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2010年3月

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CD2010年3月29日(月):「名盤を探る」第7回:モーツァルトの「プラハ」

 「名盤を探る」第7回は「モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」」です。

 本文中には書きませんでしたが、ピリオド・アプローチの演奏でぎょっとすることがあります。律儀にリピートを守ることです。例えば、「プラハ」の第1楽章は普通10分程度ですが、リピートを完全に守ると17分くらいになります。主題提示部ならまだいいのですが、再現部は・・・。第1楽章が終わったと思いきや、すぐさまリピートされるのには未だに慣れません。そのうちにリピートがないことに疑問を持つようになるのでしょうか。

 

CD2010年3月26日(金):「名盤を探る」第6回:モーツァルトのピアノ・ソナタ第11番

 「名盤を探る」第6回は「モーツァルトのピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」」です。2000年以降の録音にめぼしいものが減ってきて厳しいですねえ。

 

CD2010年3月25日(木):ブルックナーの交響曲第8番 第1稿

 今日は上野の東京文化会館でエリアフ・インバル指揮東京都交響楽団の定期演奏会を聴いてきました。私は2009-2010シーズンではこの東京都交響楽団と東京フィルハーモニー管弦楽団の定期会員になっていました。都響は東京文化会館公演、東フィルはオペラシティ公演です。サントリーホールまで辿り着くのに一苦労していたため、最初からサントリーホールでの公演を行っているオーケストラは諦め、何とか開演時間に間に合いそうだった都響(上野)・東フィル(初台)を選んだのです。が、結果的にはほとんどのチケットを無駄にしてしまいました。今日の都響定期は、最後に残った1枚でした。無事に行けて本当に良かったです。

 都響も東フィルも会員向けに積極的に情報提供をしてくれたり、次年度の更新に際しての営業もしっかりしていました。せめて都響くらいは継続しようかと思いましたが、今年の状況を鑑みて諦めました。時間的・金銭的な余裕があれば、サントリーホールにおける東京交響楽団公演に通いたいものだとかねがね考えていますが、これが実現するのは一体いつのことかと我ながらため息がついてしまいます。

 それはさておき。

 今日のプログラムはブルックナーの交響曲第8番でした。インバルのことだから、ブルックナーをやるからには第1稿を持ち出すのではないかと予想して出かけました。案の定、プログラムにはノヴァーク/第1稿・1887年版と記載してあります。ブル8の第1稿は、フランクフルト放送響を指揮した録音がTELDECから出ていました(1982年録音)。もちろん、私もかなり前に聴いています。今日はそれを追体験するような形で聴いたのですが、実演に接してみると本当に驚きの連続です。よほどいい加減に聴いていたためか、CDで聴いていたときはここまでの差を正確に認識できていませんでした。よく知られているとおり、第1稿では第1楽章が最強音で終わっています。第4楽章の最後は一気に壮大なフィナーレに雪崩れ込むのではなく、エンディング直前にアンチ・クライマックスがあって意表を突きます。こうした大きな差だけではなく、それこそ第1稿と改訂版の差はありとあらゆる部分にあって、リストを作っても簡単には説明できないでしょう(どこかにあるのでしょうけど)。

 ブルックナーの交響曲は我が国では人気のある演目です。が、終わった後の聴衆の反応は微妙でした。熱烈な拍手・ブラボーもあれば、そそくさと席を立って帰ってしまう人も多数います。おそらく、第1稿を聴き慣れていない人(それが大多数でしょう)が、何となく演奏に集中できなかったためではないかと想像されます。演奏中、周囲をきょろきょろ見回してみると、寝ているわけではないけど、手持ちぶさたのようにしている人が多かったように思います。

 帰りの電車の中で私はつらつら考えました。インバルは第1稿をわざわざ取り上げて演奏していますが、第1稿は真の意味での完成品であったかという点です。インバルが第1稿を演奏する理由は明らかで、ブルックナー自身が自信満々で作ったものだからです。それもきちんと推敲した上でいったん完成させています。それが指揮者レーヴィに認められなかったため、ブルックナーは苦悩の末改訂をしたのですが、第1稿の方がブルックナーの本来表現したかった音楽であると主張することが可能なわけです。しかし、そうであるならばインバル以外にも第1稿を使って演奏し、録音する人が増えても良さそうだと思います。そうはなっていないのが、指揮者たちの答えなのでしょう。指揮者たちにしてみれば、どのような経緯があれ、作曲者自身による改訂版こそが最終的な完成品であるのですね。

