ルドルフ・ケンペ生誕100周年記念企画
「ケンペを語る 100」

ケンペのチャイコフスキーを聴く

ホームページ WHAT'S NEW? 「ケンペを語る 100」インデックス


 
 

 ケンペはチャイコフスキーの作品をいくつか録音しています。今回はそれを紹介していきたいと思います。まずは交響曲第5番からです。

 

 

 

 ケンペが指揮するチャイコフスキー/交響曲第5番の録音は正規リリースとしてはベルリン・フィル(BPO)とのスタジオ録音、および、ロンドン交響楽団(LSO)、バイエルン放送交響楽団(BRSO)とのライブ録音の、計3種が存在します。このように、後二者は死後のリリースではありますが、ケンペは「第5」をレパートリーにしていたことは間違いがなさそうです。まず、ベルリン・フィル(BPO)盤を採り上げます。

CDジャケット

ベルリン・フィルハーモニー

録音:1959年5月2-6日、ベルリン、グリュネヴァルト教会
英TESTAMENT(輸入盤 SBT1100)

 私はこの演奏を最初、セラフィムレーベルの国内盤で聴きました。暗くどっしりとした演奏であり、同じBPOを指揮したカラヤンとはまったく別の世界に感じたものです。その後輸入LPをいくつか聴き、そしてこのTESTAMENTからの丁寧な復刻CDを聴くと、ただ重く地味な演奏というわけではないことがわかってきました。

 第一楽章序奏は、実にゆっくり始めますが一つ一つの音がやせることはなく、むしろ様々な味付けが施されています。しかもそれはきっとスコアに書いてあることを基本としているのだろうと感じられるほど、あざとさがありません。主部になってからも自然なタイミングで音楽は加速していきます。主題がかわってもテンポは落とされることなく突き進み、その結果強奏になっても無闇な加速感がありません。高音は鋼のように輝き、低音はマホガニーのように馴染み、ティンパニは大地に轟きます。第二楽章はゆったりとしたテンポでホルンが朗々と歌います。第三楽章はBPOのアンサンブルの卓越さが堪能できますし、終楽章は、それでも演奏は白熱してきているのが感じられます。フィナーレはブラームスの第1の時のように徐々に加速していき、とても充実した響きに満ちて終わります。

 このBPO盤については、以前採り上げた、ドヴォルザークの「新世界より」において引用したように、合わせて以下のように括られていました。

 「いずれも実に手がたい造形と音楽的な起伏、重厚なひびきをもった演奏で、いわゆるドイツ的なスタイルのチャイコフスキーあるいはドヴォルザークの典型である。しかしこれらが音楽の質として極上でありながら、それ以上に大衆の関心をひくものがないこともまた認めねばならない。」(小石忠男、レコード芸術1979年12月号(p.273-279)

 さて、ここで言う「ドイツ的なスタイルのチャイコフスキー」とは何なのかを考えてみたくなります。参考盤として以下の二枚を採り上げます。

CDジャケット

レオポルド・ルートヴィヒ指揮ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団

録音:1960年3月28-30日、ハンブルク、クルトゥアラウム
日DENON(国内盤 COCQ84442)


CDジャケット

ジークフリート・クルツ指揮シュターツカペレ・ドレスデン
録音:1978年1月、ドレスデン、ルカ教会
BERLIN Classics(輸入盤 0014072BC)

 ルートヴィヒは、CDの解説書によりますとカラヤンと同い年のオーストリアの指揮者(生まれは当時オーストリア領で現在はチェコにあるモラヴィア)で、ウィーンやハンブルクで活動していたそうです。現在でも脚光を浴びているとは言い難く、地味な存在です。このチャイコフスキーもそんな地味な指揮者が、地味に手堅く演奏したものと位置付けられてもしかたがないのかもしれません。しかし、ケンぺ/BPO盤と聴き比べると、ルートヴィヒは多少音型を犠牲にしても燃えあがって突き進むようなところが多く聴かれます。第二楽章もやや速めのテンポでホルン独奏を強調するというよりは、めくるめく感興を大切にしているという風情です。おそらく楽譜の指定を大切にしながら思うがままにオケを操っていると感じます。ケンぺ/BPO盤と比べると「地味」どころか情熱的な演奏であると言えます。

