ARCHIVE OF WHAT'S NEW ?
2000年2月
2月29日:再生機器
私はCD試聴記などで、おこがましくもCDの音質についてふれています。昨日の「クレンペラーのページ」で取り上げたARKADIAのCDについても、「厚みのないモノラル録音」などと書きました。
しかし、そう書いていいのかどうか、迷う場合もよくあります。といいますのも、音質の善し悪しについては、使用している再生機器でかなり違った印象を受けるからです。私の再生機器は大したものではありません。Webマスターの方々には、本格的な再生装置でクラシック音楽を楽しまれておられる方が多いようですが、私はごく普通の機器を使っています。スピーカーだけB&Wの少し値の張るものを使ってはいますが、それとてたかが知れたレベルです。そんなシステムでもCDの音はかなり忠実に再生してくれますので、それを頼りに音質を云々する文章を書いているわけです。もっとも、「忠実に再生してくれている」というのは私の幻想、あるいは思い込みかもしれませんが。
ところが、再生機器については厄介なことがあります。経験的には、きちんとした機器ではなく、ラジカセのようなステレオ装置で聴きますと、結構よく聞こえます。ラジカセなどでは再生する周波数帯域の制限があるのか、あるいは特殊な音作りを目指しているのか、どんな音質のCDをかけてもそれなりに良い音質で再生してしまうのです。もちろん、楽器の微妙な色彩感やオケのバランス、ピアニッシモの美しさなどの表現はあまりできないのですが、中音域にエネルギーが集中する厚みのある音色になるのです。そう思われた方は他にいませんか?(こんな馬鹿なことを言うのは私だけかな?)。昨日のARKADIA盤でもそうで、ラジカセからは、B&Wのスピーカーとは全く違う、肉付きのよい音が聞こえてきます。おそらく、そう聞こえるようにスピーカーが設計されているのでしょう。「何を聴いても同じように肉付きのよい立派な音になる」、これはすごいことですね。音質の差を云々するには役不足ですが、あまり良い音質でないCDまでいい音で再生してくれるのであれば、ラジカセでクラシックを聴いた方が幸せだと言うことになります。
こうなりますと、再生機器にお金をかけるのも憚られてきます。実は我が家のアンプがついに調子が悪くなってきています。約8年使ったのですが、時々左チャンネルの音が出なくなったりします。それでもウォーミングアップ時間を長く取るなど、いろいろ対策を練りながら騙し騙し使っているのですが、いつ再生できなくなるか分かりません。新しいアンプを買いたいところですが、アンプ1台を買うのであれば、CDを大量に購入できるので、どうしても二の足を踏みます。しかも、意外とラジカセ・レベルでも楽しめる、ということになりますと、恐い女房さんに言い出しにくくなります。うむむ、どうしたらよいでしょう。
2月28日:「クレンペラーのページ」に「ブルックナーの交響曲第7番」を追加しました。オケはバイエルン放送響です。
2月27日:本日は2部構成です。
その1:パイパースの記事
<管楽器とヒトの雑誌「パイパース」>3月号にシュターツカペレ・ドレスデンの記事が載っていますね。タイトルは「ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 金管奏者達と楽器」です。あまり話題にならない団体ですので、わずか5ページの記事であっても、大特集が組まれたような喜びを感じます。特に2月17日の当欄で写真入りでご紹介いたしました首席トランペッターのひとり、マティアス・シュムッツラーについての絶賛コメントが印象的であります(当団は首席3人制です)。既に何度かお伝えしましたが、シュムッツラーは来日公演の際、マーラーの交響曲第5番で鉄壁のソロを聴かせました。パイパースによれば、彼は、公演直前のインタビューは風邪のため中座していると書かれています。双眼鏡で見ていた私ははっきりと確認できましたが、シュムッツラーは頭のてっぺんまで真っ赤にしてあの難曲を吹きまくっていました。それも、ミスひとつない信じがたい演奏でした。それが絶不調時の演奏だったとしたら、驚きはいや増すばかりです。特集記事を書いた佐伯茂樹さんは、興奮のあまりシュムッツラーを「シカゴ響のハーセス、ウィーンフィルのガンシュなどと並び、流派を越えた伝説のトランペット奏者の仲間に、この若きドレスデンのシュムッツラーが加えられる日は遠くない、と確信した。」とまで絶賛しています。ちょっとオーバーな表現かもしれませんが、あのコンサートを聴いた私としては「そのとおりだ!」と思います。当団では楽員の世代交代が90年代にかなり進行しているようですが、シュムッツラーのような大器が首席として活躍するのであれば、今後がますます楽しみであります。
その2:山菜
先日、とあるサイトの管理人様からリンクの依頼を受けました。それがクラシックCD試聴記としての当ページではなく、「苗場&福島屋旅館のページ」にリンクを貼りたいと言うことでした。「こりゃどうしたんだ?」と思って先方のサイトを確認してみたら、「遠藤商店」という山形県の山菜を扱う店のサイトでありました。我が家は山菜が好きですし、娘につけた「みずな」という名前も山菜から取っています。もちろん、今年も大々的な苗場山菜ツアーを企画しています。そうした趣味を広めるべく、「苗場&福島屋旅館のページ」には山菜取りのコーナーがあるのですが、ホームページ開設後、山菜関係のお便りをいただいたことは一度たりとてなく( ̄^ ̄)、その不人気ぶりを嘆いておりました。作者である女房さんも、そのようなものだと諦めていたのですが、よもやリンクが貼られるとは夢にも思いませんでした。お陰様で女房さんは猿のように喜んでおります。いつ、どこで、誰が、どのページを見ているのか、分からないものです。これで女房さんも更新意欲が湧くかもしれませんね。
2月26日:イギリスの音楽
「シャルル・デュトワの若者に贈る音楽事典」が放映されましたね。世界漫遊シリーズですが、今回はイギリス編です。デュトワの生徒役を務める響子ちゃんが急に大人になっていてびっくりでした。本当に同じ人でしょうか?
