ARCHIVE OF WHAT'S NEW ?
2000年11月

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CD11月29日:

その1:ベートーヴェン全集について

私は、クラシックを聴き始めて最初の10年ほどは、「どんな曲があるのだろうか」と新しい曲を求めてLPやCDを買い漁ったものでした。同曲異盤よりも異曲異盤を求めていたわけです。ですから、CDショップにところ狭しと並ぶベートーヴェンの交響曲全集(そのほとんどはボックスセット)を見て違和感を感じていたものでした。「そのうちのひとつもあれば十分なのに、どうしてこんなにボックスセットがあるんだろうか? そんなにボックスセットが売れるんだろうか?」と思ったものです。前にも書きましたが、ベートーヴェンの交響曲は全曲を通しても6時間程度で聴けるのですが、続けて何曲も聴くことはできません。それ相応の聴く覚悟が必要なのです。だから、ボックスセットで売られているベートーヴェンの交響曲全集をいくつも所有するなど、少なくとも20代の私は想像もしていませんでした。「一体誰が買っているんだろう」と本気で思っていました(^^ゞ。

しかし、私もご多分に漏れず、30を過ぎた頃から演奏家によるベートーヴェン演奏の差異を強烈に感じ始めました。そうなると、かつては考えもしなかったボックスセットをせっせと買い集めるようになるのです。今この文章を読んで「バカじゃないの」と笑っている若いあなたも、きっとその道を辿るのであります。ボックスセットで買ったベートーヴェンの全集は、どれも大きな特色があり、それぞれが異彩を放っています。私のCD棚にある、最も穏当な全集と思われるクーベリック盤でさえ、指揮者の絶妙なバランス感覚が窺われます。何かしらの主張がボックスに込められていると見てよいでしょう。

ただし、数年前まで、私はややおざなりなCDの聴き方をしていたことがありました(反省)。そのため、全集を買ってもつまみ食い的に聴いたり、ながら聴きをしながら聴いたりすることがありました。その反省に立って、「しっかりクラシック音楽を聴きたい」というのがAn die Musikを作り始めたきっかけでもあります。そうこうするうちに、今年も後半になって、アバドとケンペという歴史に残る名指揮者によるベートーヴェン全集が連続して登場したのであります。私は両セットとも一度通して聴いています。でも、どうせならしっかりベートーヴェンとその演奏を消化したいと私は考えたのであります。ベートーヴェンの交響曲を聴くのは、かなりの労力を要するのですが、あえて自分の聴き方を叩き直す意味も含めて、今回の企画を始めました。大変ゆっくりとした足取りなので、今年中に終わるかどうか誠に心配なのですが(^^ゞ、よろしくおつき合い下さい。私もとても勉強になっています。ゆっくり聴きますから、皆様も同じCDを私とともに聴き進みませんか? きっと人によって聴いた印象が全く違うことに驚かれたり、共感したり、自分で新たな発見をしたりできるのではないかと思います。結論的にはアバドの新盤もケンペ盤も大変優れた全集ですから、失敗はないはずです。

その2:....とここまで昨晩用意していたのですが、今朝、義理の妹が他界しました。私はこれから急いで福島に帰ります。そのため、An die Musikの更新は数日休ませて下さい。申し訳ありませんが、よろしくお願いします。なお、PCを持っていきますので、メール等での連絡は可能です。


CD11月28日:ミレニアム企画「アバド・ケンペのベートーヴェン交響曲全集を聴く」に、中休み参考盤として、「セル指揮クリーブランド管の交響曲第2番」を追加しました。


CD11月27日:ミレニアム企画「アバド・ケンペのベートーヴェン交響曲全集を聴く」に「ケンペ指揮交響曲第2番」を追加しました。


CD11月26日:リンクのページに「George Szell Collection」を追加しました。すばらしいページですので、私は再三にわたりリンクをお願いしてきました。作者のHiroさん、とても控えめでいらっしゃいまして、やっと了承を得ました。が...。トップページを開けると奇異に思われることがあるはずです。何と、作者は本日を最後に更新をされないそうです(T_T)。まさかとは思いますが、公開を中止したりしないよう、皆さん、盛大なエールを送りましょう。本当にいいページですよ。

George Szell Collection」大指揮者セルの録音を集中的に取り扱う驚異的ページ。それぞれの録音に作者のHiroさんがすばらしいコメントをつけており、読んでいると時間が経つのを忘れる。作者のHiroさんはとても控えめな方で、今までほとんどこのページを公にしてこなかった。それがいかにもったいないことであるか、とくとご覧ありたい。セルのファンならずとも感激するはず。

さて、先日買ってきた新しいヘッドフォンですが、ひどい音質でした。私はさほど音質にはこだわらないたちなのですが、これには正直まいりました。最近手許不如意で、あまり大金をヘッドフォンにつぎ込むわけにはいかなかったため、8,000円程度のものを買ってきたのですが、音は堅いし、乾いているし、解像度までよくありません(T_T)。「ヘッドフォンなんて、耳に直接当てるんだし、安物を買っても音質はそんなに変わらないだろう」と高をくくっていた私も、あまりのひどさに落胆しています。これでは買い直すしかないでしょう。「安物買いの銭失い」を絵に描いたようなパターンでした。そうなると、みずなに撃破されたヘッドフォンがますます恋しくなります。が、残っているのは残骸だけ。何だか無情ですねえ。ううう、早く本格的なオーディオ・ルームがほしいなあ。


CD11月24日:CD試聴記「ミレニアム企画 アバド・ケンペのベートーヴェン交響曲全集を聴く」に「ケンペ指揮の交響曲第1番」を追加しました。


CD11月23日:油断ならない毎日

その1:埼玉で暮らし、埼玉で働く私にとって、たまに秋葉原や新宿に行くのはほとんど「上京」という感覚です。私もかつては長いこと東京丸の内に通っていたので、都心の飲み屋にも「頻繁に」出没していたのですが(^^ゞ、ここ数年は都心からさっぱり足が遠のきました。しかし、そんな私も、たまには銀座あたりでお酒を飲むことがあります。先日も、数年ぶりに銀座の飲み屋「一番鳥」に行ってきました。予約の電話を前日に入れたところ、4年もご無沙汰していたにもかかわらず、電話にでたお姉さんからは「あら、伊東さんですね!」という答えが! びっくりですねえ。サービス業とはいえ、客の名前と声を何年も忘れずにいるのは難しいと思います。私はいっそう「一番鳥」に愛着を感じ、当日はいつにも増しておいしいお酒を飲んだのでした(皆様にもお勧めのお店ですよ)。

