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2001年1月

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CD1月31日:「アバド・ケンペのベートーヴェン交響曲全集を聴く」に、交響曲第8番を追加しました。うむむむ、やっと8番まで来ました! あとは「第九」だけです。


CD1月30日:オークション

我が家の女房さんがオークションマニアになってしまいました。「オークション、オークション」と世間で騒がれてから1年以上経っていますが、女房さん、遅ればせながら急にオークションに目覚めたのであります。まずは自分の趣味の世界を追求。ブタの柄が入ったかわいい腕時計を850円で落札、次いで、ブタのTシャツを300円で落札(近日中にぶーとんギャラリーが更新されるのでは?)。さらに、母親らしく、みずなのお砂場遊びセットを900円で、レインコートを300円で、と矢継ぎ早に落札しています。YAHOO!のシステムは本当によくできていて、感心するばかりですね。あれなら女房さんが熱中するわけです。あまりに女房さんが面白がるので、私も女房さんに頼んで、試しにクラシックCDを入札してもらいました(^^ゞ。

まずはずっと探していたベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管によるブルックナーの交響曲第5番のライブ盤を入札! これはずっと探していたPHILIPSの録音でしたが、検索してみると、しっかりとオークションに出ているじゃあないですか! 出品されていたのは、ブル5単体のCDではなく、DUTCH MASTERSシリーズで、交響曲第5番、第7番、第8番、第9番がセットになったものです。私は第5番以外は輸入盤を入手していましたが、肝心の5番だけいくら探しても見つけられなかったのであります。DUTCH MASTERSシリーズで出ているというからには、もしかしたら最近市場に出回っているのかもしれませんが、「4枚組で2,400円だったら、まあいいかな」と思い入札したところ、即落札しました。送料はこちら持ちですが、最初の実験としてはまずまずの成果かもしれません。市場価格を見るまでは分からないのですが...。高かったとしても授業料ということで納得します。

さらに、カペレ関係でも。なかなか手に入らなかった85年2月のゼンパー・オパー再建記念公演二種、すなわちハンス・フォンク指揮の「ばらの騎士」とハウシルト指揮の「魔弾の射手」が出品されているのを発見!出品されているのをこの目で確認できたときには、目が点になりました。もちろん、すぐ入札し、昨晩めでたく落札いたしましたo(^o^)o。落札価格は、「ばらの騎士」と「魔弾の射手」合計で7,500円。廃盤になって久しい歴史的録音を落札するには安すぎる価格かもしれません。これで私のカペレ・ライブラリーがグッと充実するのですから嬉しい限りです(この二組、恥ずかしいことに私はまだ持っていなかったんです)

女房さんがオークションにはまって熱中しているのを笑っていた私でしたが、新しいCD購入方法ができたわけで、私としては思わず( ̄ー ̄) ニヤリとしてしまいました。ん?もしかして、読者の皆様のCDが出品されていたりして? そんなことも十分あり得ますね。私は特にCDを大事にします。転売はしません。何卒ご安心を。


CD1月29日:「アバド・ケンペのベートーヴェン交響曲全集を聴く」ですが、交響曲第7番の参考盤としてブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデンの演奏を追加しました。これは呆れるほど無名の演奏ですが(^^ゞ、すごいですよ。私ではその良さを十分に伝えられない可能性がありますので、今回は私のお師匠、スシ桃さんに登場願いました。


CD1月28日:リンクのページに下記2サイトを追加しました。

高価なLPレコード屋こんぶりお

レコードショップの顔を持ったクラシックファンのためのユニークなページ。レコードの販売以外に、「初演STORYの部屋」、「交響曲の部屋」、「室内楽の部屋」、「協奏曲の部屋」、「歌劇な部屋」など、様々なページを含んだ包括的サイト。全ての分野をフォローするのは並大抵のことではない。頑張っていただきたいものだ。

くらしかるちゃんぷるー

hisadaさんによるページ。私のお気に入りのCDなど、クラシック音楽系サイトの定番ページもあるが、やはりウリは「INBALの部屋」であろう。ついにINBALサイトが登場したわけだが、今までなかったことも奇妙である。鋭意更新中とのことなので、今後の発展を期待したい。

さて、私ども親子は、昨日12時間も車に閉じこめられたわけですが、よく考えてみると、その間みずなは一度も車から降りていないのであります。大人はパーキングエリアで車外に出たのですが、私どもはみずなを大雪に曝すわけにもいかず、ずっと車中に留めおいたのであります。でも、それはほとんど幼児虐待ですね。そんなことをしていると、私まで新聞の三面記事に出てしまいそうです(T_T)。

