ベートーヴェン:交響曲第7番第2楽章

葛飾区の図書館はクレンペラーのマーラーには冷淡だったが、クレンペラーのベートーヴェンに対しては尊敬の念があったらしく、交響曲全曲を1957年録音盤で聴くことができる。交響曲第7番に関しては、何と1968年盤も架蔵されていた。

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ベートーヴェン
交響曲第7番 イ長調 作品92
ラモー(クレンペラー編)
ガヴォットと6つの変奏曲
オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
録音:1968年10月12-14日、ロンドン、アビー・ロード・スタジオ
EMI(国内盤 TOCE-14241)

クレンペラーのベートーヴェンは録音史上今なお特別な位置を占めているが、この交響曲第7番は1957年盤に比べてあまり陽の目を見ていないだろう。一般受けしないのは、これがクレンペラー最晩年の録音に属し、テンポが以前にも増して遅くなっているからだ。

しかし、その演奏には唸らざるを得ない。特に第2楽章の美しさはクレンペラーのテンポがあってこそ生まれた。弦楽器がセクション毎に奏でる響き、それが重なった時の響き。それを言葉に尽くせない。音楽は淡々としたリズムに乗って流れていくのに、これを聴いている間は静謐な空間にいるような気がする。

ここから話は飛ぶ。

私はこの第2楽章を聴いていて、初めてこの曲を聴いた時のことを鮮明に思い出したのである。私がこの曲を聴いたのは中学1年生の春であった。私が通っていた(福島県)福島市立第一中学校には立派なオーケストラがあった。正式名称を器楽部という。彼らはおそらく新入部員勧誘とデモンストレーションを兼ねて昼休みに屋外でこの曲を演奏したのである。予告アナウンスを耳にして興味をそそられた小僧の私はそれを目を丸くしながら聴いたのである。私は今なおその時の周囲の風景や器楽部の演奏の様子を克明に覚えている。顧問の先生が曲を紹介する際に、「この曲はベートーヴェンの交響曲第7番の第2楽章です。映画『未来惑星ザルドス』にも使われました」と言ったこともはっきりと覚えている。

それが私とクラシック音楽の最初の出会いになった。私はオーケストラに入らなかったが、ベートーヴェンとはそれ以来40年以上付き合うことになった。クラシック音楽とは幸福な出会い方をしたのかもしれない。

話はまだ続く。

先生が口にした映画『未来惑星ザルドス』はそれからしばらくしてテレビ放映された。おどろおどろしい映画だったが、交響曲第7番の第2楽章がエンディングで驚くほど効果的に使われていた。壮年の男(主人公)が妻と並んで座っている。二人にはやがて子供ができる。やがて子供が成長し、青年になると親の二人を置いて出て行く。残された二人は手を繋いだまま座っている。彼らは老いて、死ぬ。そして手を繋いだまま白骨化するのである。その様子を描く間、あの第2楽章が流れているのである。子供心にも印象的な映像だった。だから、私にとってベートーヴェンの交響曲第7番の第2楽章は「未来惑星ザルドス」だったのである。

クレンペラー盤が契機となって40年も前のことがフラッシュ・バックされたので、私は自分のルーツを今さらのように思い出した。40年も経つと様々なことが変化している。しかし、ベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章から受ける感銘の深さは40年前も今も変わっていない。それがベートーヴェンの音楽なのである。

(2015年10月22日)