さて、数日すると、私の勤め先に謎の電話が入りました。取ってみると、「伊東、てめえ、『一番鳥』に行っただろ!」。以前勤めていた会社の飲み助先輩F氏でした。私が利用した後ほとんど日をおかずに行ったところ、私の名前が出たそうです。狭い世の中ですね。油断も隙もあったものではありません。恐ろしいです。

その2:私が愛用していたヘッドフォンが壊れてしまいました。私にとっては高価なヘッドフォンでしたのでショックです。それも経年劣化で壊れたのではないのです。愛娘みずなが踏みつぶしたのであります(T_T)。あっという間の出来事でした。いつもは手が届かないところに置いて、みずなの行動も監視していたのに。全く油断がなりません。今日は国立(くにたち)に足を運んだついでに、新しいのを買ってきましたが、そのお金があれば何枚ものCDが買えたのに、と思えて悲しくなりました。え?しみったれたことを言うな? まあ、その通りなんですが...。

でも、ヘッドフォンごときは、まだ序の口かもしれません。私はみずながそのうちにスピーカーに興味を示し、コーンにズボッと穴を開けて喜ぶのではないかと危惧しています。スピーカーの場合、ヘッドフォンどころの騒ぎではありません。値段は比較にならないのであります。それに、今度スピーカーを買い替えるとなると、女房さんの決済を得るのに多大な労力を要するのです。まず間違いなく、陳情を重ねてもしばらくは拒絶されるでしょう。不思議なことに、みずなは今のところスピーカーに興味を抱いていないようなので大丈夫なのですが、そのうちに「これは何だろう?」と思い始めるはずです。そうなったら、探求心豊かなみずなは破壊活動に専心するに決まっています。油断大敵、監視体制を強化しましょう。


CD11月22日:昨日の続きです。「アバド指揮のベートーヴェン交響曲第1番」余談として、「アバドに関わる批評について」を追加しました。ちょっと興奮気味のまま書いてしまいました。私もアブナイです。申し訳ありませんm(__)m


CD11月21日:CD試聴記「ミレニアム企画 アバド・ケンペのベートーヴェン交響曲全集を聴く」にアバド指揮の交響曲第1番を追加しました。


CD11月20日:CD試聴記に「ミレニアム企画 アバド・ケンペのベートーヴェン交響曲全集を聴く」を追加しました。趣旨については本文をお読み下さい。


CD11月19日:フィルハーモニア・シュランメルン

週末は、のっぴきならない急用ができたので、福島の田舎に帰ってきました。相変わらず寒いところです。浦和を出るときは汗ばむような天気だったのに、福島に着くと、氷雨であります(T_T)。気温は6度から7度くらいしかなかったようです。一夜明けて山の方を見ると、上の方はすっかり白くなっています。暖冬だと言われつつも、毎年ちゃんと雪が降るんですねえ。いよいよ私の季節、白銀の世界が迫ってきました! のっぴきならない事情で帰ったのですが、スキー場に積もる雪を見て私はすっかり興奮してしまいました。

ところで、懸案の「週末くらいは、かわいい音楽を家族と一緒に聴く」ですが、この間買ってきたこのCDはなかなかの評判でした。ご紹介いたします。

CDジャケットAlt-Wiener Taenze
Mit den Philharmonia Schrammeln
録音:1992-94年
ORF(輸入盤 CD-49)

レーベルはORF(オーストリア放送局)らしいですね。放送用の音源をまとめてCD化したもののようです。演奏しているのはフィルハーモニア・シュランメルンというグループです。バイオリン2挺、コントラギター(低音が出るギターのことか? 写真で見るととても大きいです)1挺、アコーディオン(普通の鍵盤式アコーディオンではなくボタンが付いている)1台、クラリネット1本という編成で、古い時代のウィーンの舞踏曲を演奏しています。全部で18曲入っていますが、冒頭を飾るのは有名なランナーの「シュタイル風舞曲」(ストラヴィンスキーが『ペトルーシュカ』で引用した音楽です)。大編成オーケストラで聴くのもいいんですけど、5人のフィルハーモニア・シュランメルンで聴くと、ちょっと鄙びた感じがしてとてもいいです。南ドイツからオーストリアにかけて、多分観光客が多く利用するレストランに入ると、こうした編成の楽しい音楽が聴けます。CDには、ほのぼのとした舞曲がしみじみとした演奏でたくさん収録されていますから、思わず旅心を誘われてしまいます。こうした音楽が、かの地で一般的に聴かれているかどうかは別としても、ウィーンを中心としたオーストリアのレストランなどの情景をまざまざと思い出させるという意味で、実ににくいCDです。このCDを毎日聴かせれば、我が家の女房さんも、「きっとまたドイツ・オーストリアに行きたい」と言いはじめるに違いありません。さっそく洗脳作戦に入りましょう!


CD11月17日:いろいろ

今週はハードでした。日曜日にヴァント指揮北ドイツ放送響を聴きに行ったところまでは良かったのですが、その後がいけません。「ブルックナーの9番にはどんなCDがあったっけ?」と思いつつ、ブルックナーのCDを漁って聴いていると、たちまち時間が経ってしまいます。昨日はヨッフムのブルックナー交響曲第5番まで取りあげたものですから、我が家はブルックナー漬けの1週間でした。呆れ果てた女房さんは、ついに無言になってしまいました。.....。新たな家庭内闘争の火種ができてしまいました。

私はブルックナーが好きなので、毎日聴いていても全く飽きません。が、CD試聴記にアップする際には、かなり集中して何度も聴きますから、若干疲労します(^^ゞ。ヨッフムのブル5では、64年のオットーボイレン修道院におけるライブ録音との比較や、バイエルン放送響、シュターツカペレ・ドレスデンとのスタジオ録音との比較までやりたかったのですが、家庭崩壊を招きそうでしたので諦めました。ただし、この楽しい企画は、ボツにするにはもったいないですね。そのうち再浮上することでしょう。気長にお待ち下さい。

世の中には、私の女房さんを含めて、ブルックナーを好まない人が大勢います。An die Musikも、ブルックナーに特化しているわけではないので、ブルックナーシリーズはいったん打ち止めにします。無論、来週はまた別の企画を用意しています。まだ完全に準備が終わってないので、公表は控えますが、とても面白い内容になると思います。乞うご期待ですね。

週末は家族向けに、かわいい音楽を聴くことにします。発売されたばかりのクリュイタンス来日記念公演盤に、確かラヴェルの「マ・メール・ロワ」が入っていたような気がしました。あれなら、女房さんもみずなもニンマリかな? そうそう、かわいい音楽をこれから探さねば。これはこれで時間がかかったりして。