ところで、番組ですが、パーセルもホルストもヴォーン・ウィリアムスも出てこないという風変わりな内容で、唖然としました。「それでOK」とデュトワがゴーサインを出していたのであれば、二度驚きます。最後に登場したのはビートルズの「ヘイ・ジュード」でしたが、ホルストの「惑星」くらいは紹介されてもよかったのではないかと思うのですが...。
それはともかく、いつものことながらプロムスの様子は羨ましい限りです。2年ほど前、エルガーの「威風堂々」をアンドリュー・デイヴィスが指揮しているプロムスをテレビで見たことがありますが、とても楽しそうでした。聴衆が歌い出し、デイヴィスもオケではなく、聴衆の歌を指揮していました。アンコールも「威風堂々」で、聴衆はもう一度歌っていました。あれはもうカラオケそのものですね。テレビのアナウンサーは「これはここ38年間で最もすばらしい歌でした!」などとのたまわっていましたが、そんなアナウンスもいかにもプロムスの華やいだ楽しい雰囲気を醸し出していて、感心した覚えがあります。クラシックのコンサートといえば、難しい顔をして聴かなければならない雰囲気がある我が国とは随分違うようです。あのような場面を見るにつけ、ヨーロッパに飛びたくなるので困ります。毎度のことですが、世界漫遊をする番組には危険を感じますね。え?それなら見るな?うむむむ...。
2月25日:MERCURY
昨日「クーベリックのページ」で取り上げた「わが祖国」は、MERCURYという廉価盤のレーベルから発売されています。廉価盤だからといって馬鹿にしてはいけません。私はこのレーベルのCDを買って、いまだハズレに当たったことは一度もないのです。すばらしいレーベルです。別に宣伝を頼まれたわけではありませんが、今回はこのレーベルの紹介をしてみましょう。
廉価盤だけに、値段は国内盤で1,500円、輸入盤で1,380円程度です。国内盤と申しましても、直輸入盤に日本語の解説をつけたものですから、音質的には変わりません。また、メジャーレーベルの多くのCDとは違って、解説が丁寧であることが好感度を高めます。その日本語解説も直訳でなく、きちんと別途作成されていますので、国内盤を買いますと、英語と日本語の両方の解説を楽しめます。
このレーベルの売りは、何と申しましても優れた音質であります。ジャケットにはMERCURYのロゴマークとともに、「MERCURY LIVING PRESENCE」の謳い文句がでかでかと記載されています。事実すばらしい音質です。このレーベルは古くから高音質で知られていたようですが、オーディオマニアが喜ぶ音質というよりも、一般家庭で聴いて十分良さを実感できる音質であります。プロデューサーと録音エンジニア(実は夫婦(*^-^*))が精魂傾けて録音を行ったようです。それゆえ、たとえモノラルであっても、下手なステレオ録音顔負けの生々しい音質でファンを捉えてきました。ステレオ期になりますと、さらに充実した録音活動を集中的に行い、あまたの名盤を世に送り出しています。
音質上の特長は、ワンポイントマイクを使いながらも、基本的には生々しく分厚いサウンドを作ることです。ステレオ録音の場合、3本のマイクを使うだけなのですが、サウンドに厚みがある上、分離の良さは驚嘆すべきものがあります。コンサートホールで音楽を聴くと、MERCURYの録音のようには楽器の音は分離して聞こえないものですが、家庭で音楽を楽しむ際には、ステレオ感があっていいでしょう。生々しさと分離の良さは、人によっては逆に気になる場合もあるでしょう。が、これはこれで大変価値があると私は思います。PHILIPSのホールトーンを活かした、まとまりのある録音と聴き比べるのも一興でしょう。どちらがいいかは、好みの問題ですから、何ともいえませんね。
ところで、このレーベルには地味ながら数多くの有能な音楽家達が顔を揃えています。クーベリック、ドラティ、スクロヴァチェフスキー、パレー、マッケラス、シュタルケル、などであります。今でもメジャーになり切っていない人が中心のレーベルなのです。しかし、それは音楽の内容とは全く無関係です。このレーベルのCDを聴いたことがある人なら、いかに優れた内容の録音ばかりであるか、よくご存知でしょう。プロデューサーのウィルマ・コザートさんは、よほど音楽家を見る目に長けていたのでしょう、見事な組み合わせのCDが作られています。クーベリックの「わが祖国」は言わずもがな、私の愛聴盤はドラティのCDです。MERCURYにドラティは恩師であるバルトークの管弦楽曲等を盛んに録音しています。それらはどれも大変な名演奏で、録音も文句なしのお買い得盤であります。特に、歌劇「青髭公の城」、バレエ「かかし王子」、パントマイム「中国の不思議な役人」は貴重な録音であります(そのうちにCD試聴記で特集を組むかもしれません)。
こうしたレーベルのCDを買うと、どうしても3,000円もする国内盤を買う気がしなくなりますね。何とか見習ってほしいものです。
2月24日:クーベリックのページに「スメタナの<わが祖国>」を追加しました。聴き比べ第1回目は52年、シカゴ響との録音です。
2月23日:クレンペラーのページに「ブルックナーの交響曲第6番」を追加しました。オケはアムステルダム・コンセルトヘボウ管です。
