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2006年6月26日:後期ピアノ協奏曲マイセレクション 「私のモーツァルト」に第7回「後期ピアノ協奏曲マイセレクション」を追加しました。文はたけうちさんです。たけうちさん、原稿ありがとうございました。
2006年6月25日:壮大な企画 昨日は渋谷のオーチャードホールに小山実稚恵さんのコンサートを聴きに行きました。小山さんのコンサートを聴くのは今年3回目です。なんだかほとんど「追っかけ」状態になってきました。
昨日聴いたのは12年間に24回行うコンサートの第1回目でした。24回のプログラムは多岐にわたっていて、それをひとりの音楽家が同じホールで1年に2回、12年間かけて演奏するというものです。詳しくはこちらをご覧下さい。12年後のプログラムまで公開するってびっくりしませんか? 小山さんはこの壮大な企画を思いついただけでなく、現実に始めてしまったのだからすごい。こんなふうにひとりの演奏家と付き合っていく機会は今後滅多にないのではないかと思って、私は全24回を追っかける決意をした次第です。
この企画には、小山実稚恵さんのものとおぼしき言葉が寄せられています。曰く、
「ピアノ。それは、私。それは、夢。」
ぐっときますねえ。こんなことを言えるのは、ピアノ音楽に正面から向き合って人生そのものをピアノ音楽に捧げた人だけでしょう。
昨日はその第1回目。プログラムは以下のとおりです。
- シューマン: アラベスク ハ長調 作品18
- シューマン:幻想曲 ハ長調 作品17
- ショパン:ノクターン 第8番 変二長調 作品27-2
- ショパン:マズルカ 第32番 嬰ハ短調 作品50-3
- ショパン:舟歌 嬰へ長調 作品60
- シューベルト:幻想曲 ハ長調「さすらい人幻想曲」作品15 D.760
前半にシューマンの幻想曲、後半にシューベルトの「さすらい人」幻想曲という重量級の曲を据えていました。オーチャードの広い空間が演奏者の気迫で満たされ、非常にすばらしいコンサートでした。「さすらい人」幻想曲はあのままCD化したいと思ったほどの出来映えです。
なお、会場では「小山実稚恵の世界」(ぴあ、2,800円)という本が先行販売されていました。これは24回で演奏する123曲全てについて小山さん自身が解説をしているという驚くべき書物です。小山さんはこの企画に自分の生涯をかけているのではないかと思わずにはいられません。
2006年6月18日:ジョージ・セル 「私のモーツァルト」に第6回「ジョージ・セル指揮の交響曲第40番を聴く」を追加しました。文は私、伊東です。
2006年6月17日:バルトの楽園 「バルトの楽園(がくえん)」という映画を観てきました。第1次世界大戦の青島で日本軍の捕虜となったドイツ兵がベートーヴェンの交響曲第9番を日本初演するというお話です。主演はマツケンサンバの松平健。捕虜収容所の所長役です。青島総督のドイツ人将校には「ヒトラー 最後の12日間」のブルーノ・ガンツが出ていました。
捕虜は男ばかりなので、4声の合唱を歌えません。そこで男声用に編曲して演奏します。私は男声だけの第4楽章を初めて聴きました。ちょっと高揚感に欠けますが、なかなかいけますね!
映画では楽器も揃わない少人数編成のオーケストラが並んでいるので、決して壮大な演奏にはなっていないはずなのですが、実際に流れてくるのはカラヤン指揮ベルリンフィルの壮大な演奏でした。それが大音量でどぉーんと来ます。すごい迫力でした。映画というのは不思議なもので、映像と演奏の間に違和感がありません。
松平健はいい味出していますねえ。しかも、ドイツ語の台詞を延々としゃべっていました。ドイツ人将校と立派にドイツ語会話をしているのを見て、正直、かっこいいなと思いました。多分そこだけは現実と違っていたのではないかと想像されますが、あの時代の日本人ならそのくらいのことは努力をしながらやってのけたのかもしれないな、などとも思いました。
私は邦画に失望させられることが多々あるのですが、「バルトの楽園」は格調が高い優れた映画でした。が、今日が公開日だというのに会場はガラガラ。もったいないものです。
2006年6月16日:シベリウスの全曲盤「4つの伝説曲」 「あなたもCD試聴記を書いてみませんか?」のコーナーに「シベリウスの全曲盤「4つの伝説曲」」を追加しました。文はY.Y.さんです。Y.Y.さん、原稿ありがとうございました。
2006年6月15日:ジャズでバッハを聴く 「あなたもCD試聴記を書いてみませんか?」のコーナーに「ジャズでバッハを聴く」を追加しました。ゆきのじょうさん、原稿ありがとうございました。
この中にあるジョン・ルイスのバッハは私が学生時代最後に買ったクラシック音楽のCDだったと記憶しています。何度も聴きました。それも部屋の明かりを消して。その方が雰囲気が出るかなあ・・・などと考えていたのですが、寮の隣人には不評でした。いつも音量を絞って聴いていたのですが、ある夜、「もう少し音量を下げて下さい」と言われました。自分では迷惑にならないよう音量を絞っていたのですが、ベースの音がかなり響くらしく、隣の部屋まで筒抜けだったそうです。
