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2008年12月

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CD2008年12月26日(金):1年を振り返って

 また1年が過ぎようとしています。諸般の事情で、今年はとてもゆっくり音楽を聴ける環境になく、たまにゆっくり音楽を聴けるときには、更新できる体力が残っていなかったという状況下にありました。まあ、長い人生にはこういうこともあるでしょう。何とか1年を乗り切ったというのが私の実感でして、ホームページ運営まで手が回りませんでした。11月には開設10周年を迎えたというのに、記念企画を打ち出すこともできなかったのは日々訪問して下さる読者の皆様に大変申し訳なく思っております。

 当ページは制作者である私がさぼっている間にも松本さんやゆきのじょうさん、青木さんが盛んに原稿を送って下さったことで無事運営ができました。この場をお借りして改めてお三方には御礼申しあげたいと思います。本当にありがとうございました。

 今年残念だったのは、そんな中でやっとの思いで作ったCD鑑賞の時間に、期待を込めて買ったCDをかけるとがっかりしてしまうことが頻繁に起きたことでした。一頃は自分のクラシック音楽に対する感受性が弱くなっているのか、あるいは加齢によって感覚が鈍くなっているのかと自問自答していたのですが、これは懐古趣味に陥ったと自分を納得させる言い訳を作ることで解決しました。来年は本当に「名盤に生きる」ようになるかもしれません。まあそれも一興とは思います。丁寧に作られたCDを丁寧に鑑賞することで豊かな時間を楽しみたいと思います(なんだかCDとお酒は似ていますね)。

 さて、年末にはこの覧に、年間で最もよく聴いたCDを掲載していたのですが、今年はそれがどれだったのか思い出せませんでした。しばらくして気がつきました。特定のCDというより、特定の指揮者の録音を次から次へと聴いていたからです。

 そのひとりはサイモン・ラトルでした。これは私のオーディオ環境が劇的に向上したために可能になったことでした。それまで私の耳はラトルのCDを受け付けなかったのです。ラトルのCDを聴けるようになってからは随分聴き込みました。そのうちにどこかで試聴記をまとめられればいいなと思います。

SACDジャケット もうひとり。ラトル以上に聴いたのはカラヤンでした。これはゆきのじょうさんによる「私のカラヤン」の影響です。カラヤンの録音は、私が初めてクラシック音楽を聴き始めた頃からのつきあいがありますが、ゆきのじょうさんの連載に触れてみると、自分がいかにカラヤンの録音を虚心坦懐に聴いていなかったのかがよく分かりました。自分では虚心坦懐のつもりでいたのですけどね。30年もクラシック音楽を聴いているのに、一体私はカラヤンの何を聴いてきたのだろうと思わずにはいられません。その一方で、私にとっては「名盤」発見のチャンスが大きく広がったわけで、今年の一大収穫と言えるでしょう。

 今年の音楽鑑賞は本日で終了です。明日からは年末年始の休業に入ります。私は今年も苗場スキー場で寒稽古に励みます。ウィンタースポーツが好きな方がいらしたら是非おいで下さい。宿はこちらです。二人の女の子を連れたおじさんがいたら、それが私です。

 降雪がないので直前まで不安でしたが、昨晩からの降雪で何とか寒稽古ができそうです。今年はあまり子どもをしごかない楽しい寒稽古にしたいと思います。皆様も良いお年をお迎え下さい。

 

CD2008年12月24日(水):懐古趣味に陥る その2

 昨日の当欄でライブ録音盤を悪し様に書いたので、全否定と受け取られないよう、ライブ盤についてもう少し記載しておきます。

 誰にとっても宝物になっているような奇跡的ライブ録音盤があると私は推測しているのですが、私にとっては以下の録音がその一つであります。

CDジャケット

ブルックナー
交響曲第5番 変ロ長調

ヨッフム指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音:1964年3月、ドイツ・オットーボイレン
PHILIPS(国内盤 UCGC-7033)

 40年以上も前の録音でありながらも再発売を繰り返しながら今に伝えられる名演奏の名録音であります。演奏は「神々しい」としか表現しようがありません。「ブルックナーとはこういう音楽なのだ、これ以上の表現はありえないのだ」と聴き手を確信させる強力な力を持った演奏で、指揮者とオーケストラは渾然一体となり、おそらくは持てる力の120%以上を出し切っています。これこそ奇跡であります。

 驚くのは1960年代のライブ録音でありながら、極めて良質のステレオ録音であることです。ちょっと良質なのではなく極めて良質です。上記CDは、正確にはSACDとCDのハイブリッド盤です。96KHz/24bitでのリマスタリング盤もありますが、SACDでは音質にさらに磨きがかかり、最新録音盤を完全に凌駕しています。下手な最新録音盤を凌駕しているのではなく、普通以上の最新録音盤を超えています。これが演奏の魅力を最大余さず伝えているのは言うまでもありません。よくもまあこれほどの演奏が最高の条件で残されたものだと思います。

