短期集中連載 An die Musik初のピアニスト特集
アルフレッド・ブレンデル最終回
ベートーヴェン「ハンマークラヴィーア」を聴く
【インデックス】語り部:松本武巳
■ 前文
ブレンデルの短期集中連載も喘ぎながらもなんとか最終回にたどり着きましたが、書き進むにつれ「ピアノ」そのものにまつわる誤解が想像以上に多いのではないかと信じ、そのことに不安を感じるに至りましたので、この最終回を6部に亘る大きな構成を持ちます長大な企画に変更させて頂き、ピアノ音楽に関します全般的な理論を挿入させて頂きたいと存じます。
実は私は、大きく分けまして、クラシック音楽の愛好家には下記の5つの種類の方がいらっしゃると思っています(もちろん重複して該当される方も多いと思いますが)。
- ピアノを習ったことが契機となり、クラシック音楽の愛好家になられた方(原初的ピアニスト志向)
- 楽器を幼少時には、ほとんど授業以外に触ることがなく、中学校や高等学校になって初めて「吹奏楽部」等で楽器をいじくった事がきっかけで、クラシックの森にさまよい込まれた方(原初的管楽器演奏志向…オーケストラ愛好家T)
- 幼少時から弦楽器を習得された方で、アマチュアのオーケストラ等で活躍されておられる方々(原初的弦楽器演奏志向…オーケストラ愛好家U)
- 中学校や高等学校あるいは職場等の合唱団などで歌われた経験がきっかけで、クラシック音楽がお好きになられた方(原初的声楽演奏志向…オーケストラ愛好家V)
- 大人になって初めてクラシック音楽に興味を持ち、専ら聴き手に専念しておられる方(聴き手専業)
以上の5つのカテゴリーに分類ができると思っています。
このうち、演奏行為に参加する志向性から考えますと、T〜WまでとXの二つに分類できます。このような分類が正しいことには間違いはありません。ところが、むしろ実際のところ、上記の分類のうち「ピアノ」のレッスンからクラシック音楽に入られた方のみが、その他のきっかけでクラシック音楽が好きになられた方々と異次元とまでは行きませんが、明らかに方向性や嗜好性が異なっているように思われてなりません。最も端的に言いますと、「ピアノ」が好きな方々のある種の「排他的」な世界…演奏家も愛好家もともに…が存在しているように思われてならないのです。実際、ピアニストとして世に出ておられる方でも「ピアノ音楽」以外はほとんどお聴きになられない専門家や、愛好家でも「ピアノ音楽」がお好きな方々は、その他のジャンルにあまり目を向けない方が多く、ピアノの世界に閉じこもってしまわれる傾向があるように感じます。
例えば、東京での演奏会(リサイタル)をお聴きになられる方々の雰囲気も、世界的なピアニストの来日を例外としますと、極めて少数の方々の狭い「社交場」の雰囲気が漂うリサイタル会場になってしまうことが珍しくありません。そのような場では、仮に、オーケストラの愛好家の方がたまたまピアノのリサイタルに行かれても、特殊な雰囲気に馴染めないために、再度ピアニストのリサイタルに行こうと思う気持ちが萎えてしまうことすらあるように感じてなりません。
例をあげますと、私は去る10月16日に日本人では類稀なるテクニシャンである岡田博美さんのリサイタルに行きました。演奏自体は極めて優れた爽快なものでしたが、ホールを支配する雰囲気は相変わらず内輪のための儀式のような排他性が強く漂い、まるで「部外者立入不可」であるような錯覚を持ってしまいました。私は岡田さんの演奏をもっと広く聴いて欲しいと思いますし、実際に彼の演奏は内輪の会のレベルを大きく凌駕している国際的に比肩しうる名演奏の域に達していると思うだけに残念でなりません。
そこで、今回のAn die Musik初のピアニスト特集であるブレンデルの最終回に、第1部から第5部の部分を追加して書かせて頂くことをお許し頂きたいと思います。できる限り専門用語を避けながら、ピアノ音楽愛好家以外の方々も熟知されているような内容は削りつつ、ピアノの持つ「特殊性」と、逆に「汎用性」の両方につきまして、バランスを取りつつ書かせて頂きたいと思います。「特殊性」の存在する分野であることは認めつつ、一方で「汎用性」に優れた楽器でもあります「ピアノ」に関しまして正しい知識と認識を持って頂ければ、これに優る喜びはありません。従来のピアノに関します誤解のほとんどは、「特殊性」に留まった議論に終始していたからだと思いますが、もとより「汎用性」に優れており、この視点からの正しい知識を持つだけでも、結果としまして「ピアノ音楽」自体も再考し、聴こうと思ってくださる方が増える事を念願しております。それが日本のピアノ・リサイタルの会場の「排他性」を打破して行く力の源になりましたら、望外の幸運まで得られると夢見ております。
■ 目次
【第1部「ピアノ演奏法」に対する大いなる誤解に関するメモ書き】(2005年3月2日)
《その1…ピアノのメソッドに対する誤解》
《その2…ピアノの音量に対する誤解》
《その3…ピアノの音色とペダリングに対する誤解》
《その4…ピアニストの職業病「腱鞘炎」に対する誤解》【第2部「ピアノ演奏の視点から捉えた西洋音楽史概略」】
『前編』(2005年3月5日)
《ピアノ演奏の原点は「ピタゴラス」に遡る》
《ギリシャの思想家が基礎作りをした西洋音楽》
《ラテン文化における古代ギリシャの音楽論=思想の継承と発展》『後編』(2005年3月15日)
《現代型のピアノの出現と、ピアノ音楽作曲界の停滞》
《現代のテクノロジーとピアノ伝統音楽の復権》【第3部「ブレンデルに繋がるピアニストの系譜」】(2005年5月23日)
《ブレンデルは「フランツ・リスト」の直系である》
《コスモポリタンであるブレンデルの出自と系譜の齟齬》【第4部「ベートーヴェンのピアノソナタ」覚え書き】
《本当に「前期」「中期」「後期」に明確に分類できるのか?》(2008年10月25日)
《有名な「メトロノーム論争」に関する私見》(2008年12月19日)
《そもそも「ベートーヴェン」の典型的な演奏は存在するのか?》(2008年12月19日)
《シンドラーの伝記は「ウソ?」》(2008年12月21日)【第5部「ハンマークラヴィーアソナタ」の基本的楽曲分析】(2009年1月13日)
《ピアニスティックの極致であるこの楽曲》
《ワインガルトナー編曲「オーケストラ版」の陳腐さ》
《なぜこのソナタが「ピアノ曲のエベレスト」であるかの真意》
《とてつもない「怪物」伝説の根拠》【第6部「ブレンデルの4回目で最後の録音」の試聴記】(2007年7月18日)
《すでにこの楽曲の「筆を折った」ブレンデル》
【第11回】−余韻あるいは惜別として−(2009年1月13日)
(2004年10月20日-2009年1月13日、An die MusikクラシックCD試聴記)