ちなみに、今日は一人で新幹線に乗り、寒稽古に行く予定でしたが、昨日の疲れがどっと出て朝方は身動きひとつできませんでした。よって寒稽古はなしです。こんなことでは道を究めることができません。寄る年波には勝てないということでしょうか。しかたなく今日は自宅でイメージトレーニングをしていたのですが、女房さんには冷たい視線で見られてしまいました。え? 当たり前だ? うーむ。イメージトレーニングだって絶大な効果があるのになあ。


CD1月26日:コバケン

昨日はサントリーホールに、わが故郷福島県が生んだ英雄小林研一郎(通称コバケン)が指揮する日フィルのコンサートを聴きに行って来ました。曲目はスメタナの連作交響詩「わが祖国」全曲です。コバケンのレパートリーは広くはありません。限られたごくわずかなレパートリーで勝負しているのですが、それがことごとく「燃える」熱演になっています。昨晩の「わが祖国」も立派な演奏でした。重要なところでホルンの痛いミスがあったりしましたが、オケは獅子奮迅の働きぶりです。日フィルは、昨年12月に聴いたNHK交響楽団よりずっと良いオケだと思います。コバケンは基本的には2管編成のこの曲を倍管にして豊かな音響を作り、大作を楽しませてくれました。案の定、終演後は盛大な拍手とブラボーの嵐。拍手がやみそうにないので、コバケンからスピーチが始まりました。「アンコールには応えたいのですが、団員はヘトヘトになっております。どうかお許し下さい」という内容でした。それでも鳴りやまない拍手にコバケンも観念したのか、「じゃ、最後の20秒だけアンコールします!」と宣言、終曲「ブラニーク」のエンディングを演奏して解散しました。

私はコバケンという指揮者が大好きです。「炎のコバケン」という言葉を嘲笑する向きもあるようですが、私にとっては「コバケンすなわち感動」であります。とても非難する気など起きません。コバケンはステージマナーも一風変わっていて、偉そうな素振りを見せません。昨晩も木管楽器、金管楽器のところまで歩み寄って、疲労困憊している奏者をねぎらっていました。舞台下手のホルンセクションの場所から手を振るコバケンはとても愛嬌があって、人のよさを感じさせます。

ですが、私個人は、熱狂的な拍手とは裏腹に、最後まで演奏にのめり込めませんでした。コバケンもオケも疲労困憊の極みに達するほどの熱演だったにもかかわらず、どういうことなのでしょうか? 私はターリッヒクーベリックベルグルンドと、素晴らしすぎる「わが祖国」を何度も聴き、特にクーベリックの演奏は隅々まで覚えてしまっています。どうしても、そうした第1級の名演奏と比べてしまうのであります。大好きなコバケンですが、自分が途方もなく贅沢になっているために、その演奏を楽しめなくなっているのです。いや、もしかしたら、感受性が鈍ってきているのかも。ああ、恐ろしいことです。私は一体どうなってしまうんでしょうか。


CD1月25日:昨日に引き続き、「アバド・ケンペのベートーヴェン交響曲全集を聴く」にケンペ指揮ミュンヘンフィルの交響曲第7番を追加しました。


CD1月24日:「アバド・ケンペのベートーヴェン交響曲全集を聴く」に「交響曲第7番」を追加しました。本日はアバド指揮ベルリンフィルの分です。


CD1月23日:家庭の環境

昨日取りあげたルービンシュタインらによるCDには、きちんとした読み物がついていまして、大変好ましく思いました。国内盤にしては珍しいです。ルービンシュタイン・コレクションは、BMG(RCA)の象徴的存在でしょうから、自ずとCDの企画には力が入ったのかもしれません(...ということは、通常は力を入れていない=等閑にしているケースが多いということでしょうか?)。

さて、その解説文の書き手は音楽学者、批評家のハリス・ゴールドスミスさんで、それを木幡一誠さんが訳しています。この中に非常に興味深い内容が含まれていますので、ご紹介いたします。

