ARCHIVE OF WHAT'S NEW ?

99年5月〜99年7月

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7月30日:クレンペラーのベートーヴェン・チクルスに「プロメテウスの創造物序曲」を追加しました。


7月29日:3万件達成

少し前にアクセスカウンターが3万件を達成したようです。ホームページを立ち上げる際には、「1年で3000件いくだろうか?」と真剣に悩みましたが、どうにか9ヶ月でその10倍の件数まで伸びました。

これもひとえに皆様のご声援のお陰です。ゴールデンウィークの頃のように投げ出したくなる時もありましたし、疲れて書き物もできない時もありました。また、7月に入ってから3週間ほどは仕事がきつく、しばらく更新を休もうかと考えたりしました。女房さんにも休めといわれました。しかし、そうしている間にも読者の方々から暖かいご声援をいただき、やる気を出してきました(その頃メールをいただいた方々に素っ気ないレスをしたと思いますが、それでもねむけまなこで必死に書いたものです。何卒ご了承下さい)。

2万件達成時(5/24)に書きましたとおり、3万件記念の特別企画は残念ながらございません。次の企画は1周年記念である11月1日に行いたいと思います。が、それが何かは私も決めていません(^^ゞ。良いアイディアがあれば、是非とも教えていただきたく存じます。例えば「クラシック初心者の彼女または女房に聴かせたい1枚」などなど。女性読者の場合(どのくらいいらっしゃるかな?)は聴かせる相手が「彼氏あるいは亭主」になりますね。


7月28日:CD試聴記に「マルケヴィッチを聴く その2」を追加しました。

本日はお昼休みに会社の前を流れる小川で鯉を捕まえました。鯉の捕獲に参加したのは総勢4人。何とでっかい鯉が5匹も取れました。あんな小川に巨大な鯉がうようよしていることを知り、びっくりです。


7月27日:加筆

昨日は推敲前の文章がアップされるという事件がありました。結局私が帰宅したのはよる12時過ぎでしたし、へべれけになっておりましたから、推敲するにもできなかったでしょう。

とりあえずはアップされてしまったわけだし、女房さんを責めるわけにもいかないので、今回は加筆訂正は行わないことにしました。CD試聴記をお読みになって、何となく舌足らずな文章だと思った方、何卒ご容赦下さい。

加筆しようと思ったのは、マルケヴィッチ指揮「春の祭典」の比較文でした。どちらが面白いか、という話を書きたかったのですが、これはやはりやめておいた方が良さそうです。非常に有名な録音ですから今さら取り上げる必要もないでしょうし、まだ聴いていない人にとっては迷惑でしかないでしょう。これから聴く人の楽しみを奪ってはいけません。

でもマルケヴィッチの「ハルサイ」はいいですね。宣伝しやすい曲であるため、新録音が出ると「究極の名盤」と銘打たれて次から次へと「名盤」が登場するのですが、後で聴いてみるとあまりぱっとしない録音が多い中で、マルケヴィッチの新旧両盤はいまだに新鮮な響きがします。旧盤などは1951年録音ですから、それこそ50年近い年月が経っているにもかかわらず、新鮮なのです。少なくとも私はこの録音を聴いて古さを感じることはありません。これこそ本当の名盤でしょう。


7月26日:本日朝方、主人が推敲前の下記のページを私、ちふみが誤ってアップしてしまいました。主人が帰り次第、加筆訂正が入ると思います。このような情けないミスをしてしまい、読者の皆様には大変申し訳ありません。


7月26日:CD試聴記に「マルケヴィッチを聴く その1」を追加しました。


7月25日:命名

本日は全くプライベートな話です。音楽の話ではありません。日曜日につき、ご容赦下さい。

我が家の女房さんはいよいよ臨月に突入しております。予定日は8月13日。妊娠を知ったときは随分先の話だと思っていましたが、時間の経つのは速いもので、予定日が後数週間に迫ってきました。生まれてくるのは女の子の模様です。

ここで浮上したのが名前問題。実は私は男子を製造したつもりでおりましたので大変ショックでありました。名前は長男「孔明(こうめい)」、次男「楚材(そざい)」と男子の分しか考えていなかったために、ここしばらく激烈な名前論争が我が家で繰り広げられておりました。夫婦で一歩も譲らなかったために、このまま決着を見ないのではないかと一時は危惧されましたが、木曜日の晩にようやく決着しました。

命名「みずな」ついては発表します\(^o^)/。名前は「みずな」ちゃんに決定!え?「こりゃ何の名前か」ですって?うーむ。それもそうですね。ちょっと一般的には使われない名前です。ですが、出典はあります。山菜の名前です。私ども夫婦が苗場福島屋の山菜ツアーに連れていってもらい、最初に自力で取ってきた山菜が「水菜(みずな)」だったのです。漢字で書くと菜っぱそのものですが、ひらがなだと可愛いでしょう(えへへ)。ちょっと変わった名前ですが、夫婦ともすっかり気に入ってしまい、名前問題は一挙に解決しました。それぞれの実家だけではなく、福島屋にも報告したところ、全員が賛成して下さり、ほっとしています。あとは生まれるのを待つばかり。いやあ、楽しみであります。女房さんには既に親ばかといわれております(^^ゞ。


7月24日:シャルル・デュトワの若者に贈る音楽事典

NHK「シャルル・デュトワの若者に贈る音楽事典」を見ました。最初から見れたわけではなく、20分経ったところから慌てて見始めたのですが、見始めた場所というのがちょうどルイ・アームストロング(サッチモ)が出ている場所でした。サッチモは、ご存知ない方も多いかもしれませんが、ジャズを作り上げた人と言い切ってしまってもいいような天才です。そのサッチモの映像が見れ、しかも演奏まで聴けたのは望外の喜びでありました。

「シャルル・デュトワの若者に贈る音楽事典」はどういうわけかシナリオが貧弱で、子供でも馬鹿にしそうな展開なのですが、貴重な映像が見られることについては感謝しなければいけません。今回はサッチモの他に、2つの映像が特筆されます。

第一にはガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」。このピアノ演奏を受け持ったのが、なんとマーカス・ロバーツ。彼は、盲目の黒人ジャズ・ピアニストです。ジャズ界における知名度は極めて高く、ビッグ・ネームとして知られています。が、私は彼のやや冷たい演奏に必ずしも好感は持っておりませんでした。しかし、「ラプソディー・イン・ブルー」におけるマーカス・ロバーツの即興演奏には痺れてしまいました。よかったです。問題なのはNHKの制作陣であります。なぜ全曲を放映してくれなかったのでしょうか。小間切れの映像でも素晴らしさは十分に伝わってくるのですが、音楽とは小間切れにされるべきものではありません。残念なことです。

もうひとつ。バーンスタインの演奏です。バーンスタインが指揮している姿が映し出されましたが、ちょっと怖かったですね。全身全霊音楽に没入している様はよく分かりました。確かにあれはバーンスタインならではの姿であります。ただ、言葉は悪いとは思いますが、ちょっと狂人じみているような気もします。その姿がオケに尋常ならざる影響を与えるとすれば、それは狂人どころではなく、天才のみがなし得るボディー・ランゲージと言えましょう。すごいことです。少なくとも形だけを真似したとしても、同じ結果はまず得られないでしょう。

この2つの映像は、忘れらないものでしたが、願わくはもう少し実のあるシナリオを作っていただけないものでしょうか。あんな安直なシナリオでは見ている方が恥ずかしい気がします。どうでしょうか、NHKさん。


7月23日:クレンペラー、ベートーヴェン・チクルス1960に「交響曲第5番<運命>」を追加しました。


7月22日:五体不満足

女房のちふみです。

既に読まれた方も多いと思いますが、ベストセラーを続けている乙武洋匡(おとたけ ひろただ)さんの「五体不満足」を遅ればせながら読みました。オトちゃんがいかに普通の人であるか、いや、普通の人以上に明るく前向きで、さわやかな青年であるかがよく伝わってきます。

20日の「徹子の部屋」に出演しているのや、以前テレビで特集のようなものをやっているのをちょっと見たこともありますが、あの身体で球技をやってしまうのですから、本当に驚きです。講演を聴いていた小学生にも大人気でしたね。

こんな風に伸びやかに育ったのは、本人の性格や努力はもちろん、学校の先生や友人に恵まれたということもあるでしょう。でも、私がとても素敵だなと思ったのは、オトちゃんのお母さんです。本ではちらりちらりとしか登場しないのですが、オトちゃんがこれほど障害者であることを意識せずに普通の一人の人間として生きてこれたのも、このお母さんの影響が大きいのでは、と思います。私が特に気に入っているエピソードは、オトちゃんが友人を待っている間に「見た目のコワイ、パンチパーマにサングラスのオジサン」と話をしたときのことをご両親に報告したところ、お母さんが「だって、ああいう方たちは、ツメるといっても小指一本程度でしょう。あなたなんか、全身ツメちゃってるんだもん、それは、敬意を表されるわよ」と言ったというのです。オトちゃん本人も呆気にとられたこのセリフ、なかなか言えるものではないですよね。

私たちも近々親になるのかと思うと、ちゃんと子供を育てられるものか、時々不安になることがあります。こんなふうに子供の個性を丸ごと受け入れて、伸び伸び育てたいものです。


7月21日:ゴルトベルク変奏曲

CDジャケットGreat Pianists of the 20th Centuryシリーズ、「ロザリン・テューレック Vol.2」を聴きました。今回の目玉は待望の「ゴルトベルク変奏曲」であります。

解説によりますと、ロザリン・テューレックは18歳の時に「ゴルトベルク」に出会い、わずか5週間でマスター、暗譜で演奏したといいます。私のようなド素人から見ても難曲だと容易に想像される「ゴルトベルク変奏曲」を5週間でマスターし、人前で演奏するわけですから、すごいですね。テューレックは1973年にはカーネギー・ホールでリサイタルを開きますが、それはどうやら「バッハ・プロ」というより「ゴルトベルク・プロ」だったようです。何と、プログラムの前半はハープシコードによるゴルトベルク、後半はピアノによる「ゴルトベルク」。これにはたまげてしまいました。よほどの自信がなければできない芸当です。テューレックの「ゴルトベルク」はリピートを全部楽譜どおりに行っているようですから、非常に長時間にわたるリサイタルになったことでしょう。

Great Pianists of the 20th Centuryに収録された「ゴルトベルク」は最近ドイツ・グラモフォンに録音したものではなく、カーネギー・ホール・リサイタルが開かれた57年の録音です(EMI原盤)。録音当時、すでにバッハ演奏家として認められていたテューレックの清冽でみずみずしい演奏が聴けます。

なお、このCDで笑えるのはジャケット写真です。何10年前の写真なのでしょうか。グラモフォンのCDジャケットでは、さすがに、「ちょっと...」う気がしましたが、こちらは若くて美人に写ってますね。衣装も何となくエキゾチックだし、「これは人気ピアニストだったに違いない!中身にはもっとこんな写真がたくさんあるはずだ!」と思わずCDを買わずにはいられなくしています。残念ながらその期待は完全に裏切られるのですが、演奏はカップリングされている「イタリア協奏曲」などを含めて、テューレックの繊細なタッチが聴ける名品だと思います。