 これは偶然の所産ではないはずです。当時としては相当念の入った録音だったに違いありません。国内盤SACDは録音データが貧弱で、1964年3月にオットーボイレン修道院で録音されたことしか分からないのですが、輸入盤CDには1964年3月30日、31日の録音であると明記されています。つまり、この演奏も完全な一発撮りライブではなく、編集の賜なのです。詳しい事情は分かりませんが、会場でのリハーサルも含められているのかもしれません。編集の是非はともかく、これだけ良質な音質で収録したというのは、半端な準備ではなかったはずです。おそらくはPHILIPSの精鋭スタッフが最新の機材を現地に持ち込み、テストを重ねた上でコンサートでの収録に臨んだのではないでしょうか。修道院での演奏を収録することは指揮者もオーケストラも十分認識していて、それに向けてボルテージを上げていったのでしょう・・・と勝手に想像するのですが、これは大きく外れていないと思います。指揮者、演奏者、録音スタッフ、そして聴衆までも加わり、大変な熱気の元でこのライブ録音が収録されたと考えるべきでしょう。

 こうなると、現代の録音はセッションであろうがなかろうが、気合いの入り方において差がありすぎるのではないかと思います。ライブ録音が劣悪なのではなく、ライブ録音に臨む関係者達の姿勢が極端に劣化しているとしか私には考えられないのです。

 巷に溢れているライブ録音のCDはどのような思いで制作されたのでしょうか。制作者達の意気込みや熱意は40年以上経っても十分伝わることがオットーボイレン修道院の演奏から分かります。大量に制作されている現代のライブ録音盤は一体どの年代の、どんな人たちに聴いてもらいたいと思って制作されているのでしょうか。クラシック音楽のCDが売れなくなっているのは、制作者側にも問題なしとは言えないと私は思っていますが、そういう認識は業界にあるのでしょうか?

 

CD2008年12月23日(火):懐古趣味に陥る

 先日の掲示板に書いたとおり、どうもこのところ私は懐古趣味に陥っているようです。最新録音盤に全くといって良いほど食指が伸びません。今年も相当数のCDが市場に出回り、私は少なからぬ数のCDを買い込みましたが、じっと最後まで耳を傾けられるCDが少なくなっています。

 その傾向に拍車をかけているのがライブ録音盤嫌悪症です。昔と違ってじっくりと時間をかけたスタジオ録音盤を作ることが現代では困難になっているため、コンサートの模様を収録し、それをライブ録音盤として発売するケースが主流になりつつあります。このライブ録音盤がどうも好きになれません。作る方も気軽であるならば、聴く方も気軽であるわけで、スピーカーから出ている音を漫然と聴くような状態になってしまいました。コンサートの会場では、さぞかしすごい熱気に包まれた音楽であったはずのものがCDという円盤に収録されたとたん、薄っぺらい音に成り下がってしまうのは一体どういうわけなのかと首を傾げてしまいます。CDにまでしたのですからコンサートそのものは大成功だったのではないかと想像されるのですが、こうなるとそのコンサートすらどうだったのか怪しまれてくる有り様です。まあ、こうなると年寄りの繰り言になってしまいますね。

 もはや新録音番を聴いていられないと思うと、やはり手が伸びるのは往年の大指揮者達の録音です。例えばクレンペラー。

CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」
交響曲第8番 ヘ長調 作品93
「エグモント」序曲 作品84
クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団
録音:1959年10月、アビー・ロード・スタジオ(第5番)
EMI(国内盤 TOCE-13005)

 ベートーヴェンの「運命」を聴こうとしたらやはりクレンペラーははずせません。この国内盤CDはずっと前に、それこそ数年前に買い込んだままラックに眠っていたものですが、最初の音が出たところから私は耳を澄ませて最後まで聴き通しました。何度も聴き返した演奏でありながら、改めて聴いてもなお大きな感銘を受けます。ピリオドアプローチが出現するはるか前の英雄的で重厚なベートーヴェン演奏です。聴き終わった後のカタルシスは比類ありません。

 1959年録音ということは50年も前のことです。そのわりに、芯がなく、線が細く、ただの「音」でしか聴けなくなっているあまたの最新録音盤とは違って、演奏者達の演奏にかける息吹が伝わってくる実に素晴らしい音が聴けます。これでは勝負になりません。人生の時間は限られているので、できればこうした優れたものとともに過ごしたいものです。まあ、こんなことを口にするのはおじさんの懐古趣味の典型なのでしょうが。