 一方、交響曲第3番は第1稿の録音が増えています。これもインバルが世界で最初に録音しています。私は第3番の場合、第1稿を非常に愛好しています。聴くと引用部分などで興奮してしまうので、第1稿の録音が発売されるとすぐさまCDを購入する癖さえあるのですが、少なくとも録音に関する限り、最近は第1稿での録音が珍しくもなくなったように感じます。これはどういうことなのでしょう。第3番と第8番という曲に対する人気の差が関係しているのかもしれません。第8番の場合、改訂版が完全に浸透しているからなのでしょうね。あと5年、10年経った頃、様相が一変しているかもしれませんが。

 

CD2010年3月24日(水):「名盤を探る」第5回:モーツァルトのピアノ協奏曲

 「名盤を探る」第5回は「モーツァルトのピアノ協奏曲第27番の場合」です。またも最後の歯切れが良くありません。

 

CD2010年3月23日(火):何故こんなに音が違うのか

 最近「名盤を探る」シリーズの原稿を書くため、どのCDでどのような演奏をしていたのか再確認をする時間が増えてきました。その際に困ることがあります。CDのリマスタリングによって演奏の印象が全く変わってしまう場合が珍しくないことです。先般取り上げた「皇帝」ではルービンシュタイン盤が登場しましたが、最新リマスタリング盤の音は、最新であるにもかかわらず、決して人にお勧めできるものではありませんでした。今に始まったことではないのですが、リマスタリングを担当した人は、実際にその音を聞いてからリリースしたのかと訝ってしまいます。

 リマスタリング作業はおそらくメーカーのリストにある「この録音からこの録音まで」と対象を決めて、途中経過や結果を自分の耳で確認しなくてもできるものなのでしょう。だから、スペック上だけは優れたものが最新リマスタリングとして登場するわけです。リマスタリングだけではなく、CDの材質まで変えてリリースしてくる場合もありますが、ありとあらゆる手立てを尽くした結果、結局は何もしていない盤が最も音が良かったなどというケースがいくらでもありそうです。そうした情報は有益です。もしかしたら、そのテーマだけでホームページを作ることができるかもしれません。

 とはいえ、好きな演奏をできれば少しでも納得できる良い音で聴きたいという希望は誰にでもあります。その気持ちがあるためにリマスタリング商法が成立するわけですが、メーカーには物理的な特性だけで決めるのではなく、実際に耳で聴いて音を決めて欲しいです。もっとも、今度はそのエンジニアが好き放題やってしまうというケースがあるようなので、これまた困ったものです。

 良いものを後世に残そうという視点がない限り、何をどのようにいじくり回してもどうにもならないと思います。低レベルの商品を出し続けることでわずかに残っている市場がもっと小さくなってしまわないか、それを心配するばかりです。

 

CD2010年3月19日(金):「名盤を探る」第4回:「皇帝」

 「名盤を探る」第4回として「ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」演奏の変遷」を追加しました。くどくどとした文章になってしまい、申し訳ありません。

 

CD2010年3月18日(木):「名盤を探る」第3回 バティアシュヴィリ

 「名盤を探る」第3回として「ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲に見る新旧交代」を追加しました。少しは歯切れが良くなったかも。

 

CD2010年3月16日(火):「名盤を探る」第2回 ホロヴィッツ

 「名盤を探る」第2回として「ホロヴィッツのチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番」を追加しました。またも歯切れの悪い内容です。申し訳ないです。皆様からの推薦盤を期待しますね。私が知らない、気がつかなかった録音を是非教えてください。4月末まで原稿を受け付けます。

 

CD2010年3月15日(月):「名盤を探る」開始

 An die Musik開設11周年記念企画として予定していた「名盤を探る」を遅ればせながら本日よりスタートします。第1回はこの企画の発端となった「ムラヴィンスキーのチャイコフスキーDG録音」です。内容は月並みで、歯切れの悪い第1回目ですが、何卒ご容赦ください。

