「ニーベルングの指輪」管弦楽曲抜粋盤を聴く
その1 ウィーンフィル編
その2:ベルリンフィル編 その3:クリーブランド管編 その4:シカゴ響、デトロイト響編
その5:コンセルトヘボウ管編 その6:シュターツカペレ・ドレスデン編
ワーグナー
「ニーベルングの指輪」管弦楽名演集
ショルティ指揮ウィーンフィル
録音:1982年10月
DECCA(国内盤 F00L-23032)収録曲
- ワルキューレの騎行
- ワルハラ城への神々の入場
- ウォータンの告別と魔の炎の音楽
- 森のささやき
- ジークフリートの葬送行進曲
- フィナーレ
デジタル初期の非常に有名な録音。国内盤のタイトルは「ニュー・ワーグナー・デラックス」となっている。国内盤のマーケティング担当者は演奏の本質を正しく把握していたようだ。その名のとおり、「デラックス」な1枚である。収録曲はわずか6曲しかなく、45分で終わってしまう。にもかかわらず、「デラックス」の名に恥じない豪華な出来映えを示している。
昔話を書くと、このCDはデジタル時代の幕開けの頃、一世を風靡していた。CDが発売されても、ソフトの数は少なく、演奏・録音ともに優れたCDはあまり多くはなかった。しかも1枚4,200円もしたのである。そんな頃に登場したこのCDは、クラシックファン及びオーディオマニアの間で引っ張りだこになったらしく、探しに行っても品薄でなかなか入手できなかった。私は学生だったのでお金もなく、とうとうこのCDを入手するのを諦めた経験がある。
その後、CDが安価で大量生産されるに及んで、私もいつの間にかこのCDを手にしていたのだが、驚いたことについ2週間前までこのCDを自分が持っていることすら忘れていた。購入を諦めた想い出ばかりが強く印象づけられていたからである(ホントにびっくり)。CD棚でこのCDを発見した私は久しぶりにプレーヤーにかけてみたのだが、これがいけない。完全にはまってしまった。
第1曲「ワルキューレの騎行」から度肝を抜くような痛快な演奏である。ウィーンフィルがここぞとばかりにゴージャスなサウンドを聴かせてくれる。ウィーンフィルは名人オケであるが、その響きが冷たくなることがない。機械的な冷たさは全然感じない。しかし、機能的には一糸乱れぬ高性能ぶりだ。それぞれの楽器が、その持ち場で最高の技術とサウンドを聴かせてくれる。「騎行の動悸」を奏でるホルンのかっこよさ! こんな演奏を聴かせられたら、誰でも痺れてしまう。
演奏だけではなく、オーディオマニアが好んだ録音らしく、すばらしい音響も楽しめる。スピーカーの左右に音場が拡がり、分厚く奥行きのある豊かな響きを存分に味わえる。エンジニアは、ジェイムズ・ロック。DECCAの看板エンジニアである。デジタル初期の録音だというのに、同時期のDGに見られた乾いた音になっていないのはさすがというべきだろう。
ショルティは聴き手がワーグナーに求める壮大さ、壮麗さを見事音にして聞かせてくれる。神々がワルハラ城に入場する部分は、ワーグナーが書いた最も輝かしい音楽とされるが、あまりの壮麗さに驚く。ショルティは辣腕だから、自分が求めるサウンドができるまで納得しなかっただろう。もしかしたら、この録音を行うに際しても、またウィーンフィルをねじ上げたのかもしれない。でも、ねじ上げることによってこれほど驚異的なサウンドが産み出せるのなら、どんどんやるべきなのだ。
このCDのお楽しみはもう1カ所ある。それは「ジークフリートの葬送行進曲」である。これはとてつもない演奏だ。最弱音から最強音までのダイナミックスが半端でなく、その振幅に圧倒される。もう「かっこいい!」の一言。単純にゴージャスなサウンドに酔いしれる。