 1950年代、60年代には大指揮者達が優れた録音を大量に残してくれました。私は大指揮者の時代終焉とともに録音の質が一挙に低下してきたように感じられてなりません。今の指揮者達はあまり録音なんて特別なものだとは考えていないのでしょう。それが音にも現れてきているのだと私は認識しているのですが、いかがでしょう。

 大指揮者達の演奏はアナログ時代にそのほとんどが収録されました。当然ながらCDに変換した音より元のLPで聴いた方が音も良いわけですから、いまだにLPを所有し、ターンテーブルに載せたLPでその演奏を楽しむ愛好家が多いのは頷けます。さすがに私はそこまでするつもりはありませんが、不毛なCD収集をこれ以降も何年も続けて散財するのと、懐古趣味に徹して質の高い演奏・録音を楽しむのとどちらがよいのか真剣に悩むことがあります。私がLPなど買い始めたら、いよいよ家族から離別されてしまうこと必定ですが。

 

CD2008年12月21日(日):上越地方に降雪なし

 その1:松本さんの連載「アルフレッド・ブレンデル  ベートーヴェン「ハンマークラヴィーア」を聴く」の「【第4部「ベートーヴェンのピアノソナタ」覚え書き】」に「《シンドラーの伝記は「ウソ?」》」を追加しました。松本さん、原稿ありがとうございます。

 その2:ゆきのじょうさんの「わが生活と音楽より」に「ロザリオのソナタ 2008年■日本公演 を聴く」を追加しました。


 その3:嘆き

 今日も暖かい一日でしたね。日中は暖房が要りません。こんな状態ですから、もちろん山にも雪がほとんどありません。今年も私は苗場スキー場のシーズン券を買い、ブーツとストックを新調し、今か今かと出動する体勢でいたのに全く雪が降りません。苗場スキー場の様子をライブカメラで見ると土ばかりが見えているではないですか。年末年始は苗場で特訓をしようとしていたのに、これでは炬燵に入って蜜柑でも食べているしかありません。なんてこったい!

 

CD2008年12月20日(土):本物の「のだめ」?

 ゆきのじょうさんの「わが生活と音楽より」に「ヴァレンティーナ・リシッツァを聴く(観る)」を追加しました。ゆきのじょうさん、原稿ありがとうございました。紹介されているDVDを買いたくなるのは私だけではないはず・・・。

 

CD2008年12月19日(金):ハンマークラヴィーア

 松本さんの連載「アルフレッド・ブレンデル  ベートーヴェン「ハンマークラヴィーア」を聴く」の「【第4部「ベートーヴェンのピアノソナタ」覚え書き】」にその2《有名な「メトロノーム論争」に関する私見》その3《そもそも「ベートーヴェン」の典型的な演奏は存在するのか?》を追加しました。

 いよいよこのシリーズも大詰めを迎えてきました。

 

CD2008年12月16日(火):クリスマス

 ゆきのじょうさんの「わが生活と音楽より」に「2枚のクリスマスにちなんだアルバムを聴く」を追加しました。ゆきのじょうさん、掲載まで時間がかかってしまい、誠に申し訳ありませんでした。

 気がついたらもう12月も半ばです。この数ヶ月一体私は何をしていたのだろうかと自問自答してしまいます。

 

CD2008年12月2日(火):アンコール曲

 今日はサントリーホールでゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団のコンサートを聴いてきました。演目はオール・プロコフィエフ・プロで、交響曲第1番、バイオリン協奏曲第1番、交響曲第6番でした。交響曲第6番を生で聴けてとても嬉しいです。

 もう一つ嬉しいことが。今日はアンコール曲を当てたのであります。これは快挙であります! と自画自賛するのは勝手ですが、プログラムを眺めていれば誰だって見当がつきますね。やはりプロコフィエフのバレエ組曲「ロメオとジュリエット」から「モンタギュー家とキャピュレット家」、つまりシュトレーゼマンのテーマがアンコールで演奏されたのです。まず間違いないだろうと思っていたら、珍しくも当たりましたねえ。

 ところが、帰宅してサントリーホールのホームページを見ると同じ「ロメオとジュリエット」でも「タイボルトの死」と掲載されているではないですか。なるほど、事前には「タイボルトの死」がアンコールとして予定されていたわけですね。ホームページ担当者はアンコールがあったので、予定曲をそのまま掲載したのでしょう。こうなると、ホームページに掲載されているアンコール曲を信じることはできません。困ったものですねえ。

 今日のアンコールは「シュトレーゼマンのテーマ」ではなく「タイボルトの死」だった可能性も充分にあったわけで、「まず間違いないだろう」などと思ったのは実は当てずっぽうだったわけです。まあ、気持ちよく家路につけたのでよしとしましょう。


 

(An die MusikクラシックCD試聴記)