CD11月16日:CD試聴記に「ヨッフムのブル5を聴く」を追加しました。ブル5、すなわちブルックナーの交響曲第5番ですね。オケはアムステルダム・コンセルトヘボウ管です。


CD11月15日:ブルックナーの交響曲第9番

ここ数日のヴァント騒動のため、私はブルックナーの交響曲第9番についていろいろ考えています。日曜日のヴァントの実演に満足できなかったのは私だけだったからです。では、「一体どんな演奏なら満足するのか?」と自問自答してみました。好きな演奏の中には、シューリヒト&ウィーンフィルやヨッフム&シュターツカペレ・ドレスデンがあります。前者は、今さら紹介しなくても誰もが知っている名演奏です。後者は有名かもしれませんが、指揮者の個性が強烈に出過ぎているため、あえて紹介しにくいという難点があります。人によっては、ヨッフムを大嫌いになる可能性だってあるのです。他にはジュリーニの新旧両盤(特にウィーンフィルとの新盤)やバーンスタイン指揮ウィーンフィルの演奏がありますが、これらも指揮者の個性が滲み出ていて、かなりあくの強い演奏です。バーンスタインのブルックナーなど、指揮者の思い入れが強烈ですから、ヴァントの演奏とは対極的な位置にあると思います(実はヨッフムの演奏はさらに激しいのです。そしてスクロヴァチェフスキーの演奏などは無法地帯!です)。そうした演奏を思い起こしてみると、自分でも、「おいらは個性的あるいは濃厚なブルックナーが好きだったのか!」と意外に思ってしまいます。

ところが、私のCD棚から一つ大変優れた演奏のCDが出てきました。驚くなかれ、ハイティンクのCDです。

CDジャケットブルックナー
交響曲第9番ニ短調
ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管
録音:1981年、コンセルトヘボウ
PHILIPS(輸入盤 410 039-2)

これはCD時代最初期に登場した録音でした。ブルックナーの交響曲第9番を聴くにも、他に選択肢がなかったので、輸入盤が4,200円もしたのに無理して購入したCDです。高価なわりにはジャケットが貧弱で、どこかの前衛音楽のCDか、あるいはジャケットにお金をかけることができない自主制作盤にしか見えません。しかし、最初に聴いたときから感じていますが、これは実に立派な演奏です。こんな事を書きますと、「こいつ正気か?」と言われそうですが、この曲の理想的な演奏だと思います。オケのアンサンブルは完璧で、精緻極まりないのはもちろん、オケと指揮者は、目もくらむような巨大な音響を聴かせながらも、音響のみに異存せず、あくまでも音楽的な美しさを追求しています。テンポは全く自然で、指揮者の恣意的な表現が見あたらないのに、結果的には、ブルックナーの音楽に最も重要な要素である「厳しさと美しさ」を感じることができます。さらには、「遥かな世界への憧れ」までも表現し尽くしているように思われます。

ハイティンクを一流のブルックナー指揮者だと思う人は誰もいないでしょう。多分あの風貌のせいです。もしハイティンクがムラヴィンスキーのような風貌であったら、きっと今頃はこのCDも名盤中の名盤と評価されていたはずです。私は少し前に「ハイティンクの深淵」などというシリーズでハイティンクの話を書き連ねましたが、このCDを聴き直して改めてその凄さを感じました。密かにハイティンク研究を続けているのですが、もっと気合いを入れて研究を続けたくなってきました(^^ゞ。

なお、このハイティンクのCDは、現在は全く違うジャケットで発売されているようです。国内盤も廉価で発売されているようですので、騙されたと思って聴いてみて下さい。オケの上手さに舌を巻くでしょうし、PHILIPSの名録音にも感激するはずです。何と申しましても、これはブルックナーの音楽の神髄を体感できる演奏です。ブルックナーは音響だけでも楽しめますが、音響だけではないのです。ハイティンクの演奏は音楽的に大変高い次元にあります。この演奏を聴けば、きっとハイティンクという「ぬうぼう」とした風貌の指揮者の深淵に接することでしょう。


CD11月14日:ヴァントとブルックナー

ヴァント&北ドイツ放送響来日プログラムの冒頭には、ケント・ナガノによるエッセイが掲載されています。ブルックナーの交響曲第9番について話をしていたヴァントは、ケント・ナガノにこう語ったといいます。

この途方もなく偉大な音楽を演奏するのはとても難しい。あなたの能力が試される曲だ。だからこの作品のスコアは十分に研究し、なおかつ生涯かけて何回でも復習しなければならない。これをよく覚えておきたまえ。ほとんどあり得ないと言ってよいが、この曲を上手く演奏できた幸せ者がいたら、その時遙か彼方の星空を通して何かをかいま見て神の偉大さを感じることができるだろう。これがアントン・ブルックナーの音楽というものだよ。

ちょっと意外な一文でした。ギュンター・ヴァントは文学的な、曖昧模糊とした風情から最も遠いところにいる指揮者だと私はかねがね思っていたのですが、この文章を読む限り、必ずしもそうではないことが分かります。ヴァントはヴァントで、ブルックナーの音楽に神秘的なものを感じたりしているようです。この文章を読んで意外に感じる一方で、私は少し安心しました。私のように、「遥かな世界に対する憧れ」などという訳の分からない言葉を使ってブルックナーの音楽を語ろうとしたら、きっと鉄拳が飛んでくるのではないかと危惧されましたが、ヴァントにしてもなおこうした感慨をブルックナーに対して持つのですね。

しかし、ヴァントの演奏における方法論は、決して文学的なものではありません。ヴァントは、楽譜に書いてある作曲家の指示を奥の奥まで読み取り、それを実現するために徹底的なリハーサルを行うことがよく知られています。ケルン時代に重箱の隅を突っつくようなリハーサルにうんざりしていた団員の話もプログラムに載っていました(^^ゞ。ヴァントは「神の偉大さ」に到達するために、技術面からアプローチするという方法論を徹底的に追求したんですね。

ちなみに、この「神」なるものの認識は、ヨーロッパと日本の間では相当違っているのかもしれません。私は広く超自然的なもの、と勝手に解釈しています。が、キリスト教世界のヴァントには、別の意味があるかもしれません。もしかしたら、上記引用文も日本人が読むのと、ドイツ人が読むのでは全く別の意味を感じるのではないか、などと私は頭を悩ませてしまいます。