ところで、プライベートの話題です。土曜日、ふとしたことで腰をひねった私は、あろうことか、ぎっくり腰になってしまいました!最初はそうとは気がつかなかったのですが、日曜日には激痛になり、家を一歩も出ることができませんでした。月曜日はどうにか会社に行ったものの、椅子に座っていることもできず、1時間で帰宅。ついに火曜日も大事をとって休んでしまいました。今日はもう普通に歩けるようになりましたが、まだ少し痛みがあります。何とも情けないことであります。「自分だけはぎっくり腰になることはない」と思い込んでいたのですが...。
私はテニスとスキーで体を鍛え、身体の頑丈さと健康には自信を持っていました。が、今回の事件は、それが幻想であることを明らかにしてしまいましたね。もっとも、11月にテニスをやめて以来、今シーズンはスキーもせず、運動不足になっていたことは否めません。というわけで、寒中ではありますが、まず何か運動をすることにしました。やはりテニスがいいでしょうか?皆様も腰回りには気をつけましょう。
2月22日:本日は3部構成です(^^ゞ
その1:リンクのページに「シカゴ響とトランペット」を追加しました。
シカゴ響のCDの紹介が中心です。できたばかりのページですので、まだ工事中のところが多いですが、アップされた部分を見ますと、かなりの思い入れをもって文章を書いておられます。ホームページとはそうあらねばなりませんね(えっへん)。作者ご自身がトランペットを吹かれる方で、愛用トランペットの写真も載っています。そして、シカゴ響のトランペッターといえば、泣く子も黙るアドルフ・ハーセス!50年間もシカゴ響の首席トランペッターを務めた人ですね。もちろんそのハーセスに関するページも一部ですが、あります。面白そうでしょう?早速訪問するべし!
その2:レコ芸
ご存知レコ芸(レコード芸術)ですが、紙面がすっかり変わりましたね。3月号を読んでいて気がついたのですが、「月評」欄の影の薄いこと! 新譜発売数がどんどん減っているのが最大の原因でしょう。レコ芸編集部も旧態依然たる「月評」中心の紙面作りを転換しつつあるように思われます。その証拠に、以前と比べると格段に特集記事が多くなっています。何だか感慨無量ですね。20数年も前は、あの「月評」を立ち読みしてLP購入の参考にしていた私ですが、今ではカタログ以上の使い方をしていません。サンプルCDがついて、事実上の値上げになった時にはもう買う気がしなくなったのですが、「こんなCDが出るらしい」という情報源にはなっていたので、ずっと購読していました。しかし、私のようにカタログとしてしか使わない読者が増えてきたことを敏感に?感じ取った編集部は危機感を持ったんでしょうね。どうやら新しい紙面を作って読者を捕まえておこうという必死の努力が見られます。どうせなら、サンプルCDをオプションにして、ほしくない人には低価格で販売してほしいのですが、それはできないのでしょうか?うーむ。
その3:不自然な笑い
我が家のみずなは保育園でも大人気らしいです。少なくとも大人気だと女房さんは言っています。単なる親バカですから、話半分に聞いて下さい(^^ゞ。みずなはいつもにこにこしているので、人気があるらしいのです。
これは私ども両親がみずなの前でいつもにこにこしているためです。生まれてしばらくして、みずなは時々にっこり笑うようになりましたが、よく考えてみると、みずなが笑うのはおおよそ親がにこにこしているときです。それに気がついた女房さんと私は、家庭にいる間はつとめてにこにこするようにしています。その成果がはっきり現れ、みずなはにこにこするのが常態になってきました。
しかし、いつもにこにこしているのは結構疲れます。特に、「にこにこしなければならない」と身構えますと、普通の笑い顔にはなりません。試しに皆様にもやってみていただきたいのですが、難しいですよ。普通ににこにこするというのはなかなかできません。お陰で最近の我が家では不自然な笑いが蔓延しています。ちょっと不気味です。
2月21日:恐い音楽
「恐い音楽」と聞いて、皆さんはどんな曲を思い浮かべますか? 私の場合、アルバン・ベルクのオペラ「ヴォツェック」がその筆頭であります。無調だからという理由からではありません。このオペラの音楽による描写が生々しすぎるからであります。最近もミトロプーロスのCDを聴いて「やはり恐い」と再確認しました。
ベルク
歌劇「ヴォツェック」
ミトロプーロス指揮ニューヨークフィル
録音:1951年(カーネギー・ホールにおけるライブ録音)
SONY(輸入盤 MH2K 62759)これは、私の好きなMasterworks Heritageシリーズからの2枚組CDです。このCDはミトロプーロスが残した遺産の中でも特筆されるものでしょう。ライブ録音なのに非常に精度が高い演奏で、スタジオ録音に比べてみても遜色がないばかりか、ライブ特有の緊張感が漲るすばらしい演奏です。今回の紙ジャケットによる発売では、詳細な解説が分かりやすい英文で記載されていることや、マスターテープからのリマスタリングによる鮮明な音質の確保など、この傑作オペラの録音にふさわしい見事な作りとなっています。
さて、音楽についてです。無調というのは何と饒舌なのでしょうか。登場人物の心理描写はリアルで、凄惨なこの物語を様々な手法で提示してくれます。どうしようもなく凄惨な話なのに、音楽の出来は比類なき高みに達しています。これ以外の表現方法などあり得ないでしょう。