 

CD2010年3月14日(日):雑感 音楽を聴けるということ

 3月以降、ようやく自分の時間を持てるようになりました。おかげで以前よりはCDに耳を傾けることが可能になりました。ありがたいことです。CDをプレーヤーに載せて、スピーカーに向かい合って真剣に音楽を聴く。かりに10分であっても、15分であってもこうした時間があるとないのでは大違いです。CDプレーヤーにCDを放り込み、何か作業をしたり、本を読んだりしたり、あるいは考え事をしながら聴くのではなく、音楽にだけ向き合う。

CDジャケット そうして聴く音楽は不思議なほど心に沁みてきますね。例えば、アルゲリッチがDGに録音したバッハ・アルバムの冒頭には「トッカータ ハ短調BWV911」が収録されています。演奏時間は10分55秒。11分あまりの曲ですが、これだけを雑念なしに聴き終えたときの充実感たるや、言葉にはできません。音楽とは、CDに詰まっているものではなく、本来はコンサートで聴くべきものなのでしょうが、コンサートでさえ得られない充足感を味わうことができるのです。短い時間であれ、能動的・主体的に聴こうとする姿勢がいかに大切なのか分かります。今まで雑にCDを聴いてきた時間は何だったのだろうと思います。音楽を聴く時間を大切にしたいものですね。

 

CD2010年3月13日(土):LPを聴いて悔しがる

 先日、知人Yさんの家にお邪魔し、クラシック音楽をたくさん聴いて帰ってきました。ソースはLPとSPです。Yさんの広大なオーディオルームは膨大な数のLPとSPで埋め尽くされています。おそらくはCDの数も相当なものなのでしょうが何万枚あるか分からないLPの海の中では取るに足らない分量に見えてしまいます。

 そんな場所に行ったらCDを聴いていてはもったいない。LPを学生時代に捨て去ってしまった私の部屋では聴くことのできないLPを次から次へと聞きまくります。そしてため息をつくのであります。どうしてこの音がCDでは出ないのかと。悔しいです。

 CDが登場した頃、メーカーはその音の良さを喧伝していました。しかし、音質的にはLPにかなわないということは私のような末端の人間でも知識として持ち合わせていました。音楽をデジタルに変換する途上で少なからぬ音楽情報が失われてしまうためです。ただし、CDはLPに比べて、完全にクリアな音、それもまずまずの音をいとも簡単に出せるという利点があったため1980年代後半に爆発的に普及したわけです。

 私もオヤジになって、CDを聴くまあまあの環境は整えることができました。不満はたくさんありますが、それなりの音でCDを鑑賞しているはずです。最近はCDよりも高次のフォーマットであるSACDも聴いています。しかし、それでもYさんの部屋で聴くLPの音には到底及んでいません。CDを良好な音質で聴くための今までの投資は何だったのかと思うことしきりであります。そう思っていると、Yさんが「伊東さん、LPのプレーヤーを買ってしまいなさいよ」と悪魔のささやきです。もちろん、そのような余裕は私には全くないのですが。

 私が聴く録音はここしばらく懐古趣味が続いていて、往年の巨匠たちの演奏ばかりです。もともとがLP用に録音されたものですから、LPで聴くのが最も良いはずで、CDでどのようなリマスタリングをしたところでLPに及ばないわけです。繰り返しますが悔しいですねえ。今日はクナッパーツブッシュ指揮ウィーンフィル、ピアノはカーゾンという組み合わせによる「皇帝」を聴いていましたが、1957年録音のこの名盤を聴いていると、思わずLPでの音を想像してしまいます。こうなってしまっては重症です。一刻も早く普通のCDリスナーに戻らなくては・・・。

 

CD2010年3月8日(月):チェコフィル

 「チェコフィルのページ」に、「ヴァーレクのスクとヤナーチェク」を追加しました。文は稲庭さんです。稲庭さん、原稿ありがとうございました。また、数ヶ月間にわたり掲載できず、誠に申し訳ありませんでした。何卒ご容赦ください。

