月別アーカイブ: 2015年2月

ベームの1977年来日公演

CDを処分した際に手許に残したCDをこのところ一枚ずつ聴いています。今回はカール・ベームの1977年来日公演盤です。この演奏は当時中学生だった私がエアチェックして繰り返し聴いて内容をすっかり諳んじてしまったのに、なお、いや、それだからこそ処分できなかったCDの典型でした。不思議なことに、よく聴いた演奏であるのに今聴いてもまだまだ色褪せてきません。「レオノーレ」序曲第3番のフルートソロを耳にすると今更ながらすばらしいと思わずにはいられません。

この来日公演は私がクラシックを聴くことになったまさに原点です。引っ越しのために身を軽くし、いろいろなことを捨て去らなければならないのですが、これくらいを残したところで罰は当たらないと信じています。

なお、このCDについては、2002年5月19日の「What’s new?」でも触れていますね。引用するには若干長いのですが、以下に全文を転載しておきます。13年も前のことなのに、2002年の文章に付け加えるべきことが何もないことに我ながら驚いています。


2002年5月19日:すべてはここから始まった

ついにこんなCDが登場した。

CDジャケット

ベートーヴェン
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
交響曲第5番ハ短調作品67
「レオノーレ」序曲第3番作品72b
カール・ベーム指揮ウィーンフィル
録音:1977年3月2日、NHKホールにおけるライブ
ALTUS(国内盤 ALT-026/7)

カール・ベーム最晩年の日本における人気は一体何だったのだろうか。まるで神様を崇め奉るようであった。・・・そんなことをいかにも訳知り顔で書く私だって、かつてはベームを神のように思っていたのであった。それもそのはず、私がクラシック音楽をまともに聴き始めたのは、このベーム指揮ウィーンフィルライブからなのである。当時私は中学3年生であった。

まだクラシック音楽になど興味のかけらもなかった私にウィーンフィルの話をやたらしたがる悪友のお陰で、私は1977年のベーム来日演奏をFMで聴かされたのだ。それもテープにまで収録しながら。ベートーヴェンの「運命」も、「田園」も、「レオノーレ」序曲もそれまで聴いたことがなかった。ベームのこの日の指揮で初めて聴いたのである。なぜか私はクラシック音楽がそのまま好きになり、テープに収録したテープを何回も聞き返した。テレビで放映された来日公演の模様も一所懸命見た。ついには、メロディーや演奏の間合いをすべて諳んじてしまった。

もし、この時私がベームの演奏に耳を傾けていなければ、今私はクラシック音楽を聴いていなかった確率が高い。どうしてそのままクラシック音楽を聴き続ける気になったのか不思議ではあるのだが、「カール・ベーム」という、当時最大級のブランドを頼りにクラシック音楽を追い求めていったわけだから、私にとって、最も重要な指揮者である。私がかなりドイツ・オーストリアものの、しかもオーケストラ曲を中心に音楽鑑賞をするようになっているのも、この人との出会いがなせる技なのだろう。

その後、私は最晩年のカール・ベームを高くは評価しないようになった。他の指揮者の演奏を数多く聴くにつれ、神とは崇めなくなった。最晩年のあの人気は過熱しており、異常であったと分かるようになった。最近では、「オペラはともかく、シンフォニーはどうもなあ...」などと宣う始末である。

しかし、このCDを改めて聴いてみると、カール・ベームはやはり立派なものだったのだと思う。ライブにつきものの乱れはあるものの、収録された3曲は実に見事な演奏で、私ははるか25年前の自分に戻って、かつての感動を追体験させられた。もしかしたらあの「運命」は駄演なのかもしれないが、私が初めて繰り返し繰り返し聴いた演奏だけに身体があの演奏に反応してしまう。「レオノーレ」序曲に登場する、天から舞い降りてくるように聞こえるフルートなど、今なお強く私を引きつけてやまない。「田園」を聴くと、宇野功芳氏が熱に浮かされたような賛辞を送っているのが頷ける。魅惑的なホルンセクション。ウィーンフィルがあのNHKホールでこのような鳴り方をしていたとは、驚きである。

今さら昔聴いていた演奏をCDで聴いても仕方がないかな、と思いつつこのCDを買ったが、25年の時を隔てても同じ感動が甦ってくるとは! 私の場合、すべてはこの演奏から始まっている。今にして思えば、クラシック音楽という豊饒の世界を私に直接に伝えたカール・ベームは私の大恩人である。ゆめゆめ疎略に扱ってはいけないと肝に銘じた次第。


(2015年2月28日)

マーラー 君に捧げるアダージョ

浦和で今週のみ『マーラー 君に捧げるアダージョ』が上映されると知って、慌てて映画館に駆け込みました。

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アルマはツェムリンスキー、クリムト、グロピウス、ココシュカ、そしてマーラーを虜にした魅力的な女性ででした。今残っている写真を見ても相当な美人であったことが想像されます。しかし、私は有名人ハンターであるアルマが好きではありません。彼女の奔放な男性遍歴を知れば知るほど共感を持てなくなります。

映画は、マーラーが精神分析医のフロイトに治療をしてもらう場面から始まります。マーラーはアルマのあからさまな不倫に悩んでいます。そのような経験を持たない私はそれだけでも幸せだと思うのですが、当のマーラーにしてみれば地獄の日々だったでしょう。