...これは既に述べたことだが、「室内楽」とは、どこの国の言葉に置き換えられても明らかなとおり、くつろいだ雰囲気の中で聴かれるべきものである。...(中略)...。しかし私は現代のコンサート・ホールで、たとえそれが最高の室内楽奏者のアンサンブルであっても、満足いく音響条件に一度もめぐりあったことがない。聴衆とともに長いこと長いこと歩んできたあげく、演奏活動も終わりに近づいて、私はこう考えるに至った。シューベルトやシューマンやブラームス、あるいはラヴェルやドビュッシーやプロコフィエフやシマノフスキの音楽でさえ、デリケートに書かれた小品となれば、すぐに聴衆の心に訴えるのは難しい。静かに終わる曲にしても然りだ。そんなピアノ曲も、そして同様の特質を持つ室内楽曲も、家庭的なぬくもりのある部屋で、最新の技術で作成されたレコードによって再生されれば、たちまちにして聴き手の耳をとらえてみせることだろう。私が心から愛しているのに、決して聴衆の前で弾かない作品があるのは、こうした理由からなのだ。しかし私的な場で演奏するとなれば、話は別である。

ルービンシュタインほどの超一流の音楽家から、このような言葉が語られるとは夢にも思いませんでした。ルービンシュタインはその生涯に膨大な録音を行っています。このページの読者には、もしかしたらルービンシュタインの全録音を蒐集した方がおられるかもしれませんが、私にしてみれば目も眩むような量です。私はてっきり旧RCAの強い意向があったからだとばかり思っていたのですが、必ずしもそうではなさそうです。上記文章を読みますと、ルービンシュタイン自身が望んで録音が行われた節がありますね。

それにしても、世界の名ホールを使って演奏を続けてきたルービンシュタインが、音響条件ではどこにも満足していなかったこと、家庭的なぬくもりがある部屋(あえて家庭そのものとは言っていないようですが)が室内楽等再生の場所として適していると考えていた、というのは面白いことです。今回のリマスタリングはBMGが誇る最新の技術で行われました。少なくとも音質面で私は不満を感じません。私の部屋には家庭の「ぬくもり」らしきものはあります。スイスにおける録音から四半世紀後、極東の島国の一音楽ファンが、真剣に自分の録音を聴いていることを知れば、天国にいるルービンシュタインもさぞかしご満悦でしょう。


CD1月22日:真冬には室内楽を

昨年発売された、有名な録音のリマスタリングCDをひとつご紹介いたします。

CDジャケットブラームス
ピアノ三重奏曲第3番ハ短調作品101
録音:1972年9月4-10日、ジュネーヴ、ヴィクトリア・ホール
シューベルト
ピアノ三重奏曲第2番変ホ長調作品100(D.929)
録音:1974年4月13-19日、ジュネーヴ、ヴィクトリア・ホール

BMG(国内盤:BVCC-35073)

20世紀を代表する巨匠たちによる、豪華な室内楽の録音ですね。「豪華な」という形容詞と「室内楽」という名詞の組み合わせには、違和感を感じないでもありませんが(^^ゞ、顔ぶれが豪華なだけであって、演奏は至ってシック(これはもう死語かな?)であります。ピアノが出過ぎる場所もあるようですが、音楽の隅々までを知り尽くした大家たちの顔合わせらしく、とても安心して聴ける演奏になっています。

このCDは選曲も優れています。曲の長さから考えれば、メインはシューベルトの傑作、ピアノ三重奏曲第2番なのでしょうが、情熱的かつ陰鬱なロマンチシズムを持つブラームスのピアノ三重奏曲第3番との組み合わせは絶妙であります。名曲同士というだけでなく、音楽の創り出す雰囲気が対照的で面白いのであります。その方が聴き手は緊張感をもって聴き続けることができていいですね。このCDがあれば、どちらを先に聴くかを決めて、休憩をはさんだひとつのコンサートを作ることができたりします。私のようなひよっこリスナーは、恥ずかしながらオリジナルの組み合わせを知らないのですが(^^ゞ、もし最初からこの組み合わせであったとすれば、CDの収録順に聴かれることを望んで作られたに相違ないでしょう。私はそうしています。

私はシューベルトの室内楽は、真冬にとてもふさわしいと考えています。寒空にシューベルトを聴くと、何だか温かくなってくるような気がしませんか? かつて私はCD試聴記に、インマゼールによるシューベルトを取りあげたことがありますが、あれも冬場に聴くといっそう感動的です。ピアノ三重奏曲第2番は、第1番に比べるとずっと劇的な曲ですが、底流にある「うた」の世界は、すぐさま聴き手のハートにしみ込んできます。そういえば、ヨーロッパの冬は猛烈に寒いですね。暖房設備が今ほど充実していなかったシューベルトの時代、この音楽はきっと多くの人々を温めたことでしょう。シューベルトの音楽には、そうした面があると思いませんか?