 クルツ盤については、伊東さんが「謎の指揮者ジークフリート・クルツを聴く」で採り上げていらっしゃいますので、詳しくはそちらを参照いただきたいと思います。このクルツ盤ではルートヴィヒ盤にあったようなテンポの揺れはほとんど感じられず、折り目正しく音楽を築き上げていっています。だからこそ、カペレの美点が最大限に発揮されており、各奏者たちの妙技にも聴きほれることができるわけです。伊東さんが「実は、これはスルメなのだ。聴けば聴くほど味があり、感心させられる。大見得を切るような派手なシーンはないが、味わい深さの点で天下一品。」との要を得た評価にまったく付け加えることはありませんが、同時にこれこそが「これらが音楽の質として極上でありながら、それ以上に大衆の関心をひくものがないこともまた認めねばならない。」という先のケンぺ/BPO盤に対する文章がよりふさわしいものに思います。

 ケンぺ/BPO盤は、ルートヴィヒ盤のように情熱的ではありませんが、クルツ盤のように徹頭徹尾音像を整える方向性も目指してはいません。ケンぺは自身が感じるこの曲へのイメージを、スコアの中から導き出して迷いなく伝えています。丁寧にだしをとった清汁のような豊かな味わいのある演奏だと思います。

 さて、続いてはロンドン交響楽団(LSO)盤です。

CDジャケット

ロンドン交響楽団

録音:1964年9月16日、ロンドン、ロイヤル・アルバートホール
英BBCLEGENDS(輸入盤 BBCL 4087)

 BPO盤から5年後のライブ録音です。ケンペは当時ロイヤル・フィル(RPO)の音楽監督でした。そのケンペがRPOではなくLSOを振っています。LSOとのスタジオ録音はありませんから、まさに貴重な記録です。伝聞では当初予定されていたモントゥーの代役であったそうです。そして、その演奏がまた特筆すべきものです。

 基本的な音楽作りはBPO盤とさして変わるものではありません。しかし、ものすごい熱演です。序奏こそ静かですが主部が始まってから突然音楽はぐんぐん加速して熱を帯びていき、テンポこそ粘りませんが音色は次々に移り変わります。もう決して聴き手の心を逃しません。BPO盤と違ってヴァイオリンは両翼配置ですが、アンサンブルは乱れなくケンペの激しい棒についていきます。

 これがケンペの実演での魅力だったのでしょう。たぐいまれなバトンテクニックを駆使して品格を保ちながらかつ安全運転に終始することなく、オーケストラも聴衆も心をとらえてしまうのです。第二楽章もホルン独奏(これは実にすばらしく、3種の中でもっとも名演だと思います。いったい誰なのでしょうか?)を受けたチェロのとろけるような甘美な節回しは、管楽器パートが強調されていて決して最善ではない録音状態でも十二分に伝わってきます。フレーズ間の追い込み、ちょっとした間の空かせ方、わずかに利かせるリタルダント。音楽が盛り上がってからのピチカートが生き物のように一つ一つの響きを変えていく様子、それを受けた弦楽合奏の呼吸の深さ、そこから音楽を崩さずにテンポをさっと戻していくタイミング・・・編集なしのライブ録音、しかも普段振っていて気心が知れているオケではなく、さらに代役であったというのならば、ここで実現している音楽は驚きでしかありません。