ただ、困ったこともあります。誤解を呼びそうですが、この「ゴルトベルク」なら注文主の貴族もグースカ眠れたのではないか、という気がします。「ゴルトベルク」とは本来そういう曲だともいえますから、別に非難にはならないでしょう。が、特に私のように81年録音のグールド盤を隅から隅まで覚えてしまったような聴き手にとっては、ずっと聴いているのが辛いこともあります。たった1枚のCDがその後の音楽鑑賞の仕方を変えてしまっているのです。

皆さんはどうでしょう。55年録音盤か81年録音盤かという究極の選択はともかく、グールドによって「ゴルトベルク」の印象を作ってしまった方はかなりの数に上るのではないでしょうか。ほとんどグールド編曲といっても差し支えない「ゴルトベルク」を聴いていますと、眠れるどころか、舞曲並みの躍動感のために踊り出してしまいそうです。私は本当に踊ることがあります(^O^)。

その81年録音盤との出会いはまさに衝撃的でした。大学3年の夏休み、バイト代をもらってすぐ買ってきたCDを、寮のベッドでごろんとなって聴き始めました。しかし、あまりの躍動感と斬新な音楽作りに仰天してしまい、飛び上がってしまいました。後にも先にもあのような衝撃的なピアノ演奏には出会っていません。

テューレックのCDを聴いた後、グールドの「ゴルトベルク」を聴いてみました。もしLPであったら盤面がすり切れるほど聴いたCDであるにもかかわらず、依然と全く変わらぬ感動を与えてくれました。ちょっとお酒が入っていたこともありますが、グールドの演奏に心まで揺さぶられ、ちょっと目頭が熱くなってしまいました。残念ながら、バッハの権威であるテューレックの力を持ってしてもこのような感動は得られません。もちろん、私はテューレックを責めるつもりなど毛頭ありません。グールドが天才すぎただけだと思います。永遠の生命力を持つCDといえば、きっとグールドの「ゴルトベルク」ということになりそうです。


7月20日:クレンペラー再評価

何度も繰り返しますが、私のページの正式名称は「An die Musik クラシックCD試聴記」であります。決して「An die Musik クレンペラーのページ」ではありません。しかし、クレンペラーのCDが売れているという話を聞くと、思わず「( ̄ー ̄) ニヤリ」とします。先日の日経新聞では、6年前の没後20年記念で出したCDは売れ行きがさっぱりだったにもかかわらず、没後25年の昨年に出したCDは大当たりしているそうな。EMIから次々と小出しにクレンペラーCDが発売されているのは、やはり売れている証拠なのでしょう。ホームページで紹介してきた甲斐があったというものです。えへん。

さて、春先には、「7月末にクレンペラーのページは一応完結する」と読んでおりましたが、まだ時間がかかりそうです。「売れる」と分かったからだとは思いますが、TESTAMENTを始め、クレンペラーのCDがちょろちょろと出てきているからです。これは意外な展開になってきました。もっと出てきそうな気がします。大市場である日本で売れることが分かれば、未CD化録音はもとより、未発表録音もどんどん発掘されるでしょう。楽しみであります。

しかし、現在、海賊盤でしか聴けないクレンペラーの録音は山ほどあります。そのほとんどが非常に優れた演奏ですから、EMIには善処していただきたいものです。優先順位からいえば、そちらかな? DISQUES REFRAINのCDはEMIから正規盤が出たことで一部完全に駆逐されたようですが、どうせなら徹底的にやってくれないものでしょうか。例えば、ARKADIAから出ていたメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」のようなCDをARTか何かでリマスタリングすれば、とてもいいCDになると思うんですが...。


7月19日:CD試聴記に「ショスタコーヴィッチの交響曲第8番」を追加しました。ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィルの演奏です。新譜ではありません。半年も前に出たBBC LEGENDS シリーズの1枚です。このCDについては、BBC LEGENDSシリーズを他にも2枚取り上げていたこともありまして、あえて書かないでおこうかと思っていました。が、あまりに強烈な演奏なので、遅ればせながら取り上げることにしました。ご容赦下さい。


7月18日:ザ・シンフォニカ演奏会

本日は久しぶりにコンサートに行って来ました。場所は錦糸町のトリフォニー・ホール。埼玉の奥地に引っ込んでしまってから、コンサートとはすっかり縁遠くなっているのですが、今回は私のお師匠様であるフォルカー氏を拝みに出かけてみました。

プログラムはマーラーの歌曲集「さすらう若人の歌」と交響曲第6番です。指揮は若き俊英、十束尚宏さん。とてもよかったですよ。特に第6番。あれほど長大な曲なのに、最後まで全く飽きさせずに聴かせてくれました。

ご存知のとおり、マーラーの第6番は冒頭から異様な興奮の中で開始されます。聴く方も聴く方で、それらしき演奏を期待しますから、かなり身構えるのが常でしょう。十束さんはそうした聴衆を裏切るように、あっけないほど速いテンポで第1楽章を始めます。重量感あるドロドロした演奏を予想していた私は最初からびっくり。音楽は猛烈なスピードで進行していきます。呆気にとられたのは私だけではなかったでしょう。ですが、あれは面白いアプローチでした。速めのテンポのままで一気呵成に第1楽章を描き通したのはさすがです。マーラーのヒステリックな音響がよく活かされたと思いますし、この交響曲にふさわしい興奮状態を見事に作り上げていたからです。あれなら、第1楽章が終わった後に拍手があってもおかしくはなかったでしょう。

最も楽しめたのは、やはり第4楽章でした。十束さんは第3楽章からほとんど切れ目なしで第4楽章に突入。序奏部分ではゆったりと拡がりのある演奏をしつつも、音楽が主部に入ると、十束さんはこれまたエネルギッシュにオケを走らせます。第3楽章までうつらうつらしていた人も、この楽章では寝ているわけには行かなかったでしょう。何といっても視覚的効果が抜群。舞台最後列に陣取る打楽器奏者達が入れ替わり立ち替わり、好きなだけ鳴り物を鳴らすわけだし、金管楽器の方々はフルスロットルで演奏しています。見ているだけでも飽きさせません。しかも、熱狂的な雰囲気と劇的な雰囲気がない交ぜになっていて、まさにマーラーの混沌。いやあ、楽しかったです。

お師匠様は客席から見て左側にでーんと陣取っておりました。相変わらずすごい貫禄です。昔からあの貫禄でしたが、最近は数知れない音楽活動と、さらに電脳世界における大活躍があいまって、背後にはオーラまで見えてきそうです。そろそろ「ご神体」扱いした方がいいでしょうか?

ところで、ここまで書いてきて、重要なことを申しあげるのを忘れておりました。実は、今日のコンサートには女房さんも同伴しました。「えっ!」と驚く方も多いでしょう。女房さんは臨月に入っていますから。どう考えてもマーラーの6番は胎教には悪いですね。第1楽章から派手にシンバルが鳴ったりするので「ううう、やっぱり止めとけばよかった!」と思ったのですが、後の祭り。第4楽章では「これでもか、これでもか」と強烈な音響が続きますからハラハラし通しでした。極めつけは例の「ハンマー」です。舞台ではハンマーそのものではなく、巨大木槌を使っておりましたが、奏者は「でへへへ、どうだあ!」的な振り上げ方をしておりまして、私は「おいおい、止めてくれよ!」と叫びたくなりました。視覚的には面白いのですが、心臓には最悪。しかも、5人のシンバル部隊による一斉威嚇射撃なども続き、気が気でなりませんでした。

ところが、肝心の女房さん、マーラーの6番を心ゆくまで楽しんでいたようです。カウベルの音や打楽器群の動きがたまらなく面白かったそうです。亭主は非常に心配しておりましたが、女房はどこ吹く風だったのです。会場ではもう一人妊婦を見かけましたが、どうだったんでしょうか。亭主が心配するほど母親はヤワではないのかもしれませんね。


7月16日:久々に「ときめきウィークエンド」を更新。「Belafonte at Carnegie Hall」を追加しました。とても楽しいCDですよ。お店になければ、注文しましょう。きっと満足するはず。


7月15日:はじめて聴くオペラ−Part 2

一昨日のWhat's New?で、はじめてのオペラとしていきなり「ワルキューレ」に遭遇してしまった哀れな女房さんについて書きました。「ワルキューレ」のためにすっかりオペラ嫌いになった女房さんは一転してバレエ鑑賞に転じた模様です。確かに、バレエなら、女房さんにも理解できるのでしょう。とてもエロチックな「春の祭典」なども見たようです。バレエについてはちゃんと覚えているのですから、まあ立派なものでしょう。

さて、今度は私が最初に見たオペラの話です。91年、ドイツにトレーニーとして赴任した私は、念願のドイツビールをぐいっと飲みほすと、その足でオペラハウスに向かいました。運良く当日券があったので、さっそく生まれてはじめてのオペラ体験です。場所はフランクフルト歌劇場。出し物はヴェルディの「マクベス」でした。今では建物も新しくなり、目立たないオペラハウスですが、私にしてみればフランクフルトでも十分オペラの雰囲気を楽しめました。いやー、楽しいものです。うまいアリアの後ではブラボーが飛んだり、ひどい歌の時にはちゃんとブーイングで応えるというあちらの様式もはじめて目の当たりにできました。

フランクフルトの次はミュンヘンに走りました。もちろんビールをでっかいジョッキで大量に飲みほした後またもや出てきたビールマーク、国立歌劇場に飛び込びます。そして、サヴァリッシュの指揮する「さまよえるオランダ人」を聴き、大いに興奮。予想はつくかと思いますが、その晩は深夜に至るまでビールを飲み続けてしまいました。考えてみると、もともとクラシック音楽が好きだったということもありますが、幸せなオペラとの出会いをしたと言えるでしょう。すっかりオペラが気に入った私はその後日本に帰ったらまず聴けなくなるであろう、いや、見られなくなるであろうオペラのためにドイツ各地で劇場通いをするようになりました。

ところで、フランクフルトで見た「マクベス」ですが、実は現在の女房さんと一緒だったのです。もう時効でしょう(^^ゞ。女房さんにすれば、悪夢の「ワルキューレ」からまる2年後のオペラです。この記事を書く前にちょっと聞いてみたところ、「全く覚えていない」とのことでした。これには唖然です。やはり....(以下、無言)。


7月14日:クレンペラーのベートーヴェン・チクルスに「交響曲第4番」を追加しました。


7月13日:初めてのオペラ

大掃除をしていたら、女房さんが昔見たオペラのパンフレットが出てきました。ロンドンにいたときに、どうもワーグナーの「ワルキューレ」を見たそうな。時に1989年。10年も前のことです。

女房さんはオペラというものをそれまで全く見たことがありませんでした。クラシック音楽も聴いたことがありません。そんな人がどうしていきなり「ワルキューレ」になってしまったのか、見当も付きません。よほど暇だったのでしょう。

案の定、長くて長くて、すごく退屈したそうです。無理もありません。初めて見聴きするオペラとしてはおそらく最悪の出し物でしょう。女房さんはその後、私というすばらしい案内役に出会うまでクラシック音楽はおろか、オペラに対する興味を失ってしまったそうです。

パンフレットをよく見ると、当日の「ワルキューレ」は、ゲッツ・フリードリッヒのプロデュース、ハイティンクの指揮ロイヤル・オペラの演奏で、ソリストにはなかなか豪華な顔ぶれを並べています。主だったところを挙げてみますと、次のとおりです。