しかし、しかしであります。CDに恨みはありませんが、曲が恐すぎます!何で20世紀のオペラはこんなに恐いものばっかりになってしまったんでしょうか?「いい加減にしてくれ!」と叫びたくなりますね。私は曲を知っているので、「ヴォツェック」のCDは買ってきても、家族が居るときにはかけたことがありません。マーラーやショスタコーヴィッチまでなら、女房さんの仏頂面を無視して(^^ゞ、なるべく小さな音量でCDをかけたりしますが、「ヴォツェック」になるともういけません。最初からスピーカーを通して聴くことなど考えられないのです。主人公ヴォツェックが錯乱してきて、マリーを殺すシーンなど、身体がふるえ、鳥肌が立ちます。夜静かにヘッドフォンで聴いていると、恐さのあまり、思わず布団をかぶってしまいます(本当です)。そうなると、この曲をみずなちゃんに聴かせることなど思いも寄らなくなります。
このオペラで最も恐いのは、最後のシーンです。母マリーが父ヴォツェックに殺され、そのヴォツェックも錯乱して池に落ちて死にますが、ふたりの間にできた子供がひとり残されます。その子供は母が死んだことを告げられても、その意味を理解できずに遊び続けるのです。オペラ「ヴォツェック」はそこで幕が下ります。こんな話をオペラにして、ベルクは一体何が楽しかったんでしょう。ミトロプーロスのCDのように、演奏が真に迫れば迫るほど、やり切れない思いをします。音楽はすごいのですが、物語には夢も希望も感じられません。20世紀のオペラとは、何と困った世界なのでしょうか。
2月20日:シューベルト
18日、ついに「ペーター・ダム分室」を開設してしまった私ですが、第1回目「流れの上で」を読んで、「おや?」と感じた方もいらっしゃるでしょう。シューベルトの音楽に関する言及がないことについてです。曲目のデータだけは書いたのですが...。
あのCDは本来シュライヤーが歌うシューベルトの歌曲を味わうべきものであります。ホルンはあくまでも伴奏です。ですから、「流れの上で」はもとより、他の歌曲についてもコメントがあってしかるべきなのです。しかし、あえて私は書きませんでした。というより、書けませんでした。2枚組のCDを全曲聴き続けることができなかったからであります。
もちろん、シューベルトの歌曲が嫌いなわけではありません。例えば、私のホームページタイトルの「An die Musik」も、シューベルトの歌曲に由来しています。我が家のCD棚にもシューベルトの歌曲が各種揃っています。
では、「嫌いでなければ好きか?」ということになりますが、これも返答に困ります。私はできれば、シューベルトの歌曲はあまり聴きたくないのです。といいますのも、聴いているとしんみりしたり、切なくなってしまうからです。それも少ししんみりする、切なくなる、というのではなく、「非常に」しんみりし、切なくなるのです。皆さん、そう感じたことはありませんか?例えば、私はシューベルトの「白鳥の歌」を聴くと、とても平常心ではいられません。
18日に取り上げたシュライヤーの歌曲集でもシューベルトの名曲がたくさん収録されているのですが、いくつかの曲では聴いていて、いたたまれなくなりました。シューベルトほど人の心の琴線に触れる作曲家はいません。わずか2、3分の曲であってもシューベルトの音楽は聴き手の心に直に訴えかけてきます。そんな作曲家は他に類例がありませんね。シューベルトの音楽の凄さはそこにあると思います。ピアノと歌だけで、完全に小宇宙を作ってしまいます。あれで長生きしていたら、一体どれだけの歌曲を作ってしまったのか、どれだけ人を泣かせることになったのか、想像するだけでめまいがする私であります。
2月18日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」の一部として「ペーター・ダム分室」を開設しました。第1回は誰も知らないかもしれない、このCDです。
なお、このページ開設にあたり、ホルン奏者の村山さんがJHS(日本ホルン協会)とのコンタクトをはじめとする作業を担当して下さいました。ここに心からのお礼を申しあげます。
私はクラシックを聴き始めてから20年以上たちます。中学3年の時、まだクラシック音楽には全く興味がなかった私の前の席で、懇切丁寧にウィーンフィルのすばらしさを力説し続け、いつの間にやら私をクラシックファンにしてしまったのはご存知フォルカー氏であります。そのような恐るべき悪友のために、今度は私自身がクラシック音楽にのめり込み、こうしてホームページを作っているのは運命のいたずらとしか言いようがありません。
しかし、フォルカーの弟子である私が惚れ込んだのはウィーンフィルでもなく、ベルリンフィルでもなく、シュターツカペレ・ドレスデンであったのは、今考えてみると全く不思議なことです。名声の上でも、技術的な面でも、残念ながら当団はウィーンフィルにも、ベルリンフィルにも及んでいません。それでもなお、当団らしい独自の魅力があるために、私はこの団体に非常な愛着を感じています。
よくオーケストラは指揮者の楽器であると言われます。こうした表現は、指揮者がオケより圧倒的に強力な場合に使われているようです。指揮者が主でオケが完全に従の場合です(反論はあると思いますが...)。が、シュターツカペレ・ドレスデンの場合、必ずしもこうではないようです。下手をすると指揮者が従の場合もあるようです。独自の伝統をもつ当団ならではの奇妙な現象でしょう。