ヴァントはブルックナー指揮者としてのイメージが強烈です。今回もブルックナーの神髄ともいえる交響曲第9番を3日連続して演奏するという離れ業をやってのけました。これほどの大曲・難曲を3日間連続で、同じように強い緊張感を保ったまま演奏するのは、私のような素人から見れば超人的であります。それだけでもすごいですねえ。ですが、ヴァントの本領はブルックナーでなければ発揮されない、などということはあり得ません。今回一緒にプログラムにのせたシューベルトだっていいし、モーツァルトだって清楚な演奏を聴かせてくれます。できればもっといろいろな曲を聴きたかったなあ、などと私は無い物ねだりをするのであります(^^ゞ。

さて、今日この時間にはヴァントと北ドイツ放送響は3日間の日程を全て終了しているはずです。初日しか聴けなかった私ですが、その後はどんな演奏になったんでしょうね。ヴァントさん、上手く指揮ができて「神の偉大さ」を感じることができたでしょうか。どこかからヴァントのインタビュー記事が出てこないものでしょうか。


CD11月13日:ヴァント、来日す

ギュンター・ヴァントがついに来日しました。11月12,13,14日の3日間、初台の東京オペラシティ・コンサートホールで来日公演を行っています。オケは北ドイツ放送響、プログラムは3日間ともシューベルトの交響曲第8番「未完成」とブルックナーの交響曲第9番です。

私は昨晩のコンサートに行って来ました。「3日ではどれに行くべきか」さんざん悩んだ結果、「初日が最もボルテージが高いに違いない!」と踏んだのであります。できれば3日間とも初台に行きたかったのですが、資金と時間に余裕がありません。初日の演奏に賭けたのでした。

そういう聴衆は私だけではなかったようです。ホールでは何となくお祭りムードが漂っていました。舞台に北ドイツ放送響の団員が登場しただけで盛んな拍手。ましてやヴァントが舞台に姿を見せるや、割れんばかりの拍手とともに歓声が飛びました。音楽を聴く前から聴衆が熱狂しているんですね。多分、聴衆の方がボルテージが高かったはずです。そういう雰囲気で開始されるコンサートは成功が約束されているようなもので、シューベルトでも、ブルックナーでも、終演後はすごい拍手でした。特にブルックナーの演奏の後は会場が総立ちになりました。あの熱狂ぶりはカール・ベーム最晩年の来日に匹敵するのではないでしょうか。ヴァントさん、きっとご満悦だったことでしょう。

北ドイツ放送響は、春先にエッシェンバッハと来日したばかりです(5月22日の「What's New?」ご参照)。5月のコンサートでは、アンコールはとても良かったのに、メインプログラムは今ひとつでした。オケの上手さは伝わってきたものの、ちょっとこぢんまりとした印象もありました。が、今回ヴァント指揮の北ドイツ放送響は、全く別のオケかと思われるほど立派な演奏をしていました。シューベルト演奏における緻密さ、繊細さ、華麗さ、強力さは、北ドイツ放送響が超一流のオケであることを如実に示していました。演奏の出来は、ベルリンフィルとのCD録音に比べても遜色がありません。さらに、ブルックナーになると、数段すごい演奏になりました。音響を取ってみただけでも桁外れです。私は二階で聴いていましたが、足下からお腹に向かってオケの音がズンズン響いてくるのであります。お尻のあたりなど、お陰でむずがゆくなってしまいました(^^ゞ。もしかしたら、東京オペラシティのコンサートホールでは、あの巨大な音響には小振りすぎたのかもしれません。左右に狭いあの作りでなければ、もっとすごい響きがしたでしょう。

ブルックナーにおける北ドイツ放送響は技術的に完璧とは言えないまでも、大変ハイレベルな演奏をしたと思います。音響がすごかったというだけではなく、全体として極めて濃密な演奏でした。第一楽章のトレモロが始まった瞬間から息を呑んで聴き入っていた聴衆にとっては、一瞬一瞬が緊張の連続だったと思います。面白いことにヴァントの指揮にはわずかなテンポの揺らぎが認められました(第一楽章後半に数カ所あったと思われます)。ある個所で突如としてテンポが遅くなるなど、ヴァントには珍しいな、と思いながら聴いておりました。多分私の気のせいではないでしょう。几帳面で演奏表現に厳しいヴァントですが、ライブにはライブなりの感興の高まりがあったのでしょうね。

圧巻は第2楽章でした。ベルリンフィルとのライブ録音を聴いた際にも思いましたが、ヴァント指揮のスケルツォは悪魔的ですね。恐いくらいです。第3楽章もスケールが大きな演奏でした。あれなら、スタンディング・オベイションになるのは当然ですね。

ただし、ヴァント指揮北ドイツ放送響の演奏が大変優れていることを認めた上で、私はなお、昨日の演奏に物足りなさを感じます。それはヴァントの責任ではなく、私自身の問題なのです。どうも、私はブルックナーの交響曲第9番に対する思い入れが強すぎるのか、よほどの名演奏を聴いても、めったに満足できない身体となってしまったのです。ヴァントが北ドイツ放送響を指揮して初台の聴衆を熱狂させるに十分なブルックナーを演奏したのに、なお私はあの曲の彼方にある「何か」を探してしまいます。その「何か」とは、俗界を離脱した彼岸の世界であったり、遙か遠くものに対する憧れとか、全く得体の知れない抽象的かつ文学的なものです。そのようなものに、ヴァントはつき合ってはくれないでしょうから、如何ともしがたいのであります。これはもはやビョーキであります。ヴァント先生、先生の演奏に満足できなかった不遜な私をどうか許して下さいねm(__)m。


CD11月12日:雑感二題

その1:巨大化

11月も中旬に入り、少し寒くなってきましたね。私も今日、ついに冬物のスーツを出しました。少し気になることがあって、いくつかズボンをはいてみたのですが、少しきつめでありました(^^ゞ。このままではまずいです。私は毎年冬場に猛烈にスキーをするので、春先にはズボンがユルユルになり、ベルトの穴が2つほど進みます。が、昨年はみずなが生まれたばかりでしたし、女房さん一人に子育てを押しつけて一人でスキー修行に出かけるわけにもいかず、スキーはできませんでした。テニスも中断していましたし...。要するに、運動不足になっていたんですね。これではベルトの穴どころか、ズボンが入らない、という悲惨な状況になりかねません。スーツ代はバカになりませんから、運動不足を解消し、その一方で鋭意ダイエットをしなければ。しかし、今年の冬も暖かいとか。雪が降らなければスキーをすることもできず、スキーをしなければお腹がへっこまず...。うううう、考えれば考えるほど情けない中年の私でした。