Wotan und Bruennhildeこれは面白そうですね\(^o^)/ パンフに載っている写真(左:WotanとBruennhilde)を見ると、19世紀的演出による舞台らしく、初心者でも違和感がないように工夫されていたのではないかと思われます(そうかな?)。でも、演奏時間は休憩時間を入れると、5時間20分だったといいますから、女房さんが嫌気をさしてしまうのも、もっともです。

こういう話を聞くにつけ、いつも思うのは「知らないということはもったいない」ということです。ある程度ワーグナーや「ワルキューレ」について知っていて、ロイヤル・オペラが総力を挙げたであろう舞台に接していたならば、女房さんでも少しは「ワルキューレ」を理解できたのではないでしょうか。うーむ。もったいない。やはりオペラばかりはガイドが必要かもしれません。


7月12日:CD試聴記に「ブルックナーの交響曲第7番」を追加しました。

イッセルシュテット指揮北ドイツ放送響の演奏です。


7月11日:大掃除

プライベートな話題で申し訳ありません。我が家は先週から大掃除に入っております。もうすぐ女房さんも臨月に突入しますので、狭い部屋をもう少し広くしておかないと、赤ちゃんの居場所がないのです。

一番の問題は大量の本であります。私はよほどのことがない限り本を捨てません。そのため、家の中は本だらけ。一部は私の実家に送ってあるのですが、それでも本の山が狭い部屋の中に築かれ、女房さんから毎日苦情を言われています。しかし、これをそのままにしておくわけにもいきません。まず昨日は本のカバーを全部取り外し、少しでも本を薄くしました。また、本棚は一列を前後に使い、さらに少しでも空いているスペースに本を突っ込んでいます。しかし、こうなると、床が抜けてしまうのではないかと不安です。もはや赤ちゃんを書斎に連れてくるのは危険です。

CDの整理にも頭を悩めています。私は本棚をCD棚として活用していますが、もう限界です。何とかしなければなりません。効率的にCDを整理しておかないと、困るのは足の踏み場がないと怒り続ける女房さんではなく、私であります。情けないことに、最近では1枚のCDを取り出すのに20分以上かかることがよくあります。CD棚の奥の、さらに一番下に置いてあるCDを取り出すために、その前に堆く積んであるCDの山をどかさないといけないのです。これではどうしようもありません。

そこでいつも気になるのは石丸電気のカウンターの奥に見えるCD棚です。あれはいいですね。おそらくは石丸電気が仕様書を作って特注した棚だと思われますが、販売してくれないものでしょうか?この前石丸電気に行ったときにはよほど店員さんに聞いてみようと思ったのですが、若葉マークの方だったので止めておきました。今度は真剣に問い合わせてみることにしましょう。

さて、皆さんはどのように本やCDを整理されていらっしゃるでしょうか。


7月9日:クレンペラーのベートーヴェン・チクルス1960に「エグモント序曲」を追加しました。

今週はエグモントばかりでした。申し訳ありませんm(__)m。


7月8日:クレンペラーのページ、ベートーヴェン・チクルスに「交響曲第3番<英雄>」を追加しました。


7月7日:クレンペラーのページに「ベートーベン・チクルス1960の音質について」を追加しました。


7月6日:「繁栄と衰退と」

岡崎久彦さん。1930年生まれの外交官で、歴史、軍事に精通。著書は「隣の国で考えたこと」など多数。私は何年か前に絶版分を除くほとんどの著書を読みあさりました。長い著作活動の中でも岡崎さんの論旨は首尾一貫しており、かなり前の本でも、現代に通用する普遍的な文章ばかりです。さすがに日本の外交を真剣に考えている人だけあって、言葉に重みが感じられます。著書で「ハズレ」には出会いませんでした。

何故唐突にこのようなことを書くかと言えば、岡崎さんの名著「繁栄と衰退と」(文藝春秋)を紹介したかったからです。この本は副題が「オランダ史に日本が見える」とあるようにオランダ史を取り扱っています。しかも、オランダ独立戦争が中心であります。

岡崎氏によれば、オランダの歴史の一部はアングロサクソンによって抹殺されています。この理由については「繁栄と衰退と」をお読みいただくと面白いでしょう。世界史的な知識では、16世紀のオランダはスペインの過酷な支配下にありました。それは言語を絶する圧政だったそうです。ここにオランダ独立戦争の原因があるのですが、ここに登場するのが「エグモント」であります(ただし、「エグモント」が登場するのは独立戦争の最初期です)。

ベートーヴェンの「エグモント」序曲を聴いておりますと、非常に勇壮ですが、間奏曲などは悲痛な気分に満ちています。それもそのはず、オランダ独立戦争は当時世界最強であったスペイン軍を相手にしていたために苦戦の連続で、破れた都市は徹底的な虐殺にあっています。まさに血を血で洗う凄惨な戦争であったようです。戦争とはいえ、人間が人間を相手に何故あんなに残虐なことができるのか。ぞっとするような話が延々と続きます。

ベートーヴェンの劇音楽「エグモント」はゲーテの戯曲を原作にしていますが、「エグモント」のモノローグを読んでもオランダの歴史はよく分かりません。劇ですから、必ずしも歴史を語っていないのです。私は中学3年の頃から「エグモント」を聴いておりましたが、独立戦争のすさまじさは岡崎久彦さんの「繁栄と衰退と」を読むまで知りませんでした(もっとも、「繁栄と衰退と」は決して軍記物ではありません)。確か去年文庫化されていますので入手もしやすいでしょう。岡崎久彦さんの著作の中で最も迫力のある本ですので、興味がありましたらぜひお読み下さい。あまりのすさまじさに驚き、あっという間に読破することでしょう。


7月5日:CD試聴記に「ベートーヴェンのエグモント」を追加しました。ボンガルツ指揮シュターツカペレ・ベルリンの演奏です。マイナーな組み合わせですが、是非お読み下さい。


7月4日:CDの潮流

昨日の土曜日は久しぶりに出社日でなかったので、女房さんにせがんでCD代をもらい、秋葉原詣でをして参りました。不況といいながらも、さすがに秋葉原はすごい人です。雨も降っていたのに、人がうようよしていますね。さすが都心は違います。

石丸電気に入るのはこれまた久しぶりだったのですが、随分CDの顔ぶれが変わっていますね。最も驚いたのは大量のCD-R。陳列棚に所狭しと並んでいました。CD-RについてはSyuzo's Homepageでよく取り上げられていますので、存在は知っていましたし、クーベリックの演奏をCD-Rで持っていたりします。が、まさかあんなに大量のCD-Rが出回っていたとは夢にも思いませんでした。山野楽器本店あたりではちょっと前から目につくようになっていましたが、石丸電気で大量に扱うようになるのであれば、今後すごいスピードで流通しそうです。

しかし、あの粗悪な作りと馬鹿に高い値段は何とかならないのでしょうか?CD-Rで登場する演奏家はマニアの中で評判の指揮者などですから、お金に糸目を付けずに買っていく人が多いのでしょう。でも、4/10のWhat's New?でも書きましたように、人の足元を見たような粗悪な海賊盤はどうしても好きになれません。あまり抵抗のない人もいるとは思いますが、心情的には好意を示せないのです。海賊盤でも良心的なレーベルはあります。良い演奏を世に出したいという趣旨があるのでしょう。値段もそれほど高くはありません。CD-Rは確かに新しいメディアであるかもしれません。でもあの粗悪な作りと値段は不愉快です。

実は、ちょっと前に話題になっていたヨッフム&バンベルク響のブル8など、のどから手が出るほど欲しい演奏もあったのですが、今回は見送ってしまいました。「もしかしたらもう手に入らなくなるかな?」などと心配になりましたが、それこそ敵の思うつぼ。苦しい選択でありました。皆さんはどうお考えでしょう。


7月2日:クレンペラーのページに「Beethoven-Zyklus Wiener Festwochen 1960」を追加しました。今回は第1回目です。


7月1日:巨万の富

昨日CD試聴記で取り上げたプーランクは私の記憶によれば、フランスの大企業「ローヌ・プーラン」創業者(複数います)の子供です。創業者は一人ではありませんが、巨万の富を築いた企業ですから、プーランクが経済的には大変恵まれた人であったことは想像に難くありません。自由な作曲活動ができたのは、才能もさることながら、恵まれた環境で好き勝手な音楽を作っていられたことが大きいでしょう。

他に企業家の関係者として有名なのは、イギリスのトマス・ビーチャムですね。「ビーチャム」はイギリスを代表する製薬会社で、とあるヒット商品(それが何かは秘密です)があったためにこちらも巨万の富を得ています。ビーチャムといえば、イギリス音楽界の快男児です。素人とはいえ、ユニークな音楽性を持ち、ロイヤルフィル、ロンドンフィルなど自分が意のままにできるオケを創設し、好きなように指揮をしました。オケの団員からは恐れられたとは思いますが、聴衆から愛された音楽家でした。今もビーチャムの音楽を愛好する人は多いでしょう。

音楽家の中にはかつてのモーツァルトやベートーヴェンのように貧しくて仕方がなかった人が多かったわけですが、溢れるほどの財力を持ったパトロンがいたお陰で、才能ある音楽家が育成されました。パトロネージュというものは重要です。

現代日本は、不況といわれておりますが、米国などでは空前の好景気に沸いています。ハイテク企業では信じられないほどの富を築き、どうやってお金を使ったらよいか分からないような成金がゴロゴロしています。しかし、そうした方々の中から、プーランクやビーチャムのような人材やルドルフ大公のようなパトロンが出てくるかどうか少し疑問です。

音楽が商業ベースに乗って消費されるだけの存在になり、街を歩けばけたたましく音楽らしきものが鳴り響く世界では、愛情を持って音楽を作り上げる人材は育ってこないのではないかと思われます。音楽は消費されるものではなく、本来人を楽しませるものです。聴き手の欲求とは別に音楽ならぬ「信号」が垂れ流しにされる現代は、音楽が最も不毛な時代かもしれません。一般大衆が誰でも気軽に「消費」できるようになった途端に大作曲家や大演奏家が現れなくなったのは皮肉と言うほかありません。


6月30日:CD試聴記に「プーランクを聴く」を追加しました。曲目と演奏家は...。


6月29日:謎のビールおじさん

27日、オトマール・スイットナーが出るというのでN響アワーを見ました。解説者の話では、スイットナーさんは本当に病気だとか。病気という噂だけは私も知っていました。が、私は病気というのはてっきり嘘で、実は壁の崩壊後パージされてしまったのではないかと思っていました。もともと健康そうには見えない風貌ではありましたが、本当に病気だったのですね。早くほとぼりを冷まして復活しないものかと待っていたのですが、残念です。

スイットナーさんは私くらいの年代の音楽ファンには馴染みの指揮者です。N響指揮者として有名なのはもちろん、旧東ドイツではドレスデンとベルリンのシュターツカペレの常任を歴任。数々の名演奏を聴かせています。あの演奏がもう聴けないとなると、またぞろ昔のCDを取り出したくなってきます。古式ゆかしい?モーツァルトやみずみずしいベートーヴェン、怒濤の迫力をもつブルックナーなど、名演がいろいろ。病気は治るのでしょうか?高齢ですから、もし治っても指揮台には上れないかもしれません。本当に残念です。

おいしいビールところで、スイットナーさんには申し訳ないのですが、あのN響アワーで最も注意を喚起したのは番組の導入部分でした。たくさんの大作曲家達がアニメチックに登場してきます。どの作曲家も可愛らしく描かれていますね。その中で一際目立つのが、謎のビールおじさん。ビールをくいっと飲んで幸せそうにニンマリしています。髭もじゃの顔つき、太った体格、ビールの正しい飲みっぷりを考慮すると、ドイツの大作曲家ブラームスであろうと思われます。ただ、画面はあっという間に過ぎ去ってしまいましたので、詳しくは確認できませんでした。本当にブラームスでしょうか?ちょっとドヴォルザークにも似ていました。しかし、ドヴォさんはチェコの作曲家ですよね。そうなると、あのビールの飲み方にはふさわしくないですねえ。いや待てよ、チェコといえば、ピルゼンを始め、おいしいビールの生産地ですね。ドイツ人でさえ、チェコのビールの旨さは認めています。そうなると、ブラームスではなく、ドヴォさんの可能性もあります。うーん。気になって仕方がありません。どなたか本当のところを教えて下さい!


