シューベルトの幻想曲 ヘ短調 D940

いつだったか、吉田秀和の本を読んでいたら「幻想曲ヘ短調 D940を知らなければ、シューベルトのピアノ曲を知っているとは言えない」という主旨の文章にぶつかりました。どうしても出典を思い出せないので、それが正確な表記だったか自信が持てないのですが、確かにそんな意味のことが述べられていました。私は結構シューベルトの曲を集めていたのに、その際幻想曲ヘ短調 D940と言われてもすぐに曲をイメージできませんでした。気になってCDラックを見てみると、何といくつも出てきました。私の頭に残っていなかったというのは、よほど真面目に聴いていなかったのでしょうね。

D940ですからシューベルト最晩年の作品です。聴いてみると、確かに美しい曲でした。名曲です。ピアノ連弾曲で、4つの部分からできていますが、それが途切れることなく演奏されます。いかにもシューベルトらしい切々たる旋律で始まりますが、現れる主題はどれも以前から知っていたような錯覚を覚えさせるもので、改めてシューベルトの天才を感じます。また、ピアノが激しく鳴り渡るところは「さすらい人幻想曲」に一脈通じるところがあります。ただし、「さすらい人幻想曲」がほとんど爆発的な音楽であるのに対し、幻想曲ヘ短調D940は基本的に内省的であります。なるほどこういう曲があったのかと吉田秀和に私は感謝したものでした。

それからというもの、私はこの曲を時時聴くようになったのですが、大量のCDを処分した今なお手許に残ったのはキーシンとレヴァインのCDのみでした。

CDジャケット

シューベルト
4手のためのピアノ作品集

  • 幻想曲 へ短調 D940 作品103 
  • アレグロ イ短調 D947 作品144「人生の嵐」 
  • ソナタ ハ長調 D812 作品140 「グランド・デュオ」
  • 性格的な行進曲 第1番 ハ長調 D968b 作品121-1 
  • 軍隊行進曲 第1番 ニ長調 D733 作品51-1 

ピアノ:エフゲニー・キーシン、ジェームズ・レヴァイン
録音:2005年5月1日、ニューヨーク、カーネギーホールにおけるライブ録音
RCA=BMG(国内盤 BVCC-38352-53)

この2枚組CDの特徴は、シューベルトの連弾用の曲を1台のピアノではなく、2台のピアノで弾いていることです。本来は家庭音楽として作曲された連弾用の曲を、3,000人も収容できるカーネギーホールですべての聴衆に聴かせるには無理があるので、苦肉の策として2台のピアノを使うことにしたそうです。そうでもしなければ、キーシンが巨漢のレヴァインの隣で弾くのは辛かったのだろうと私は勝手に想像していますが。

2台のピアノで弾いている時点で、このCDで聴くシューベルトは本来の持ち味とはかなり様相を異にしています。実際に2人ともコンサートの間ずっとバリバリ弾いています。スピーカーの左側がキーシンで、右側がレヴァイン。レヴァインはピアノの腕前も達者で、キーシンに引けを取らないパワーを見せつけます。こうなるとシューベルトの曲はコンサート用ショウ・ピースとして精彩を放ってきます。それもひとつの楽しみ方なのだと割り切ると大変楽しいです。

冒頭に演奏された幻想曲ヘ短調 D940では私がかつて持っていたどのCDよりもダイナミックな演奏が聴けます。シューベルトがこの演奏を聴いてどう思うか分かりませんが、私はダイナミズムを突き詰めた演奏として気に入っています。もしかしたら邪道なのかもしれませんが、こういう楽しみも許してもらいたいです。

(2005年3月1日)