その2:ケンペのベートーヴェン全集

金曜日、とある飲み会が銀座であったので、久しぶりにHMVに寄り、ケンペ指揮ミュンヘンフィルによるベートーヴェン全集を入手しました(DISKY DB 707082)。税込みで3,100円ほどだったかと思います。ケンペのベートーヴェンは、かつてEMIのセラフィム・シリーズで発売されていました。国内盤がEMIから出ているなら、いつでも買えるだろうと高をくくっていたところ、いつの間にか市場から姿を消していました(T_T)。今回はその再発になるのものです。もちろん、すぐ買わねば、と思っておりました。6枚組なので、まだ全曲を聴いているわけではないのですが、楽しい全集ですね。ケンペのおじさん、とてもサービス精神が旺盛です。重厚な中にもケンペのユーモアが垣間見えていいですね。ケンペの演奏は、学究的な見地から見れば、今や時代遅れになりつつあるスタイルです。多分、こうした演奏を忌み嫌う人もいるでしょう。が、聴き手を楽しませようとする指揮者の姿勢はすばらしいです。音楽は楽しんで聴くべきもので、難しい顔をして楽譜とにらめっこする必要は必ずしもありません。私は学者でも音楽評論家でもないので、ケンペの演奏を聴いて大変微笑ましく思いました。

そういえば、この演奏、かつて著名な音楽評論家にケチョンケチョンに書かれたことがあるそうですね。一体何が不満だったのでしょうか? ある程度の時間を費やして聴くのですから、楽しんで聴けない、というのはもったいないことです。


CD11月10日:ホームページに求めるもの

シュターツカペレ・ドレスデンの本拠地、ゼンパー・オパーのホームページ「Staatsoper Dresden」が全面リニューアルされましたね。時々見に行っていたのですが、新しい情報はなかなか取れないし、「つまらないページだなあ」と思っていました(^^ゞ。そうした不満は当局にも寄せられていたらしく、リニューアル版では、私がかねてから欲しいと思っていた情報、例えば、カペレの団員名簿などが追加されています。その他、いろいろと手を加えているのが分かり、制作者側の苦労が偲ばれました。ファンとしては、もっと詳細な情報を知りたいところですが、ゼンパー・オパーも数少ないスタッフで運営しなければならないのですから、あまり多くを望めません。少しずつ前進してくれればいいと思います。

ただ、ゼンパー・オパーのページは、デザインや技術優先となっていまして、一般のスタッフが手を入れにくい作りになっているようです。多分プロの制作者が作ったページなのでしょう。使いにくいばかりか、構成が複雑で、スタッフも更新できにくくなっているのではないか、と要らぬ心配をしてしまいます。トップ画面は相変わらずチカチカする動きのあるものですが、毎回アクセスする度にあんな愚にもつかない画面を見せられ(ひぇぇ)、動画が一段落するのを待たなくてはいけないのかと思うとうんざりします。

最近は素人っぽいデザインのホームページはWeb界から駆逐されつつあります。プロのデザイナーが腕によりをかけて、発注者を喜ばせるようなかっこいいページがどんどん登場しています。発注者は、多分自分ではあまり頻繁にアクセスしないでしょうから、見栄えがするページを作ってもらえばそれで満足するのかもしれません。私はかつて、とある会社のホームページを作ったことがあります(Web界のどこかにあります。秘密ですけど)。ちょっと恥ずかしいのですが、発注者である社長を意識して、少しはデザインにも気を配りました。お陰で社長は大満足でした\(^o^)/。しかし、フォトレタッチソフトなどを多用して作ったそのページを、私以外の誰が変更できるのかといいますと、とてもお寒い限りだったのです。それが最初から分かっていたので、CGIやJAVA APRET,JAVA SCRIPTはほとんど使わずにファイルを作り、引き渡しました。それがせめてもの罪滅ぼしでありました。発注主がデザインなどにこだわるのでなければ、私はAn die Musikのように、ごくごく簡単にし、いつでも誰でも訂正・更新ができるようなページにしたはずです。

ただし、繰り返しますが、Webデザインが、新たな局面を迎えていることは事実なのです。デザイン関係の本を見ておりますと、すごいですよね。An die Musikなど、「もっともチープなデザインで、ダサいサイトの典型例」という烙印を押されてしまいそうです。しかし、ホームページに求められているのは、デザインそのものではないはずです。私はホームページに最も必要なものはテキスト情報であると信じてきました。であるからこそ、An die Musikも、テキストだけのベタ打ち情報を掲載することに注力してきたのです。「Staatsoper Dresden」もデザインなどに執着しないで、読みやすいインターフェイスを作り、世界にファンを広げてもらいたいと思います。

さて、皆さんはホームページに何を求めますか? そうそう、できますれば、率直なご意見をお寄せ下さい。私も軌道修正すべきかどうか少し迷っているのです。


CD11月9日:CD試聴記に「シューリヒトのブル5を聴く」を追加しました。オケはウィーンフィルです。

シューリヒト・シリーズは、いったんここで打ち止めにします。ベートーヴェンもやりたかったのですが、次回ということにしましょう。のめり込みそうで恐いのであります(^^ゞ。


CD11月8日:CD試聴記に「シューリヒトのモーツァルトを聴く」を追加しました。今回はもっと詳しく書きたかったです。もっと違いが分かるように書かないと、読者も欲求不満に陥ってしまうのでは? 反省しています。時間は有限ですので、何卒ご容赦下さい。


CD11月7日:売れるCD

昨日登場した歌劇「道化師」で、タイトルロールを歌うのは、人気絶頂のテノール、ホセ・クーラです。アラーニャと並んで若手テノールの人気を二分する大スターですね。そのクーラには、とてつもないCDがあるのです。プッチーニの珠玉のオペラ・アリア集です。このCDには、歌劇「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」から始まり、歌劇「妖精ヴィルリ」の「ここがあの家 苦しい僕のこの思いを」まで、全21曲が71分の中に詰め込まれています。指揮は大先輩のドミンゴ、オケはフィルハーモニア管です(ERATO、国内盤 WPCS-6070、録音:1997年6,7月)。これはクーラの人気を決定づけたCDの一つだったと思います。盛り沢山すぎて、全部を通して聴くのはかなりしんどいのですが、クーラの熱唱は聴き応えがあります。

