「ニーベルングの指輪」管弦楽曲抜粋盤を聴く

その2 ベルリンフィル編

その1:ウィーンフィル編 その3:クリーブランド管編 その4:シカゴ響、デトロイト響編
その5:コンセルトヘボウ管編 その6:シュターツカペレ・ドレスデン編

ホームページ WHAT'S NEW? CD試聴記


 
CDジャケット

ワーグナー
楽劇「ニーベルングの指輪」より管弦楽曲集
テンシュテット指揮ベルリンフィル
録音:1980年10月6,8,9日、フィルハーモニー
EMI(国内盤 CC38-3006)

収録曲

  • ワルキューレの騎行
  • ジークフリートのラインの旅
  • ジークフリートの死と葬送行進曲
  • ワルハラ城への神々の入場
  • 森のささやき
  • ウォータンの告別と魔の炎の音楽

 CDが発売された当初、ショルティの「ニュー・ワーグナー・デラックス」が品薄になり、どうしても入手できそうにないことを知った私が、とうとう買うのを断念したことは前回述べた。その際、代わりに買ったのがこのテンシュテット盤であった。が、学生だった私は買うのに気が進まなかった。このCDの評判が分からなかったからである。今と違ってCDの情報はとても不足していたので、大いに迷った。しかし、「ワーグナーでCDというものを体験したい!」という気持が非常に強かったので、高価であったが(3,800円!)思い切って購入した。

 封を開けてCDを聴いた。とてもがっかりした。何だかまろやかなワーグナーで、逞しさ、力強さ、輝き、神々しさ、猛々しさといった、私がワーグナーに求めていた要素が不足しているように思えた。しかも、ベルリンフィルの音もまろやかで、どちらかといえば先鋭な音による演奏を期待していた私は二重に落胆した。その後何度聴いても良さが分からなかった。恥ずかしい話である。

 オケでクラリネットを吹いていた友人だけは、このCDを聴いて感心していた。「これほどまろやかな音を出すオケは一体どこだ?」と聞いてきた。「ベルリンフィルだよ。でもこういう音は、つまんないな。」と私は回答した。彼はその答えに驚き、「馬鹿言ってるんじゃないよ。こういう音は出したくても出せないんだよ。これは最高のサウンドだ。」と叫んだ。「なるほど、そういうものか」と私は思ったが、やはりその価値はしばらく理解できなかった(今考えてみると、彼の言葉は全面的に正しい)。

 恥をさらすようで全く情けないが、これが17年ほど前の私である。このCDの価値が分からなかったのである。オーケストラも、ワーグナーもほとんど理解していなかった(今だって危ない)。このCDに聴くまろやかなベルリンフィルのサウンドは、ショルティ盤のようにゴージャスではない。その代わり、オケとしてのサウンドのまとまりは驚異的である。余分な肉付きのないサウンドだが、その分混濁する箇所がなく、大音量で聴いてもきれいに揃い、しかもどのセクションも丸みを帯びた響きを聴かせる。「ワルキューレの騎行」で大活躍をする金管楽器も完全にブレンドされている。

 演奏も、派手さはないが、指揮者とオケの集中力は猛烈で、一音一音にエネルギーが凝縮されているようだ。集中力がそのまま先鋭なサウンドに直結しないところは、ベルリンフィルの技術的な余裕の現れであろう。何とも恐ろしいオケである。収録された6曲のうち、「ワルキューレの騎行」と「ジークフリートの死と葬送行進曲」が大熱演である。「葬送行進曲」など、ものすごいスケールである。この雄大なスケールにどうして私は気がつかなかったのだろうか。

 さらに着目すべきは、「ワルハラ城への神々の入場」である。これはワーグナーが書いた最も壮麗な音楽のひとつとされるらしいが、そのとおりだ。後半、金管楽器が十重二十重に分厚いサウンドを積み上げていく様は圧巻である。テンシュテット盤でも見事という他はない。しかし、本当の主役は、ティンパニなのだ。この音楽は、雷神ドンナーが岩山に登り、力強く槌を叩くシーンを含む。その箇所は、指揮者やプロデューサーが工夫を懲らすところで、例えばショルティ盤ではDECCAらしく電気的に作成した効果音を用いている。それはそれで面白い。そこをテンシュテット盤ではティンパニ奏者が渾身の力を込めてぶっ叩くのである。その音はまさに雷鳴に近く、人間業とはとても思えない。このティンパニストは魔人である。さらに、迫真の一撃もさることながら、その後の強烈な連打に度肝を抜かれる。スタジオ録音だから撮り直しはいくらでも可能だろうが、おそらくこの奏者は何度も何度もこのような演奏を成し遂げている人なのだと思う。

