私はハイドンが大好きである。その魅力にとらわれ、手に入れられる録音は片っ端から聴いた。交響曲全集は3種聴き通した。
ハイドンという、クリエイターとしては異常なほど健全な人格から生まれた交響曲はやはり健全極まりない。通常の音楽ファンに交響曲としてカウントされるは104曲あるが、それだけの数があるのに病んでいる曲はひとつもない。わずか10曲しかないのにその殆どが病んでいる作曲家もいることを考えると、ハイドンの健全さは際立つ。
健全なだけではない。注文主や聴衆を楽しませようという創意工夫が曲中に溢れている。たった一人の作曲家がよくもここまで同じジャンルで別の曲を作り続けられたものだと感心する。
具体的に見てみよう。
往年の指揮者ではカール・ベームがあの風貌に似合わず見事なハイドン演奏を聴かせる。ベームは職人として曲の勘所が分かったのだろう。現代の指揮者ではおそらく、サイモン・ラトルが随一だと私は睨んでいる。以下のCDは中でもとびきりの出来映えだ。特に第90番は必聴だ。
ハイドン
交響曲第88番 ト長調
交響曲第89番 ヘ長調
交響曲第90番 ハ長調
交響曲第91番 変ホ長調
交響曲第92番 ト長調「オックスフォード」
シンフォニア・コンチェルタンテ 変ロ長調
サー・サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:2007年2月8-10,14-17日、ベルリン、フィルハーモニーにおけるライブ録音
EMI(輸入盤 3 94237 2)
ラトルはハイドンが好きらしく、バーミンガム市交響楽団時代にもハイドン録音を世に問うている。このCDに収録されている第90番に至っては再録音だ。しかし、こちらの方が圧倒的に面白い。
問題は第4楽章だ。一旦景気よく終わるのである。このCDはライブ録音されているから、そこで盛大な拍手が入る。しかし、終わりではない。ラトルはしれっとコーダ(と呼んでいいのか分からないが)をリピートするのである。リピートされたコーダは盛大に終わる。今度こそ全曲が終わったと思った聴衆はまた拍手をする。噂では、このときラトルは指揮棒を降ろしていたという。しかし、実は終わっていない。あろうことか、もう一度コーダを演奏するのである。会場は笑いとざわめきで一杯だ。
このアイディアは秀逸だ。ラトルのCDには、聴衆を2度も騙したライブ版だけでなく、真面目に、そして聴衆の拍手なしで演奏したセッション録音版も収録されている。どちらが面白いかは言うまでもない。私はハイドンがスコアにどんなふうに記しているのか知りたくて調べたこともあるが、ハイドンの交響曲第90番なんて曲はマイナーすぎて、そのスコアを自分の目で確認することはできなかった。私のような素人に「スコアを見てみたい」と思わせた曲はこの曲ぐらいなものである。本当にどうなっているのか見てみたい!
不思議なのは、この2度もある騙しのアイディアを、ベームはおろか誰も使っていないことだ。ラトルも旧盤では採用していない。なぜだろう。指揮者が知らないのか? そんなはずはない。指揮者も人とは違ったことをしたくないのか。それともこれはラトルが思いついた特殊な演奏方法だからか?
もっと多くの演奏家にハイドンを演奏してほしい。そして我々を楽しませてほしい。ハイドンの曲はそれを可能にする。私はラトルのこの演奏を聴いてラトルが好きになったし、ハイドンはもっと好きになった。もっと聴かれてもいいのに、と思う。
(2016年1月3日)
伊藤様。はじめてコメントします。東大阪市在住の山﨑努と申します。
私は昨年3月まで4年間東京単身赴任しておりましたが、文京区立小石川図書館には
スコアが結構蔵書してあり、ハイドンの交響曲のスコアも全曲揃っていた記憶があります。また東京の図書館ではドラティの全集(キング=ロンドン盤)が湊区立みなと図書館にあります。ご参考になれば幸いです。
山崎様、情報ありがとうございます。
ハイドンの交響曲の楽譜を全部揃えてくれている図書館があるなんて知りませんでした。なんてすばらしいんでしょう。もっと図書館を利用しなくてはいけませんね。
伊東さん
第4楽章の第168小節から171小節の全休止部分ですね。これは、繰り返しの指示(第79小節~第241小節)があるので、確かに2度遭遇することになりますね。
本来はここで転調しているから挿入された休止符だと思います。もしかしたら拍手をさせない振り方も可能かも知れませんが、ラトルなら当然ここを勝負どころとして、拍手させようとするだろうと思います。
まさに彼の人気の秘訣でしょうね。
ああ、松本さんは楽譜を見ることができるんですね。どうやら転調のための休符が4小節分あることは分かっていたのですが、そこにハイドンが何か書き残しているのかいないのか、それを知りたいと思っていたのです。それはなさそうですね。