 第三楽章ではBPO盤とはまったく異なる猛烈なハイスピードになっており、LSOの合奏力を堪能できる一幕となっています。このあたりの実演ならではの見栄の切り方は、すばらしいものです。それでいて聴かせどころのワルツでは、せかせかした印象を与えないようにきちんとテンポが緩められています。最終楽章は速めであった第三楽章をしっかりと受け止めて重量感をもたせて始まります。そしてティンパニの雷鳴とともに主部になると、音楽は堅牢さをもってきちんと段取りを踏みながら進んでいくのです。しかし、ここには高度を変えながら飛翔する鳥のように、心地よい加速感が常に与えられておりまったく退屈することがありません。たたみこむ箇所と、直後にテンポを元に戻す呼吸の良さは相変わらずですが、それが繰り返されながらも楽章全体が高い頂に登るように設計されてます。そしてライブならではの躍動と興奮が加えられ、後半はアンサンブルが壊れるのではないかというぎりぎりのところまでオーケストラを煽り立て、最後は実際に聴いていたら手に汗握って席から乗り出すような気持ちになってしまう驚異的な追い込みをみせて、華やかに幕切れとなります。最後の一音が終わらないうちに大歓声に包まれるのも必然です。スタジオ録音だけではわからない、ケンペという芸術家の魅力がいっぱい詰まった一枚だと思います。

CDジャケット

バイエルン放送交響楽団

録音:1975年3月20日、ミュンヘン、ヘルクレス・ザール
独ORFEO(輸入盤 C449 961B)

 結果的にはケンペの晩年の演奏となったディスクです。ミュンヘン・フィルの常任指揮者であったケンペですが、同じミュンヘンのバイエルン放送響(BRSO)とは何度も共演していました。やはり基本的な音楽の運びはBPO盤やLSO盤と変わるところがありません。第一楽章でのテンポの変化も同じライブであるLSO盤ととてもよく似ています。これはチャイコフスキー/第5に対するケンペの解釈がほとんど変わっておらず、40歳代においてすでに確立していたということになります。

 しかし、やはりBRSO盤は前二者に比べて深化していると言わざるを得ません。強弱の幅は一層拡がっているのですが、よく響くホールで、柔らかいビロードのような音色と秀でたアンサンブルを誇るBRSOは自然にやってのけてしまっています。テンポのわずかな揺れも、まるで以前から繰り返してやっていたかのようです。すべてが自然な音楽の運びで進んでいるのです。したがってLSO盤の大熱演に惚れ込んだ聴き手からみると、確かに円熟と言えば円熟なのですが瞠目すべき部分は少なくなったともいえます。これは、ブラームス、特に交響曲第3番におけるBPO盤とMPO盤の違いに似ています。LSO盤では鬼気迫るような追い込みをかけた第三楽章のトリオの部分も、BRSO盤ではテンポはわずかに緩められてパート間の掛け合いが絶妙なのですが、LSO盤での興奮が忘れられないという意見がでてきてもいいと思います。

 BRSO盤は、BPO盤で築いた音楽にLSO盤でみられたような実演ならではの効果を加えて、さらに深みと大きさを与えた演奏だと思います。第四楽章序奏での味わいは前二者にはなかったものですし、ティンパニはむしろクレッシェンドをかけずに主部に突入してから徐々に音圧をかけていくという解釈も、唸らざるを得ません。その後も音楽はどんどん高揚していくのはLSO盤と同じなのですが、見せる世界が広大なのです。再現部の終わりもたたみかけ方は半端ではないほどの迫力なのですが、コーダへの経過にはまったくあざとさがなく、ただただ音楽そのものの力で迫ってくるのです。LSO盤ではやや崩壊寸前であったフィナーレでもBRSO盤ではアンサンブルを合わせるポイントを外さずに、壮麗に締めくくっています。

 3種のディスクはそれぞれに魅力ある演奏です。そして実演でのケンペがいかに聴き手の心をとらえる演奏をしていたかを表していると思います。なお、本サイト主宰である伊東さんもLSO盤と、BRSO盤を採り上げていらっしゃっており、これらの演奏の魅力について語っていることを付記したいと思います。