 なお、マゼールがベルリンフィルを振った「リング管弦楽曲集」では、同じオケを指揮したものなのに、雷神の鉄槌は電子音になっている。マゼール盤は名録音で名高いTELARCによる。DECCAといい、TELARCといい、名録音で知られるレーベルが電子的効果音を利用し、録音技術では常に疑問符のEMIが本物のティンパニを採用したというのは非常に興味深い。

 

もうひとつ、カラヤンの演奏について。

CDジャケット

ワーグナー
楽劇「ニーベルングの指輪」ハイライト集
カラヤン指揮ベルリンフィル
録音:1966〜69年
DG(輸入盤 429 168-2、国内盤はカラヤン文庫に入っている模様

 このCDは、上記テンシュテット盤と違って、オペラ全曲録音からハイライト部分だけを抜粋したものである。全曲盤の抜粋ともなると、「ワルキューレの騎行」だって声楽がジャンジャン入ってくる。だから、比較の対象としては問題があるだろう。

 しかし、カラヤン指揮ベルリンフィルの演奏はまさに一時代を築き挙げただけに、黙って通り過ぎるわけにはいかない。管弦楽曲だけを集めたものではなくても、指揮者とオケが強力に存在感を誇示しているのである。

 カラヤンの「指輪」全曲盤は、室内楽的という評判がある。本当だろうか? この抜粋盤を聴く人はおそらく納得できないのではないだろうか。代表的な例として「ワルキューレの騎行」を聴いてみると、これは呆れるほどハデな演奏だ。ワルキューレのお姉さん達がつんざくような金切り声を上げているのはともかく、オケが「ここが腕の見せ所」とばかりにパワフルに演奏しまくっている。その意気込みはおそらくカラヤンから乗り移ったものだろう。切れ味鋭い弦楽器をはじめ、各セクションが狂乱状態を演じているように見えながらも、一糸乱れぬ揃い方をしているのに感服してしまう。重厚さでも熱狂的な雰囲気でも、他の演奏と隔絶している。60年代の録音ではあるが、DECCAのショルティ盤に対抗するため、DGの録音スタッフが最善の努力を払ったと見えて、音質も優れている。だから、大音量でこのCDを聴いていると、圧倒的な音響と熱狂に心奪われるのである。「ジークフリートの葬送行進曲」も、「多分こんな演奏だろう」と思ったとおりの演奏をしてくれるのだが、期待に違わぬ立派さなので「さすがカラヤン」と拍手したくなる。ベルリンフィルがこのような鳴りっぷりをしたのも、カラヤンの指揮下で、しかも60年代から70年代にかけてだけのような気がする。「リング」が録音された66年から69年は、このコンビの絶頂期だったのだろう。

 カラヤンという人はとてつもない人だ。この「リング」は、実にかっこいい。ドイツ的重厚さもたっぷりあり、音響は磨き抜かれ、どの部分を聴いてもスリリングなまでの美しさがある。「カラヤンなんて....」と馬鹿にして聴き始めても、私はその音響美に逆らうことができない。カラヤンはここで私のような聴き手が「ここはこうしてほしい、こうだったらさぞかしかっこいいだろうな」と思ったところを、そのとおりに演奏している。多分カラヤンは、聴き手が望んでいることを完全に読み取ることができたのだろう。そして、それを自分が意のままにできるベルリンフィルという最高の楽器によって実現できたのである。そうした姿勢がアンチカラヤンを作ってしまったのだろうが、カラヤンがやってきたことは、他の指揮者はできるのだろうか? やりたくてもできないかもしれない。自分の思い通りにオケをドライブするという技術において、カラヤンは天才的である。このウルトラ・ハデな「リング」ハイライト集を聴くたびに、私はその途方もない実力を思い知らされる。

 

2000年4月26日、An die MusikクラシックCD試聴記