CD1月21日:本日は2部構成です。

その1:投稿

ケンペのベートーヴェン全集に関して読者の「ゆきのじょう」さんから投稿を頂きました。内容は、....。まずはご一読下さい。なお、An die Musikは投稿を常時受け付けています。皆様もいかがですか?

その2:寒稽古

先週は月曜、火曜日と得体の知れない病気のために完全にグロッキーでした。が、木曜日あたりから体調が回復し、週末は無事寒稽古に出ることができました。皆様、ご心配いただき、ありがとうございました。お陰様で今回は苗場スキー場に今シーズン初めて進出しました。年末年始も苗場にはいたのですが、子連れのため、私が滑っていたのは緩斜面だけの浅貝スキー場だったのです。今回は新しいブーツの調子を確かめる必要があったので、浅貝では不足と判断、苗場のコブ斜面や急斜面でブーツのフィット感を確認してきました。

私がこれまで使っていたNORDICAのモーグル用ブーツは足に完全にフィットし、雪面の状況が足裏にじかに伝わってくる優れものでした。ですが、ひとつ難点があったのです。それは、足にフィットしすぎて、毎年親指の爪が割れてしまうことです。爪が割れるのは本格的なシーズンが終了する3月頃でしたから、今まではずっと我慢していたのですが、今年は年末年始に浅貝の緩斜面を滑っているだけで爪が黒ずむ始末です(お風呂に入った後までジンジン痛みました)。これでは足の指が死んでしまうと思った私は、ついにNORDICAのブーツを捨てる決心をしたのです。女房さんも私を哀れに思ってくれたので、予算も付きましたo(^o^)o。それで新たに購入したSALOMONのブーツは絶対指が痛まないものを選びました。

が、今度は若干余裕がありすぎるのか、フィット感は今ひとつです。足の裏から直接に雪面に繋がる感じはまだなく、ちょっとブーツがだぶつく感じです。それでは機敏なターンはできません。「これはまずい!」と気がついた瞬間、私は山頂付近のコブ斜面で、なんともみっともないというか、無様な転び方をしてしまいました。あろうことか、今度は恐怖心が芽生えてきて、大好きなチャレンジコースもヘコヘコしながらやっと降りてくる有様です(T_T)。なんだか初心者の昔に戻ったような気がしました。情けないです。ううう。

その後、必死にブーツの調整をしたところ、かなりの改善がありました。ショートターンも可能です。が、まだまだです。ブーツがまだ自分の足の一部になっていません。来週はインナーを入れたり、再度調整をしてみますが、これでは稽古どころではありません。早く調整を終了しないと、シーズンが終わってしまいます。早く何とかせねば。焦る私でありました。


CD1月19日:ウテ・レンパー

昨日は渋谷の東急BUNKAMURAまでウテ・レンパーを聴きに行ってきました。え? 「ウテ・レンパー」なんて知らない? それはいけません。もったいないことですよ。ドイツ出身の歌手兼ダンサー兼女優で、マレーネ・ディートリッヒの再来とまで言われている才能豊かな美女です。長身で抜群のスタイルを誇り、しなやかに舞台で踊り、歌います。使う言葉は、独、仏、英語。クルト・ワイルうたいとして有名ですね。私はウテ・レンパーのCDは多数持っていますが、少なくともこちらはクラシック音楽ファンなら必携でしょう(我が家では私のみならず、夫婦とも愛聴盤にしています。まだ聴いておられないのでしたら、ぜひお薦めいたします)。

オーチャードホールに現れたウテ・レンパーは、1時間30分歌い続けました。途中、英語によるお喋りやワイマール時代の音楽に対する解説をするのですが、そのお喋り自体がとても音楽的でした。ステージが音楽面から総合的にプロデュースされているんですね。細部まで計算された見事なステージでした。取りあげた曲も、ドイツ語及び英語で歌うキャバレーソングや、ミュージカルソング、まことに怪しく退廃的な現代の音楽(エルビス・コステロなどが作曲)、フランス語で歌われるシャンソンなど非常に幅広いものがありました。

