ARCHIVE OF WHAT'S NEW?
2008年8月

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CD2008年8月31日(日):「ダフニスとクロエ」全曲

 「CD試聴記」に「名盤のゆくえ 「ダフニスとクロエ」の場合」を追加しました。

 

CD2008年8月21日(木):サンパウロ

 ゆきのじょうさんの「わが生活と音楽より」に「来日中止 それでもサンパウロ交響楽団を聴く」を追加しました。ゆきのじょうさん、原稿ありがとうございました。いいですねえ、こういう企画。読んでいるとわくわくしてきます。

 

CD2008年8月17日(日):シベリウス

 「あなたもCD試聴記を書いてみませんか?」のページに「シベリウスのヴァイオリン協奏曲を聴く」を追加しました。文は岡崎哲也さんです。岡崎さん、原稿ありがとうございました。このCDを私も聴いてみようと探しましたが、入手できませんね。EVERESTのCDがもう少し入手しやすくなると良いのに、と思います。


雑感 その1

 先週は女房が1週間シンガポール出張でした。子どもの保育園はお盆休みです。かといって私は休みを取れそうもなかったので仕方なく長女(小3)を田舎の弟の家に、次女(3歳)を姉の家に預けました。まるで一家離散であります。どうなるかと心配して1週間を過ごしましたが、昨日家族が我が家にようやく勢揃いしました。私にとってはとても長い1週間でした。女房と子ども達の帰りを鶴首して待っていたのは言うまでもありません。しかし、子ども達は田舎がとても楽しかったらしく、我が家に帰ってくるのを激しく嫌がったのだとか。田舎に行く直前までお父さんは子ども達の人気者だったのに、その人気も地に落ちてしまいました。全く複雑な心境であります。

雑感 その2

 それはともかく。この夏アメリカでは非常なヒットとなっている映画「ダークナイト」を観てきました。クリストファー・ノーラン監督によるバットマンの2作目です。第1作となった「バットマン・ビギンズ」も注目作でしたが、今度の「ダークナイト」は前作をはるかに超える大傑作です。

 私は裸と暴力が登場する映画を好みません。できれば敬遠したいところです。このところアメリカ映画の暴力シーンはエスカレートする一方なので私は辟易していますが、アメリカ人は平気なのでしょうか。バットマンにも暴力シーンは数多く出てきます。彼は犯罪者と戦うことを使命としているので、自ずから暴力シーンが夥しく登場します。映画は暴力に満ちていて、しかもタイトルにあるようにいかにもダークな雰囲気が漂うので、私は子どもに見せたいとは思いません。それでもこの映画の出来映えには感心せざるを得ません。これから観る人にとってはネタバレになるので詳しくは書けませんが、9.11以降、アメリカが陥っている混沌に対してひとつの結論が映画の中で提示されているように思われますし、奥の深い脚本に本当に感心させられます。

 で、私が言いたいのは映画そのものではなくこの映画のタイトルについてです。バットマン・シリーズであるにもかかわらず、バットマンの名前がタイトルから外されているのは監督のこだわりがあると推察されますが、「ダークナイト」という日本語タイトルはどうもいただけません。映画が終わるその直前まで私は原題が「Dark Night」だと思いこんでいました。ところが、バットマンの理解者は彼を「Dark Knight」と呼ぶのです。ここはバットマン=アメリカの決意を表す印象的なシーンですが、そのシーンになって初めて私はタイトルが「暗い夜」ではなくて「暗黒の騎士」だと気がつきました。音は一緒なのですが、「ダークナイト」という邦題は何とかならなかったのでしょうか?

