「わが生活と音楽より」
わたしのカラヤン 第7章:
カラヤンのマーラーについての管見第3節 カラヤンのマーラーに関する妄想
■ 第5項:第9番文:ゆきのじょうさん
1979年盤 1982年盤 マーラー:交響曲第9番ニ長調
録音:1979年11月22-23日、1980年2月15-17日、9月30日、ベルリン、フィルハーモニー
独DG(輸入盤 453040)
(ジャケット画像はLP 西独DG 輸入盤2707 125)
比較ディスク:
マーラー:交響曲第9番ニ長調
録音:1982年9月30日、ベルリン、フィルハーモニー(ライブ録音)
西独DG (輸入盤 410 726-2)カラヤンが最後に録音したマーラーの交響曲は、第9番でした。その比較ディスクは当然ながらカラヤン自身の「再録音」であるベルリン芸術週間でのライブ盤です。わずか3年後(スタジオ録音盤は1981年発売、ライブ録音盤は1984年発売)にカラヤンが再度同じ曲を世に送り出すことになった理由は、一般には単純明快な論理で語られています。すなわち、最初のスタジオ録音に不満足であったカラヤンが再度、ライブ録音盤で出した、という考え方です。団員の証言によると、第四楽章の出来に不満だったカラヤンが入念に録り直した結果、ほとんど一発録りだった前の3楽章とのバランスが取れなくなったため、と伝えられています。また、それまでセッション録音に拘り続けたカラヤンが第9番において、ライブ録音盤を出したことも話題となりました。自分が生きている間は差し止められるが、自分の死後は必ず世に出るに違いないバーンスタイン指揮ベルリン・フィルによるマーラーの第9番のライブ盤より前に、自分もライブでこれだけの演奏が出来るのだと言いたかったからなのでしょうか?
そうではない、と私は思います。この2つの録音にはマーラーの音楽に向き合うことへのカラヤンが下した結論があると考えているからです。
この2つのディスクでカラヤンの基本的な解釈は変わっていないという論説もよく目にします。確かに楽章毎の演奏時間にはほとんど変わっていません。音楽的な解釈においては二つのディスクには差異がないことには深く同意いたしますが、それでも私は両者がまったく別物という立場をとっています。そこには、An die Musik 開設9周年記念「大作曲家の交響曲第9番を聴く」での拙稿「カラヤン指揮ベルリンフィル」で書かせていただいた、個人的な経験が大きく関わっているのは事実です。従って、以下の記述もそうした思い入れの産物からの偏見があることを予めお断りさせていただきたいと思います。
拙稿「わたしのカラヤン:第5章 夢の轍 実演されなかった二つのオペラ」で見たように、カラヤンにとっての「70歳」という転換点から、遺作オペラと宗教曲の録音が始まります。その端緒となったワーグナー「パルシファル」の録音は1979年12月に集中して録音セッションが組まれています。マーラーの第9番の録音は、その直前の11月に最初の録音セッションがありました。これは偶々ではなかったと思います。カラヤンにとっての「遺作シリーズ」は、マーラーの第9番から始まっていたと私は考えます。
「最近のあなたは多く『死』に関する音楽を取り上げています。マーラーの『亡き子』や『9番』そしてモーツァルトの『レクイエム』です。」
カラヤン「意識してないです。言われてみるとそうですね。」言葉通りに受け止めれば、インタビュアーの勉強不足のため的はずれな「亡き子」「モーツァルトの『レクイエム』」を引用しているばかりに、カラヤンに完全に肩透かしを食らっていますが、1979年後半からの一連の録音においてカラヤンが「死」を意識していたのは間違いないことだと私は想像しています。次いでカラヤンは以下のように話しています。
「マーラーの『9番』は素晴らしいです。不気味になります」
「何が不気味なのでしょうか」
「死の感覚です。自分が切り刻まれているようです。あと1年しか命がないことを知ったマーラーがこの作曲にはいっていたことを忘れないでください」こんなことをカラヤンが言うなんて、と私はとても意外に思いました。カラヤンはスコアをまず絶対視して、そこに纏わる逸話などは意に介さない人物だと思っていたからです。それが、マーラーの第9番について世間で言われる「死」について話しているではありませんか。そういう視点からこの曲を特別視したという点でも、カラヤンは「死」という視点から第9番を見据えていると考えてしまうのです。