 以下に今回採り上げたディスク、および参考としてムラヴィンスキー盤とカラヤン盤(1975年)を加えた演奏時間一覧を添付いたします。

 
指揮者 オケ 録音年 1 2 3 4
ケンペ BPO 1959 15:41 12:59 6:32 13:10
ルートヴィヒ PSOH 1960 14:13 12:13 5:50 11:46
ムラヴィンスキー レニングラード 1960 14:38 11:53 5:29 11:05
ケンペ LSO 1964 14:31 11:56 5:23 12:01
ケンペ BRSO 1975 14:53 12:26 5:42 12:22
カラヤン BPO 1975 15:53 14:38 6:38 12:32
クルツ SKD 1978 14:07 12:22 5:55 11:48
 

 ケンペのチャイコフスキーの録音はまだいくつかありますので、以下にご紹介していきたいと思います。なお、ネルソン・フレイレとのピアノ協奏曲については別稿で採り上げたいと思います。

 

 

交響曲第6番「悲愴」

フィルハーモニア管弦楽団

録音:1957年5月5-6日、ロンドン、ウォルタムストウ・タウンホール
英TESTAMENT (輸入盤 SBT1104)

 ケンペはフィルハーモニア管弦楽団(PO)といくつか録音を残しているのですが、その中でも白眉と言えるディスクです。モノラル録音のためLPでもCDでも日の目を見ることがなかった演奏ですが、その内容は現役盤に一歩も引けを取るところがありません。

 これ以上ないくらいの漆黒の序奏から始まります。そしてアレグロ・ノン・トロッポの主部になるのですが、そこでの第一主題の取り扱いに驚かされます。アウフタクトの8分音符二つに、四分音符―八分音符というフレーズで、四分音符の前に一瞬間を空けて四分音符自体にアクセントを置いているように聴こえるのです。スコアを見るとそこにはクレッシェンド、デクレッシェンドしか書いてありません。しかしケンペはこの解釈にこだわっていることは確かで、第一楽章のところどころ出てくるフレーズすべてに、大小はあっても同じ処理が施してあるのです。これは、まったくの素人である私の妄想としては、序奏部との一貫性を考えていたのではないかと思っています。まずコントラバスの弱音に乗ってファゴットが奏で、次いでヴィオラが合いの手を入れるのですが、これがアウフタクトの8分音符二つに、二分音符―二分音符―八分音符という音型で最初の二分音符にスフォルツァート(sf)が付いています。ケンペはこれとの関連づけを考えたのではないかと妄想しております。このような解釈は、例えば、カラヤンやムラヴィンスキーではみられません。フルトヴェングラーは未聴ですが、もしかすると往年の指揮者の解釈の影響かもしれません。

 第二楽章は聴き応えのある第三、第四楽章への橋渡しのような扱いを受けることがありますが、ケンペ盤ではじっくりと歌い上げています。こんなにも意味深い第二楽章というのも珍しいのではないかとすら思えてくるのです。

 第三楽章は決して熱狂することはないのですが、最後はどんどん加速していっており、無闇なクライマックスをつくることなく第四楽章につないでいます。その第四楽章はやや早めであり、アダージョというものの耽溺するような遅いテンポは採用していません。一見、淡々と音楽を進めているようですが、フレーズが繰り返されるうちに音圧が高まってきます。途中も盛り上げられそうなところも、ひたすらインテンポで過ぎ去って、主部の再現で初めて昂揚感が得られるものの、再び終結部へ向かって感興を排してあっけなく終わっていくのです。

 このような「悲愴」の音楽作りは一見、ムラヴィンスキーに似ているような気がします。作曲家の細かい指示をある程度従いながらも、大きな枠組みは身じろぎもしないというスタンスです。ただ、ムラヴィンスキーは堅牢な音楽の中でぎっちりと様々なニュアンスを散りばめています。一方ケンペは淡色で水墨画をみるような印象ですが、そこから深さを感じさせてくれます。

CDジャケット

歌劇「エフゲニ・オネーギン」より
 合唱付きワルツ
 タチアナの手紙のシーン
 ポロネーズ

エリザベート・リンダーマイヤー ソプラノ
ベルリン国立歌劇場合唱団

 ベルリン・フィルハーモニー

録音:1957年7月2-3日、ベルリン、グリュネヴァルト教会
英TESTAMENT (輸入盤 SBT1100 交響曲第5番とのカップリング)