6月28日:クレンペラーのページに「ベートーヴェンの序曲集」を追加しました。


6月27日:夏の読書

先週、女房さんに勧められて、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」(岩波文庫)を読みました。実はこの年になるまで読んだことがありませんでした。宮沢賢治といえば、東北の独特の風土が生んだ天才です。何が天才かといえば、言葉に対する感覚だと思っています。私は宮沢賢治の詩を昔何度も読んでおりましたので、そのすばらしさは良く知っていました。谷川俊太郎を超えると思っています。でも、どういうわけか「銀河鉄道の夜」は読んでいなかったのです。

「銀河鉄道の夜」。これ以上ロマンチックな響きの言葉があるでしょうか?タイトルからして既に幻想的な世界です。読んでいくと、これまた幻想の世界でした。どうしてこんな世界を描くことができたのでしょうか?宮沢賢治はいつも少年の頃の自分を失うことなく、夢見る子供の気持ちを持ち続けていたのかもしれません。主人公のジョバンニやその友人のカムパネルラなど、大人になってしまった人間では書き表せないキャラクターです。

さて、この「童話」ですが、正直に申しあげますと、話としては訳が分かりません。一応ストーリーはあります。が、理屈で考えるには難がありすぎます。宮沢賢治はこの中で何かを表現したかったのだと思いますが、何だったのでしょうか?「ほんとうの幸い(原文ママ)」でしょうか?うーん、よく分かりません。子供が読めば分かるのでしょうか?童話を読んで意味を理解しようとすること自体が邪道なのかもしれませんので、あまり追求するのはよしましょう。

不思議なのは、この童話の意味するところが分からなくても、「銀河鉄道の夜」の詩的な美しさは否定できないということです。意味があろうがなかろうが、読者をロマンチックな気持ちにさせる童話は、やはり一級品というべきでしょう。

なお、アニメも見てみました。BAOBAB制作による「銀河鉄道の夜」です。そこではジョバンニもカムパネルラもザネリもなぜか猫に姿を変えています。どうしてそういう設定にしたのかよく分からないのですが、筋は原作におおよそ忠実でした。

最後に。宮沢賢治関係のホームページはたくさんあるのですね。Yahoo!で検索してみたら、重複はありますが、60件出てきました。やはり人気作家であることが分かります。


6月25日:ベイヌム

ベイヌムなどというマイナーな指揮者を喜んで取り上げているホームページはきっと数少ないと思います。「もういい加減にしてよ!生きてる指揮者とか、もっとメジャーな人にしてよ!」という声も聞こえてきそうです。が、一昨日に引き続き、本日もしつこく取り上げるのであります。

ベイヌムさんが気になるのは指揮者として大変いい業績を残したと思うからです。以前、CD試聴記にベイヌム指揮のシベリウスを紹介いたしましたが、他にもたくさんあるのです。有名どころではDECCAに入れたブラームスの1番。これは私の古いお友達です。例の「Dutch Masters」では意外なことにドビュッシーが聴きものでした。

私のページをずっとご覧になっていた方は「どうしてフランスものが少ないんだ?」という疑問をお持ちだと思います。別に嫌いなわけではなく、「おお、これはいい!」と唸らせる演奏にあまり出会わないからです。ベイヌムのドビュッシーは、もしかすると本場フランスの「フランス的な」演奏ではないかもしれません。が、非常に良く整った演奏で、眠くなることもなく、最後まで楽しませてくれます。恥ずかしいのですが、私はフランスものを聴いていると寝てしまうことが多いのです。

それと、CD試聴記にも書きましたが、ベイヌム在任中のコンセルトヘボウの音が大変気に入っています。モノラル録音が多いにもかかわらず、音色は輝かしく、潤いがあり、まさに天下一品。聴き惚れます。もちろん、メンゲルベルクの頃の音も嫌いではありません。が、メンゲルベルクの不気味な表情付けが時々うるさく感じられなくもありません。戦後のベイヌム時代のCDは輝かしい音を取り戻しながらも、近代オケとしての機能美を堪能させてくれるのです。録音技術が戦後一挙に向上したことも、ベイヌムの幸運だったと思われます。もっとベイヌムのCDが出てこないものか、鶴首する毎日であります(ブルックナーの5番はどこに消えてしまったのでしょうか? 求む!ブル5)。

参考に。ベイヌムのドビュッシーは以下のものです。

CDジャケットドビュッシー

夜想曲

録音:1957年(ステレオ)

管弦楽のための映像

録音:1954年(モノラル)

ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管

PHILIPS Dutch Masters Volume 4.(輸入盤 462 069-2)


6月24日:現実は小説よりも奇なり。

大事件です。もうご存知とは思いますが、小澤征爾が2002年にボストン響を去り、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任するそうです。これには驚きました。とても驚きました。でも何だか嬉しくありません。日本人にとっても小澤にとっても喜ぶべきことだと思いますが、かなり大きな確率で小澤はその地位を長くは持ちこたえられないのではないかと思うからです。

小澤がウィーンに乗り込むことになったのは強力な”マフィア”「コロンビア・アーティスト」のバックアップがあったからだとは容易に想像できます。が、「コロンビア・アーティスト」がこんなねじ込みをしたことで、小澤の将来が摘まれてしまうのではないかと危惧されてなりません。

まず、ウィーンは音楽家にとっては憧れの地ではあるのでしょうが、謀略の街でもあります。あのカール・ベームも追放の憂き目にあっています。そのような街で、今までヨーロッパを主たる拠点にもしていなかった小澤がやっていくのには想像を絶する苦労が伴うのではないかと思います。

次に、レパートリーの問題があります。小澤が古くからオペラに力を入れてきたことは良く知られています。ですが、イタリア・オペラもドイツ・オペラもこれといって小澤のヒット作はありません。小澤のヒット作としては、オネゲルの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」など、ごくごく限られたものだけです。そうした小澤がいくら才能があるからとはいえ、いきなりウィーン国立歌劇場の音楽監督になるというのは飛躍が過ぎていると思わざるを得ません。一体どういうことなのか理解に苦しみます。ちょっと失礼な書き方ですが、ウィーンの聴衆は小澤のオペラを聴きたいと思っているのでしょうか?そもそも小澤のオペラを知らないのではないかとも考えられます。

小澤としてはこの際オペラの本場で本腰を入れてオペラに取り組み、音楽家としての最後の境地を開くつもりなのでしょう。それは十分に理解できます。もちろん私も最大限の応援をしたいとも思います。

ですが、肉体的にも精神的にも小澤には難しすぎる職務ではないでしょうか。小澤がウィーンでつぶされてしまうのではないかと考えるのは私だけではないでしょう。優れた音楽家であり、今後の行方が期待されていた小澤だけに、この件で音楽家として大きく成長してくれることを切に願わずに入られません。最悪の場合でも、せめて1シーズンは持っていただきたいものです。がんばれ、小澤!


6月23日:CD試聴記に「ベイヌムのモーツァルト、ほか」を追加しました。長い文章ではないのですが、できれば最後までお読み下さい。私の反省文があります。


6月22日:一人称

この前、久しぶりに渡部昇一氏の「続・知的生活の方法」(講談社現代新書)を読み返していたら、こんなことが書いてありました。

...文章や会話の中に一人称単数、つまり「私」を用いるのは、うぬぼれや虚栄心の表われとして、教養ある階級に忌避されていた。一人称を使って書いたり話したりすることはegotismというが、この単語は「スペクテイター」という新聞の1714年7月2日号にアジソンが使ったのが最初とされる。これはegoism(利己主義)と似ているが、意味はまったく違っていて、「俺が、俺が」という人のことである。

耳が痛くなるような話です。「私」が書いた文章を読むと、「私」だらけ。これでは渡部昇一氏に「おまえはうぬぼれと虚栄心の固まりである!」と宣告されてしまいそうです。

確か、昔「ベストセラーの書き方」という本を読んでいたら「一人称では決して書かないこと」と書いてあったような気がします。そういえば、「私」が通った大学の某有名教授の講義では、どういうわけかすべてが受動態の日本語で語られるという不思議な経験をしました。例えば、「前回はIS曲線についての講義がなされた....」という具合です(講義をしたのはその教授本人です)。経済学部の友人とも「何でだろうか?」と話題にしていたのですが、今になってやっと分かりました。その教授は米国での経験が長いということですから、一人称を意図的に使わなかったのかもしれません。

「私」はこの本をずっと前に読んだはずなのに、内容はすっかり忘れていました。自分で文章を書くようになってみると、こんなことでも気になり始めます。せめてあまり自己主張や断定の強い文章は改めることにしましょうか。


6月21日:CD試聴記に「シベリウスの交響曲第2番」を追加しました。バルビローリ指揮ニューヨークフィルの演奏です。


6月20日:小澤征爾

日経ビジネスに珍しくも音楽家、しかも小澤征爾の記事が出ていました。内容は期待したほどではありませんでした。が、最後のところに、小澤の辛コメントが載っています。曰く、「この頃の若手指揮者は早々に外国での勝負を諦めて帰国し、ちょっと姿形が良ければテレビで顔の売れる日本で小さな成功に甘んじている」。はて?一体誰のことを言っているんでしょう?日本の若手指揮者といえば、佐渡 裕(1961年生まれ)や大植 英次(1957年生まれ)のように海外で活躍しているというイメージが強かっただけに意外ともいえる発言です。他にもきっと星の数ほど「指揮者」稼業をしている日本人はいると思いますが、「姿形」が良い若手を思いつきません。私の認識不足でしょうか?うむむ。謎です。

その小澤征爾。今日本で小澤征爾はやはり人気指揮者なんでしょうか?サイトウ・キネン・オーケストラの録音はたくさん出ていますが、どうも今ひとつぱっとしません。私がクラシックを聴き始めた頃、小澤といえば光り輝く存在でした。録音が特にすばらしい小澤&サイトウ・キネンのCDを聴くたび、蒸留水を飲んでいるようで物足りない気がしています。何か小澤の中で煮え切らないものを感じているのは私だけではないと思います。