で、その歌がとてつもない、と書きたいところですが、そうではないのです。何といいましても、タイトルがすごいんです。国内盤のタイトルは「愛のヒーロー」。恥ずかしいですねえ。誰がこのネーミングを考えたんでしょうか? クラシックファンはある程度曲や演奏家を知っていてCDを買いに行くんでしょうから、「『愛のヒーロー』というCDを下さい!」といって店員さんに尋ねる人はまれだと思いますが、それでも恥ずかしいです。私はこのCDを手にするたびにERATO社員のユーモアを感じずにはおれません。

CDジャケットただし、このCDは大変な売れ行きを示したといいます。それはジャケットが異常に目立ったからです(写真左)。これはマッチョっぽくていいですねえo(^o^)o。こんな風貌をした男の歌なら、一度は聴いてみたい、と思った音楽ファンがたくさんいたため、どんどん売れたのです。私が珍しくも国内盤を買ったのも、輸入盤が全て売り切れていたからだったのです。国内盤も店の最後の1枚でした。家に持って帰ると、女房さんまで「まあ、何ていい男!」とはしゃいでいました。プロデューサーのもくろみはまんまと当たったわけですね。

ところが、このマッチョ路線でクーラのCDジャケットが統一されるのかと思いきや、そうではありませんでした。その後の方向は大きく変化して、かなり甘い雰囲気のジャケットが増えているようです。二匹目の泥鰌は狙わない、ということでしょうか。マッチョ路線はいいのになあ、と私は思うのですが、この世界はそんなに単純ではないのかもしれません。いかがでしょうか。


CD11月6日:あのオケがオペラを?

CDジャケットレオンカヴァッロ
歌劇「道化師」
シャイー指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管
カニオ:ホセ・クーラ
録音:1999年9月3,4,6日、コンセルトヘボウ
DECCA(輸入盤 467 086-2)

ある日、音楽雑誌を読んでいた私は、ふとした広告に目が釘付けになりました。DECCAからレオンカヴァッロの「道化師」の新譜があって、『指揮はシャイー、ホセ・クーラがカニオを歌う。オケはコンセルトヘボウ管』という内容でした。これだけの情報で大騒ぎするのは、多分物好きな音楽ファンだけでしょうが、私にはかなりの衝撃でした。といいますのも、コンセルトヘボウ管がオペラ録音に登場したからであります。この希代の名門オケによるオペラ録音は、果たして前例があるのでしょうか? 断言はできないのですが、あっても極めて少ないはずです。

コンセルトヘボウ管は私の好きなオケであります。シャイーの時代になってますます国際的な音色になってきましたが(私は「国際的な音色」という言葉を決して良い意味ではで使いませんので、念のため)、「コンセルトヘボウ」という世界最高のホールトーンをバックに持つことのできるコンセルトヘボウ管は、やはり貴重な存在です。あのホールトーンを聴き取れる録音に出会うと、私は思わずニンマリするのであります。コンセルトヘボウ管は技術的にも申し分ありません。刺々しくならないノーブルなサウンドを聴かせるコンセルトヘボウ管は、ヨーロッパの華であるとさえ私は考えております。

それだけの実力があれば、シンフォニー・オーケストラであっても、ベルリンフィルやフィルハーモニア管のようにオペラ録音が計画されてきてもよかったはずです。にもかかわらず、何か障害があったのか、このCDが出るまで、コンセルトヘボウ管はオペラにほとんど縁がなかったように思われます。「オペラ・カンパニー」を標榜するDECCAが、ホセ・クーラという超売れっ子を起用して名曲「道化師」に挑んだのは、これでも遅きに失したと言えなくもありませんね。もっとも、イタリア人シャイーは1985年からボローニャ市立歌劇場の音楽監督を務める指揮者ですから、満を持して手兵コンセルトヘボウ管のオペラ録音を発表したということなのでしょうか。

当CDにおけるDECCAのウリは、クーラのタイトルロールなのでしょうが、私はコンセルトヘボウ管がどんな伴奏を付けるかということで頭が一杯でした。私の密かな不安をよそに、コンセルトヘボウ管は立派な伴奏をつけています。というより、よくオケが鳴っていますね。歌も十分でしょう。歌劇場で毎晩伴奏をつけていれば、いろいろなトラブルに対応する能力が問われたりするのでしょうが、このようなスタジオ録音では、何ら不満を感じませんでした。DECCAが力を入れて取り組んだと思われる良質な音作りも好感が持てます。これなら繰り返しの鑑賞に十分堪えうるでしょう。さすがDECCA。いいオペラ録音を作りますね。

レオンカヴァッロの「道化師」はコンパクトな名曲です。オペラの第1作として実験的に制作するには最適のオペラでしょう。私はきっとこの後、シャイー指揮コンセルトヘボウ管によるオペラ録音が続々と現れると信じています。次はヴェルディを聴きたいなあ。そうだ、シャイーのレパートリーでも調べてみましょう!


CD11月5日:最悪の週末

昨日及び一昨日のゲストブックに書きましたとおり、みずなの風邪をもらった私は、この週末を通じてひどい頭痛に悩まされました。歩くとガンガンゴンゴンしますし、時々ズキンズキンします。これではふとんにくるまって寝るしかありませんね。情けないものです。そういう状態ではクラシックCDどころではありません。モーツァルトを聴いても頭が痛いのは直りませんでした(頭痛によく効くクラシック音楽はないのでしょうか?)。

私は失策もありました。昨晩は山を完全に越えたと勝手に判断して、回復祝いにビールをあおったばっかりに、気分がたちまち悪くなり、症状が悪化してしまいました(^^ゞ。自業自得を絵に描いたような話です。病が完全に癒えてさらに時間が経過してからでないと、お酒は飲んでいけませんね。我ながらひどい暴挙であったと反省しています。

風邪といいましても、私の場合、頭痛とのどの痛みだけで、熱はあまり上がりませんでした。でも、れっきとした風邪でした。が、女房さんにいわせると、「とても病人には見えない」そうな。私は色が黒く、とても泥臭い顔をしていますので、どんなに重病でヘロヘロになっても、女房にさえ病気だと分かってもらえないのです(T_T)。女房さんにとっては、血色が良さそうに見える亭主が、仮病を使って三連休中ごろ寝を決め込み、女房を酷使したという思いが少しあるようです。顔色が悪く見えない、というのは全く不幸なことです。

というわけで、三連休中は、予定していたテニスも買い物もできず、天気がいいのに家でずっと寝ておりました。CDショップに行って探したいCDもたくさんあったのですが、残念であります。しかし、何とか体調も回復基調にあります。明日は出社できそうですし、An die Musikもバリバリ更新する予定です(大丈夫かな?)。今週も面白いページを用意しておりますので、乞うご期待であります。