 ケンペの「エフゲニ・オネーギン」とは珍しいレパートリーですが、この録音はもともとリンダーマイヤーを中心としたディスクで、カップリングはドヴォルザークの「ルサルカ」でした。

 第1曲はベルリン国立歌劇場合唱団の力強い音楽を聴くことができます。歌詞はドイツ語ですが、ケンペの、弧を描くような構えの大きさと、ここぞというところでの打ち込みの鋭さが絶妙のバランスをとるため、実に聴き応えがあります。

 第2曲ではリンダーマイヤーの歌唱が聴けます。折り目正しい、凛とした歌声です。ケンペのオペラ指揮者としての巧さはやはり卓越していることがよくわかります。歌い手の呼吸と、オーケストラ奏者たちの呼吸を乱すことなくぴたりと合わせて、リンダーマイヤーの声色の変化に敏感に反応してテンポを変えています。この頃はまだカラヤンとともにオーケストラピットに入る前だと思いますが、ここではBPOは歌劇場のオーケストラかのように演奏しています。

 リンダーマイヤーはCDの解説書によると1925年にミュンヘンで生まれたソプラノ歌手で、バイエルン国立歌劇場で1946年デビュー、そこを拠点としながらもベルリンやドレスデンにも客演したそうです。ケンペは1957-58年のコヴェントガーデン歌劇場での「リング」でリンダーマイヤーを呼び寄せています。それほど信頼を置いた歌手だったのでしょう。そして、もう一つ重要な点はリンダーマイヤーはケンペの(おそらく最初の)伴侶であり、二人の間にはスージーとマリアという二人の娘がいたそうです。

 第3曲はオーケストラのみによる演奏です。ケンペが微笑みながらオーケストラを指揮しているアンコール曲のような、浮き浮きする演奏です。

CDジャケット

組曲第3番主題と変奏

ヴァルター・バリリ ヴァイオリン
ウィーン・フィルハーモニー

録音:1961年12月16-17日、ウィーン
英TESTAMENT(輸入盤 SBT1104 交響曲第6番とのカップリング)

 これはもっと聴かれるべき名演だと思います。ケンペはブラームス/ハイドンの主題による変奏曲でもすばらしい演奏を聴かせてくれましたが、こういう変奏曲は得意にしていたのではないのだろうかと思うほどです。ウィーン・フィルは、音楽をきちんとした見通しのよい作り方をしているケンペの意向に応えています。管楽パートのみでの第3変奏における掛け合いは実に洒脱であり、第6変奏もアンサンブルはぴったりと合って豪快にならしています。そして第9変奏。ここでの独奏ヴァイオリンはCDでは明記されていませんが、バリリだと言われています。

 よく知られていることとして、バリリはウィーン・フィルのコンサートマスターに若くして着任、バリリ弦楽四重奏団としても活躍しましたが故障してキャリアは中断します。それが1959年と言われており、一説にはこの録音が復帰後初であったとのことです。

 私はバリリの熱心な聴き手ではなかったので、故障前の演奏と聴き比べることはできませんが、このディスクでのバリリは折り目正しさはあるものの、所々の節回しでは甘くせつなく弾き語ります。それをケンペは協奏曲の伴奏指揮のように包み込むように支えるのです。弦楽器もポルタメントがかかりだして、ウィンナワルツを聴いているような心持ちにさせてくれます。そしてそのまま最後の第12変奏につながって、ここでは最初のような豪快な演奏となり、このコンビで「くるみ割り人形」を演奏したらきっと素晴らしいに違いないと思わせるような、うっとりするくらいの芳醇な響きに満ちています。

 

 

 

 ケンペはドイツ・オーストリア音楽を中心に採り上げていた指揮者というレッテルが貼られがちですが、チャイコフスキーを聴くかぎり、広範なレパートリーを持っていて、しかもどれもが上質であったのだろうと考えています。それだけの魅力がこれらのディスクには刻印されているのです。

 

(2010年8月19日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記)