最近のウテ・レンパーは感情過多な歌いっぷり、あるいは自己陶酔的な歌い方が多く、私は若干敬遠していました。最新作「パニッシング・キス」も特に感心はしませんでした。しかし、ステージ上のウテ・レンパーはやはり魅力的です。まず、真っ赤なドレスがシビレルほど格好いい! それに、彼女は声域が広い上に、豊かな声量があり、高音がよく伸びるという恵まれた資質のために何を歌っても決まってしまいます。非常に退廃的な音楽が最近のウテ・レンパーの特徴ですが、最も優れているのはワイマール時代のキャバレーソングとシャンソンでしょう。例の「マック・ザ・ナイフ」といわゆる枯葉(Ne me quitte pas 〜「行かないで」)は最高の聴きものでした。ステージは最後に向かうにつれて大変な盛り上がりようです。いやあ、よかったなあ。

でも、悲しいことに、このコンサートに私は一人で行ったのであります。クラシックのコンサートならともかく、こうしたジャンルのコンサートに単身で赴くことにちょっと抵抗があった私は、女房さんの会社に勤める妙齢の独身女性!をお誘いしたのですが、「伊東さんが行くような高尚なコンサートに、とても私は一緒に行けない」と断られてしまったのであります(T_T)。でも、無理矢理にでも来てもらうんでした。きっと満足したと思うんですが...。いや待てよ、しつこい男は嫌われますね。


CD1月18日:PHILIPSのリマスタリング盤

あのPHILIPSが創立50周年を迎えたそうです。メジャーレーベルですから、もっと古くからあるような気がしたのですが、意外に新しいんですね。それはともかく、今年は50周年記念のCDがいろいろ出てきそうです。既に96KHz 24-BIT SUPER DIGITAL TRANSFERと銘打ったリマスタリングCDが10タイトル登場したようです。内田光子のドビュッシーや、ゲルギエフ指揮キーロフ管によるプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」など、記憶に新しいものから、J.クリップス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管によるモーツァルトの交響曲第40番、41番などです。自分の目では確認していませんが、コリン・デイビス指揮のプッチーニ「トスカ」もあるようです。秋葉原では輸入盤で1枚1,300年程度で売られています。ずっと前から持っていて、音質にさほどの不満を持っていないCDであっても、この値段ならつい買ってしまいますね。そういう値決めをしたのでしょう。

CDジャケット私が買ってきたのは、ヨッフム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管によるブルックナーの交響曲第5番です(左写真)。これは、1964年5月にヨッフムがドイツ、バイエルン州オットーボイレン修道院でライブ録音したもので、ブル5の記念碑的録音として有名です。名盤中の名盤といえるでしょう(もちろんステレオ録音です)。これ以前に私が所有していたCDは、1989年頃に発売された「NO NOISEシステム」を売り文句にしたCDでした。マスターテープが若干歪んでいる気配がある録音ではありますが、NO NOISEシステムというだけあってノイズをきれいに排除したCDでした。が、特に不満は感じていませんでした。

私はPHILIPSの録音が好きです。こうした国外のライブ録音においても、名ホールであるコンセルトヘボウの響きが活かされているかのような見事な録音が行われるからです。64年の古い録音でも申し分のない録音でした。それがリマスタリングによってどう変わるか、というのは大変な関心事でした。結果ですが、リマスタリング盤ではノイズが入っています! え?当たり前だろって? いえいえ、そんなことはありません。これは当たり前のようで当たり前ではないんです。シャーッというテープのノイズが増えた分、何だか開放感のある音になったような気がします。嬉しいなあ。

でも、何度かチェックを繰り返しているうちに、現在聴いているのがどちらのCDなのか、自分で分からなくなったりしました(^o^)。ああ、何てこったい! ...ということは、さほど音質の差はないということなのでしょうね。デイビスの「トスカ」なんて、あれ以上何も望めない程の名録音だったのに、さらに改善の余地があったのでしょうか? うーむ、そう思うとチェックしてみたくなります。おっと、これではまた敵の術中にはまってしまいますね!

もっとも、今回の50周年記念で、過去の名盤や知られざる名録音が発掘される可能性が十分にありますね。これは期待したいところです。10タイトルなんてケチなことを言わずに、一挙に100タイトルくらいどーんとやってくれないものでしょうか?