私にとって、このオケはただひとかたまりの団体ではなく、プレーヤーの顔がそれぞれ見えてくる特殊なオケなのです。確かに華々しいスタープレーヤーがいないオケではありますが、団員の顔がない無機的なイメージはまるでありません。しかも、個々人の顔がありながら、その個人が突出することなく、全体としては当団の伝統が維持されているところがすばらしいと思います。
先日の来日公演ではその事実を改めて思い知らされました。マーラーの交響曲第5番で、あの冒頭のトランペット・ソロを吹いたのはMathias Schmutzler(左写真)という当団に入団したての首席奏者でした。最後までミスのない鉄壁のラッパは、まさに「ブラボー!」の一語につきます。が、彼は鉄壁でありながら突出していないのです。あの渋く太いトランペットの音色が全曲を支配し、当団ならではの名演奏になったことは私のレポートのとおりです。
さて、そんな伝統を作り上げてきた当団の奏者にペーター・ダムがいます。風采もよくないし、力強く大きな音でバリバリホルンを吹く人ではありません。しかし、そうした姿勢が当団のアンサンブルを築いてきたのだと私は思っています。
そこで我慢しきれなくなった私は唐突に宣言するのであります(^^ゞ。そのダムさんのページをシュターツカペレ・ドレスデンの分室として設置いたします。ピンポイントの趣味で申し訳ありませんが、当団のすばらしさ、ホルンという楽器のすばらしさ、そしてペーター・ダムの作る音楽のすばらしさを何とか皆様にも伝えたいと思います。というわけで、明日第1弾をアップいたします。乞うご期待であります。ややオタッキーな分野に足を突っ込むことになりますが、皆様、何卒ご容赦下さい。
2月16日:叙述
先日この欄で塩野七生さんの「ローマ人の物語」について書きましたが、もう少し塩野さんの文章について語らせて下さい。
塩野さんの文章は「性」を感じさせないと言われます。男性的だという人もいます。情緒的、感情的な言葉を使わないからでしょう。また、事実だけを叙述する独特のスタイルを取っているからでもあります。「ローマ人の物語 第7巻」を読んでいた際、これがかなり意識的に行われていたことを確認することができました。以下の文章は塩野さんがタキトゥスの文章について述べているくだりですが(p.166)、これはとりもなおさず、歴史を記述する塩野さんの取り組み姿勢を示していると言ってよいでしょう。
...。好悪の感情を自分自身の言葉で表現するなどは、ディレッタントのやることであってプロのやることではない。歴史家ならば史実を記述し、その後のコメントで自分の解釈を読者に伝える。また、文章のプロならば、コメントすらも避ける場合が多い。史実の並べ方だけで、読む人に、なんてスゴイ男だろう、とか、なんて嫌な奴だろう、とか感じさせるようにもっていく。タキトゥスが帝政期最高の歴史家であるとされるのは、この2方法の達人であったからである。 |
なるほど。それで塩野さんは事実の記述に徹していたのか、と気がつきました。「ハンニバル戦記」でも事実だけが淡々と語られています。にもかかわらず、結果として血湧き肉おどる文章になるのは、歴史を語るプロとしての技術が半端でないことを証明しているのであります。
さて、私は上記引用部分を読んだとき、もうひとつ考えたことがあります。それは、この方法が、歴史だけでなく、音楽を語る際にもそのまま当てはまるのではないか、ということです。事実を記述するという方法です。例えば、私は金子建志さんの文章を読んでいつも感心します。その理由を考えてみると、音楽のどの部分がどのように演奏されているのか、という事実が明らかにされているからであります。逆に言えば、事実が記述されず、塩野さんが言うところの「好悪の感情を自分自身の言葉で表現する」などという方法を取るのは愚の骨頂ということになります。
実は、そう考えて赤面したのは何を隠そう、私自身です。確かに私はただの音楽ファンで、ディレッタント以前のレベルなのですが、私がこのホームページ上で書き連ねてきたものは「好悪の感情を自分自身の言葉で表現」したものばかりなのです。何だか文章を書くのが恐ろしくなってきますね。
もっとも、私はタキトゥスでもなければ、塩野七生さんでもありません。できないものはできません!こうなったら開き直るしかありません( ̄へ ̄)。非力な私ですが、読者の皆様、こんな私をどうか見捨てないで下さいね。
2月15日:「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」に「ベルグルンド指揮の<わが祖国>」を追加しました。
2月14日:CD試聴記に「ショスタコーヴィッチの交響曲第10番を聴く(後編)」を追加しました。
今日は10年ぶりに女房さんからチョコをもらいました。みずなちゃんからももらいました。
2月13日:「みずなの成長日記」に「5ヶ月のみずな」を追加しました。女房さんの親バカページであります。平にご容赦下さい。