この映画を観るまで、私はアルマの不貞がマーラーに苦悩をもたらしたのであって、アルマこそ悪であると認識していたのですが、映画ではそのような図式を取っていません。フロイトは、マーラーからアルマの不倫を聞かされても、マーラーに対し、「君に罪がある」と言い放ちます。その場面は大変印象的です。映画の中のマーラーも「何で私に罪があるというのか」と当然のように逆上します。

しかし、フロイトは正しかった。アルマはマーラーに作曲を禁じられていたり、子どもとマーラーの間が強く結びつきすぎていて、アルマがその中に入り込めなかったりするなど精神的に抑圧されていたのです。それに、マーラーは多忙すぎることと年齢差があるためにアルマと夜の生活をしていません。その点をフロイトはフロイトらしく突いてきますが、マーラーはその意味が皆目分かっていません。要するに、マーラーはアルマに幸福を与えてやっていると思い込んでいるものの、アルマはそう受け取っていないばかりか、苦痛を感じていたのです。マーラーは無意識のうちにアルマを追い込んでいたのですね。

そこまで理解できると、いかにもありがちな夫婦のドラマになってきます。妻の心の深いところに根を張った不満は、容易には除去できません。長い時間をかけて作られた不満ですから、夫が自分の非を悟ったところでもはや取り返しがつかないのです。残るのは破局しかありません。2人ともこれでよく離婚しなかったものだと感心します。マーラーは死ぬまで彼女と離婚することなく、彼女への愛を貫きます。

映画では全編にマーラーの交響曲第10番のアダージョが流れています。実に重苦しく、悲痛であります。破局の原因が分かっても何一つ解決されないまま、マーラーは心臓病で死んでしまいます。そのとき、マーラーは今の私よりも若かったのです。暗くて、陰鬱な気分が充満している作品でしたが、苦難の中で自分の人生を全うしたマーラーには少なからぬ共感を覚えました。

(2015年2月22日)

シュターツカペレ・ドレスデン来日す、だが・・・

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シュターツカペレ・ドレスデンが来日しますね。23日、24日とサントリーホールで公演があります。もちろん私も行きたいです。しかし、両日とも身動きが取れずサントリーホールにはとても行けません。どなたか来日公演に行けた方はぜひその模様を教えてくださいね。

ボックスセットを聴き始める

先週大量にCDを売ったのですが、DGから発売された「111 YEARS OF DEUTSCHE GRAMMOPHON」は手許に残してありました。廉価で買った珍しくもないボックスセットを売ったところでろくな値がつかないと判断したためです。

今週は今まで放って置いたこのセットを少しずつ聴き始めました。まずはメンデルスゾーンです。これは55枚中の32枚目。私はこのCDを単体では持っていなかったのです。

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メンデルスゾーン
交響曲第4番イ長調 作品90「イタリア」
交響曲第5番ニ長調 作品107「宗教改革」
ロリン・マゼール指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1960年4月(第4番)、1961年1月(第5番)、ベルリン、イエスキリスト教会
DG(輸入盤「111 YEARS OF DEUTSCHE GRAMMOPHON」の1枚。)

このメンデルスゾーンはいずれも私が生まれる前の録音でした。DGも何度も発売を重ねてきて元は取ったのでしょう。だからボックスセットに入れて安く販売できるのですが、さすがに自社の111周年記念盤だけあって選ばれた演奏だという気はします。この両曲も今聴いても聴き応えがあります。1960年当時のベルリンフィルの質実剛健な音、それを颯爽と指揮するマゼール。常に自分流を貫くマゼールが「イタリア」のカップリングに「スコットランド」ではなく「宗教改革」を選んだところも興味深いです。

聴かせ上手のマゼールの手にかかると「宗教改革」が名曲だと思えますね。この曲は第1楽章に「ドレスデン・アーメン」が、第4楽章にルター作のコラールが使われているように宗教曲的側面を持ちます。そう思って聴くといかにも辛気くさく感じるのですが、マゼールはオーケストラを鳴らし切って痛快な曲に仕立てています。私は今週何回もこの演奏を聴いて堪能しました。

ずっと放置していたボックスセットが活躍するとは。まだボックスセット生活に慣れないのですが、もしかすると今までとは違った楽しみを発見するかもしれません。皆様はボックスセットとどうつきあっていますか。

再度ブログ形式に挑戦

本日より、「 What’s new ?」の更新をブログ形式に変更します。以前数ヶ月ほどライブドアのブログで更新をしたことがあります。しかし、細かい仕様に納得できず、結局中止しました。その後も密かにMovable Typeでブログを作ることを画策していましたが、これが素人には難しい。そうこうしているうちに、WordPressが使いやすくなっていたので試験的に採用してみました。まだ使い方に慣れていませんし、文頭の1文字スペースは入力しても必ず削除されるという奇妙な点があるなど疑問に思うことがないわけではありませんが、何とかなるでしょう。

試験的とはいえ採用に踏み切った最大の理由は、他のブログと違い、テキストが読みやすく表示されることです。私のサイトにはCDジャケット写真が使われる他は基本的にテキストしかありません。しかし、ほとんどのブログでは小さなフォントが標準です。そのままだと、書き手の私が自分の文章を読むのに苦労するのです。そんな馬鹿なと思いますよね。なぜそんな基本的なことが改善されないのかと思っていたのですが、さすがに誰かがその点を是正しているのですね。

ということで、本日は最初のエントリーです。今度はブログ形式を長続きさせたいです。

(2015年2月17日)