それまでは、カラヤンは「マーラー的」「ユダヤ的」という、ア・プリオリな言明に決然と反抗して純粋に音楽として打ち込んできました。ところが70歳を過ぎ音楽における「死」というものを考えるようになって、カラヤンは初めて「マーラー的」について考察する必要が出てきたのではないでしょうか? いわば、「マーラー的」に対する探求です。そのためにバーンスタインという存在は不可欠でした。実際、カラヤンが独唱として登用したコロ、ルートヴィヒ、マティスは、全員が同じ曲でバーンスタインと共演しています。第9番で「死」についてカラヤンが考えた時にバーンスタインが本能のように描く「マーラー的」音楽こそが、一番適切な研究対象であったのです。このことはカラヤンなりにバーンスタインを評価していることの表れとも理解することが出来ます。一方、一人の秀でた芸術家であるバーンスタインからみれば、「練習指揮者扱いされ利用された」という憤慨が生まれるのは致し方ないでしょうし、カラヤンもその非難を拘泥するような小心者でもなかったでしょう。
スタジオ録音盤について単独で語ることは、拙稿「カラヤン指揮ベルリンフィル」で書かせていただいたことの繰り返しになりますので、本稿では二つの録音を比較しつつ書かせていただきます。
両者でのカラヤンのアプローチの違いは第一楽章冒頭から顕著であると感じます。スタジオ録音盤では一つ一つのフレーズを確認し、あがきながら音にしているように聴こえました。ライブ録音盤では淡々と進めていきます。もちろん、一つ一つの音はないがしろにはしていないし、美しさは極上です。しかし、ライブ録音盤にはスタジオ録音盤で聴かれたカラヤンの足掻きや、激しい息づかいが聞こえません。ひたすら澄み切った汗一つかかない演奏をライブ録音盤で行っています。もちろん淡泊だとか、軽薄だとか言いたいわけではないのです。スタジオ録音盤には欠けていた洗練さが得られて、完成度が高くなったという見方もできるでしょう。
しかし、私はスタジオ録音盤でのカラヤンが見せた荒々しさも、カラヤンがマーラーの第9番でまず刻印したかったことではなかったかと思うのです。前述の団員の話を信じれば、第一楽章は最初の録音セッションで演奏されたものです。すなわち「遺作シリーズ」の幕開けのカラヤンの告白でもあります。「死」への恐怖とそれに対して憤然と立ち向かおうとすること、それが結局は敗北に終わることは自明でありますが、それでも己の信じる芸術を貫こうとするのだというカラヤンの告白です。その美しい悲壮感がスタジオ録音盤の第一楽章には満ちていると感じたのです。その荒々しさ、生々しさはそれまでのカラヤンで私が築いてきた印象をかなぐり捨てるものでした。しかし、ライブ録音盤では逆に「それまでの」カラヤンに回帰したかのような姿勢を見せていると思ったのです。最初聴いたときは、この点がライブ録音盤での私の不満となりました。何故、音楽之友社レコード・アカデミー賞が、あれほど心情を吐露したスタジオ録音盤ではなくライブ録音盤を受賞させたのか理解に苦しむとすら憤ったものです。
第二楽章でもスタジオ録音盤では、必死に演奏していると思いました。弦のアタックは激しく「これでもか、これでもか」と言いながら曲をねじ伏せているような激情が感じ、特に第4部の直前での激しい音響の嵐では息をのむような緊迫感がありました。一方でライブ録音盤では、記録によれば実演でそれまでに7回演奏しているということで良い意味では手の内に入った余裕のある演奏だと思いますし、悪く言ってしまうと妙に慣れた演奏で食い足りないと感じられました。
第三楽章はまるで、スタジオ録音盤とライブ録音盤が入れ違ったのではないかと思うのほどの違いがあります。演奏時間ではライブ録音盤の方が速いのですが、聴いた印象ではスタジオ録音盤が追いつめられた狂気があります。アンサンブルは極限まで煽られてもう崩壊寸前です。ネットでの記述によると実際に崩壊している箇所もあるとのことですが、その箇所がということではなく、楽章全体に「ああ、もうおしまいかもしれない・・」という団員の過度の緊張がみなぎっています。一瞬の静寂の後にホルンが第1挿句主題を吹くところでの奈落に落ちるような感覚もスタジオ録音盤ではより強調されています。ライブ録音盤では、スタジオ録音盤で体験した演奏上の問題点について、おそらく綿密に解決策を検討したのでしょう。数々の難所を事も無げにクリアしていきます。オーケストラの機能美の頂点となる演奏という評価もありましたが、確かにこれを実演だろうとスタジオ録音だろうと実現できたということが、驚異的としか言えないとは思います。
