カテゴリー別アーカイブ: CD試聴記

イェネー・ヤンドーで、リスト「ピアノソナタ ロ短調」を聴く(ヤンドー追悼)

松本さんの「音を学び楽しむ、わが生涯より」に「イェネー・ヤンドーで、リスト「ピアノソナタ ロ短調」を聴く(ヤンドー追悼)」を追加しました。松本さん、原稿ありがとうございました。久しぶりのリスト・シリーズですね。

(2023年9月30日)

コリン・デイヴィスとカペレによる「シベリウス交響曲第2番、エン・サガ他」

松本さんの「音を学び楽しむ、わが生涯より」に「コリン・デイヴィスとカペレによる「シベリウス交響曲第2番、エン・サガ他」」を追加しました。松本さん、原稿ありがとうございました。

(2023年9月18日)

クーベリックの指揮でフェルステル「交響曲第4番《復活祭前夜》」を聴く

松本さんの「クーベリックのページ」および「音を学び楽しむ、わが生涯より」に「クーベリックの指揮でフェルステル「交響曲第4番《復活祭前夜》」を聴く」を追加しました。松本さん、原稿ありがとうございました。

(2023年9月17日)

クーベリックと初演ライヴ盤で、オルフの歌劇『オイディプス王』を聴き比べる

 

松本さんの「クーベリックのページ」および「音を学び楽しむ、わが生涯より」に「クーベリックと初演ライヴ盤で、オルフの歌劇『オイディプス王』を聴き比べる」を追加しました。松本さん、原稿ありがとうございました。松本さんの高校生時代が彷彿とされる文章ですね。

(2023年9月10日)

ブラジルの名花ヤーラ・ベルネッテの残した録音を、ケンペ指揮の協奏曲を中心に聴く

  

松本さんの「音を学び楽しむ、わが生涯より」に「ブラジルの名花ヤーラ・ベルネッテの残した録音を、ケンペ指揮の協奏曲を中心に聴く」を追加しました。松本さん、原稿ありがとうございました。こうした評論を読むと、我ながらごく一部の音楽家の演奏しか聴いていないと痛感します。反省。

(2020年10月8日)

シノーポリとカペレによる「ウェーベルン管弦楽曲全集」を聴く

松本さんの「音を学び楽しむ、わが生涯より」に「シノーポリとカペレによる「ウェーベルン管弦楽曲全集」を聴く」を追加しました。松本さん、原稿ありがとうございました。この録音に対する松本さんの愛がひしひしと伝わってくる文章ですね。

このCDは私も数え切れないほど聴きました。シノーポリとシュターツカペレ・ドレスデンによる新ウィーン学派の録音は一部では「全く必然性がない」とまで言われていたと記憶していますが、両者による良質な遺産だと私は(も)思います。

(2019年9月17日)

ガーディナーによる「パーシー・グレインジャー作品集」を聴く

松本さんの「音を学び楽しむ、わが生涯より」に「ガーディナーによる「パーシー・グレインジャー作品集」を聴く」を追加しました。松本さん、原稿ありがとうございました。

ガーディナーではシューマンの交響曲全集が忘れられません。古楽奏法による演奏がよほど毛嫌いされているためなのか全く話題にもならないのですが、これほど刺激的で、シューマンの交響曲の面白さを味わわせてくれる録音はさほど多くはないでしょう。モーツァルトではおそらくは正しい演奏をしようという気構えが強く出過ぎてかえって退屈さを招いてしまったのに対し、シューマンは正しさなんて追求しなかったように思えます。世間的には、そのモーツァルトの印象が強く残ったのかもしれません。

(2019年8月1日)

カペレの演奏で、ビゼー「カルメン(ドイツ語歌唱)」を聴く

 

松本さんの「音を学び楽しむ、わが生涯より」に「カペレの演奏で、ビゼー「カルメン(ドイツ語歌唱)」を聴く」を追加しました。松本さん、原稿ありがとうございました。旧東ドイツ時代の録音には愛着を感じます。というよりたまらない魅力を感じます。もっとオペラを残してくれていたら良かったのにと思わざるを得ません。

(2019年4月14日)

ベートーヴェンの歌曲「愛されない男のため息、応えてくれる愛」WoO118を聴く

松本さんの「音を学び楽しむ、わが生涯より」に「ベートーヴェンの歌曲「愛されない男のため息、応えてくれる愛」WoO118を聴く」を追加しました。松本さん、原稿ありがとうございました。

この曲は題名だけを見ると深刻そうな印象を与えますが、聴いてみるとなんだかユーモラスで私は好きです。

(2018年12月20日)

シューベルト晩年のピアノトリオを聴く

久々にAn die Musikを更新しました。といいましても自分の原稿ではないのですが。

松本さんの「音を学び楽しむ、わが生涯より」に「シューベルト晩年のピアノトリオを聴く」を追加しました。松本さん、原稿ありがとうございました。

私がこの演奏の試聴記を書いた2015年には「お前、そんなに悲壮感が漂う文章を書いて公開してはいけない」と知人からお叱りを受けたものでした。しかし、今読んでみても加筆訂正すべきところはありませんでした。それ以来全く成長していないということかと少し複雑な気分です。

(2018年6月15日)

マゼールのマーラー:交響曲第1番に思う

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マーラー
交響曲第1番
ロリン・マゼール指揮ニューヨーク・フィルハーモニック
録音:2006年5月25-27日、ニューヨーク、エイヴリー・フィッシャー・ホールでのライブ
ニューヨーク・フィル自主制作(NYPFR06)