ルイスはその後バッハの「ゴルトベルク変奏曲」でジャズをやっていますね。これはルイスの奥さんがチェンバロを弾き、ピアノでルイス自身が即興演奏をするという趣向でした。クラシック音楽との関わりを積極的にやっていた人だったわけですね。とても懐かしいです。
2006年6月14日:室内楽 「私のモーツァルト」に第5回「ピアノと管楽のための五重奏曲」を追加しました。文は青木さんです。青木さん、原稿ありがとうございました。
2006年6月13日:私のモーツァルト:過去、現在、未来 「私のモーツァルト」に第4回「私のモーツァルト:過去、現在、未来」を追加しました。文はゆきのじょうさんです。ゆきのじょうさん、原稿ありがとうございました。私が取りあげようと思っていたCDが中に含まれていますね。興味深いです。そのCDが何かは、近いうちに・・・。
2006年6月12日:グレン・グールドのピアノソナタ全集へのオマージュ 「私のモーツァルト」に第3回「グレン・グールドのピアノソナタ全集へのオマージュ」を追加しました。文は松本さんです。松本さん、原稿ありがとうございました。
2006年6月11日:シカゴ響のモーツァルト やっと女房が帰国してきました。ううう・・・よかったです。女房出張中はさすがに自分のことはほとんどと言っていいほどできません。女房のありがたさを感じますねえ。
というわけで「私のモーツァルト」第2弾を追加しました。「シカゴ響のモーツァルト」です。文は青木さんです。原稿をいただいたままずっと掲載せず、申し訳ありませんでした。何卒ご容赦下さい。
2006年6月5日:私のモーツァルト 懸案であった「私のモーツァルト」をスタートさせました。第1回目として「ヘレヴェッヘ指揮の『レクイエム』を聴く」を追加しました。
去る5月15日に、本日6月5日からこのコーナーを始める旨を書いたのですが、何と気がついてみたら今朝から1週間女房が海外出張だったのです。あろうことか女房は家族を置いてシンガポールに! そうは言っても、さすがに2回も延期できないと諦め、何とか第1回目をアップロードしました。読者から送って頂いている原稿もあるのですが、女房が帰国するまで子供二人の面倒を見なければならないため、今週はこれ以上の更新ができない可能性が高いです。皆様計画性がなくて本当に申し訳ありません!
2006年6月2日:コンサートは台なしに 今日はサントリーホールでツィメルマンのピアノ・リサイタルを聴いてきました。プログラムは以下のとおりです。
- モーツァルト:ピアノソナタ第10番 ハ長調 K.330
- ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
- ショパン:バラード第4番 ヘ短調 作品52
インターミッション
- ショパン:4つのマズルカ 作品24
- ショパン:ピアノソナタ第2番 変ロ短調 作品35「葬送」
ツィメルマンはテクニックもパワーもあって、独自の音楽もあって、演奏は実にスリリングでした。前半の最後に演奏されたショパンのバラードを聴いていた私は文字通り驚嘆してしまいました! 繊細な音、ゆるぎない音楽の流れでバラードを聴かせます。ツィメルマンはショウマンシップとはほど遠い人だと思っていたのですが、要所要所での体の動きは聴衆をドキッとさせますね。聴衆を視覚的にも釘付けにできるのですからすごいものです。休憩時にどきどきしながらじっくり余韻に浸っていたのは言うまでもありません。
で・・・私はそこで帰ってしまった方がよかったかもしれません。
インターミッションの後現れたツィメルマンは舞台上でおもむろにスピーチを始めたのです。しかも日本語で。どうも日本のイラク派兵に反対であるようです。
スピーチを済ませると彼はすぐピアノを弾き始めました。ところが私は全く音楽が耳に入りません。「どうしてあんなスピーチをしたのだろう? こともあろうにコンサートの真っ最中に何故?」と考えて続けました。そうするとピアノの音なんて耳に入りません。
さすがにピアノソナタ第2番「葬送」のあたりになると私も音楽に耳を澄ますことができるようになりましたが、完全には集中できません。非常に見事な演奏だったようでしたが、私は終演後拍手する気にもなれませんでした。
音楽家は何のためにステージに立っているのでしょう。自分の音楽を聴衆に届けたいためではないでしょうか。よもや自分の政治的意見を披露し、聴衆に賛同してもらうためではないはずです。彼の意見に賛同する人、賛同しない人、そのいずれでもない人など、会場には様々な人がいたでしょう。どんな立場にいる人であれ、聴衆は、政治や経済などと離れた世界を楽しみにしてお金を払ってコンサートに足を運んでいるものだと私は勝手に想像していますが、いかがでしょう。少なくとも私はそうです。
ツィメルマンの行動を私は支持しません。政治的な意見を表明したいのであればコンサートとは別の場所でやればいい。もし彼がコンサートを利用して政治的意見を披露するのであれば、私はもう二度と彼のコンサートには行きたくありません。すばらしいピアニストなのに!
(An die MusikクラシックCD試聴記)