このところ、日経新聞「私の履歴書」欄では園田高弘さんの文章が連載されていますね。面白い話がたくさん載っています。例えば、戦争中、絶対音感を持っていた園田高弘さんは目隠ししていても音だけで兵器の所在などを認識できたとか。戦後のコンサートでは当時バリバリの現代音楽であったバルトークやプロコフィエフ、メシアンなどをどんどん日本初演する機会に恵まれたことなどが書かれています。どれも大変興味深いです。中でも目を奪われたのは、斎藤秀雄さんについての辛口コメントでした。園田さんは「私の履歴書」の中で、チェリストであった斎藤秀雄さんをケチョンケチョンに批判しています。もちろん、批判の対象となったのはプレーヤーとしての斎藤秀雄さんであって、教育家としての斎藤秀雄さんのことではありません。それでも私にはショッキングでした。斎藤秀雄さんといえば、小澤征爾さんがお師匠様として神様のように尊敬している人です。私は最初あの斎藤秀雄さんとは別人の話ではないかと思ったのですが、園田高弘さんが書いているのはその当人のことなのです。園田高弘さんの「私の履歴書」はまだ始まったばかりですので、これからもっとすごい話が出てくるかもしれません。毎朝要チェックであります。
2月11日:「ローマ人の物語」
塩野七生(しおのななみ)さんの著書「ローマ人の物語 第8巻 危機と克服」を読みました。塩野七生さんは歴史作家として知られ、数々の名著を世に送り出してきました。「ローマ人の物語」はその塩野七生さんが満を持して1992年より発表し始めた大作であります。毎年1冊ずつ刊行し、15年かけて完結するという雄大な企画です。
昨年の夏に発刊された第8巻は皇帝ガルバ(在位 紀元68年〜69年)から「五賢帝」のひとりネルヴァ(在位 紀元96年〜98年)までを扱っています。いつものことですが、読むには骨が折れました。といいますのも、本が重いんです(^^ゞ。このシリーズをご存知の方は分かると思いますが、「ローマ人の物語」は厚手の表紙がついた文字どおりのハードカバーなのです。第8巻はそれでも本文が373ページしか!ありませんが、第7巻「悪名高き皇帝たち」は500ページもあり(本文)、電車に乗って読んでいると手が疲れてたまりません。人一倍握力の強い私でさえそうですから、女性ならば電車で読むことは非常に難しいでしょう。
しかし、塩野七生さんの文章は生き生きとしていて、本の重さを忘れさせてくれますね。塩野七生さんは歴史の教科書を書いているわけではありません。ご自分でも興味を持っているローマ人の歴史を「物語って」いるのです。かといって登場人物に対する好悪を丸出しにしたり、残虐なシーンをゴシップ記事よろしく書きまくったりすることがありません。塩野七生さんの文章はほとんどの場合、単なる叙述にとどまります。が、その叙述が非常に的確で、無駄がなく、目に見えるように書かれるため、文章を読んでいますと、知らず知らずのうちに引き込まれてしまうのです。今まで読んだ中で最も迫真的な描写はカエサル(シーザー)がルビコン川を渡る有名なくだりです。ここは事実の描写しかないのに、異常な緊迫感があります。思わず手に汗握って「をををを!次はどうなるんだ!」と興奮させられます。しかもその興奮の絶頂でその巻が終わるという憎い作りでした。この人の文章力には舌を巻くばかりです。
さらに驚くべきことがあります。私は塩野七生さんの文章は大変硬いと思っていたのですが、必ずしもそうではないのです。私が本を黙って読んでいると、みずなちゃんが怒って泣くので(^^ゞ、時々朗読してあげます。赤ちゃんに読んで聞かせるには最も不向きなこのハードな歴史物語を朗読すると、意外なことに結構読みやすいのです。塩野七生さんも声に出して読んだりしているのかもしれません。声に出して読むと、難しい漢字ばかり使った本などはほとんど何を言っているのか分からない場合が多いのですが、みずなちゃんはともかく、大人だったら、塩野七生さんの物語はすらすら頭に入るでしょう。そんなところにも気を配って書いていたとは、恐れ入るばかりです。
このシリーズは大部ですが、どの巻から読んでも分かるような丁寧な書き方です。地図や系図、図柄も分かりやすいものばかり。読者に対する作者の心配りが感涙ものの本だと思います。ほんとにすごい、塩野七生さん。今年はいよいよ「五賢帝」時代ですね。楽しみです。
2月10日:CD試聴記に「ショスタコーヴィッチの交響曲第10番を聴く(前編)」を追加しました。今回はスクロヴァチェフスキー指揮ハレ管の演奏です。
2月9日:人事評価
最近私は人事評価について検討する機会がありました。いろいろな本を読んで研究もしたのですが、その中でひとつ奇妙な文章を見つけました。出典はあえて伏せておきます。項目は「知的欲求心」で、「多忙の中においても絶えず知的情報をインプットしていること」を評価対象にするというものです。具体例としては、
- 「毎月3冊以上読書している」
- 「休日は美術館めぐりやオペラ鑑賞にあてるときもある」
の二つが挙げられていました。
読書はともかく、「美術館めぐりやオペラ鑑賞」はあまりいい具体例ではありませんね(^^ゞ。たまたま私はオペラが好きですが、そうでなければ、いや、そうであっても、こんな項目を見たら困惑してしまいます。他にも「歌舞伎」や「能」を見る、が例になることだってあるでしょうが、これまた困惑します。伝統芸能という意味では重要でしょうが、私はいまだ見に行ったことはありません。これらは趣味であって、仕事とは全く関係がありません。趣味によって評価されたのでは嫌になります。例が悪かっただけなのだと思いますが、定性評価も細かくやりすぎると、こんなことが生じてしまうんですね。