CD11月3日:バイエルン放送響 その2

バイエルン放送響のコンサートでは、外来オケということで恒例の「プログラム」が1,000円で販売されていました。コンサートのチケット代だけでも高価なのに、さらにプログラム代を別に徴収するという仕組みには憤懣やるかたないのですが、それはここで主張しても始まりませんね。記念に買っておくのが普通でしょう。1,000円でしたら、何とか許容範囲というところでしょうか? もっとも、今回のプログラムは、値段にふさわしい内容があったので大満足でした。

そのプログラム、前半は首席指揮者マゼールの礼賛記事ばかりで、あまり価値がなかったのですが(^^ゞ、興味深かったのは現役の楽団員によるインタビュー記事、あるいは文章です。それぞれをご紹介します。まずは第2バイオリン奏者で、指揮者でもあるヴォルフガング・ギーロンさんのインタビュー。

−このバイエルン放送響にはいつ入団されたのですか。

「1977年ミュンヘンの学校を出てすぐでした」。

−ということは、あのクーベリックが首席指揮者だった時代に?

「はい。私にとってクーベリックは、今世紀最大の指揮者の一人です。彼ほど作品の本質を深くえぐりだせる指揮者を、私は他に知りません」。

−マゼール氏と比べて、どんな違いをお感じになりますか?

全く違うタイプですから、比較するのは不可能ですね。マゼール氏は、情熱的な音楽家ではありますが、どちらかといえば知的なタイプです。彼ほど大オーケストラの複雑なスコアをたやすく完璧に指導できる人は他に例を見ません。クーベリックは正反対のタイプです。彼はテクニックの面では苦労の多い人でした。しかし、偉大な人物で、本当にすばらしい音楽家でした。

インタビュー:東条碩夫(音楽評論家)

クーベリックが未だに団員から熱い支持を受けていることが、このインタビュー記事からもよく分かります。これほどの激賞をされますと、自分が褒められたようで嬉しくなってしまうのがファンの心情です(^^ゞ。面白いのは、クーベリックが「テクニックの面では苦労の多い人」だったという点です。クーベリックは声楽を含む大規模な曲を演奏し続けました。テクニック的にも難度が高いものがレパートリーにはかなり含まれていたはずです。そうした曲はお金もかかりました。バイエルン放送局がいかに潤沢な資金を持っていたとはいえ、クーベリックのレパートリーには、ほとほと嫌気がさしていたことでしょう。しかし、そのクーベリックがテクニックではオールマイティではなかったらしい、ということは、ちょっと彼の人間くささを思わせてくれますね。要は、テクニックを補って余りある偉大な音楽性を持っていたということでしょう。

他にも、第1バイオリン奏者で、唯一の日本人奏者(多分)である水島愛子さんの手記「バイエルン放送交響楽団の現在」は大変充実した内容でした。クーベリックの話も出てきます。デイビスの時代になっても、「ドヴォルザークやマーラーを奏くと、オーケストラの音色はクーベリックの時代のものに戻ってしまう」とか。水島さんはデイビスについて、続けてこう書いています。「....今、振り返って見ると、彼自身が手を触れる事が出来なかった部分が多かったのではないかと思えて、彼の苦労が今更ながらに少々痛みを伴って感じられます」。短いフレーズですが、含蓄があります。首席指揮者であっても、伝統あるオケに対しては気兼ねをしながら接しているんですね。指揮者とオケの関係が滲み出た内容かと思います。

私が意外だったのは、現在のマゼールが結構普通の紳士になっているらしい、ということでした。水島さんによれば、「かなりエゴイスティックでアロガンスという一般的な彼に対する風評とは全く異なる態度で彼は団員に接し、又、団員が重んじているオーケストラの伝統の一つである「温かさ」にも理解を示し、...」という状況のようです。人間、いかに先鋭なタイプであっても、年齢とともに角が取れてくるものなのでしょうか。安心するとともに、音楽ファンとしては、少し寂しい気もします。

ところで、水島愛子さんは1976年2月にバイエルン放送響に入団したそうですが、同響のバイオリン奏者で日本人はずっと彼女だけだったのでしょうか? 私はバイエルン放送響のメンバーに詳しくないので恐縮ですが、もし他に日本人、しかも女流バイオリン奏者が同響にいなかったとすれば、私は9年前に水島さんと会って30分ほど話をしています。

91年8月、ミュンヘンで、私はシノーポリがバイエルン放送響を指揮し、シェーンベルクの「グレの歌」を演奏するのを聴いたことがあります。終演後、私はねぐらのある、ミュンヘンよりずっと南部のムルナウまで汽車(あれは電車か? 多分汽車だ)に乗って帰りました。汽車に乗ってしばらくすると、バイオリンケースを手にした上品な女性が現れ、他に空いている席がなかったのか、私の前の席に腰を下ろしました。お互い日本人だと一目で分かりましたので、すぐ話を始めました。私が「語学研修でバイエルンにおり、さっきはシノーポリの『グレの歌』を聴いてきたところだ」、といいますと、彼女は「私も舞台にいた」といいます。無論、その後はすっかり音楽の話題で持ちきりです。当時、ミュンヘンで大活躍していたチェリビダッケの、異質な音楽空間をプロの奏者の口から聞けたのは大きな刺激でした。言葉は少し違うかもしれませんが、「通俗的な名曲を、全く別の視点からアプローチし、別の次元で聴かせる」という内容のことをおっしゃっていました。当日バイエルン放送響の指揮台に立ったシノーポリに対しても、賛辞を惜しまなかったのをよく覚えています。私は、決して後ろ向きの発言をしない彼女の姿勢に感じ入ったものでした。残念ながら、名前を窺うのを私は忘れましたが、プログラム収録の手記「バイエルン放送交響楽団の現在」を読んで、相変わらずの穏やかな口調に、当時の夜の想い出が強烈に甦った次第です。


CD11月2日:バイエルン放送響

昨日、サントリーホールにバイエルン放送響を聴きに行きました。指揮者はロリン・マゼール。演奏曲目はモーツァルトの交響曲第39番、マゼールの「フルートと管弦楽のための音楽」、そしてR.シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」でした。

バイエルン放送響を生で聴くのは久しぶりだったのですが、響きがすっかり洗練されていて驚嘆しました。技術的にもかなり高いと思います(技術だけならカペレよりも上かな?)。聴いていて不安を感じさせませんね。「英雄の生涯」のラッパで少しキズがあったくらいで、実に見事な演奏でした。木管楽器の腕前は特筆ものですね。特にモーツァルトにおけるフルートの首席は、とてもみずみずしい音を聴かせていて、聴き惚れました。凄腕の首席です。もうひとり際立っていたのが、コンマスです。「英雄の生涯」に現れるバイオリン・ソロは、それだけで演奏会の価値を感じさせました。これまたしっとりとした音色です。音量も申し分なく、しっとりとした音色のままで音がホール全体に響きました。私が座っていたのは二階の最後列だったのですが、その場所までバイオリンの音色が染み渡ってくるようでした。当日買い求めたプログラムの団員名簿には、第一コンサートマスターとしてラドスラフ・シュルツ、フルートの首席にはベノワ・フロマンジェの名前が記載されています。私は視力が弱く、舞台上の顔を識別できなかったのですが、私が聴いたのはこのお二人でしょうか?