一説にはサイトウ・キネンを始め、後進の指導で疲れてしまったという話しもあります。また、多忙すぎて音楽性が枯れてしまったという人もいます。本当のところは本人でさえわからないでしょう。小澤は今年64歳になるとのこと。いわゆる大指揮者といわれた人は、このくらいの年にはカリスマ的貫禄を身につけています。小澤がこれからどう変化していくか、日本人として、音楽ファンとして大変興味のあるところです。


6月18日:クレンペラーのページに「アメリカ時代のゲンダイオンガク」を追加しました。先週金曜日に紹介したarchiphonのCDのDISC 2です。


6月17日:ERMITAGE & AURA

私はこのページの中で、山野楽器のことを必ずしも良く書いていないので、あまり利用していないのではないかと思われているかも知れません。しかし、現実的には結構お世話になっています。一部の社員に腹を立てたくなることもありますが、それは一部なのだと思っています。丁寧な対応をしてくれ、クラシック音楽やレーベルに非常に詳しい店員さんに出会えるとやはり嬉しいものです。

私は埼玉県に住んでおりますが、埼玉県は良いCD屋さんがありません。かといって都心まではなかなか時間がなくて行けませんので、勢い、地元埼玉のCD屋さんにお世話になります。その中でも、おそらく浦和の山野楽器はピカ一でしょう。クラシック部門の売場は決して広大とは言えませんが、品揃えに特徴があり、楽しめます。

実は、昨日のバルビローリを含め、私が時々CD試聴記で取り上げているERMITAGEの780円CDなどもそこで大量に買い込んでいます。ERMITAGEのCDはいつも誰もが簡単に入手できるわけではないので、これ以上ERITAGEの廉価盤を取り上げるのは差し控えます。が、面白いCDばかりですし、いつもお世話になっている山野楽器浦和店に対する感謝の気持ちを込めて、もう1枚だけここでCDを紹介いたします。

CDジャケットベートーヴェン

ピアノソナタ第32番ハ短調作品111

輸入盤 AURA 113-2 ADD

これはベートーヴェンのピアノソナタ第32番ハ短調作品111の異なる3つの演奏を収録したものです。演奏家は、バックハウス、アラウ、バドゥラ・スコダと異色の組み合わせ。また、使用ピアノもそれぞれ違います。それだけではなく、3人の違いがよく分かるように4ヶ所を部分的にピックアップして聞かせるボーナストラックと、それの分かりやすい説明までついています。解説はPiero Rattalinoという人が書いていますが、オタク趣味に走らず、大変好感が持てます。

ERMITAGE、あるいはその後身?のAURAレーベルのCDはライブ録音ばかり集めているにもかかわらず、音質が極めて良く、その点でも推薦できます。良質なライブ演奏、良質な録音、良質な値段(780円!)とくれば、言うことなしでしょう。ちなみに、上記ベートーヴェンのCDについてのデータを記載しておきます。どうです、これを見ただけで聴いてみたくなったでしょう?

録音データ

   

バックハウス

アラウ

バドゥラ・スコダ

使用ピアノ

ベヒシュタイン

スタンウェイ

ベーゼンドルファー

録音年

1960年

1963年

1987年

第1楽章演奏時間

8.22

8.45

8.07

第2楽章演奏時間

13.42

18.29

16.22


6月16日:CD試聴記に「ヴォーン・ウィリアムスの交響曲第8番、ほか」を追加しました。バルビローリ指揮ハレ管の演奏です。


6月15日:組織についての表現

少し前のことです。日経ビジネス5月31日号に、組織に関する記事がありました。「ハイテク時代の人脈」という話の中でです。ジャズ型組織とクラシック型組織が提示されていました。そこで、「ジャズはメンバーそれぞれが触発し合い、一方クラシックは指揮者とメンバーが1対1でしか対応しない」とコメントとされていました。

私は「書く方も書く方だが、デスクも分かってなかったのだな」と笑い飛ばしました。この程度のことであまり目くじらをたてても仕方がありません。しかし、最新号を見ると、この記事にかみついた読者がいました。予想通りではありましたが。

大騒ぎしても何の益もないし、ちょっと難しい問題です。どうでもいいと言えばそうなのですが、どうもクラシック音楽というと、演奏者が決まりきった楽譜を見ながら、指揮者のリズムに合わせて音を出しているだけだと思われてしまうようです。もし、そうであるならば、演奏するのが別に人間である必要はありません。それこそコンピューターが完璧な技術で対応してくれます。

日経ビジネスが理解できなかったことは、クラシック音楽が、楽譜を土台にしているといっても、あくまでも人間が介在するものであるから、即興性もあるし、演奏者相互の影響も無視できないほど大きいということでしょう。即興性や演奏家の間での触発作用があるからこそ面白い演奏ができるのであり、何度も何度も同じ曲目を聴いても飽きることがないのです(余談ですが、実はジャズの方は現在クラシックよりも杓子定規かもしれません。演奏家にもよりますが、ジャズを聴きに行っても「楽譜をなぞっているのではないか?」と疑いたくなるときもあります)。

ジャズにせよ、クラシックにせよ、一部の例だけで全体を語ることは厳に慎みたいと私は考えていますが、記者が「これはいける!うまい表現だ!」と思いついても、単に誤解を与えるもとになりかねません。昔、「オーケストラ型組織」という言葉をよく耳にしたのですが、どうやら「フラット型組織」のことを指してそう呼んでいるようでした。「オーケストラ型組織」といえば、いかにも関心を集めそうですが、「フラット型組織」という適切な言葉がある以上、いい加減な表現はかえって迷惑でもあります。組織論は誰もが興味を持つ分野でありますから、いろいろな呼称が現れますが、共通の言語を持ちたいと考える私にとっては訳が分からない世界でもあります。


6月14日:CD試聴記に性懲りもなく「ブルックナーの交響曲第9番」を追加しました。ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィルの演奏です。


6月13日:ヴァントのブルックナー

ヴァント&ベルリンフィルによるブルックナーの交響曲第9番。The MOSTLY CLASSIC 6月号を見ると、宇野功芳氏がそのCDを褒めちぎっています。曰く、「おそらく作曲者にとっても、これ以上の演奏は考えられないだろう」。宇野氏は極端な人ですし、いったん自分で評価を決めた音楽家の演奏は徹底的に褒める傾向がありますから、「またか」と思っていました。すると、今度は、朝日新聞「クラシック試聴室」(11日金曜日)で金子建志氏が賛辞を贈っているようです。「いるようです」と中途半端な言葉を使ったのは金子建志氏が直接的な言葉で絶賛しているわけではないからです。「クラシック試聴室」に金子建志氏が書いた記事を引用いたしますと、以下のとおりです。

1912年生まれの巨匠は筋金入りの硬派。その完全主義が究極的には自然な造型をめざすものであることを名門オケが献身的に証明。深くも熱き夕映えの響き。

「深くも熱き夕映えの響き」とは言い得て妙です。さすが金子建志氏ですね。宇野功芳氏のような直接的な言葉ではないにせよ、ヴァントが作った美しい音楽がわずか11字で見事に表現されていると思います。

皆様もご存知のとおり、CD試聴記で私はこのCDを取り上げ、第1楽章が楽しめないという理由で非推薦盤にしてしまいました。第2、3楽章がすばらしい出来であったにもかかわらずです。あの試聴記を書く前には何度もCDを聴き直していますから、今も書き直す必要を私は認めていません。しかし、私も少し不安になってきました。あのブルックナーは万人が認めるところの大名演だったのでしょうか?私一人が外れた聴き方をしてしまったのかもしれません。人に合わせることはないと思ってはいますが、自分一人が分かっていなかったとなると、情けないことであります。うむむ.....。


6月11日:クレンペラーのページに「アメリカ時代のベートーヴェン交響曲第5番<運命>、ほか」を追加しました。


6月10日:CGI

CGI。Common Gateway Interfaceの略であります。技術評論社刊、パソコン用語事典によれば、「WWWブラウザからファイルプログラムを呼び出し、起動させ、その実行結果をWWWブラウザ上で表示する仕組み」のことです。いまひとつピンと来ませんか? わかりやすく言いますと、ホームページによくある「掲示板」を作る技術などがこれに当たります。

ここしばらく、私のホームページのサーバーが不調で、アクセスができないことがありました。あまりひどいので、プロバイダーのBiglobeに問い合わせたところ、こんな答えが返ってきました。

●タイトル:一時サービスご利用不可のお知らせ(不明〜)
●掲載日 :99/05/21
●障害状況:↓↓↓【対応中】
現在、2uサーバにホームページを開設のお客様のCGIにより、2uサーバに大変負荷が掛かっております。その為、2uサーバをご利用のお客様には大変ご迷惑をお掛け致しますが、負荷を掛けているお客様と調整しておりますので、復旧まで今しばらくお待ち下さい。

【発生日時】不明
【復旧日時】−
【対  象】以下のサーバをご利用のお客様
        www2u.biglobe.ne.jp
【現  象】一時参照不可

尚、お客様にはご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ございません。
上記www2uサーバの負荷原因となっております一部のお客様に、改善等をお願いし順次、サーバの負荷は軽減しておりますが、現在の所、十分な状態までには至っておりません。

どういうことかというと、Biglobeのある利用者がCGIを組み入れたホームページを持っていて、それがやたらとサーバーに負担をかけるような出来の悪い代物になっているのでしょう。おそらくは凝りすぎたページを作ったのではないでしょうか。その人のために同じサーバーを使っているホームページオーナーがみんな迷惑しているわけです。

実はCGIを下手に使うとプロバイダーのサーバーをダウンさせてしまうこともあるため、一部プロバイダーではCGIは使用不可になっています。私は少なくとも「ゲストブック」は欲しいと思っていたので、CGIが使えるBiglobeを選んだのですが、よもやこんな事態が起きるとは夢にも思いませんでした。しかも、この内容だと、5月21日からこんな状態のようです。呆れました。Biglobeとしてはその悪質なお客さんに「何とかしてよ!」とか何とか言っているのだとは思うのですが、プログラムがどうにもならない状態までぐちゃぐちゃになっているのでしょう。

私のページにあるゲストブックは掲示板方式の中でも最も簡単なCGIを使っていますので、まずよそさまに迷惑をかけることはないでしょうが、インターネットもまだまだ不安定であることがよく分かる事件であります。

ところで、「サーバ」とか、「プロバイダ」とかの「コンピュータ」関係用語はどうも好きになれません。これらは日本語なのでしょうか?日本語の表記は「サーバー」「プロバイダー」「コンピューター」だと思うのですが...。やはり私は古い人間なのでしょうか。うーん。


6月9日:クレンペラーのページに「モーツァルトの交響曲第25番、ほか」を追加しました。オケはベルリンRIAS響です。

今回は結構短い文章になりました。最初書いた文章を削っていったらこんな感じになったのです。モーツァルトを語るには私もまだまだ修行が足りません。


6月8日:時間

読者の中には私のページを読みながら、「よくこんなにたくさんCDを聴けるものだ」と驚いていらっしゃる方も多いかもしれません。もっともです。多分、私が普通の生活をしていれば、無理でしょう。何でCDをたくさん聴けるかというと、テレビを見る時間が極端に少ないからです。NHKのニュースでも見ていれば他のテレビ番組はほとんど見る必要を感じていません。たまにドラマなどを見る時がありますが、いわゆるトレンディドラマなるものもよくよく見たことがありません。テレビを見ると、他のことが何一つできなくなります。映像の持つ力は大変大きく、何でもないコマーシャルであっても、テレビの前に釘付けにされてしまうのです。