 

CD2008年8月13日(水):ドビュッシー

 松本さんの「サンソン・フランソワのドビュッシーを聴く」に「第3回 前奏曲集第1巻−第7曲〜第12曲−を聴く(除く第8曲)」を追加しました。なんとブダペストからの原稿です。松本さん、原稿ありがとうございました。掲載が遅くなり、申し訳ありませんでした。

 昨日「のだめカンタービレ」の第21巻が届きました。なんだか意外な展開を見せていますね。のだめがシュトレーゼマンの指揮でコンチェルト・デビューを果たしそうです。シュトレーゼマンは耳が聞こえなくなってきており、早いうちにのだめの晴れ姿を見たがっている・・・というところで第21巻は終わっています。この漫画もいよいよ大詰めなのでしょうか。

 

CD2008年8月3日(日):「花の章」

 久しぶりにCDを聴いて、「あれ? こんなにいい曲だったっけ?」というものに遭遇することがありませんか。私が先頃体験したのはマーラーの交響曲第1番の「花の章」であります。

 この曲を単独で聴いて私はファウストよろしく「時間よ止まれ」と言いたくなりました。高々7分くらいしかない短い曲でありながら現世を超えたような音楽にノックアウトされ、聴き終わる頃には思わず呆けてしまいます。マーラーは激烈な曲ばかり作っていた反面、時々こうした曲を作りますね。天才の頭の中は一体どうなっているのでしょうか。

 トランペットで奏でられる旋律はどこかで聴いたことがあると思っていたら解説にフィナーレの第2主題との関連が記載されていました。そう思うとマーラーには重要な役割を果たしていた楽章だったのではないかと推察されますし、素敵な曲なので、もっと有名になっても良いと私は考えるのですが、どうもそういう認識は一般的ではないようです。

 現在、マーラーの交響曲第1番は4楽章ですが、もともとは2部から構成される交響詩として作曲され、1889年に初演されています。第2稿によって行われた1994年の演奏でも2部構成・全5楽章の音詩でした。現在のように4楽章の交響曲となったのは1896年で、この際に「花の章」が削除されています。

 理屈から言えば、後世の人間は最終稿を作曲家の意思と見なすべきなのでしょう。なにしろ作曲家自身が削除したわけですから、「花の章」が無視されても当然です。過去に交響曲全集を作ってきたマーラー指揮者も「花の章」には見向きもしなかったようで、よくよく録音がありません。初稿大好きのインバルも「花の章」を録音していません。

 メジャー・オーケストラによる「花の章」付き最初の録音はオーマンディ盤だったようです。

CDジャケット

マーラー
交響曲第1番 ニ長調「巨人」
オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団
録音:1969年5月21日、フィラデルフィア
R.シュトラウス
組曲「ばらの騎士」
録音:1974年1月16、17日、フィラデルフィア
RCA=BMG(国内盤 BVCC-38119)

 今では各種録音で「花の章」を聴くことができますが、いくらこの曲を再認識した私でも全曲の中にあると違和感を覚えずにはいられません。まあ、慣れの問題なのでしょうが。第1楽章が終わって、その後に「花の章」が来るところまではともかく、その後がいけない。現世を超えた世界に連れて行かれて呆けた私は、あの元気な(通常版でいう)第2楽章が始まってしまうとギョッとします。4楽章版にすっかり慣れた聴き手にとっては違和感が大きいのですね。もっとも、静かな第3楽章の後にあの強烈なフィナーレが続く構成なのですから、楽章間の落差を際だたせるのはマーラーの意図だったに違いありません。

 第2楽章の位置にあるのはどうもしっくりこないと指揮者も考えるのか、「花の章」を録音しても第2楽章に据えない場合もあります。2006年録音のジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団(BMG)では全曲が終了してから「花の章」が始まります。ですが、マーラーの1番を聴き通すと完全に満腹するのでその後に「花の章」というのはちょっともったいないですね。あの美しさが耳に入らなくなってしまいます。ラトル指揮バーミンガム市交響楽団(1991年録音、EMI)は「花の章」を冒頭に置いて、それが終わってから交響曲第1番が始まります。落ち着きとしてはこれが一番しっくり来そうですが、皆さんはどう考えますか。

 

CD2008年8月2日(水):現代音楽だけど・・・

 ゆきのじょうさんの「わが生活と音楽より」に「2人の女性現代音楽作曲家を聴く」を追加しました。ゆきのじょうさん、原稿ありがとうございました。


 

(An die MusikクラシックCD試聴記)