クレンペラーのベートーヴェン
■交響曲第7番〜第9番■
ベートーヴェン
交響曲第7番イ長調 作品92
大フーガ変ロ長調 作品133
録音:1966年2月20日
クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管
DISQUES REFRAIN(輸入盤 DR920037)宇野功芳氏がクレンペラーが指揮したマーラーの交響曲第2番「復活」(PLATZ、原盤はVOX)のライナーノートでこのように書いている。
『クレンペラーの生年は1885年、つまりフルトヴェングラーより1歳年上ということになるが、その芸風は正反対だ。例えばベートーヴェンの7番のフィナーレを比べると分かるが、フルトヴェングラーが速いテンポを基調に、後半ぐんぐんアッチェランドをかけ、ドラマティックに盛上げていくのに、クレンペラーは遅いテンポを微動だにさせず、細部のニュアンスを緻密に整えてゆく。そこに聴く者を熱狂させる劇的効果は皆無だが、堂々とした立派さ、安定感、スケールの偉大さは他のどの指揮者よりもすばらしい。』
もし宇野氏がこの録音を聴いていたなら、まさかこんなことは書かなかったに違いない。クレンペラーはライブであったせいか、速めのテンポで猛烈な第4楽章を作り出している。低弦群が生き物のようにうねりながら低音部を支え、金管楽器が咆哮し、音楽が一小節毎に畳み掛けるように前進してくる。フルトヴェングラーのようなアッチェランドをかけてはいないものの、ものすごい劇的効果だ。案の定、終演後の拍手は熱狂的だ。拍手はおそらく何10分も続いたであろう。寒い冬の2月20日、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールを埋め尽くした聴衆はこの熱狂ライブによって興奮の極限に達し、体を火照らせて家路についたはずだ。
おそらく宇野氏が比較の対象にしたのは第7番の演奏でも60年録音盤だったのではないだろうか。あのテンポでは最終楽章だけを畳み掛けるような演奏にしてしまうと、それまでの演奏が全く意味をなさなくなる。この曲に関する限り、クレンペラーはライブとスタジオではっきり分けて演奏したのかもしれない。こういうところにスタジオ録音だけで音楽や芸風を判断することの難しさがあるのだろう。
なお、同日に演奏された大フーガは雄大な演奏だ。弦楽四重奏では18分もかけて演奏することはあまりないと思うが、ゆったりとしたテンポで主題が奏でられるところから壮大きわまりないフーガにつながっていく。このテンポはすばらしい。曲の隅々までよく分かる。会場で聴いたら大きな感銘を与えただろう。
音質はあまり上質ではないモノラル。DISQUES REFRAINのCDは音質の面では本当に玉石混淆だ。
ベートーヴェン
交響曲第7番イ長調 作品92
ラモー(クレンペラー編曲)
ガヴォットと6つの変奏曲
クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管
録音:1968年10月12,13,14日
EMI(国内盤 YMCD-1004)クレンペラー最晩年の録音の一つ。これはれっきとしたクレンペラーの正規盤(スタジオ録音)であるが、つい最近まで山野楽器のオリジナルCDとしてでしか発売されていなかった。1999年3月末にようやくEMIもグランドマスターシリーズで発売している。が、グランドマスターシリーズでは高域に癖のあるHS2088によるリマスタリングを行っているだろうから、音質はこちらの方がよいかもしれない(写真のCDジャケットは山野楽器のもの)。
交響曲第7番:クレンペラーによる正規盤の第7番には55年盤、60年盤があり、いずれも名盤の誉れ高いものだ。しかもいずれもステレオで聴ける。また、基本的な解釈はほとんど変わっていないわけだから、EMIが長い間CD化を見合わせていたのは無理もないかもしれない。しかし、基本的解釈が変わらなくても、聴感上は随分違う。この差は余りにもはっきりとしているので、聴き比べるまでもない。この演奏はライブを含め、今までのどの録音よりも重厚で、極論すればこれ以上の重厚さはあり得ないというところまで徹底している。テンポは60年録音にも増して遅くなり、弦楽器の低声部に強いアクセントを置いている。また、テンポの揺れがなく、インテンポのままで進むのだからたまらない。