 私は稲庭さんの文を読んで頷くことしきりでした。ノイマン、アシュケナージ、マーツァルと首席指揮者の変遷がありましたが、指揮者によってオーケストラが驚くほど変貌することも一連の録音で如実に分かります。マーツァル時代にはオーケストラとしての機能性が向上したと思いますが、失ったものもありました。さらに今度はインバルです。どうなるのか興味津々ではあるのですが・・・。

 

CD2010年3月7日(日):CDの山をどうする

 今日は半年ぶりくらいに自分の部屋の片付けをしてみました。気がついてみると、私の部屋はCDと書物で埋め尽くされています。普段、子供には「床に物を置かないでね」と言い続けている私ですが、自分の部屋ではテーブルや椅子の上はおろか、床の上にもCDと書物が載っており、見るからに雑然としています。それでもつい先頃までは自分なりに置き方にも工夫をし、どこに何がおいてあるか即座に分かるようにしていたのですが、モノが増えすぎ、ついに当の本人でさえCD1枚、本1冊を探すのに手間取る有様です。先日はブルックナーのCD1枚を探すのに一苦労し、その日は結局あきらめました。翌日に「きっとあそこに違いない」と当たりをつけて探し始め、やっと発掘するという始末です。これはいくら何でもひどすぎます。それで部屋の整理を始めたのですが、1時間もあれば終わるかと思いきや、2時間たっても、3時間経っても終わりません。疲れ果てて今日は作業を中断してしまいました。

 それというのも、CDラックにCDが収容しきれないためです。私の部屋は3階にあり、そこにパソコン部屋とオーディオルームがあります。それぞれの部屋にCDラックが並んでいますが、部屋にラックが入りきらないので廊下にもラックがあります。そのラックからCDがあふれ出していて、それをどうするか思案していると時間ばかり経ってしまいます。書物は何とかなりそうです。1階の書斎に運べばいい。本を参照したいときに3階から1階まで移動しなければならないのですが、場所が確保されているのでこれは大丈夫です。しかし、CDはやはりオーディオ装置のそばに置いておきたいものです。そうなると、やはりCDをどう収納していくかという問題に直面します。

 解決方法はいくつかあります。

1.CDを売る

これは女房が強力に提案しているのですが、私はどうもその気になれません。やはり架蔵しておきたいです。こればかりは却下であります。

2.CDのケースを変える

通常のCDは厚さ1センチのケースに収納されています。100枚だとそれだけで1メートルの幅を取ります。しかもそのケースの重さもあるので相当な重量になります。木造3階建ての3階に重量物があると、私でさえこれ以上CDを増やすと家がそのうちに歪んでくるのではないかと心配になります。ましてや、家族の冷たい視線が・・・。それを避けるには、従来のプラスチックケースをやめて紙かビニルの薄いケースに入れるという手があります。これはかねてからAn die Musikの読者の皆様に推薦いただいていた方法ですが、それに踏み切ると目で検索できなくなりそうで二の足を踏んでいました。しかし、部屋のスペースがどんどん増えるわけではないのでそろそろ本格的に検討した方がいいのかもしれません。

3.CDラックを新調する

あまり増やしたくはないのですが、CDラックを新調するという方法はやはり最も簡単で、しばらくは時間稼ぎができます。1,500枚も入るラックを買っておけばまたCDがあふれ出すまでしばらくは(このしばらく、が曲者ですが)対応できるでしょう。最近ろくなCDラックが市場になさそうなのでその点が若干気になりますが、何かしらはあるでしょう。ただし、これにCDがどんどん入っていくと、重量問題がまた浮上してきます。しかも、「これはどういうことなの! 説明して!」と女房と長女の連合軍に怖い顔で詰め寄られてしまいそうです。確かに安易な方法ですからねえ。困りました。

 どのみち、2.か3.の方法を選択しなければならないのですが、今時こんなにCDの収納で困っている男って、世の中にどのくらいいるのでしょうね。というのも、今や音楽はダウンロードして聴くものになっているからです。クラシック音楽の世界でもかなりダウンロード文化が広がりつつあるはずです。そういうときに、時代に背を向けたような動きをしているのは、少数派であるクラシック音楽ファンのうち、さらに少数派だと想像されます。多分、衰退著しいCD業界を支えているのは時代の大波が来ているにもかかわらず相も変わらずこつこつとCDを買い続ける私のような旧世代のおじさんたちだと思うのですが、そうした人たちはいったいどれくらいの数になるのでしょうか。