さて、「休日は美術館めぐりやオペラ鑑賞にあてるときもある」などということを書くところを見ると、著者は美術館めぐりが好きな人なのかもしれませんが、おそらくオペラファンではないでしょう。クラシック音楽のファンでさえない可能性もあります。私はオペラが好きなので、チャンスさえあればたくさん劇場に出かけたいとは思います。が、別に「知的欲求心」からオペラを見たいと思ったことは一度もありません。オペラ、ひいてはクラシック音楽を知識や教養の対象として鑑賞する方もおられるのでしょうか、極々少数なのではないでしょうか。「知的欲求心」と「オペラ」が結びつくのは、「何かが違うんでないの?」と疑問に思わざるを得ません。
ただし、聴き込む途中で「知的欲求心」に駆られ、調べものなどを始めるということはあるでしょう。周辺知識があればあるほど音楽は深く楽しめるためです。ですが、それとて趣味の一部ですね。多くの知識とて、楽しいから覚えてしまうだけす。あくまで音楽は楽しむべきものだと考える私には、いくらオペラが好きだとしても、それによって「知的欲求心」を計られるのだけは堪えられそうにありません。
2月8日:CD試聴記に「MR.Sのロマンティックを聴く」を追加しました。
2月7日:CD試聴記に「歴史小説と音楽」を追加しました。
これは「What's New?」用に書いたのですが、長くなったので番外編としてCD試聴記に入れました。本格的なクラシックではありませんので、ご了承願います。
2月6日:
その1:リンクのページに3つのサイトを追加しました。
オペラのページ。オペラをこれから聴いてみたいという方は必見。既にオペラマニアの人も、膨大な情報量に驚くと思います。内容はまさにオペラ関係の情報がてんこ盛りで、BBSに至っては7つもあります。そのBBSがすべて賑わいを見せているのも驚き。日本中のオペラファンがこのページに終結しているようです。オペラって、やはり人を熱狂させるんですね。
その名のとおり大指揮者ブルーノ・ワルターの総合的なページ。まだ工事中のところが多いようですが、ワルターのディスコグラフィーを網羅し、その情報を逐一蒐集しそうな勢いです。作者はDANNOさん。きっとすごいページに発展するでしょう。
いかに安くCDを買い込み、たくさん聴くか。このクラシックファンの究極の問題を解決するにはこのページを参考にするとよいでしょう。作者は1,000円以下でCDを買うことを目指されています。大量にCDを買い、女房さんとの激烈な家庭内闘争に明け暮れる私も、このページを読んでさらにケチケチ度を増すよう修行したいものです。
その2:インターネットショッピング
某大手インターネット通販会社に注文していたCDが昨日届きました。13枚注文し、届いたのは10枚。本当に聴きたかったのは、何を隠そう、届かなかった3枚でした(T_T)。画面では「在庫がある」と表示されていたのに、がっくしであります。しかも、届いたCDのうち1枚は発送ミスで、頼んだ覚えもないものでした。日本から誤送された1枚をわざわざアメリカまで返送するわけにもいかないので、そのCDを受け取ることにしましたが、どうも嫌な気分になりました。最大手のショップであるにもかかわらず、このようなレベルでは不信感を持たざるをえません。このショップは以前も何度か「在庫あり」と称しながらも、頼んでみたら届かない、というケースがありました。便利なのでつい使ってしまうのですが、しばらく近寄るのはやめようかと思います。
私個人は、「Berkshire Record Outlet」がお気に入りです。ここは今までに在庫切れを起こしたことはありません。アウトレットショップですから、何でも揃うわけではなく、しかも「Berkshire Record Outlet」に卸される前にメーカーが意図的にCDに傷を付ける場合があるという欠点はありますが、今のところそれ以外の不満は感じていません。大手のショップがいいとは限らない気がしますね。
2月5日:季節の行事
本日は土曜日につき、プライベートの話です。
私はこれまで「季節の行事」というものを無視しておりました。1年の中には豆まき、桃の節句、秋の月見、などいろいろな行事がありますが、私はどれもまともにやろうとしたことはありませんでした。特に、クリスマスやバレンタインなどの舶来のお祭りごとはどうしても好きになれません。女房さんと結婚してからも、「俺は仏教徒だ!」とか「俺はイスラム教徒だ!」とか言ってその類の催し物を一切拒絶していたのですが、昨年みずなちゃんが生まれたのをきっかけに、ついに心を入れ替えることにしました。そういえば、昔、自分の親が季節の行事を全くやってくれなくて、子供ながらに寂しく感じたことを思い出したからであります。
というわけで、季節の行事は何でもかんでも執り行うと宣言した私ですが、肝心の第1回「節分の豆まき」からしていきなり延期されてしまいました。2月3日の当日は私が帰るとみずなちゃんは熟睡しておりましたし、翌4日は私が棚卸準備で午前様。本日も出社して、先程帰宅したばかりですから、豆まきは実はこれから行うのであります(T_T)。
さて、その豆まきですが、みずなちゃんは豆を投げられないので豆まきは見るだけで、参加することもできません。「それならみずなちゃんを鬼にして豆を投げつけてはどうか」と提案したところ、女房さんからものすごく恐い顔で睨まれてしまいました(当然か?)。しかたなく、私が鬼になるのですが、実は保育園から持ち帰ったみずなちゃん用の鬼のお面があるのです。どうしたらよいでしょうか?