低声部の強調はこの録音の最大の特徴である。聴き手はすぐにそのことに気付くはずだ。まず第1楽章の序奏部分に現れる弦楽器の上昇音型で、特にチェロとコントラバスに強いアクセントが置かれている。他にもいろいろある。楽譜に忠実と言われるクレンペラーにしても必ずしも楽譜の指定を守っているわけではなく、例えば第2楽章、練習番号Bではチェロとコントラバスにp(ピアノ)の指定があるところでほとんどf(フォルテ)で弾かせたりしている。こんなことはこれ以前の録音では目立たなかった。これで重厚な演奏ができなかったら不思議である。クレンペラーの場合、中途半端などということがないから、その重厚さにはどんな聴き手も圧倒されるに違いない。クレンペラーのCDの中では録音も優れているので、クレンペラーの意図がはっきり聴き取れるのも面白い。
ガヴォットと6つの変奏曲:この曲には同年、ウィーン芸術週間におけるライブ録音もある。クレンペラー自身の編曲であるし、お気に入りの曲であったのだろう。わずか9分の曲ながら、軽妙さと壮大さを併せ持った編曲になっているため、バロック風でもあり、後期ロマン派風でもある。まさに聴き応え十分。私の趣味にぴったり合った曲でもあるので、私は何回も聴いて楽しんでいる。あまり大きな声では言えないが、これ1曲を聴くためにこのCDを買っても損はないと思う。なお、この曲が気に入ったら、他にも面白い編曲があるのでこちらでご紹介したい。
ベートーヴェン
交響曲第6番ヘ長調 作品68「田園」
録音:1957年2月7日
交響曲第8番ヘ長調 作品93
クレンペラー指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管
録音:1956年5月17日
MUSIC & ARTS(輸入盤 CD-246)田園はEMI正規盤と同年、8番は前年に演奏されている。したがって解釈の違いはほとんどない。しかもモノラルであるから、普通の音楽ファンがこのCDまで買うことはあまりないかもしれない。
しかし、こんな条件の悪い演奏がわざわざCD化されるのには理由がある。オケがとびきりいいのと、ライブであることだ。
田園はスタジオ録音より速めのテンポ。スタジオ録音と解釈が変わらないはずなのに、ライブらしい感興に溢れた演奏だ。これこそ「楽興の時」というにふさわしい。いつものことながら、音楽の流れが自然である。特筆すべきはオケの音色だ。第1楽章から魅惑的な木管の音色にうっとりする。古い録音で、しかもモノラルなのに! クラリネットもフルートも、オーボエも、ファゴットも信じられないようないい音色だ。第3楽章で盛んに鳴り響くホルンも聴き逃せない。弦楽器だって負けてはいない。演奏当時コンセルトヘボウはベイヌムが首席指揮者であったが、いかにすばらしいオケであったか、今更ながらに驚かされる。
この演奏は、最初はこうしたオケの音色に心を奪われる。しかし、それだけではない。第3楽章からが聞き物である。本当に生き生きとした音楽だ。楽章毎に全く違う景色が現れ、次がどうなるかと興味津々になる。クレンペラーは盛り上げようとか、思いっきり歌わせようとかおそらく考えなかったとは思うのだが、第5楽章に入ってあの「感謝」の旋律が朗々と流れ始めると次第に胸が熱くなってくる。何と、感動してしまうのである。
第8番は録音が田園より古いのに、音質が田園よりずっといい。弦楽器のかすかな動きまで克明に分かる。マイクの設定が良かったのだろう。解釈に大きな差異がないのは上述したとおりだが、スタジオ録音よりさらにきびきびしたリズムだ。どこから聴いても新鮮な演奏で、録音の古さなど全く感じさせない。こうした演奏が残されたことに感謝したい。
ベートーヴェン
交響曲第9番ニ短調 作品125「合唱」
クレンペラー指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管
録音:1956年5月17日
Curtain Call(輸入盤 CD-242)謎のCD。CDジャケットには「Curtain Call」と書いてあるが、実体はMusic & Artsのようだ。CDのプレスはデンオンでやっている。どうなっているのか私には分からない。が、この優れた演奏が入手できるのは有り難い。この第9はクレンペラーの神の如き実力を見せつける驚異の演奏である。
第1楽章:やや速めのテンポでよどみなく演奏される。こう書くとまるでカラヤンの演奏のようだが、もちろんそうではない。表面的には何でもない演奏なのだが、音楽には生命があり、意志があり、逞しく、力強く生成していく。いくらクレンペラーのライブだとはいえ、これほどの第1楽章はめったに聴けない。まるでベートーヴェンがこの曲を作曲していた当時の興奮がそのまま伝わってくるようだ。オケはクレンペラーの棒に見事に応え、神懸かりの格調高い演奏を実現している。1950年代のコンセルトヘボウは数多くの名演を残しているが、これもその一つ。オケとしての完成度は当時世界最高だったのではないだろうか。