プログラムにはマゼールの自作自演がありました。「フルートと管弦楽のための音楽」です。20分ほどの曲でした。私はこの曲は全くあてにしないで出かけたのですが、この日の演奏曲の中では最も充実した演奏であり、楽しい曲であったと思います。音楽は全部で6つの部分に分かれていて、それぞれに別の表情が与えられています。最初は空虚なゲンダイオンガクかと思われましたが、マゼールほどの才人になりますと、飽きずに最後まで聴かせますね。中間にはロマンティックに大きく盛り上がる場所もありましたし、打楽器が愉快に動き回る場所もたくさんありました。なお、楽器編成は大きく、ピアノや正体不明の楽器が舞台に所狭しと並びました。舞台後方には打楽器奏者を6人も配置しています。演奏旅行にしては思い切ったことをするものです。しかも、肝心のフルート・ソロには、あのエマニュエル・パユをあてるという徹底した豪華さです。パユのフルートは生では初めて聴きました。バイエルン放送響の首席奏者とは方向性がまるで違う音色です。パユの音は太く、豪快さも兼ね備え、その存在感は圧倒的でした。マゼールの曲はかなり難しかったと思いますが、難なく吹ききったように見受けられました。パユもマゼールの曲を楽しんで演奏していたんじゃないでしょうか。マゼールさん、私が思っていた以上の才人だったんですねえ。あんな曲ばかりなら、自作自演CDも買って聴いてみようかな、と思いました。

ところで、本題はここからです。モーツァルトとR.シュトラウスの印象ですが、これは期待を少なからず下回る出来映えでした。モーツァルトの交響曲が始まった瞬間、私は困惑しました。少し間延びしたようなモーツァルトだったのです。私はバイエルン放送響はクーベリック時代から大好きなオケですので、悪口は書きたくないのですが、あのモーツァルトは退屈です。演奏技術は驚嘆すべきものがありましたが、それでもなお退屈しました。あろうことか、私は第4楽章でうたた寝をしてしまいました。演奏終了後の拍手も極めて儀礼的でした。楽しめなかったのは私だけではなかったようです。

「英雄の生涯」も絶賛するには至りません。やや平板な演奏でした。というより、楽員のテンションが今ひとつだったのではないかと思われます。マゼールにはかつてクリーブランド管と録音した名盤がありますが、あの勢いが影を潜めてしまったようです。ただし、終演後にはブラボーとともに盛大な拍手がありました。楽しめなかったのは私だけだったかもしれませんね。

なお、アンコールはR.シュトラウスの「ばらの騎士」組曲抜粋。歌劇「ばらの騎士」冒頭部分と、ワルツを組み合わせて演奏していました。これは大変テンションの高い演奏でした。オケもよく鳴っていましたし、大満足です。一日の演奏会の中でも、出来映えには随分差があるものだと痛感したコンサートでした。


CD11月1日:An die Musik開設2周年

今日は当ページ開設2周年記念日です。作っている私以外、開設記念日に興味がある人はいないと思いますが、自分でもよく続けられたものだと感心します。なにしろ、平日は毎日更新、土日もいずれかは更新しています。これは我ながらすごいです。日曜日の晩はパソコンに向かい、おおよそ1週間分の更新内容の枠だけを作成し、平日は加筆訂正を行ってアップしています。内容に関しましても、基本的にはクラシック音楽のサイトですから、音楽の話を扱うようにしています。私はむらっ気がある人間ですので、時々クラシック音楽とはまるで縁のない歴史の話や、ひどいときはお酒の話、親バカの話など、読者を落胆させんばかりの記事を書くこともありますが、何とかクラシック関係の話を続けることを目標にしています。

なぜこんな更新をしているかといいますと、逆説的ですが、私が怠け者だからであります。多分、「1週間に1度まとめて更新」などという形態をとっていたら、とっくの昔にこのサイトの更新間隔が拡がり、今頃はWeb界の藻屑となっていたことでしょう。毎日の更新を自分に義務づけたからこそ2年間続けてこれたのだと思います。

ただし、家族(すなわち女房さん)には評判がよくありません(T_T)。本来女房さんのページだったのに、亭主がほとんど乗っ取ってしまいましたし、更新の準備にそれ相応の時間をかけています。女房さんは亭主を熱愛していますから(^^ゞ、私が側にいなくなるのを極端に嫌うのであります。

ところで、私には課題がいくつかあります。まずは音楽の勉強です。2年間同じスタイルで駄文を書き続けてきましたが、もう少し深く音楽を勉強しなければ、読者に納得していただける記事を作れないのです。基本的な楽典や、楽器のことももっと知りたいと思っています。私は今後もずっとAn die Musikを続ける気ですから、今とは別の視点で音楽を鑑賞できるようになりたいものです。

第2の課題は、このページのハイテク化です。私はホームページを作成しているため、時々すごい技術を持っていると勘違いされることがありますが、どうしようもないローテクおじさんです。ホームページはキーボードで文章を打てる人でしたら誰でも作成することができます。難しい技術は通常のテキストだけのファイル作成には必要ありません。だから私のようなローテク男でも作れるのです。私はこの時代に、携帯電話を持たないことを宣言するほど前近代的な人間です。ハイテクとは縁がありません。ですが、An die Musikに大量の文章を書きまくってしまったために、いよいよ自分で作ったページの中で迷子になるケースが出てきました。どこに何を書いたのか自分ですぐに検索できないのであります(T_T)。できれば、このページをハイテク化し、データベースを取り入れたいところです。が、大量に書いたベタ記事は、データの形式を取っておらず、簡単にはデータベース化できません。どうしたらよいのやら、思案に暮れる毎日です。来年の今日には解決しているでしょうか?心配であります。どなたか、技術指導をお願いしますm(__)m。


(An die MusikクラシックCD試聴記)