。何と言ってもボストン響は名人オケですから、それだけで十分なのです。しかし、小澤は36人の高校生によるブラスバンドを起用、それを二手に分け、客席の左右に配置し、思い切り盛大に演奏させていました。聴衆は三方からフォルテッシモの音響を聞かせられるわけですから、さぞかしすごい迫力であったでしょう。視覚的にも華々しい効果があったはずです。
うーむ、やはりコンサートとは楽しいものですね。私もみずなちゃんを連れて行ってみたいです。
9月3日:マニア向け?のブルックナー
ロジェストヴェンスキー指揮ソビエト国立文化省交響楽団の演奏によるブルックナー交響曲全集。私はこの中から第3番だけを選んで買ってみました(国内盤BMG BVCX 38005〜6 1985,88年録音)。ロシア文字がおどる大変怪しげなジャケットがいいですね(^^ゞ。
このシリーズはブルックナーの残したすべての稿を同一演奏者で聴けるという画期的なものであります。この第3番も2枚組で、1873年第1稿、1876年稿(アダージョのみ)、1889年第3稿が聴けます。こんなCDは今まで誰も考えなかったのか、指揮者が馬鹿らしくてやる気にもならなかったのか、まことに珍しいですね。私の目当ては、73年第1稿。ブルックナーの大家であるギュンター・ヴァントは1889年第3稿しか認めないようですが、私は断然73年第1稿が面白いと思っています。もちろん、ワーグナーからの引用が明確に聴けるからであります。
ロジェストヴェンスキーがこんな企画をしたのは、よほどブルックナーに興味があったからだと想像されます。その証拠に、第1稿の演奏は期待に違わず大変な力演です。さすがにロシアのオケらしく、ブラバン並みの金管楽器の咆哮が聴けるので、好き・嫌いははっきり分かれてしまいそうです。が、資料的価値も含めれば、値段も2枚組で3059円と手頃ですから、お買い得CDといえるでしょう。おそらくこうしたマニア向けCDはすぐ廃盤になりますから、ブルックナーファンは転倒に並んでいる間に買っておいた方がいいでしょう。
もっとも、私はこの演奏が第1稿の一押しというわけではありません。やはりインバル&フランクフルト放送響の演奏が一歩も二歩も上をいっていると思います(左のCDジャケット TELDEC 1982年録音)。オケとしての機能美もそうだし、音楽設計がインバルの方が充実しています。世界初録音であったインバル盤は、キワモノ見たいな扱いを受けているような気がしてならないのですが、第2楽章で「タンホイザー」の旋律が流れ、音楽が巨大なうねりとなって高まっていくすばらしさは、この演奏でしか味わえないものです。それは何度聴いても鳥肌が立つような体験です。単なるワーグナーの引用にとどまらない輝かしい音楽の奇跡ではないかとさえ思われます。しかし、残念ながら、古楽器で演奏したノリントン盤でもモダン楽器で演奏したロジェストヴェンスキー盤でも、ことアダージョではインバルの音楽設計の前に霞んでしまいます。
ともあれ、第1稿が少しずつCDでも聴けるようになったのは嬉しいことです。伝え聞くところによれば、ティントナーはやはり第1稿で録音しているそうです\(^o^)/。第2楽章をどう演奏しているか、また想像して楽しんでしまう私であります。
9月2日:カラヤンのオペラ
先日、カラヤン指揮「サロメ」の話を書きました。大変優れた演奏・録音ですから、長い間名盤の地位を保ってきたことは当然です。音だけであれほど楽しめるオペラはそうざらにありません。カラヤンの凄みを感じます。
一部に誤解があるようですが、私はカラヤンが嫌いなわけではありません。もっとも、「大好きか」と聞かれれば、「それほどでもない」と答えます。カラヤンの指揮で聴くとすばらしい曲もあれば、そうでもない曲があるからです。それは別にカラヤンに限った話ではなく、クレンペラーだって、全部が全部優れた演奏をしているわけではありません。まだ取り上げていませんが、クレンペラーが指揮したブルックナーの交響曲には私が聴いていても我慢ならないものが残されています(それが何かは秘密です)。
カラヤンに話を戻します。カラヤン自身は苦手だとは思っていなかったでしょうが、モーツァルトやベートーヴェンの交響曲はイマイチですね。ファンの方にまたお叱りを受けるかもしれませんが、少なくとも私はカラヤン指揮のモーツァルト交響曲は好きではありません。ベートーヴェンの「運命」や、「田園」もオケの機能美を味わうには最適ですが、やや物足りない気がします。