第2楽章:このスケルツォはEMIのスタジオ録音以上に痺れる。このCDはこの楽章を聴くだけでも十分価値がある。ティンパニの音も小気味よく鳴り渡っているし、弦楽器も実によく揃っている。木管楽器も聴き応え十分。そして何よりもクレンペラーの指揮だ。躍動的なリズムが中心のこの曲では指揮者のリズム感が悪くては話にならない。クレンペラーは急いだり、のんびりしたり一切せず、揺るぎないテンポで堂々のスケルツォを作り上げている。面白くてたまらない。こんな演奏だったら、初演時のように、アンコールをしてしまいたくなる。クレンペラーはソナタ形式とスケルツォが融合し、ティンパニー協奏曲的な雰囲気のあるこの曲がよほど性に合っていたのだろう。徹頭徹尾最高の一級品である。
第3楽章:軟弱、だらだら、長いだけの演奏をする多くの指揮者はこの演奏を一度は聴くべきだ。この曲は聴衆を眠らせるためにあるのではないのだ。ここでは、ベートーヴェンが書いた変奏曲のひとつひとつが非常によく描き分けられている。ベートーヴェンが最晩年に書いた変奏曲はどれも至高の高みを感じさせるが、クレンペラーの指揮で聴くと、本当に不思議なほど変奏曲の構造がよく分かり、しかも格調高い。
第4楽章:クレンペラーらしい力感に溢れた演奏。クレンペラーはレチタティーヴォ以降、声楽陣の歌い方にかなり強いアクセントをつけさせている。それが気になる人もいるかもしれないが、音楽に宿る推進力が圧倒的で、オケも声楽陣も完全に融合した最高の演奏を聴かせてくれる。これはさすがにライブの醍醐味だろう。バリトンソロは今ひとつだが、その他のソリストは調子もいい。テノールはエルンスト・ヘフリガーが出演しており、見事な歌声を聴かせている。
なお、録音もモノラルながら全曲を通して大変高音質。一体どうやって録音したのだろうか。これまた謎である。
- ソプラノ:グレ・ブロウエンシュウティーン
- アルト:アニー・ハームズ
- テノール:エルンスト・ヘフリガー
- バリトン:ハンス・ウィルブリンク
- アムステルダム・トーンクンスト合唱団
ベートーヴェン
交響曲第9番ニ短調 作品125
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
ソプラノ:オーセ・ノルドモ・レーヴベリ
アルト:クリスタ・ルートヴィッヒ
テノール:ワルデマール・クメント
バリトン:ハンス・ホッター
録音:1957年11月15日
TESTAMENT(輸入盤 SBT 1177)クレンペラーにとっても、フィルハーモニア管にとっても重要な意味を持つライブ録音のCD化。この演奏会の模様はレッグの「レコードうら・おもて」(音楽之友社)にも、「巨匠たちの音、巨匠たちの姿」(植村攻、東京創元社)にも詳しく述べられているので、ご存知の方も多いだろう。しかし、よもやこのような録音が存在し、しかもステレオで発売されるとは一体誰が想像しえたであろうか? レッグもこの録音テープの存在は一言も書いていない。それはともかく、やはりEMIはクレンペラーの録音を大量に死蔵させていたのだ。
ところで、この曲には、ほぼ同時期に録音されたスタジオ盤がある。ライブ盤は1957年11月15日の演奏を収録しているが、スタジオ盤は同年10月30-31日、11月21-23日の5日間を費やして、何とソリストを含め、全く同じ顔ぶれで演奏しているのである。EMIの辣腕プロデューサー、ウォルター・レッグにしてみれば、録音の諸条件が揃った中で演奏されたスタジオ録音を発売できれば、所期の目的を達したことになると考えていたに違いない。なんとなれば、この第9交響曲に使われたフィルハーモニア合唱団は、クレンペラーがこの曲を指揮するために編成された集団なのである。フィルハーモニア合唱団の編成に関する逸話は、CDの解説に詳しく書かれているが、特定の指揮者の録音活動のために、望み得る最高水準の合唱団を創設するなどという途方もない考えはEMIのような力があるレーベルでしかなしえないだろう。しかも、コンサートの前後にスタジオ盤を録音したということは、本番のリハーサルを含めてかなりの時間ソリスト達を拘束していたことを意味する。これを辣腕といわずして何といおうか。レッグ、恐るべしである。