ただ、あまりテレビを見ないのも、人との会話をする上で非常に問題があります。この間、ジャニーズの滝沢君を知らないことが衆人のもとで発覚し、大恥をかいてしまいました。実はそれからしばらくたった今でも滝沢君の顔が分かりません(^^ゞ。

やりたいことはたくさんあります。しかし、時間は有限です。時間を有効に使うためには何かを端折らなければなりません。私は何を隠そう、別名「ふとんまん」で、ふとんの中でごろごろして寝ているのが人生最大の幸福と考えておりますので、睡眠時間を削るという芸当ができません。世の偉人といわれる人々は、ほぼ例外なく睡眠時間を削って切磋琢磨したらしいのですが、こればかりは最初からあきらめてしまいました。というわけで、もともとテレビには懐疑的であったことも手伝って、テレビを削ったわけであります。

それでも、仕事を終えて帰宅してから聴けるCDの量は高が知れています。かけても女房さんが怒らないような曲を選ぶ必要もあります。そうしながら、CD試聴記などに取り上げるCDをピックアップしていき、週末に原稿書きをしています。おおよその文章は日曜日には完成していますが、さすがにその日のうちに一度に出す気にはなれません。私の文章はどういうわけか「ねじれる」癖があるし、言葉が足りなくて話がつながらないところだらけなのです。やむなく、少しずつ推敲しながら記事をアップしているわけです。そうしているうちに1週間が終わります(なお、私は別にホームページを作るためにCDを聴いているのではありません。あくまでもCDを聴いて面白かったり、強い印象を受けたものを自分で記憶しておくために書いているだけです)。

いずれにせよ、時間はいくらあっても足りません。CDを聴く以外にも、読書の時間も取りたいし、仕事の勉強もしなくてはなりません。テニスやスキーなどの修行にももっともっと真剣に取り組みたいと思います。こうなると、時間管理こそが最も重要な課題になってきますね。いい加減「ふとんまん」をやめて、ちゃんとした人の生活をしなければならないかも知れません。


6月7日:CD試聴記に「ブルックナーの交響曲第9番」を追加しました。ギュンター・ヴァント指揮ベルリンフィルの録音です。

ところで、昨晩の全仏オープンではアガシが優勝しました。最初の2セットは強力なサーブを武器にしたメドベデフに大差で奪われながら、残り3セットで逆転。すごい男がいたものです。グラフといい、アガシといい、感動の毎日であります。うううううう。


6月6日:全仏オープン

テニスの話で恐縮です。昨日の全仏オープン女子決勝。ヒンギス(18歳)とグラフ(29歳)の対決は大変見応えのあるものでした。なぜか全仏オープンでは優勝できないものの天才の中の天才ヒンギスと、体中故障だらけのかつての女王グラフの新旧対決は非常に興味を引くものでした。結果はグラフがヒンギスを撃破。試合終了後、さしものグラフも感極まったようでした。

グラフもかつては女王として女子テニス界に君臨しておりましたが、このところはさっぱりでした。女子テニス界はいつの間にか10代の天才選手達の活躍の場となり、20代ではもはやロートル(この言葉はご存知かな?)扱い。そんな中で、ずっと引退をささやかれてきたグラフはさぞかし辛い日々を送っていたことでしょう。自分でも限界を感じたりすることもあったかもしれません。しかし、グラフはテニスを投げ出さず、執念の勝利をつかみました。すばらしいです。ヒンギスも今回ばかりはグラフに精神的にも追いつめられる試合でした。何事も、投げ出さずに続けることの大事さを感じさせられた感動の試合であります。

実は、この全仏オープン、もうひとつの目玉があります。それは本日夜の男子決勝であります。いつの間にかアンドレ・アガシが決勝に進出しているのです。一時は世界ランキング100位以下に転落、グラフより悲惨な境遇に陥ったアガシ。全仏オープンで奇跡の復活を遂げるかどうか。興奮の一夜であります。


6月5日:昨日はサーバーの不調か、更新ができませんでした。夕方以降、自分のホームページを開けることもできませんでした。おそらく読者の方々も当ページにアクセスできなかったのではないでしょうか。せっかくご訪問していただいたのに申し訳ありませんでした<m(__)m>

それにしても、Biglobeのサーバーの不調は今回が初めてではなく、サービスの質はまったくひどいものです。ホームページ開設に当たって、わざわざプロバイダーを変えたのに、かえって問題が増えてしまったような気がします。


6月4日:お待ちかね?「ときめきウィークエンド」を更新しました。今回はムフフCDです。「ティナ・ルイスの歌声」に痺れて下さいね。


6月3日:丸山眞男

先日、昔の上司と一杯やっていたら、「この本を知っているか?」と一冊の本を見せられました。ちょっと前に出た「丸山眞男 音楽の対話」でした(文春新書、著者は丸山の弟子であった中野雄)。もちろん私も読んでおります。書店でも売れ行きはよいようです。もしかすると、この本は中高年の間で密かなベストセラーになっているのかもしれません。

というのも、中高年の人には「丸山眞男」という名前が印象深く記憶されているからではないでしょうか。丸山眞男は政治思想研究の第1人者として長年オピニオン・リーダーを努めてきました。著書は「日本政治思想研究史」「現代政治の思想と行動」「戦中と戦後の間」「後衛の位置から」など多数あります。「戦中と戦後の間」は買ってきて読もうと思ったら、大学寮の先輩に強奪され、1週間帰って来なかったというひどい想い出もあります(返却された時には先輩の手垢にまみれ、あちこちに線が引かれ、書き込みまでされていました。ううう、ひどい、ひどすぎる(T_T))。それほど人気があった丸山眞男ですが、今では「政治思想」なるものがまるではやらない時代となりましたので、私はてっきり人気は完全に凋落していると思っていました。浅はかでありました。数年前に亡くなった時には、まさか音楽の分野で丸山の本が出て、世の中高年が思わずその名前につられて本を買ってしまうようになっているとは夢にも思いませんでした。やはり丸山眞男の名前は私くらいの年代の頭の中に深く刷り込まれているのかもしれません。死してなお、強烈な影響を与え続ける研究家。恐るべし。

ところで、この本、書名のとおり政治思想関係の本ではありません。クラシック音楽の本であります。この本を手にするまで私は知らなかったのですが、丸山眞男は大のクラシック音楽ファンだったそうです。それも私みたいに「CDを聴いて楽しめればよい」といったレベルではなく、本格的な鑑賞をしていたそうです。本業でも多忙であったはずなのに、クラシック有名曲の楽譜を取りそろえ、枕元において常に検討していたそうな。ワーグナーの「指輪」の楽譜にはこと細かい書き込みが見られると書いてあり、その写真までついています。オケの指揮者並みですね(?)。

丸山眞男は、音楽研究を自分の第2の本職と考えていたそうです。余技だとは考えていなかったわけです。よほど真剣に研究していたのでしょうね。一般人とは違い、LPがなくても楽譜を読んで音楽が頭の中に浮かんでくる人だったのでしょうから、羨ましい限りです。私なぞとても及ぶところではありません。しかし、そこまですごい研究をしていたのでしたら、自分の中だけで終わらせてはいけません。研究の成果は一人であの世に持って行ってしまったのです。政治思想研究で大きな足跡を残した丸山眞男、音楽の著書をちゃんと残してくれればきっと今頃みんなが楽しめたことでしょう。まことに残念であります。


6月2日:クレンペラーのページに「Otto Klemperer conducts THE LOS ANGELS PHILHARMONIC ORCHESTRA」」を追加しました。人間投げてはいけないというお話です。


6月1日:ポスト・マーラー

一頃、「ポスト・マーラー」という言葉がはやりました。マーラーブームがずっと続いたので、次のブームが聴き手からも、音楽業界からも期待されたのでしょう。しかし、どういうわけかマーラーブームは依然として続いておりまして、ポストマーラーという言葉も次第に意味をなさなくなってきました。一時は本命かと思われたショスタコーヴィッチのブームも長くは続かなかったようです。結局はマーラーほど聴衆を夢中にさせる作曲家はいないのでしょうか。

私は「いる」と考えています。バルトークです。1945年にバルトークは不遇のまま死にますが、名声は燦然と輝いています。ただし、名声とは裏腹に、聴衆が好んで聴いているかというと、かつては必ずしもそうではなかったと思います。傑作揃いといわれる弦楽四重奏曲など、いまだに聴衆が楽しんでいるかどうか疑問であります。昔、アルバン・ベルク弦楽四重奏団の全集が出た時は直後から中古CDが大量に出回る始末でした。今も同全集は中古CD屋さんの常駐(?)アイテムです。

ですが、20世紀も終わりになってきて、バルトークは古典の仲間入りをしてきたように私は思えます。バルトークの音楽はマーラーのような耽美的な旋律には不足するものの、音響的には非常に斬新であります。リズムもイカシテます。バルトークは作曲に際して、民族的な素材だけでなく、数列を使ったりしているところも興味を引きます。音楽に数列ですよ。信じられますか?頭脳プレーではクラシック界でも有数の人でしょう。かといって、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンなどの新ウィーン楽派の音楽とは違い、聴き手が少しは口ずさめるような音楽を書いてますから、聴衆の受けもまあまあでしょう(そうかな?)。

ポスト・マーラーの作曲家は何も交響曲作家でなくとも良いでしょう。バルトークは交響曲こそ書かなかったわけですが、ゾクゾクするような多数の管弦楽曲、2つのヴァイオリン協奏曲、ビオラ協奏曲、3つのピアノ協奏曲、一つのオペラ、「ミクロコスモス」を代表とするピアノ曲、などマーラーにはないジャンルの曲をたくさん聴かせてくれます。きっと21世紀にはバルトークの大ブームが来るのではないかと私は考えています。皆さんはどうお考えでしょうか。


5月31日:CD試聴記に「バルトークの管弦楽のための協奏曲、舞踏組曲、プロコフィエフの<3つのオレンジへの恋>」を追加しました。スクロヴァチェフスキー指揮ミネソタ響です。

ふと気がついてみると、このページにはよくスクロヴァチェフスキーが登場してますね。私が好きなため、CDショップで見かけるとつい買ってしまうのが原因です。が、未だハズレに当たったことがありません。すごいものです。


5月30日:雑談

その1:土日ともいい天気でした。陽射しはちょっと強かったと思いますが、二日とも絶好のテニス日和でありました。お陰で気持ちいい汗をかき、テニスを満喫できました...。と書きたいところですが、さんざんなテニスでありました。昨日はまだ何とかプレーできましたが、今日は最悪。「バックボレーがどうも下手になった」と感じ始めたら、とても気になってしまい、どんどん打てなくなってくるのです。そのうちに何でもないフォアハンド・ストロークがメチョクチョになってしまい、精神的に参ってしまいました。こうなると、もうテニスではなくなってしまいます。もう肩を落として家路についたのでした。がっくし。今日はもう何もする気になれません。スポーツをして、かえってストレスがたまるようでは、いったい何のためにやっているのか分からなくなってしまいます。といってもここで止めるわけにはいきません。心機一転、気を取り直して練習するしかなさそうです。

