ユリア・フィッシャーの新しいDVDとCDを聴く
文:松本武巳さん
DVD
サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調作品16
ユリア・フィッシャー(ヴァイオリン、ピアノ)
マティアス・ ピンチャー指揮ユンゲ・ドイチェ・フィルハーモニー管弦楽団
収録:2008年1月1日フランクフルト、アルテ・オパー
特典:ユリア・フィッシャー・インタビュー
DVD:DECCA(UCBD-1105:2010年8月25日発売予定)CD
パガニーニ:24のカプリス作品1
ユリア・フィッシャー(ヴァイオリン)
録音:2008年9月、2009年4月
CD:DECCA(UCCD-1272:2010年8月25日発売予定)■ 執筆のきっかけ
すでにゆきのじょうさんにより、二度(2007年7月12日、2009年3月1日)も紹介されているドイツ人の若手美人ヴァイオリニストであるユリア・フィッシャーですが、彼女が今般、フランクフルトで2008年にニュー・イヤー・コンサートで弾いた、前半がヴァイオリン協奏曲、後半がピアノ協奏曲という、すでに伝説化されつつあるコンサートのライヴDVDと、本職のヴァイオリンで弾いたパガニーニのカプリスが同時に発売されるとあり、今般国内盤が発売される前に輸入盤を入手しましたので、ここに感想を記させていただく次第です。
■ 経歴の簡単な紹介
1983年7月15日、ドイツのボンで生まれ、ピアノとヴァイオリンを4歳から学び、アウグスブルクとミュンヘンで研鑽を積みました。過去にヴァイオリンのコンクールで5回、ピアノのコンクールで3回の優勝歴があり、現在は最年少のフランクフルト音楽大学教授でもあります。レッスン風景などを見ますと、きわめてオーソドックスな教育をきちんと受けてきた経緯がうかがわれ、筋の良さを感じさせる若手ヴァイオリニストであると思います。なお、ヒラリー・ハーンと比肩されることも多いようですが、私にはいろんな意味で両者はかなり異なった特質を、お互いに有しているように思いますので、この小文では二人の比較について、特に触れないことにしたいと思います。
■ ヴァイオリニストとして−その1
ゆきのじょうさんの評論をまずはご紹介したいと思います。引用がたいへん長くて申し訳ありませんが、私がうだうだと書き殴る必要など無いと思うほど、多くの内容が語られておりますので、ぜひお読みください。
『フィッシャーは21歳にして既にバッハの無伴奏ヴァイオリンをリリースしています。これらの演奏について、若さを理由とした注文をつけることはいくらでも可能でしょう。事実、フィッシャー自身がバッハでのライナーノートで、「私がたった21歳でバッハの無伴奏を録音するべきかどうか、多くの人が不可思議に思うのは疑いもないことです。」と書いています。一方において、自分自身はバッハと小さい頃から向き合い続けてきており、様々な体験を通して、今、録音することは必然なのだ、という主旨のことも書いています。全然優等生ぶらない、主張のしっかりとした演奏家と感じましたのでこれからが楽しみですし、容貌からしても、もっと人気が出ても良いように思います。
テンポは全ての曲で穏当です。数多くある同曲集の演奏で平均値を算出したとしたら、おそらく平均そのものになるのではないかと思うくらいです。解釈も特に学術的に新たな視野を切り開いたという視点は用意されていません。感情のわき出るままにがむしゃらに弾いているわけでもありません。切羽詰まったようなぎりぎりの限界に挑戦した演奏でもないのです。ただひたむきに楽譜に書かれているものを音楽として表出したに過ぎないと感じます。それでは個性が乏しく凡庸な演奏なのかというと、その対極に位置していると断言できるだけの魅力があるのです。例えばソナタ第1番第二楽章のフーガ。一挺のヴァイオリンでフーガを演奏するというこの曲集の中でも白眉の一つなのですが、フィッシャーは惚れ惚れするような美しい重音を駆使して弾いています。そこには一点の曇りも濁りもありません。では、ただの機械的で正確無比な演奏、あるいはただ清涼かつ端麗な演奏なのかというと、どうもそういう範疇には当てはまらない魅力を感じるのです。