CD1月17日:「アバド・ケンペのベートーヴェン交響曲全集を聴く」に「交響曲第6番<田園>」を追加しました。今回は一回でまとめてみました。ケンペ盤については、コメントが不足していますが、何卒ご容赦下さい。


CD1月16日:体調不良のため、本日は会社を休んでしまいました。An die Musikもある程度の原稿はあるのですが、加筆・訂正の余力がありません。誠に申し訳ありませんが、本日も本文は休ませて下さい。ゲストブックでお会いしましょう。


CD1月15日:女房のちふみです。本日亭主は帰宅するなり寝込んでしまいました。先週10日に引き続いて、皆様には大変申し訳ありませんが、本日は更新をお休みさせていただきます。

このところ急激に冷え込んだので、風邪を引いたようです。皆様もお気をつけ下さい。


CD1月14日:クロスオーバー その2

今週末は法事があったので福島に帰省してきました。車に乗って帰ろうとしたのですが、先週降った60年ぶりの大雪のため、路面凍結がひどく、下手に車で来るのは危険との指摘を親族から受けました。それで新幹線で移動してきましたが、大正解でした。福島駅に降り立ってみると、すごい景色です。あたりは一面銀世界で、気温も低く、まるでスキー場のようでした(◎-◎)。路面が凍っているのはタクシーに乗っていても見当がつくほど。あれでは、いつ何時車の衝突事故が起きてもおかしくありません。我が家の車は4輪駆動のレガシィで、無論スタッドレスを履いていますが、あれでは車で帰れないということがよく分かりました。さすが地元の人間は正しいです。

ところで、金曜日に扱ったジャズの話題ですが、ちょっと進んで「クラシック音楽とは何ぞや?」というところまで考えてしまいました。どちらも即興的要素はありますが、ジャズはその傾向が著しいです。また、ジャズは原曲があったとしても、即興演奏の過程で原曲がほとんど分からないようになったりします。有名なサラ・ヴォーンの「枯葉」はその最たるもので、「枯葉」といわれなければ、ふつうの聴き手はまず曲名を当てられません。そうした点がジャズとクラシック音楽の根本的な違いなのかもしれませんが、モーツァルトやベートーヴェンの時代は、様相が全く違っているのです。例えば、阿部牧郎著「地球交響曲 小説ベートーヴェン」(文藝春秋)でも、「ファンタジーレン(即興演奏)」という言葉が何度か出てきます。彼らは即興演奏を盛んに行い、公開の場でその技術を競い合ったりしているのです。それは事実上のジャズであったのではないか、という気がします。

しかるに、その後、楽譜に書いてあるものを有り難くなぞっていくというスタイルがクラシック音楽で一般化し、今日に至っているのです。バイオリン協奏曲やピアノ協奏曲におけるカデンツでさえ、出来合いの曲が演奏されており、とても音楽家がその場の感興にまかせて即興演奏をするなどということは考えられません。カデンツは演奏家の技術披露の場ですから、それでもいいのかもしれませんが、果たして200年前はどうだったのでしょうか? そうではなかったのかもしれません。多分、モーツァルトやベートーヴェンが現在のクラシック音楽界を知れば、その「ファンタジー」のなさに、呆れてしまうのではないかとさえ思います。難しい顔をして音楽を聴き、どこの小節の演奏がどうだ、とか、何の版を使った演奏である、などという枝葉末節に拘る聴き方を続ける私のような音楽ファンがいるのは、クラシック音楽が行き詰まっているからなのかもしれません(気のせいかもしれませんが、現代のクラシック音楽界が他に刺激的な新しい「何か」を産み出せなくなっていることの現れなのではないかと思えます)。果たしてクラシック音楽は21世紀を生き延びることができるでしょうか? あと100年後、どうなっているか知りたいものです。


CD1月12日:クロスオーバー

今日は久々に山野楽器浦和店を覗いてみました。浦和という地方都市のショップなので、クラシック売り場はそう広くないのですが、そこの店員さん独自の仕入れによる品揃えが魅力の店です。クラシックフロアの担当は女性ですが、クラシック音楽に精通し、マイナーなレーベルのマイナーなCDまで完全にフォローしてくれます。で、今回は珍しくも国内盤ばかりを3枚買ってレジに行きますと、そこにはなぜかジャズのCDが。

私もジャズファンですので、その後はクラシックフロアでジャズの話をしてしまいました(^^ゞ。何度かここに書きましたが、かつて私はジャズを聴きまくっていたことがあります。特に50年代のジャズには目がありませんでした。しかも、クラシック音楽も同じように好きでしたので、平行して聴いておりました。が、ある時、「このままではクラシック音楽の広大な世界をろくすっぽ知らないまま死んでしまうのではないか」という尋常ならざる恐れを抱き、ジャズを捨てて(?)、クラシック音楽に試聴範囲を絞ったのであります。