2月4日:思いこみ
「Sir」の称号を持つ音楽家は意外に多いですね。ビーチャム、バルビローリ、ショルティ、ラトル、マッケラスなどです。イギリスでは、長く演奏活動を行い、その功績が認められた音楽家に対しては「Sir」を贈る伝統が息づいているようです。
その「Sir」ですが、私の固定観念では老成した大家に対する敬称のような感じなので、死ぬまで死にそうでなかったショルティや(^o^)、若くして巨匠の地位をほしいままにしたラトルなどを見ておりますとちょっと違和感を覚えざるをえません。かたやウルトラエネルギッシュで、かたやいつまでも青年という感じです。ラトルはやっと年齢相応の貫禄ある風貌になってきましたが、かつてはあの独特のヘアスタイルが強烈だったために、ロックミュージシャンと間違えられそうでした。逆に言えば、イギリスは年齢や風貌を完全に超越した選考を行っていると言うことなのでしょう。なんだか、日本の文化勲章とは違うんですね。見習いたいところです。
そういえば、「Sir」の称号は、イギリスの皇室が決定するものだとばかり思い込んでいたのですが、そうではないようです。政府が決定するのだとか。
それはともかく、最も「Sir」にふさわしいイメージを持つのは誰でしょうか?貫禄で行きますと、やはりビーチャムでしょうか。皆様のご意見をお窺いしたいところです。
2月3日:CD試聴記に「BARBIROLLI at the OPERA」を追加しました。オペラ全曲のCDではありません。念のため。え?そんなの見れば分かる?そりゃそうですね。
2月2日:「クレンペラーのページ」に「ブルックナーの交響曲第4番<ロマンティック>」を追加しました。オケはアムステルダム・コンセルトヘボウ管です。
クレンペラーのブルックナー・シリーズは中断しておりましたが、いよいよ再開します。面白い演奏がまだまだあります。お楽しみに。
2月1日:ヤング・トスカニーニ
私は以前有楽町で「Young Toscanini」という映画を見たことがあります。平日の夜で、映画館はガラガラでした。無理もありません。「トスカニーニ」なんて名前はクラシック音楽ファンしか知らないでしょう。周りにいた観客、その多くはなぜかおばさま方でしたが、会話を聴く限りでは「トスカニーニ」が何たるかを知っているようでした。ただ、クラシックファンだけでは、有楽町といえども客席を満員にできないのでしょう。
しかし、映画の出来は大変すばらしいものでした。私の記憶では監督はゼッフィレリ。きらきら光る目映いばかりの美しい映像を堪能できました。広大な映画館の画面で見ますと、海面に光る陽光や、チェロに反射する光が実に美しく、それだけで溜息ものでした。映像だけでも楽しめる映画だったといえます。残念ながら、テレビで放映されたときは画面が極端に小さくなるせいか、その美しさも激減していました。映画はやはり映画館で見なければ、とつらつら思ったものです。
さて、「Young Toscanini」という映画は、一介のチェロ奏者の物語です。映画は、彼が1886年にイタリア・オペラ団員としてリオデジャネイロ公演に参加し、参加しただけではなく、のっぴきならない状況下でやむなく指揮台に立ち、「アイーダ」を暗譜で振ってデビューするという伝説的名場面を描いています。終わり方が少しあっけないので、知らない人が見たら、泣く子も黙る恐い大指揮者の映画だとは夢にも思わないでしょう。映画のトスカニーニは、功成り名を遂げた後のトスカニーニではないのです。
映画のトスカニーニは二枚目の俳優が演じていましたから、かっこよさではカラヤン並でした(ん?カラヤンの方がかっこいいかな?)。一方、我々が現在知っているトスカニーニは、なんだか気むずかしくて恐ろしい雷親爺であります。映画で見るハンサムな指揮者とはまるで違いますね。本当はどうだったんでしょう?恥ずかしながら、私は若い頃のトスカニーニの顔を知らないのです。CDのジャケットでもほとんど晩年のものばかり。もしかしたら、トスカニーニさん、若かりし頃ハンサムだったりしないでしょうね?あのクレンペラーも、若い頃はつるんとした顔をしていました。しかもクレンペラーは、確か俳優になりたかったとか言っていたはずです。まさかとは思いますが、トスカニーニの雷親爺がハンサムだったらどうしようかと密かに考える私でした。
1月31日:トスカニーニ
昨年クナ指揮の「神々の黄昏」を発掘して大評判になったTESTAMENTが、またすごい録音を出してきました。トスカニーニが1952年にフィルハーモニア管を指揮したブラームス交響曲全集です。
ブラームス
交響曲第1番〜第4番
悲劇的序曲
ハイドンの主題による変奏曲、ほか
トスカニーニ指揮フィルハーモニア管
録音:1952年9月29日、10月1日(ライブ)
TESTAMENT(輸入盤 SBT-3167)この録音はかつてCETRAからも発売されていましたが、入手は困難でした。国内盤としてはKINGから交響曲第1番と交響曲第4番が発売されていましたが、海賊盤であることに変わりがなかったためか、すぐ姿を消しました。今回は、正規盤としては初出なのです。
私は運良くKINGのCDを両方とも持っておりましたので、このライブ演奏のすばらしさの片鱗は知っていました。いずれも85歳というトスカニーニの高齢が信じられないエネルギッシュかつロマンチックな指揮ぶりに興奮させられたものです。今回は第2番、第3番が加わりましたので、それらも聴いてみました。やはりすごい演奏ですね。特に第2番。私は牧歌的な曲だと認識していたのですが、曲に対する認識を根本から改めなくてはならなくなりました。これはいわゆる爆演です!トスカニーニの手にかかると、激情的な交響曲になってしまうんですね。第1楽章を聴き始めてすぐ、「これは...」と思いましたが、そのままトスカニーニの作る音楽に呑まれっぱなしになります。第4楽章の後半では手に汗握るどころか、興奮のあまり全身汗だくになりました。
興奮ついでに私は全曲を聴き通してしまいましたが、大変な充実です。交響曲を4つ、序曲と変奏曲をひとつずつ、それらをまとめて聴いたのに、気分爽快になりました。
当時フィルハーモニア管は辣腕プロデューサー、ウォルター・レッグのもとでまさに昇竜の勢いでした。あのデニス・ブレインの名前も団員名簿に記載されています。モノラル録音なのに、フィルハーモニア管の高度な技術と演奏の熱気のお陰で、録音の古さなど全く感じません。
こんな熱烈火の玉演奏が今まで海賊盤でしか入手できなかったというのは何とも不思議です。よくぞ発売してくれました。TESTAMENTのCDはいつもやや割高なのですが、これは3枚組で4,000円弱とお値打ちでもあります。これなら大満足ですね。もしやTESTAMENT、今後もこんなCDの発掘をどんどんしてくれるんでしょうか?気になって夜も眠れなくなります。
なお、このCDにはどういうわけか「大学祝典序曲」は含まれていませんね。レッグの「レコードうら・おもて」には「4つの交響曲、二つの序曲、それに<ハイドン変奏曲>」が演奏された、とあるのですが...。何かあったのでしょうか。CDの収録時間には余裕がありますので気になりますね。
(An die MusikクラシックCD試聴記)