その2:金曜日の「クレンペラーのページ」で引用した吉田秀和著「世界の指揮者」。この本は今も絶版になったままなのでしょうか?私の手許にある本は「ラジオ技術社」から出ているものですが、新潮文庫からも出版されていたはずです。吉田秀和氏は人気のある音楽評論家ですし、「世界の指揮者」も売れ筋の本だと私は考えているのですが、そうではなくなってきているのでしょうか?確かに古い本です。が、絶版にするにはもったいなさすぎますね。

この本を初めて手にしたのは私が大学1年の夏休みでした。暑い盛りに大学の寮で毎晩くまなく読んだ記憶があります。実は「クレンペラー」という指揮者の存在を知ったのもその時でした。まさか後になって「クレンペラーのページ」などというものを作ることになるとは、当時予想もしていませんでした。そうした想い出がある本が絶版というのは何とも悲しい限りであります。新潮社には善処を望みたいですね。


5月28日:「クレンペラーのページ」に「シューベルトの交響曲第8番<未完成>とベートーヴェンの交響曲第5番<運命>」を追加しました。オケはウィーンフィル、1968年ウィーン芸術週間におけるライブ録音です。

ぎょっとしている方もいるかもしれません。そうです。あのCDです。私はこれを「クレンペラーのページ」最終回に使おうと考えておりました。しかし、読者の皆様からの根強い要望がありましたので、今回いよいよ出してみました。ただ、文章は端折ってあります。ごくごく簡単にしかコメントを入れておりません。何卒ご容赦下さい。なお、「このCDについては俺にも語らせろ!」という読者もいらっしゃるかと思います。もちろん、思う存分「ゲストブック」に書き込んで下さって結構です。


5月27日:家族で聴く音楽

私は結婚して7年目。女房さんを熱愛しておりますし、大変幸福であります。しかし、結婚する前には深刻な悩みが一つありました。それは結婚したら、音楽を聴く時間が減ってしまうのではないかということでした。女房さんはクラシック音楽にはほとんど愛着がない人ですから、それまで深夜まで好きに音楽を聴いてきた私にとっては結婚はこの世の終わりと思われたのです。やむなく、結婚する直前の半年間は、特に聴けなくなるであろうブルックナー、マーラー、ワーグナーをガンガン聴き続けました。長くて大音響を伴う、壮大な曲ばかりです。それはもう真剣でした。睡眠時間を削り、必死に聴きました。

案の定、結婚してからはそうした壮大な音楽はハタと聴けなくなりました。とりわけブルックナーをかけると女房さんが拒絶反応を示すので、しばらくは遠慮して全く聴けない状態が続きました。しかし、ひるんでばかりもいられません。そんなことでは大切な趣味が奪われてしまうからです。結婚後3年目くらいからは巧言令色を用い、密かに音楽を聴く時間を増やしました。音量も少しずつ上げ、暗く激しい音楽を聴かせるよう数年間継続しました。最近では女房さんもクラシック音楽に免疫ができてきたのか、アルバン・ベルクやウェーベルンでもかけなければ、文句は言わなくなりました\(^o^)/。ブルックナーに至っては各交響曲の旋律をそらんじるまでに成長してくれました。やはり正義は勝つのですね(^^ゞ。

さて、最近、女房さんのおなかが日に日に大きくなり、おなかの中では子供が激しく暴れ回っているようです。女房さんの話では時々おなかがウェーブするそうな。男性にはわかりにくいことですが、すごいですよ。これこそ人体の不思議であります。女房さんの話によると、外の話や物音はもう子供には分かるんだそうですね。本当でしょうか? 本当なら、私がこのところ、しきりに聴いているベートーヴェンやらブラームスやらやらバルトークやらを毎日子供も聴いているんでしょうか?そう思うと、事態はやや深刻です。「ルル」や「ヴォツェック」、「ムツェンスク郡のマクベス婦人」など、刺激的な音楽はこれからは慎んだ方がいいのでしょうか?ちょっと気になるところです。

ここで皆さんにお窺いしたいのです。特にもう子育てをされていらっしゃる読者の方々。おなかの子供には聞かせない方がいい音響があったりするのでしょうか?おなかにいるうちから妙な体験を子供にさせてしまうのはやはり問題があるかもしれません。どなたか、教えて下さると嬉しいです。


5月26日:久々に「クーベリックのページ」を更新。「ベートーヴェンの<運命>」を追加しました。また前置きが長くなってしまいました。悪い癖です。面倒くさい人は、前半部分を飛ばして下さい。


5月25日:いい天気でありました。こんな気持ちがいい日の夕方にはくっとビールを飲みたいところです。しかし、妙な風邪を引いてしまい、それどころではありません。季節の変わり目ですので、皆さんも風には気をつけましょう。さて、今回は「私が選ぶ名曲・名盤」に「シベリウスのヴァイオリン協奏曲」を追加しました。マニアの方々にはつまらないページかもしれませんが、何卒よろしくおつき合い下さい。


5月24日:アクセス2万件!

本日、ついにアクセス2万件を達成しました。誠にありがとうございます。自分で栄えある1万件をヒットしてしまった悪夢の日、3月5日から数えて80日。あっという間でした。去年の11月1日に公開し、しゃかりきになって毎日「クレンペラーのページ」の工事をやっていた12月いっぱいまでがまるで夢のようであります。公開以来7ヶ月かからずに2万件までこぎ着けたことは私のページが少しは皆様に認められたことを意味するわけですから、何よりも嬉しいです。

しかし、毎日更新するのはそれなりに時間を費やすことですし、趣味とはいえ、なかなか骨が折れました。うまい文章が書けず、ボツにしたCD試聴記もたまってしまいました。音楽を文章にするのは本当に難しいです。自分が書いてきた文章を読むとほとんど同じ語彙が使い回されており、嘆かわしい限りです。何であれ、「表現する」ということの難しさを感じます。

それでも更新は楽しい作業であります。何よりも読者の方々からの声援が私をやる気にさせてくれます。5月上旬の休載期間中は、更新もしていないページに普段と変わらぬ多くの読者がご訪問下さり(実は普段よりも多い日が少なからずあった!)、激励のメールまで送って下さいました。あの時のことを思い出すにつけても、頑張らねばと思う次第であります。

しかし、以前にもこの欄で書きましたが、「An die Musik」は「CD試聴記」が本当はメインでありまして、「クレンペラーのページ」は私にとっては副次的なものです。私のページの価値が実は「クレンペラーのページ」にあるらしいことは認めざるを得ないのですが、内心忸怩たる思いであります。

ところで、ご存知のとおり、「クレンペラーのページ」が完結しないうちに、柄にもなく、「クーベリックのページ」まで始めてしまいました。私の遠大な計画では指揮者列伝が延々と続く予定でありました。が、「クレンペラーのページ」さえもまだまだ完結しそうになく、自分で収拾がつけられるかやや不安になってきました(^^ゞ。後続の指揮者も考えていましたが、やめておくことにしましょう(そのほうが身のためか?)。懸案のオーケストラ列伝第1弾「失われた音を求めて」は一体いつ開始できるのでしょう?ホームページ上でやりたいことは山ほどあるのですが、これでは手を広げすぎて自分でパンクしかねませんね。危ない、危ない。これからは自重しながらちょっとずつのんびりホームページの更新をしたいと考えています。ご容赦下さい。

さて、2万件記念イベントですが、残念ながら今回はありません。女房さんといろいろ協議いたしましたが、かえって読者の方々にご迷惑をおかけしてしまいそうなものばかり思いつくので、今回は見送らせていただきます。イベントがあるとすれば次の11月1日、ホームページ公開1周年記念の時でしょうか?その際には何かしたいと思いますので気長にお待ち下さい。何かうまいアイディアがあれば、ゲストブックに書き込むか、あるいはこっそりメールを下さいね。


5月22日:リンクのページに「モーツァルト・クラヴィーア音楽の広場」「The Art of Arturo Toscanini - Tosca's Homepage」を追加しました。前者はプロの音楽家によるページです。とてもおそれ多いです。後者は歌劇のページではありません。何とあのトスカニーニのページであります。大変美しいページで、私のテキストだけのページと比べると月とすっぽん。恥ずかしくなります。

ところで、話が大きく変わりますが、2001年の大河ドラマは「北条時宗」らしいです。久々に鎌倉時代に戻ってきました。最近の大河ドラマは「大河」ではなく「小川」になり果てているのでここらへんで本格ドラマを期待したいところですね。

北条時宗といえば、蒙古襲来時の執権ですね。確か、塩野七生さんもどこかのエッセイで「北条時宗こそ日本が世界に誇る政治家である」という意味のことを書いていたはずです。理由は簡単。世界中がモンゴル(蒙古)に蹂躙されていた時代に、その攻撃を神風の助けがあったとはいえ二度も撃退しているからです。「その北条時宗を日本はもっと宣伝してよい...」とも塩野さんは書いていたような気がします。

しかし、北条時宗という人は歴史上大変有名であるのに人物像は今ひとつ伝わってこないですね。織田信長や豊臣秀吉ならある程度は「こんな人だった」というイメージがわくのですが、時宗についてはどんな性格であったのかさっぱり分かりません。彼、北条時宗は名執権とうたわれた北条時頼の嫡男として生まれ、18歳で第8代執権となります。執権在任中は二度の蒙古襲来があり、これに関わらざるを得ませんでした。1281年(弘安4年)元軍が海の藻屑となった後も三度目の来襲に備え、西国の警護を固めているうちに1284年(弘安7年)にわずか34歳で没します。34歳の人生ですから、逸話が少なかったのか、あるいは逸話が残るような人物でなかったのかよく分かりません。本当はどんな人だったのでしょうか?北条時宗が生きた時代は北条得宗(嫡流)家と御家人との熾烈な権力闘争が繰り返されていました。父時頼の代では宝治合戦で三浦一族が滅ぼされ、時宗の死後翌1285年には得宗家内管領平頼綱によって安達泰盛一族が葬り去られています(霜月騒動)。鎌倉幕府の運営は源頼朝の独裁から後に合議制となりますが、時頼の代から得宗専制化が進み、やがて高時の代に至って幕府は滅んでしまいます。北条時宗は「顔」が見えない割にはそうした幕府政治の曲がり角に政権を担った重要人物であるといえます。

蒙古襲来のシーンは経費の面から見て、まず映像としては出てこないと思われますが、政治家としてのドラマとしてはいろいろ興味が尽きません。元大河ドラマフリークの私としては、大変楽しみであります。

ううう、また音楽以外の話を長々と書いてしまいました。すみません<(_ _)>


5月21日:久しぶりにクレンペラーのページを更新。「ベートーヴェンの交響曲第3番<英雄>」を追加しました。オケはフィラデルフィア管です。上記箇所に飛ぶのに少し時間がかかるかもしれません。申し訳ありませんが、気長にお待ち下さい。クレンペラーのベートーヴェンは数が多いため、ファイルが大きくなってきます。ファイル分割を検討中です。


5月20日:キャラクター商品

人気キャラクター「だんご3兄弟」のデザインを無断で借用し、Tシャツを販売していた人が逮捕されたそうです。いかにもありがちな話でした。キャラクター商品に関する権利などはなかなか難しいものがあります。きっと法律でがんじがらめにされているんではないでしょうか。