 私の世代はCDの誕生に立ち会うことができました。それが市場を席巻するのも見てきました。しかし、同時に市場が縮小し、もしかすると市場が消滅する場面にも立ち会うかもしれません。10年くらいすると、私の部屋は時代遅れの骨董品の山になっているのかもしれませんね。まあ、それも一興です。そう思ってまたCDを買い続けるのであります。

 

CD2010年3月5日(金):スロッテル

 ゆきのじょうさんの「わが生活と音楽より」に「2枚のスロッテルを聴く」を追加しました。ゆきのじょうさん、原稿ありがとうございました。

 

CD2010年3月4日(木):クラシックジャーナル

クラシックジャーナル040号表紙 クラシックジャーナル040号(アルファベータ、定価1,260円 3月10日発売)にゆきのじょうさんによる「私のカラヤン」が掲載されました。「長編カラヤン論、94頁、一挙掲載!」とあります。クラシックジャーナル040号はカラヤン特集で、全体のテーマは「やっぱり、カラヤン」。本文232ページのうち、ゆきのじょうさんの文章だけで94ページですから、完全にメインの読み物となっています(ゆきのじょうさんは「裄野條」さんとして登場)。

 言うまでもなく、これはAn die Musik上でゆきのじょうさんが掲載していた「私のカラヤン」がもとです。当サイトの文章がクラシックファンでもあるスキーヤー角皆優人さん、さらにはクラシックジャーナル編集長の中川右介さんの目にとまり、今回の掲載に至りました。「私のカラヤン」のうち、「第7章 カラヤンのマーラー 」を除外した全編がクラシックジャーナルに取り上げられています。「第7章 カラヤンのマーラー」はいったん連載が終了した後もなお、私がしつこくせがんでゆきのじょうさんに書いていただいたものでした。内容的には余録ではなく、全体の白眉でもあったのですが、ページの都合からか、今回は割愛されています。

 編集後記には中川編集長から「ネットで読めるものを紙に載せる意味があるのか」と悩んだこと、それでも「私自身が紙の上でじっくりと読みたいと思ったから」掲載に踏み切ったと記されています。ネットではカラーで掲載していたCDジャケットが白黒になるというデメリットはありますし、ハイパーリンクは意味がなくなってしまうというデメリットはありますが、紙で読めるというのは非常に大きな意味があります。いつでもどこにでも携帯できます。また、横書きが縦書きになったことで一挙に格調があがったような気にまでなりますね。

 もともと「私のカラヤン」は私がゆきのじょうさんにおねだりして書いていただいたものでしたが、こうして本になると我がことのようにうれしいです。ゆきのじょうさんの「私のカラヤン」本文の前には編集局からAn die Musikの紹介までありました。実にありがたいことです。ゆきのじょうさん、ご配慮ありがとうございました。また、校正もお疲れ様でした。

 

CD2010年3月3日(水):シューベルトのミサ曲第6番

 「クーベリックのページ」に「シューベルト晩年のミサ曲を、クーベリックの名盤とカペレの最新盤で聴き比べる」を追加しました。文は松本武巳さんです。なお、クーベリックのページだけでなく、「シュターツカペレ・ドレスデンのページ」からも参照できるようにしました。松本さん、原稿ありがとうございました。お礼を申し上げると同時に、松本さんには二つお詫びがあります。一つ目はこの原稿をいただいていたのが11月中であったにもかかわらず、掲載が3月になってしまったことです。これはお詫びのしようもありません。何卒ご容赦ください。二つ目は、それだけ遅れたにもかかわらず、トップページには私の趣味嗜好のため、シュターツカペレ・ドレスデンのCDジャケットを使ってしまったことです。誠に申し訳ありません。

 蛇足です。
シュターツカペレ・ドレスデン盤は再建されたフラウエン教会で収録されています。残念ながら私はその教会に入ったことがありませんが、CarusレーベルのCDでそこでの演奏会の模様を楽しめます。ほかのCDのジャケットもフラウエン教会での演奏会の模様が使われたりしていて、ジャケ買い派の私としては気になって仕方がありません。今回松本さんが取り上げたシューベルトでも、演奏した団員全員の氏名が記載されているなど、私のようなファンに対するサービスもしっかりしています。ちなみに、当盤のバランス・エンジニアのクレジットを見ると、アンドレアス・ノイブロンナーの名前が載っています。このエンジニア、神出鬼没ですね。

 

CD2010年3月2日(火):「音の招待席」第2弾 マゼールのラヴェル

 青木さんの「音の招待席」に「ラヴェル「子供と魔法」(マゼール)を聴く」を追加しました。青木さん、原稿を丸2ヶ月も放置してしまい、誠に申し訳ありませんでしたっ!