今までの3つの楽章でライブ盤に対しては、とても食い足りないと感じてきました。最終楽章でもその思いは当初は変わりありませんでした。スタジオ録音盤ではカラヤンは自我をむき出しにして、激しく、そしてこれ以上は有り得ないくらいに美しく演奏していました。ここには確かに「死」を感じ、それを克服しようとするような感情が横溢しています。それに比べれば、ライブ録音盤ではもっと醒めた目線で淡々と演奏していると感じました。
このようにライブ録音盤をカラヤンが出した意味が理解できないと当初、私は考えました。世評の評価と違ってスタジオ録音盤でのカラヤンが見せた生々しさが素顔に近く、カラヤンが言う「不気味になります」「死の感覚です。自分が切り刻まれているようです。」という思いが如実に体現できていると思ったからです。それからしばらくしてバーンスタイン/ベルリン・フィルのライブ録音盤が上梓されました。もちろん予想通りに大絶賛の嵐で、マーラーの第9を語る上で外すことのできない超名演であるとの位置づけがなされました。カラヤンのライブ録音盤はその当て馬扱いにされ、「美しいけど、それだけだよね」というような烙印を押され続けました。スタジオ録音盤に至っては、カラヤンが再録音した=スタジオ録音盤を否定した、との論理によって全く顧みられることはなくなっていたのです。
私は次第に別の考えを持つようになっていました。もし、カラヤンがスタジオ録音盤に不満があったのなら単純に発売前にお蔵入りさせるか、ライブ録音盤が出た後には音源そのものを廃盤にすれば良かっただけのことではないか、しかし、現実にはCDになってからも発売されています。そして何よりも再録音はそれまでカラヤンが頑なにしようとはしなかったライブ録音という手法であった。ここから得られる推論はとても単純なのではないか、すなわち、カラヤンはスタジオ録音盤とライブ録音盤とは別の作品と考えていたのだということです。結果的にカラヤンはマーラーの第9番の録音において2種類必要だった。どちらが良いとか、悪いとかではなく、ただ単純に違うものを2つ遺したかったという仮説です。これは、第1章「モーツァルトはお好き?」で採りあげた後期交響曲集にEMI盤とDG盤が近接して録音されたことと、同じであり、カラヤンにとって珍しいことではありませんでした。
スタジオ録音盤は、真相を別にしてもバーンスタインの実演の存在とは切り離すことはできません。先述したようにカラヤンが「死」の音楽としてマーラーの第9番を考える上で、それまで純音楽として見据えてきたマーラーの音楽を、世に言う「マーラー的」なものという見方で再度理解するステップが必要となりました。そこで世間から非難を受けることを承知の上でバーンスタインを自分の手兵で指揮させます。案の定、精密機械のようなベルリン・フィルと主情的なバーンスタインとが最初から相性が良いはずはなく、客観的に見ればアンサンブルは崩壊し、スコアのみから産み出される音楽とは似ても似つかぬ面妖な演奏となりました。確かに一期一会として出会ったのなら、一種の事件のようなこの演奏は語り草になるでしょうし、様々な伝説を生むだけの魅力がありました。一方、カラヤンは、この演奏会の結果、己の信じる「マーラー的」音楽にひたすら没入するバーンスタインが持つパレットを手に入れ、それにカラヤン自身の心情告白を融合することを目指したのではないかと妄想します。あるいは融合ではなく憧れだったのかもしれませんし、世の「マーラー的」というア・プリオリな視点への反抗だったのかもしれません。その通奏低音には間違いなく「死」が意識されていたのだと思います。そんな複雑な思いに満ちて録音セッションが行われてスタジオ録音盤は完成しました。
それでは、ライブ録音盤でカラヤンが遺したかったことは何だったのでしょうか? 私の妄想の結論は「マーラーとの決別」です。
「マーラーの全ての交響曲は指揮しません。私の生涯に残った5曲には到達しないことを理解しています」
このインタビューが1982年の何月に行われていたのかは分かりませんが、おそらく第9番を実演で演奏していたのと同時期でしょう。ライブ録音盤が行われた9月より前か後かが興味があるところですが、少なくとも、カラヤンはこのインタビューより前から残る5曲(第1、第2、第3、第7、第8)を指揮するつもりはなかったと思います。それは自分の年齢や体力を考えたとき、ということではなく、信念から指揮しないと決めていたのではないかと考えます。第3節第4項:第4番で触れたように、第4番のジャケットで「虹」が5つ描かれていたことも暗示的と映りました。