Tシャツといえば、私が仮に「クレンペラーTシャツ」などを作って自分で着たらどうなるのでしょうか?クレンペラーは少なくとも今時点ではいわゆる「キャラクター」ではありませんから、いきなり逮捕ということはないかもしれません。そんなTシャツを着て歩いたって気づく人はまずいないでしょう。が、熱心なクレンペラーファンが「おれも!」といって自分で着、さらに勢い余って大量に作り、東芝EMIの前あたりで販売すれば大問題になるんでしょうね。また、リアルな写真を使った場合、遺族の方々から肖像権侵害で訴えられるようになるかもしれません。私は法律の門外漢なのでよく分からないですが、何をするにつけても小面倒くさい世の中になったと感じる今日この頃です。

さて、「クレンペラーTシャツ」は多分私くらいしか着ないでしょうし、世間に与えるインパクトも極めて小さいと考えられますが、どうせなら目立ってかっこいいTシャツを作りたいものです。いくらなんでもクレンペラーでは地味でいけません(そうかな?)。では誰のTシャツなら良いでしょうか。まず考えられるのは熱血ヒーロー・バーンスタインでしょうか。クラシック界ではいかにもTシャツの柄にぴったり合いそうです。それから永遠の貴公子アバドなどはいかがでしょうか?え?当たり前すぎてつまらない?それならとっておきの「キャラクター」がありますよ。うふふ。クナッパーツブッシュであります。あのクラシック界で最も魁偉な風貌をできるだけでっかくTシャツにプリントし、徒党をなして新宿歌舞伎町あたりを闊歩すれば目立つこと間違いなし。「いったい何のTシャツだろう?」と思われ、人気が沸騰するに決まっています。でもそうなるとまた肖像権が...。うーん、やはり難しい世の中になったものですねぇ。でもひょっとすると、Syuzo's HomepageのSyuzoさんなど、もしかしたらクナTシャツを密かに作ってにんまりしておられるかもしれません!きっとそうに違いない!(ひぇぇ、Syuzoさん、許して)


5月19日:CD試聴記に元気の出るCD第2弾「スメタナの<わが祖国>」を追加しました。ターリッヒ指揮チェコフィルです。

はて、これは「元気が出るCD」にふさわしいかどうか。


5月18日:CDの買い方

An die Musikの中には「CDの買い方」などという、マニアの方々から見れば誠におこがましいテーマのページがあります。クラシックのCDなぞ買ったことがない人のためにあえて作ったページですが、時々インターネットショッピングの方法について問い合わせのメールが来たりするので、少しはお役に立っているようです。

ただ、あのページを見ると、いかにも簡単そうにCDが買えるように思えるかもしれませんが、意外と目標とするCDを手に入れるのは難しいのです。この前の土曜日も久々に秋葉原に出かけ、CDを漁ってきましたが、目指したCDのうち買えたのはわずか一組だけでした(ボールトのブラームス交響曲全集、石丸電気で2,100円)。もし時間があれば銀座のHMV2店と山野楽器にも立ち寄ろうとしたのですが、残念ながら時間切れでありました。他にもいくつかCDを買ってきましたが、帰りはがっくし肩を落として帰ってきました。

「CDの買い方」のページには書いてないのですが、欲しいCD、しかも新譜でないものを探すにはひたすら足を使うしかありません。いくらインターネット上でCDが買えるようになったからといっても、それだけでは欲しいCDを探し出すことはできません。インターネットに載ってこないCDがたくさんあるのがその理由の一つです。

例えば、私は石丸電気の大ファンですが、石丸では新星堂のオリジナルCDは取り扱っていません。新星堂のCDを買うのなら、新星堂の関連ショップや山野楽器に行かなければなりません。山野楽器は値段が石丸に比べるとやや高く、店舗によっては店員の質があまり良いとはいえないのが難点ですが、山野楽器のオリジナルCDも買えるし、他のショップには見られない独自の陳列をしたりしているので新たな発見があったりします。他にもHMVではHMVならではのCDが置いてありますので、必ず寄らなければなりません。

また、面白いのは同じ系列のショップでも、店舗が違えば、店長の販売方針によって商品の仕入れや陳列も随分変わっているようです。したがって、めぼしいショップは全部回らなければ行けないことになります。こんな馬鹿なことをしているのはもしかすると私だけかもしれませんが(^^ゞ、CDを買うには非常な体力がいるのです。もちろん、大量にCDを買った暁には家庭内闘争も待っています。そちらは体力というより知謀を使って対処しなければなりませんね。うーん、CDを買うのも楽ではありません(きっと読者の方々は呆れていらっしゃいますね)。


5月17日:苗場・福島屋旅館のページの中の「山菜取り体験記」に今年のレポートを追加しました。当ページ正式オーナー、女房のちふみによる更新です。クラシック音楽の話題でありませんが、何卒ご容赦下さい。


5月15日:チャイコフスキーを聴いた夜

昨日のCD試聴記に引き続き、チャイコフスキーの話を一つ。といっても全くプライベートな古い思い出話であります。

私は大学4年の時、上野の東京文化会館に小林研一郎さん(通称コバケン)が指揮するチャイコフスキーの交響曲第5番を聴きに行ったことがあります。演奏は「炎のコバケン」というニックネームにふさわしく、それこそ炎のチャイコフスキーでした。第4楽章の最後の例の箇所(最強音でいったん終わり、フェルマータの後、Moderato assai e molto maestosoで開始されるところ<472小節目>)から数小節、コバケンは何と指揮をやめ、オケに勝手に演奏させるなど(?)見せ場もたっぷり。真冬の寒い時でしたが、体が内側からメラメラ燃え上がってくる熱演でありました。

私は大変興奮しました。上野から1時間以上かかって西の彼方の国立(くにたち)まで辿り着いても平常心でいられません。「うぉおおお、もうこれは飲むしかない!」と勢いづいた私は行きつけの飲み屋に駆け込みました(学生の分際で行きつけの飲み屋があったのでした(^^ゞ)。さっそくビールをググーッと飲むと、さらに気分が高まります。そしてもっと気分が高まる事件が起きたのです。5分もしないうちに、店のドアを開けて入ってきた男。私の顔を見るなり「あぁっ!」。私もびっくり。その人はコバケンのチャイコフスキーを隣の席で聴いていた人だったのです。これにはお互い仰天でした。もちろん、その晩はサラリーマンであったその男性に気前よくおごってもらい、大酒を飲みながら音楽談義をしました。非常においしいビールでありました。気分は最高です。

こんな楽しい偶然がまたないものだろうかと期待しているのですが、残念ながらまだありません。ミュンヘンでシノーポリの指揮する「グレの歌」を聴いた後、たまたま帰りの電車で、その舞台で演奏していたバイエルン放送響の楽員さんと隣り合わせになったことはあります。その時の面白い話もあるので、後日お話しする機会があるかもしれません。が、その後、こういった偶然がないのです。

話は元に戻りますが、私も今は社会人になっておりますので、こんな面白い巡り合わせがあれば、相手が学生さんなら、もちろんおごってあげたいところです(その代わり私の大酒につきあわされますが...)。みなさん、コンサートでは隣の人にも気を配ってみましょう。


5月14日:CD試聴記に「ゲルギエフ指揮ウィーンフィルのチャイコフスキー交響曲第5番」を追加しました。元気が出るCDシリーズ第1弾です。


5月13日:ホームページタイトルの由来

昨日のCD試聴記で、このページのタイトルがエリー・アメリングさんが歌うシューベルトの歌曲"An die Musik"に由来すると書きました。そう書くと、あたかもホームページ構想があった最初の頃から"An die Musik"という言葉が私の頭にあって、自然にタイトルが決まったように思われるかもしれません。が、実はそうではないのです。
ホームページ公開時からの読者の中には、このページが最初は女房さんのものであり、私のページはオマケにすぎなかったことをご存じかもしれません。女房さんが自分のページにつけたタイトルは「伊東家の趣味のページ」という全く情けなくも、おぞましいものでした。これではいかにも「ジャンクページですよ」と自ら公言しているようなものです。ホームページの作りのハウツー本には、そのように焦点がはっきり分からないネーミングを避けるべしと必ず書いてあります。

もっとも、今と比べれば、実際に内容も貧弱であったことは否定できません。まさにジャンクであったのです。私の担当する予定であったCD試聴記も、最初は週に1度くらいのペースで1枚のCDについて書けば十分かな?といった程度でした(このペースは今も変わっていませんが...)。ですから、「伊東家の趣味のページ」というタイトルでもも「まぁいいか」などと思っていたのです。
ところが、ホームページの構想が次々に膨らみ、「私が選ぶ名曲・名盤」や「クレンペラーのページ」までができてくると、「伊東家の趣味のページ」では誰にも見てもらえず、また、ホームページの先輩方に相互リンクさえしてもらえそうにないような気になってきました。私が書きまくった分量が女房さんの書いた分量を圧倒的に上回った段階で、タイトルを真剣に考え直さざるを得なくなったのです。

そうなりますと、意外と良いアイディアが浮かばないのです。何日も何日も良いタイトルがないかと考えました。それはもう、電車の中でも、お酒を飲む時でも、風呂に入っている時も考え続けました。そんなことが続いたある日、近所の定食屋にいました。そこでメンチカツ定食を注文した私は、何も考えずにそのメンチカツにパクリと食いついたのでした。その瞬間、私に"An die Musik"の名前がひらめいたのです。長く私の愛聴盤であったエリー・アメリングさんのCD。「これしかない!」とその場で心に決めてしまいました。ホームページの本来の生みの親である女房さんは、ページを完全に乗っ取られた形になりましたので面白くない様子でしたが、渋々了承してくれました。

今にして思えば、去年の10月いっぱいは、夫婦でホームページ作りを楽しんでいました。11月1日には公開できるよう、かなりの時間を費やしましたが、ものを作る楽しみが味わえ、大変楽しい日々でありました。近所の定食屋に入ってメニューに「メンチカツ定食」を発見するたびにあの時の興奮を思い出します。でも、「メンチカツ」が"An die Musik"と結びつくなんて、ちょっと幻滅でしょうか?


5月12日:An die Musik再開。

しばらく休載しておりましたが、その間もカウンターの数字は増え続けました。正直言ってこれは驚きでした。私はカウンターの数字を見るたびに感謝の気持ちで一杯でした。カウンターの数字が伸び続けたのはゲストブックが稼働していたことが大きな原因の一つだと思われますが、「そろそろ再開しているのでは?」と期待して訪問して下さった方々がいかに多いか、ということもあったかと思います。また、激励のメールや書き込みを読むにつけ、このまま放っておくわけにはいかないとつくづく感じました。休載宣言などをしてしまって誠に申し訳ありません。これからはまた一から出直すつもりでホームページの更新をしていきたいと考えております。今後ともよろしくおつき合い下さい。

というわけで、再開第1弾はCD試聴記「シューベルトのAn die Musikを聴く」であります。

また、以前「クレンペラーのショパン」で「"Philharmonic Symphony Orchestra"の名称に関しては自信がない」と書きましたが、香港在住の読者からこれはニューヨークフィルに間違いない旨ご連絡をいただきました。わざわざMusic & Artsにも問い合わせて下さったそうです。ありがとうございました。


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