特筆すべきは、ボウイングの美しさでしょう。よく知られているように、ヴァイオリン演奏は、音程を司る左手だけではなく、ボウイングを担当する右手の技量が重要になります。バッハの無伴奏におけるフィッシャーのボウイングはまったく無理がなく、しかも考え抜かれたものです。どこでどのようにボウイングを行えば良いのかについての迷いのない結論が出ています。世評の高いヴァイオリニストの演奏でも、往々にしてボウイングに無理がかかっているものがありますが、フィッシャーにはそれがありません。しかし安全運転に終始した演奏でもないのです。伴奏がない一挺の楽器でどのような音楽を構築するのかという設計図が初めから終わりまで迷いなく出来上がっており、それをひたむきに創出していると感じます。それを奇異な解釈ではなく堂々たる正攻法のテンポと音色で弾いているのです。したがって音楽は深い味わいがあり、しかも聴き手に無理難題な聴き方を強いることもありません。例えばパルティータ第1番クーラントに続くドゥーブルはもっと畳み掛けるような演奏も可能なのに、フィッシャーはさほど速くないテンポを採用しています。その一つ一つの音は実に練り上げられており、聴いていて退屈するどころか、逆にわくわくしてくるのです。ここで弾いているのは類い希な才能を持つ芸術家であると、実感できる瞬間です。
一番有名なパルティータ第2番のシャコンヌにおいても、フィッシャーは無闇に劇的に盛り上げようという意図がありません。しかし、一見さり気ないように見えて、ボウイングには手練手管が込められています。ある音は生々しく、ある音はふんわりとした軽さで弾き分けており、それらがまったく自然な語法の中で配列されているので、聴いていて余計な緊張感を持たせることがありません。あるがままに始まり、あるがままに演奏は終わります。しかしとても満ち足りた思いにさせてくれる演奏でもあります。
多少はピリオド奏法の影響は感じられるものの、基本的にはモダン楽器によるモダン奏法での演奏です。そして妙に大家ぶったところもなく、現在自分が感じ、信じているバッハの音楽をただひたすら演奏しているに過ぎないのがよく分かります。なんという確信なのでしょうか。もちろん目新しいところは少ないので、ちょっと耳にした程度ではこれと言った魅力を感じることが難しいと思います。決して出しゃばらず、己の信じるままに、ただ演奏しているだけ、それはバッハの音楽のためであり、自分に脚光を浴びさせるためではない。そういう思いであろうと感じます。』
(以上、引用の文章の途中部分を省略させていただいた場合がかなりありますが、あえて詳細な注記を避けさせていただきました)
■ ヴァイオリニストとして−その2
では、上記のゆきのじょうさんの評論が、今回のパガニーニのカプリスでも当てはまるのでしょうか? 私は、今回もっとも注目したのは、彼女がバッハやブラームスとどのように違えて、あるいはどのように同じに捉えて演奏するか、とても興味をそそられたからなのです。最新盤の購入意欲をそそられたのは、実は久しぶりのことでした。結果から言いますと、パガニーニにおいても、彼女の特質はそのまま維持されておりました。そのために、物足りないとか、単調だとかの評も出ると思われます。しかし、そのような評が適切でないことは、ゆきのじょうさんの評論で明らかであろうと思います。
しかし、それでも、私は完全に満足を得られたかと言うと、実は多少の不満を持ったのも事実なのです。それは、決して安全運転でもないし、平凡な演奏でもないのですが、ヴァイオリンを弾く彼女は、非凡ではあるものの、現状においてあまりにもオーソドックスなのです。そのような不満は、たとえば第17曲や、第23曲において顕著に現れてきます。悪魔の化身としてのパガニーニを拒否した、音楽の求道者フィッシャーとでも言えば良いのでしょうか。どんな場合でも、冷静沈着な意思を根底に置きつつ、演奏を進めていくさまは、まさにドイツの伝統的な音楽教育の賜物だと思いますし、そのような伝統的ドイツスタイルの若手が、久しく登場していなかったことを考えると、仕方が無いことだとは思いますが、一方で、そこを超えたフィッシャーをそろそろ見たいし、彼女に期待したいと思います。
■ ピアニストとして
一方で、DVDでのグリーグの協奏曲を弾く彼女を、私は非常に高く評価します。確かにプロとして見れば、多少の不慣れから来るミスタッチも散見されましたが、音楽に乗り、入り込んでくる度合いが、専門でない気楽さとでも言えば良いのでしょうか、とても深い部分にまで堂々と入り込んでくるのです。名ピアニストだけが本来は享有できる、そんな資質を感じさせる非常に優れた演奏であったと思います。この演奏を聴いていると、現状において、音楽に入り込む深さだけを比べるならば、実は専門のヴァイオリンを凌駕しているとすら、私には思えてくるのです。