 

CD2010年3月1日(月)ラフマニノフの『鐘』

 皆様、お久しぶりです。このところ余裕がなく、更新の時間が取れなかったのですが、ようやく落ち着いてきましたので、本日から更新を再開します。そう思ってこのページを自分で開いてみると、あろうことか最後の更新が1月13日になっているではないですか。こんなに更新頻度が減っていては、長くつきあってくださっていた読者の方々もすっかり遠ざかってしまっただろうと悔やまれてなりません。確かに最終更新日の後あたりから私の身に降りかかってきていたことを考えるとやむなしと自分では思うのですが、ホームページの運営者という視点で客観的に見ますと、完全に落第であります。こういうものは定期的にきちんと更新していくのが大事なわけで、それができないと劣悪なイメージを持たれることになります。弁解しようもないのですが、何卒ご容赦ください。

 閑話休題。直近の気になる曲と言えば、バンクーバーオリンピックで浅田真央さんがフリーの演技で使ったラフマニノフの『鐘』であります。女房から、「真央ちゃんは『鐘』って曲で滑るらしいよ。知っている?」と訊かれたときは、てっきり作品35の35分にも及ぶ巨大な声楽付きの曲の方だと思っていました。あの曲でどうやって滑るのか、想像できません。選曲に問題はないかとまで思っていたのですが、全然違いましたね。オーケストラで演奏されてはいましたが、あれはピアノ曲『前奏曲 嬰ハ短調作品3の2』ですね。壮大なオーケストラ曲に変貌していましたが、フィギュアスケートではああいった曲でかっこよく滑ることができるんですねえ。おじさんはすっかりしびれてしまいました。オーケストラ用に編曲したのはストコフスキらしく、ストコフスキ指揮のCDも出ていたようですが、残念ながら私はそのCDを持っていないらしいです(たぶん)。ぜひストコフスキ盤を入手して聴いてみたいところですが、どうも廃盤となっているようです。市場に出回っていれば私みたいなクラシック音楽ファンがこぞって買っていただろうのに。こうなれば原曲を聴いて楽しむにしかず。・・・というわけで、私がここ数日間はCDラックにあるピアノ曲の方を聞き比べて楽しんでいるのですが、密かに気に入っているのは以下のCDであります。

CDジャケット

ラフマニノフ・プレイズ・ラフマニノフ
A Window In Time

前奏曲 嬰ハ短調作品3の2、ほか全19曲
ピアノ:セルゲイ・ラフマニノフ(アンピコ・ミュージック・ロールでの録音。作品3の2は1919年3月17日)
自動ピアノによる電気再生:ウェイン・スターンキ
自動ピアノによる電気再生:1996年8月27日、ロサンゼルス、サウザンド・オーク・シヴィック・アーツ・センター
TELARC(国内盤 CD-80489)

 このCDはラフマニノフが演奏した記録を最新技術で再生したもので、再生の仕組みについても詳細な解説が掲載されています。このCDを数限りなく聴いてきた割にはその日本語解説で書かれている仕組みを未だに理解できないのは面目もないのですが、このCDの面白さは、ラフマニノフが録音した1919年の音ではなくて、1996年の音でその演奏が聴ける点にあります。ラフマニノフのタッチを1996年に蘇らせ、ベーゼンドルファーで再現したものをテラークが録音しています。よくこんな企画を実現したものだと感心せずにはいられません。ある意味、際物的なCDであることは十分承知しつつも、今まで何度も聞いてきたのは演奏面でも音の面でも満足できる内容であったためです。ただし、これがラフマニノフだと思って聴いているから満足できるのかもしれませんが。


 

(An die MusikクラシックCD試聴記)