しかし、ひとたびオペラを振り始めると、カラヤンは大変な才能を発揮します。カラヤンが本質的にはオペラ指揮者であるという評判は全くそのとおりだと思います。イタリアオペラ、ドイツオペラ、果ては?ロシア・フランスオペラまでカラヤンが録音したオペラは悉く名盤の誉れ高いものです。実際私も名盤ばかりだと思います。これもよく引き合いに出される録音ですが、プッチーニの「トゥーランドット」(81年)は「サロメ」と並ぶカラヤンの傑作だと思います。私は最初あの演奏を耳にした際にはあまりの洗練、あまりの劇性に我を忘れて聴き入ったものでした。最高の歌手、最高のオケを使って録音できたから、という理由では片づけられない演奏で、カラヤンの卓越した音楽性が見事であります。
ただ、私は国内盤で聴いているせいか、音質にはやや不満があります。デジタル録音最初期の録音のためです。音質は少し硬質で、マイクも若干遠目。ヘッドフォンで聴けばあまり気にもならないのですが、スピーカーであの巨大な音響を楽しむには少し問題があるようです(輸入盤ではどうなのでしょうか?)。音質問題を云々するのはあまり好きではないのですが、あれだけ優れた演奏だと、どうしても、もっといい音質で聴いてみたくなります。アナログ時代の名盤・クライバーの「魔弾の射手」はとうの昔にOIBPによるリマスタリングがされましたが、カラヤンの「トゥーランドット」はオリジナルがデジタルのため、リマスタリングはまだまだ先のようです。OIBPでリマスタリングされたら真っ先に買い直したいCDなのですが、グラモフォンはあまり気が乗らないのでしょうか?そうだとしたらもったいないですね。あの「トゥーランドット」を愛聴されている読者も多いと思います。名盤案内には他にも有名なCDが取り上げられていますが、私は断然カラヤン盤を一押しであります。皆さんはカラヤン・オペラでは何がお好きでしょうか?
9月1日:ヘッドフォンに関する質問
みずなちゃん誕生モードを8月15日から続けています。もうそろそろ平常モードに戻りたいところですが、なかなかそうはいきません(>_<)。みずなちゃんだけではなく、お手伝いに来てくれた義母の邪魔にもなりますのでよくよく控えめにしかクラシックは聴けません。それでもみずなちゃんには密かにバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナー、R.シュトラウスは聴かせてしまいました。が、本格的には聴けない以上、CD試聴記は以前のようには作れません。CD試聴記が売りのホームページにCD試聴記がないわけですから、大変恥ずかしく思っておりますm(__)m。しかし、ただ、一生に何度もないような出産モードですので、後2週間ばかり継続させていただければ幸いです。それでも、少しは付加価値のある情報を掲載したいと考えておりますので、何卒ご容赦下さい。
さて、昨日の「What's New?」に書きましたとおり、私は深夜ヘッドフォンでCDを聴く毎日を送っています。今までスピーカーを通して聴いてきましたので、ヘッドフォンには若干違和感を感じてはいるのですが、好きな音量で好きなだけCDを聴けるのはやはり有り難いと思っています。
ところで、、小さなお子さんをお持ちの方はどのようにして音楽を聴いてらっしゃるのでしょうか?まさか大音量でCDを聴くわけにも行かないでしょうから、きっと私みたいにヘッドフォンがメインになるのかもしれません。そうだとすれば、どんなヘッドフォンをお使いなのでしょうか?実は私のヘッドフォンは7年前に2万円で買った代物で、今まではやむを得ない場合だけに使っておりました。ヘッドフォンを使って音楽を聴くことを前提としていなかったのです。しかし、今の状態ですと、ヘッドフォンは必需品になります。「ヘッドフォンを使うことに違和感」があると書きましたのは、ヘッドフォンを使いますと、かなり明確なステレオ感が得られる利点はあるものの、音の空間的な広がりが感じられないためです。そこで読者の方々にご質問です。
もう少し良質なヘッドフォンに変えれば、空間的な広がりを感じられるような音質で聴けるものでしょうか?そうであれば、何かお勧めのヘッドフォンはあるでしょうか?大変興味があるところです。皆様がお使いのヘッドフォンの知られざる?有効利用法なども、もしあればですが、ご教授願えませんでしょうか。
(An die MusikクラシックCD試聴記)