ニューヨークフィルからマゼールのマーラー録音が出ている。CDには「非売品」と書いてある。ニューヨーク・フィルのプロモーション用であって、商業録音ではないということらしい。しかし、それでも楽団側が公式にリリースするのだから、このCDはマゼールにとっても、ニューヨーク・フィルにとっても自信作であったに違いない。

確かに面白い。ショウ・ピースとしてのマーラーを聴きたい人には最高の演奏だろう。演奏はもはや歌舞伎的だ。ここぞというところでテンポを落とす、クライマックスの直前で長いパウゼを入れてためにためる。会場の聴衆はこの大見得をさぞかし喜んでいただろう。私も会場にいたならば欣喜雀躍していたに違いない。ニューヨークフィルは技術的にも優れていて、演奏の完成度はライブとはとても思えない水準だ。

音も現代的である。良く言えばとてもすてきな美しい音がする。こうした音がこ20年ほどの流行になっているようで、有名オーケストラによる自主制作盤でよく聴かれる音作りである。

しかし、このCDを聴いて私はいろいろなことを考えさせられてしまった。

まず、歌舞伎的な演奏についてだ。マゼールの演奏だから、私は何かをやるだろうとは予想していた。そして、予想通りというか、それを上回る歌舞伎的な演奏だった。私はそれを否定はしない。私自身が面白いと思って聴いたからだ。それも、笑いをこらえながら喜んで聴いたのだ。

問題は、私が笑ってしまうとか、吹き出してしまう、ということだ。なぜ笑ってしまいたくなるのだろう。私たちは今まで膨大な数のクラシック音楽の録音を聴いてきた。往年の大指揮者たちもいろいろなことをしてきている。それこそ、マゼールが採用した手法と同じものだって含まれている。しかし、その多くの場合、私はそれを歌舞伎的だと思っては聴いてこなかった。笑いもしない。真摯な音楽表現だと認識してきたのである。この差はどこから来るのだろう。

また、この現代的な音についてだ。最近の録音は、会場の空気感を重視するので、スピーカーの前にとても上品なふんわりとした優しい音が出現する。本当にすてきだし、美しい。しかし、それと引き替えに、演奏が持っていたであろう圧倒的なパワー・エネルギーは少なからず削り取られてしまっているように感じる。だから私は実際はもっと凄い音がしたのだろうと想像する。音は完全に収録できないものだとは分かってはいても、私は無い物ねだりをしてしまう習性が抜けない。困ったものである。

おっと、こんなケチをつけていては、楽しめるものも楽しめなくなってしまう。CDを聴いて考え込むのもほどほどにしておこう。

(2016年4月29日)

セルのベートーヴェン

私はセッション録音を好んで聴くし、90年代以降、安易に量産されたライブ録音盤には殆ど魅力を感じない。しかし、ライブ録音といっても指揮者とオーケストラの本気演奏は、どれほど古くても価値があると思う。

例えば、セルがシュターツカペレ・ドレスデンを指揮したCDだ。

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CD1
ベートーヴェン
「コリオラン」序曲 作品82
ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」
ピアノ:ニキタ・マガロフ

交響曲第5番 ハ短調 作品67
録音:1961年8月6日、ザルツブルク、祝祭劇場におけるライブ
CD2
ベートーヴェン
「エグモント」序曲 作品84
ブルックナー
交響曲第3番 ニ短調
録音:1965年8月2日、ザルツブルク、祝祭劇場におけるライブ

ジョージ・セル指揮シュターツカペレ・ドレスデン
ANDANTE(輸入盤 AN2180)

セルには名盤が少なくないが、クリーブランド管弦楽団とのベートーヴェン録音についてはかねてから疑問符を付けていた。セルはオーケストラのコントロールを徹底しているから、その仕上がりは文句の付けようのないほど均整が取れている。しかし、それを聴いて身体が熱くなるような経験を私はしたことがないのである。演奏を聴いていると、楽団員が上司に睨まれながら仕事をこなしているのではないかとさえ思われることもあった。

ところが、このザルツブルクのライブ録音はどうだろう。オーケストラが喜んで演奏をした堂々のベートーヴェンである。コントロールという言葉が浮かぶ以前にベートーヴェンの音楽が私を燃え立たせる。指揮台に立っているのは本当に同じセルなのだろうか。

セルはシュターツカペレ・ドレスデンとは縁遠かった。これはザルツブルク音楽祭が産み出した特別な組み合わせなのだ。そういえば、セルは1969年にもザルツブルクでウィーン・フィルと熱狂的演奏を行っている。セルにとってウィーン・フィルはシュターツカペレ・ドレスデンよりは近い関係にあっただろうが、やはり他流試合であっただろう。そういうとき、セルはマジャールの血を燃えたぎらせてしまうらしい。こういう録音はもう出てこないのだろうか。ベートーヴェンの他の交響曲録音はないのか。

ひとつ疑問が生じた。セルはクリーブランドでのコンサートではどんなベートーヴェン演奏をしていたのだろう? セッション録音と似通った雰囲気の演奏だったのだろうか。もしかしたら、セッションとは別人になっていた可能性も否定できない。・・・などと私は妄想に耽っているのだが、その検証を実際にしてみたくてたまらなくなった。こういうのを正月ボケという。

(2016年1月5日)