ところで、不思議なことですが、ジャズファンとクラシックファンはかなりダブっているようですね。このページの読者にも、ジャズファンが多数おられるはずです。ただし、音楽の基本的なところは全く違いますね(多分)。「ほぼアコースティックな楽器を使用する」という点だけが共通していますが、ジャズは即興演奏であり、現在聴かれているクラシック音楽は即興演奏ではありません。どれほど立派そうに聞こえるジャズでも、楽譜をなぞっている演奏はジャズではありません。失礼でしょうが、それはただの軽音楽であると私は思っています。

でも、即興演奏か、そうでないかがジャズとクラシック音楽の違いだと思っていた私ですが、はた、と思いついたことがあります。私たちが「これは面白い! これはすごい」と思っている演奏は、その多くが即興性の高いものではないでしょうか? ライブ盤が常に人気を博しているのも、即興性を如実に感じ取れるからかもしれません。そう考えますと、今までの信念が大きくぐらついてしまいます。確かにクラシック音楽にも、楽譜をなぞっているだけの演奏がないわけではありません。それが面白い演奏のわけがありませんね。すると、ジャズもクラシック音楽も、根はやはり同じところにあるのでしょうか? 自分の音楽観にすっかり自信を失ってしまいました。皆さんはどう思われますか?


CD1月11日:「アバド・ケンペのベートーヴェン交響曲全集を聴く」の「交響曲第5番」に、参考盤としてジンマンの演奏を追加しました。

昨日は、更新できず、誠に申し訳ありませんでした。ある会社の社長と飲みに行ったら、楽しいお酒だったため、つい飲み過ぎてしまいました。その社長さんは新潟出身で、むちゃくちゃお酒が強かったのですが、それが私の運の尽きでした。帰宅したら、私はへべれけになっていたのであります。このような体たらく、An die Musik始まって以来のことであります。深く反省しています。


CD1月10日:諸般の事情により本日の更新は休みます。まことに申し訳ありません。


CD1月9日:CD試聴記に昨年来の企画「アバド・ケンペのベートーヴェン交響曲全集を聴く」の「交響曲第5番」にアバド指揮ベルリンフィル盤を追加しました。


CD1月8日:CD試聴記に昨年来の企画「アバド・ケンペのベートーヴェン交響曲全集を聴く」の「交響曲第5番」を追加しました。新年が始まったばかりですので、少しゆっくりやりたいと思います。今日はケンペ指揮ミュンヘンフィルの分であります。


CD1月5日:長大な音楽

私は長大な音楽が嫌いではありません。私はクラシックを聴き始めてすぐにマーラーやブルックナーの交響曲に接しましたから、1時間を超える曲でも長いとは感じなくなっています(^^ゞ。しばらくマーラーの交響曲を聴き続けた後にモーツァルトを知った私は、若気の至りで、「何でこんなに短い曲ばっかりなんだ?」と逆に違和感を覚えたものです。考えてみれば、マーラーの交響曲第7番には、モーツァルトの交響曲が3曲くらいすっぽり収まってしまうような気がします。マーラーが長すぎるのか、モーツァルトが短すぎるのか?

そんな議論は、おそらくはクラシック音楽の世界だけで成り立つのでしょう。一般的な音楽、例えば、ポップスからみれば、1曲で1時間など論外、30分でも長すぎると感じられるでしょう。実際、昨年大流行したサザンの「TSUNAMI」は、わずか5分ほどの曲ですが、それ自体が完結した立派な世界を築いています。すると、演奏にその10倍、いや20倍もの時間がかかる音楽を聴くというのは、狂気の沙汰と思われても仕方がありません(T_T)。クラシック音楽ファンが世間では圧倒的な少数派で、「クラシックが好き」というだけで「この人はヘンジンだ」と奇異の眼差しを向けられてしまうのはそういう理由によるのでしょう。

でも、クラシックファンに言わせれば、その長さは何ものにも代え難い至福であります。マーラーやブルックナーの音楽の巨大な盛り上がりは言うに及ばず、モーツァルトのピアノ・ソナタだって私をドキドキさせてくれます。「どうして周りの人はこのようにすばらしい音楽を聴かないのだろう?」とつい考え込んでしまいますね。もっとも、そう思うということは、私が筋金入りのヘンジンになったことの例証なのですが...。