私は、この点について、以下のように考えます。彼女の本当の目標はやはりヴァイオリンを極めることなのでしょう。しかし、幼少時から彼女が先に親しんでいき、修得していったのは、ピアノであったのだろうと思うのです。彼女は、近い将来において、ピアノでこれほど非凡かつ堂に入った演奏をしていることを、ヴァイオリンにも生かせるときが訪れるような気がします。
ヨーロッパ本流の音楽教育は、最初に鍵盤楽器の修得をきちんとさせることにあるとも言えるでしょう。あの、ミュンヘンでの、クーベリックとケンペとサヴァリッシュとリーガーがピアノを弾いたバッハの協奏曲の録音は、彼らの根本的な教育が鍵盤楽器を通して、厳格に行われたことを同時に示していると思います。同じことが、ユリア・フィッシャーにも言えるのだと思います。そのような、ヨーロッパの王道とも言える教育を、彼女がしっかりと受けてきた経緯を、このDVDは垣間見せてくれているように思います。
それほどまでに、このグリーグの協奏曲は、優れた演奏であると思います。また、その事実は、反面的ではありますが、彼女のヴァイオリニストとしての今後が楽しみであることの証明でもあると思います。私は、ミスタッチなどはまったく気にならずに、彼女の音楽性に聞き惚れました。私は、実は、グリーグの協奏曲をあまり好みませんが、今回の彼女の演奏は、本当にのめりこみました。恋焦がれるほどに素敵な演奏でした。
■ DVD付属の48分にわたるインタビューについて
輸入盤ではドイツ語でのインタビューへの字幕は、英語やフランス語はありますが、日本語はありません。たぶん、間もなく発売される国内盤では日本語訳が収録されるのではないでしょうか? しかし、非常に聞きやすいドイツ語(彼女のドイツ語は、発音がとてもきれいで表現も非常にわかりやすく、かつ方言もほとんど感じない優れたインタビューですので、そのままで十分聞き取れる方も、たぶん多くいらっしゃられるのではと思われます。ただし彼女の話すドイツ語は、ベルリンを基準とした北部ドイツ語からは若干距離を感じさせる、南部ドイツ語(Hochdeutsch)であろうと思われます。)ですので、恐れずに輸入盤に手を出されるのも良いと思います。
また、このインタビューで、彼女の過去の学習から始まり、現在のヴァイオリンとピアノの位置づけにいたるまで、思いのたけを話していますので、この部分は多くを語らないほうが良いと思います。ぜひ、DVDをごらんになられると良いと思います。特典のインタビューだけでも購入の価値があるように思います。近年のメジャー・レーベルのディスクには、失望させられることが多かったのですが、久しぶりに満足した次第です。
最後にふたたび、ゆきのじょうさんの文章に戻らせていただきます。
『ハーンと比較すればフィッシャーは目新しい点は少なく、ピリオド楽器(奏法)が登場する以前の古めかしいバッハ演奏と何処が違うのかと誹られる可能性は高いと思います。セールスも、おそらくはハーン盤には及ばないでしょう。
しかし、私はそれでも良いのではないかとすら思います。フィッシャーが感じ、信じる音楽は真(まこと)だと思います。だから、まったくぶれることがありません。思わず身を乗り出すような華々しさや新機軸がなくても、フィッシャーの音楽には安心して身を委ねることが出来ます。他の人の演奏がどうだとかを考える必要がなく、純粋に音楽を楽しめるのであれば、それはかけがえのないものだと考えます。それを巧まずして体現しているのであれば、フィッシャーは偉大な芸術家の一人だと言えると思うのです。
最後に付け加えさせていただければ、私は個性が強くて、果たし合いのような緊張感が強いバッハが嫌いなわけではありません。そのような演奏を聴いてドキドキするような体験も好ましいと考えています。ただ単にどちらも楽しめればそれが一番であると思っていて、「どちらかでなくてはいけない」という考え方ができないだけなのです。』
この、ゆきのじょうさんの文章に対する、フィッシャー自身の回答とも言える内容も、今回のDVDに付属した彼女のインタビューに、ほぼ含まれているように思います。企画としても、演奏としても、インタビューも含めて、あらゆる意味で優れたディスクの登場であると思います。
(2010年8月4日記す)
ゆきのじょうさんによるレビューはこちらです。(2010年8月26日)
2010年8月6日掲載、An die MusikクラシックCD試聴記