時はアナログ録音からデジタル録音に移行期でした。スタジオ録音の第9番がカラヤンにとって最後のアナログ録音となったのは偶然だったのでしょうか? わたしには何やら暗示的に思えてしかたありません。デジタル録音で「パルシファル」や「魔笛」、「ファルスタッフ」、ハイドンのパリセットなどを録音しながらも、マーラーの第9番だけはアナログ録音で再度録音セッションを組んでいたのです。そこまでアナログ録音に拘り続けたと言えます。そしてデジタル録音でマーラーの第9番を「別」録音します。当初、完成度が高すぎて生々しさがなく、取り澄ましたようだと私が感じた「再」録音のライブ録音盤を聴き返すうちに、カラヤンが仕掛けた罠に自分自身が陥っていたということに気づいて愕然としました。
それは、スタジオ録音盤で実現したカラヤンの「マーラー的」演奏に体験もあって没入するに至って、私自身が理解できないと考え続けていた「マーラー的」演奏というア・プリオリに結局は拘っていたということです。カラヤンは「死」ということに向き合うことでスタジオ録音盤を創りました。そのカラヤンがむき出した「己」というものに私が魅力的だと思ったからこそ、ライブ録音盤は食い足りないと感じたわけですが、このライブ録音盤への不満は、それまでカラヤンのマーラー演奏で人々が批判してきた「ただ美しいだけ」「精神性の欠如」というのと全く同じ視点になっていたのではなかったか、と気づいたのです。カラヤンは「死」という通奏低音を響かせることで松本さんが論述した「抑圧された妄想気質・分裂気質」、「複雑な精神構造」、「二重人格に近い側面」に対して初めて、カラヤン自身の視点から回答を行った結果がスタジオ録音盤だったのです。
となれば、当然導かれる疑問があります。では第9番に限って言えば、そういう「マーラー的」視点が用意されなければ演奏は成り立たないのか、という疑問です。そんなことはない、「マーラー的」視点がなくても、それはそれで成立するのだとカラヤンは当初から考えていたのでしょう。そこでバーンスタインから得られたパレットを、今度はすっかりそぎ落としてスコア通りに、「いつもの」カラヤンのやり方で再現芸術を創り上げた。しかも、同じスタジオ録音ではなく、今度は実演で磨き上げた様を人々に聴かせ、それをディスクにするという荒技に出たのです。ここに、荒々しいスタジオ録音盤と、精緻なライブ録音盤という一見矛盾した二つの第9番が生まれたのです。
そう考えて改めてライブ録音盤を聴くと、確かにスタジオ録音盤にあった「己」はなくなっており、音楽は完璧なアンサンブルによってどこまでも美しく澄み切っているのですが、そこには別のカラヤンの想いがあるように感じてきました。それは寂寥であり、諦観です。
カラヤンは一連のマーラー録音によって、自分が考えるマーラーとは何か、そして世に言う「マーラー的」演奏を考え、批判的態度をとり続けていました。「死」という問題に直面して第9番でカラヤンは、バーンスタインの手を借りて(利用して)まで、己の考える「マーラー的」演奏のサンプルであるスタジオ録音盤を創り、すぐさま、そうではない視点からのライブ録音盤も創りました。その先に何があるのでしょうか? この5曲6点のディスクでカラヤンは自分としてのマーラーをやり尽くしたのだと想像します。
何よりも、ジャケットが雄弁に物語っているではありませんか。第6番までは同じ意匠の虹のジャケットでしたが、第4番になって虹が沢山になりました。そしてスタジオ録音盤の第9番では虹は雲の彼方へと消えようとしています。ライブ録音盤の第9番ではついに虹のジャケットではなくなりました。カラヤンはライブ録音という自分にとっての「禁じ手」をも使うことによって、マーラーからの決別を図ったのだと思います。もうこれ以上はできない、と言いたかったのです。すなわち、ここにおいて初めて「カラヤンのマーラー」になったのだと思います。
すべて終わった
もう君は自分の音楽と一緒に墓に入れ
君は完全なバランスを達成した
人間と芸術家は一つとなり
共に深い底に沈んだ映画「ベニスに死す」より、主人公友人アルフレッド(シェーンベルクがモデルと言われている)の台詞
2009年9月9日、An die MusikクラシックCD試聴記