困ったことに、クラシック音楽の中でも長すぎる曲はそれだけで評価が下がっているように感じられてなりません。今やマーラーの交響曲第7番が低い評価を受けることは少なくなってきたと思いますが、昨日「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」で取りあげたワーグナーの歌劇「リエンツィ」などは、クラシック関係書物を読んでいても寂しい紹介しか書かれていませんね。確かに、その後に作曲された「オランダ人」や「タンホイザー」などに比べると、劇的緊張感の点で物足りないのでしょう。それに、初演時に6時間もかかる5幕もののオペラという触れ込みだけで「ああ、もううんざりだぁ」と音を上げる人が多いのでしょう。でも、待って下さい。仮にも「リエンツィ」はそれだけの長さであったのにも関わらず、音楽都市ドレスデンで大当たりしたんですよ。音楽史的には「オランダ人」以降のオペラの方が圧倒的な優位にありますが、とても面白いと私は思います。深刻で、暗い世界のワーグナーでなければだめだ、などと誰も決めてはいません。カペレによる「リエンツィ」のCDは、なぜ「リエンツィ」が好評をもってドレスデンの聴衆や、そして劇場にも迎えられたのかを如実に示す好録音です。長いから、といって敬遠するのでは立派なクラシックファンとは言えません。長いと思われる曲を徹底的に追及してみましょう。時間がもったいないかもしれませんが(^^ゞ、すごい発見をいくつもするかもしれません。いかがでしょうか?


CD1月4日:新年早々のクラシック音楽は何でしょう? 普通はウィンナ・ワルツでしょうね。でも、私は別のジャンルの、別の曲のCDを選びました。実際は悲劇なのでしょうが、音楽全体に反映される雰囲気は、半ば祝典的です。私は年頭の曲としてこの曲を選ぶことに何ら躊躇しません。その曲とは、こちらです....。


CD1月3日:あけましておめでとうございます

伊東です。先ほど苗場での寒稽古を終えて帰宅しました。今年もよろしくお願いします。「クラシック音楽をもっと深く知りたい! もっと純粋に楽しみたい!」というのが、私のかねてからの強い願いであります。このホームページは、その私の勉強の場であります。今年も勝手に研究テーマを決めて(^^ゞ、クラシック音楽の様々な魅力を探っていこうと思います。継続中のシリーズはもとより、企画検討中のシリーズも既に複数あります。そのうち、ひとつかふたつを今年中に完了できれば、また新たな音楽の楽しみを増やせるのではないかと思っています。時間の許す限り更新を続けていきますので、皆様、何卒非力な作者にご協力お願い申しあげます<m(__)m>。

私はCDによる音楽鑑賞をメインにしておりますが、今年はコンサートにもできるだけ出没したいと考えています。昨年は年頭に5回の目標を掲げ(すごく少ないぞ!)、当然のことながら年半ばにはクリアし、目標値を年10回に上方修正しました。それもかろうじてクリアしましたが、できればもう少し行きたいと思います。というわけで、今年は全部で15回を目標にいたします。経験上、3回に1回良いコンサートに当たれば御の字ですので、15回ですと、4,5回くらいは楽しめるかもしれません。

さて、家族の件です。苗場には、年末に親子三人で出かけたのですが、戻ってきたのは私だけであります。何と、女房さんとみずなは、まだ苗場にいるのであります(◎-◎)。私は1月4,5日と出社ですが、女房さんは9日からの出社なのです(う、うらやましいぞ!)。それで、わざわざ最も高速道路が混雑する3日に移動するのを拒絶した女房さんは、今頃は宿の福島屋さんでのんびりしているのです(私は新幹線で帰ってきました)。私は4,5日と出社し、6,7日はまた修行のために苗場に行きます。その間も、女房さんは同じ宿にずっと居続けるわけで、ほとんど宿の人と同化しています。娘の「みずな」の名前は、この宿の山菜採りツアーで採ってきた山菜に由来するくらいですから、私どもは宿の福島屋さんとはずっと懇意にしています。宿の子供と我が家のみずなも一緒に遊びますし、私どもも自然に宿の人と接します。そのせいもあって、宿にいる時間が私より長い女房さんは、宿泊客に「タオルを1本下さ〜い」とか「1万円札を両替して下さ〜い」など、いろいろ頼まれてしまうのだとか。子連れで宿にいて、宿の人と身近に接していれば、そうなるのは当たり前なのですが、それも女房さんの人徳なのでしょうか? まあ、いつも子育てに苦労を重ねている女房さんにはのんびりする正月もいいでしょう。

それはともかく、明日からまた更新を再開します。乞うご期待であります。


(An die MusikクラシックCD試聴記)