それにしても、ウィーンフィルというオケは、なんと麗しいオケなのだろう。これほど聴き手を満足させるゴージャスな響きを持つオケは他にない。オケの音色には匂い立つばかりの色気がある。そのサウンドを今や2,000円前後で味わえるのだから、CDというメディアも贅沢極まりない。現在もカップリング曲は変わらず、45分で終わるようだが、豊饒なサウンドを何度も好きなときに満喫できるのだから、安いものである。
ワーグナーの管弦楽曲集にはよく「ウォータンの告別と魔の炎の音楽」が含まれている。この曲は長大な楽劇「ワルキューレ」第3幕終わりの15分ほどを抜粋したものだ。ドラマチックで、感動的な楽劇の終幕にふさわしい名曲であるため、「リング」の抜粋盤には必ずといってよいほど収録される。ウィーンフィルを指揮した演奏では、下記のような超名盤もある。
ワーグナー名演集
クナッパーツブッシュ指揮ウィーンフィル
録音:1957〜59年
DECCA(国内盤 230E 51020)このCDは「リング」だけではなく、「パルジファル」や「トリスタンとイゾルデ」の一節も含んでいる。これはクナ最晩年の芸風がステレオで聴ける貴重盤である。もちろん、「ウォータンの告別と魔の炎の音楽」はオケの音からしてすさまじい迫力である。ウォータンのジョージ・ロンドンの声に対する好みは分かれるかもしれないがが、オケの猛烈な表現力、瞬発力を聴く上ですばらしい録音である。
これを聴いて私は時々考える。<もし強い要請があれば、クナは「ウォータンの告別と魔の炎の音楽」を声楽抜きで演奏しただろうか?>と。おそらくそのようなことはなかったと思う。レコーディングに際し、そのような要請があった可能性を否定はできないが、要請があったとしても、クナは無茶苦茶汚いドイツ語!で完全に拒絶したのではないか?もしこの終曲が声楽抜きで成り立つのであれば、最初からワーグナーは声楽抜きで作曲するだろう。声楽ははずせないのである。そうであるならば、いかに名曲であるとはいえ、ウォータンの詠唱部分を他の楽器に置き換えて演奏するなどと言う暴挙を、ワーグナー演奏の大家であったクナがしたとは考えにくい。要するに不自然なのである。ミン吉さんの「Hans Knappertsbusch discography」においても、ワーグナーの管弦楽曲について、「全曲や歌が加わっている方を優先して聞いてほしいのであえて詳しい意見はしない」(p.134)と書かれているのは、まさにそのことを示していると私は勝手に解釈している。
ショルティの「ニュー・ワーグナー・デラックス」ではウォータンの詠唱はテノールチューバでなぞられている。他の指揮者の録音でも、何らかの楽器でなぞられており、指揮者の趣味の違いを感じ取ることができるのだが、私はどれを聴いても満足できない。ショルティの録音も拍手喝采を贈りたいほどすばらしいのだが、どうしても人間の声の迫力を思い出してしまう。この曲を聴く度に、例えばホッターの貫禄あるウォータンの声を想像で補って聴く癖がついてしまった。
だから、あえて言うが、「リング」の管弦楽抜粋盤を聴いて、少しでもワーグナーに興味を持ったら迷わずどれかひとつ全曲盤(もちろん声楽入り)を買うべきである。あくまでも抜粋盤は縮約的なもので、これはワーグナーの魅力のごく一部しか伝えていないのである。オペラファンの方、いかがだろうか?
収録曲
- 楽劇「神々の黄昏」から、
- 夜明けとジークフリートのラインへの旅
- ジークフリートの葬送行進曲
- 舞台神聖祝典劇「パルジファル」から
- 幼子のあなたがお母様の胸に抱かれているのを見た(ソプラノ:フラグスタート)
- 楽劇「ワルキューレ」から
- ヴォータンの別れ(ウォータンの告別と魔の炎の音楽、バス・バリトン:ジョージ・ロンドン)
- 楽劇「トリスタンとイゾルデ」から
- 前奏曲
- イゾルデの愛の死(ソプラノ:ニルソン)
2000年4月13日、An die MusikクラシックCD試聴記