さて、スタジオ盤の話はさておき、このライブ盤についてだ。歴史的名演奏とされるだけに、聴き手を唸らせずにはおかない。第1楽章で第1主題が現れると、雷鳴が鳴り響くような激しさを感じさせる。宇宙的拡がりだ。第2楽章では、スタジオ盤を遥かに凌駕する強烈さでティンパニーと木管楽器の饗宴が繰り広げられる。録音が鮮明なだけにティンパニーの鳴りっぷりが小気味よい。これは聴き応え満点の演奏だ。さらに第3楽章では、弦楽器をたっぷり歌わせ、ベートーヴェンが書いた幸福に満ちたアダージョを聴かせる。
ここまででさえ、クレンペラーの指揮は非凡だ。誰が聴いても感銘を受けるだろう。オケの腕前もすばらしい。とてもライブとは思えないほど完璧な演奏で、キズを探すのが難しい。当時フィルハーモニア管が最高のコンディションであったことが十分理解できる。しかし、最大の聴き所はやはり第4楽章である。これは、非常に優れた演奏をしている第3楽章までとは比べものにならない燃焼度だ。スタジオ録音盤でも、声楽陣の優秀さは目立っていたが、ここではその比ではない。クレンペラーのやや速めの、しかし、毅然として急がないテンポによる指揮が格調高く、堂々とした音楽を奏でている。ライブらしい燃えさかる演奏だと思う。クレンペラーは最後の最後までテンポを煽り立てることなく、確固とした足取りを見せるのに、演奏している全員が熱狂してしまったような気配がある。おそらくクレンペラーは白熱し、はやる演奏家達の手綱を締めるのに四苦八苦していたのではないだろうか。これは噂に違わぬ白熱したライブだ。狂気した聴衆は演奏終了を待ちきれなかっただろう。盛大な拍手とブラボーが収録されている。
繰り返して書くが、このような録音が、信じがたいほど鮮明なステレオで収録されていたことは驚異である。EMIに願わくは、出し惜しみしないでもっとクレンペラーのライブ盤を出してほしい。きっとすごい宝物が眠っているはずだ。
ベートーヴェン
交響曲第9番ニ短調 作品125「合唱」
クレンペラー指揮フィルハーモニア管
録音:1957年10,11月
EMI(国内盤 TOCE-3200)クレンペラーの確信に満ちたベートーヴェン。クレンペラーでしか聴けない堅牢な演奏である。一見楷書風であるが、線が極めて太い。また、両端楽章には異様とも思える熱気が漲る。
第1楽章:重心が低いドイツ的な音に驚かされる。クレンペラーはこんな響きをイギリスのオケで出していたのだ。音楽は熱気を孕みつつ、たちまち膨れ上がり、ベートーヴェンが思い描いたであろう宇宙的な広がり、広大深遠な精神世界がクレンペラーの指揮によって出現する。音楽の進行は、それ自体が宇宙の創造と発展を見るが如き壮大さである。この雰囲気はまさに異様だが、ライブ並みの高揚が感じられる演奏である。
第2楽章:ティンパニー協奏曲のように激しく活躍するティンパニーが特筆もの。また、次から次へとフレーズを受け渡しながら交代していく木管楽器の掛け合いも聞き物。聴いていて全く興味が尽きない。この楽章を聴いていると、オケが当時最高の状態であったことがはっきり分かる。しかも、録音の良さがさらにこの演奏の良さを引き立てているのが嬉しい。なお、クレンペラーはこの楽章の演奏に15.34分をかけている。実は、これは続く第3楽章より長いのである。しかし、時間的な長さを全く感じさせないのはさすがだ。
第3楽章:木管楽器の美しい音色が堪能できる。クレンペラーの木管重視は有名で、木管による旋律線が他の楽器によってかき消されるのを極度に嫌ったらしい。ここでは木管が受け持つ旋律線、それもとびきり美しい旋律線がくっきり浮かび上がってくる。弦楽器の作り出すさざ波のような音の上に聞こえてくるその響きの何と美しいことか。
第4楽章:ベートーヴェンその人が指揮をしているような印象を与える感動の名演。骨太、威風堂々の力演である。この楽章のバリトンソロはあのハンス・ホッターがつとめていて、貫禄十分のレチタティーヴォを聴かせる。音楽が「今ここで」生まれる瞬間に立ち会うような演奏。スタジオ録音だが、ライブの熱気を孕んでいる。
なお、ソリストは以下のとおり。
- ソプラノ:オーセ・ノルドモ・レーヴベリ
- メゾソプラノ:クリスタ・ルートヴィッヒ
- テノール:ワルデマール・クメント
- バリトン:ハンス・ホッター
合唱団は新設のフィルハーモニア合唱団。この合唱団の指導に当たったのはウォルター・レッグがバイロイトから呼び寄せたウイルヘルム・ピッツである。国内盤では全く触れられていない。
An die MusikクラシックCD試聴記、1998年掲載