映像の力

映像は強い。音を聴いているつもりでも我々の感覚は映像に支配されている。

私は二人の女子の父だったので、子どもたちに付き合ってAKB48やら乃木坂46やらといったアイドルグループの映像を見ていた。そのため、おじさんにしてはアイドルに詳しい。AKBに至っては、子供と一緒に総選挙に参加して投票していた。ぞろぞろ出てくる女の子たちの顔と名前が私は少しは分かる(キモイと若い子から冷たい視線で見られそうだが)。

しかし、どうにも頂けないのは、彼女たちがいつも口パクであることである。たまに例外があるようだが、殆ど歌っていない。テレビやコンサートで彼女たちは自分たちが歌った録音に合わせてにこにこしながら踊っているだけなのである。それなら、マイクなど持たないで踊ればいいのに、と余計なことを言ってしまいそうだが、彼女たちはれっきとした歌手なのだ。ステージで歌わないだけで、スタジオでは歌っているからだ。紅白歌合戦にも堂々と出場する。

口パクの歌手というのは歌手なのか? 正直に申しあげて、私は理屈に合わないと思う。しかし、彼女たちが出るテレビ番組や動画をこの私だってなんやかんやと言いながら大いに楽しんで見てしまうのである。

クラシック界も口パクとは無縁ではない。私にとってはショッキングな事例がある。2006年トリノ・オリンピック開会式におけるパヴァロッティである。彼はその時、大編成のオーケストラをバックにプッチーニの「誰も寝てはならぬ」を歌った。それはテレビを見ていた世界中の人々から喝采を浴びた。ところが、しばらくしてその時のパヴァロッティは口パクだったことが判明したのである。体調不良だったらしい。驚いたのは、バックで演奏していたオーケストラも、録音に合わせて身体を動かしていたことだ。YouTubeの動画は今やかなり削除されてしまっているようだが、私の記憶では指揮者をはじめ、楽団員が音を出していないようにはとても見えなかった。それはそれで大変な努力をしたのだろう。実は、この事実が発覚して以来、私はテレビ放送されている生演奏が果たして本当に生なのか疑問を持つようになってしまった。

私をはじめ、多くの人がトリノ・オリンピック開会式のパヴァロッティに熱狂した。誰もパヴァロッティが口パクだなんて思っていなかった。なぜなら、我々は「誰も寝てはならぬ」をいとも易々と歌うパヴァロッティを知っていたからである。「3大テノール」の映像を見ても、ドミンゴやカレラスとは比較にならないほど余裕たっぷりに歌っている。そういうパヴァロッティを知っているからこそ、彼の口パクは衝撃でもあったのだが、そのパヴァロッティでも口パクをせざるを得ないとすれば、極東のアイドルが口パクになるのは驚くに当たらないとも言える。

他にもある。例えば、数年前に大流行した『のだめカンタービレ』だ。非常に面白いドラマだった。原作漫画では音を出せなかったが、テレビ版でも映画版でも存分に音を出せる。我々はそれを心ゆくまで楽しんだ。しかし、主要な登場人物は実際には音を出していないのだ。テレビ版もプロが吹き替えを行っていたし、映画版でのだめのピアノ演奏を行っていたのはラン・ランだったりする。そして我々はそれに対して別に疑問を抱いてはいない。

要するに我々の感覚を支配するものは映像なのだ。AKBが口パクだからってそれを非難することはできない。口パクに疑問を持っていた私だったが、時代はますます口パクを許容する方向に流れそうだ。そのうちに、エアバンドならぬエアオーケストラが登場するかもしれない。私はきっと喜んで見に行ってしまうだろう。

(2015年8月15日)


おまけ 朗々と歌うパヴァロッティの勇姿

映像の力」への15件のフィードバック

  1. 良いお題をいただき、色々想像が膨らみます。
    huluで「のだめカンタービレ 巴里編」が視聴可能になりました。全11話ということで、半日で見終わってしまいました。既視感十分な展開ですが、なかなか楽しめました。
    「のだめ」については、難しい問題が色々ありますね。天才的な煌めきを感じさせる演奏でなくてはならないのですから、ただ弾けば良いというレベルではないですね。

    自動ピアノでグールドの演奏を再現するという試みもありましたね。この場合はピアノはリアルで演奏者がエアーということになるのでしょうか。

    でも、映像というとやっぱりカラヤンですね。LD、DVDと色々持っていますが、その中でもブルックナーの9番を良く聴きます。曲自体がそんなにしょっちゅう聴くものではありませんが、つい手が伸びてしまいます。やっぱり映像と一緒に聴いた方が、満足感が違います。
    カラヤンについては、昔ベルリンフィルでビオラを弾いていた土屋さんが面白いことを言っていたのを覚えています。土屋さんが素晴らしいビオラを持っていたので、カラヤンがどうしても映像に入れたくて「もっと上に上げて演奏しろ」というので、仕方なくやっていたが、「もっと上、もっと上」と言うので、たまりかねて「マエストロ、これ以上あげると演奏できません」と文句を言ってしまったということです。ここまで来ると映像が主で音楽が従みたいになってしまいますね。
    でも、それだけこだわりのあった映像なので、音楽と映像が一致した瞬間は素晴らしいものがあります。

  2. 音楽と映像が一致しているものなら私は素晴らしいと思います。私はアバドがルツェルンで演奏したマーラーをYouTubeで観ることがありますが、ああいった映像がもっと出てくると嬉しいです。(もしかして、あれは違法アップロードなのかな?)

  3. huluで「のだめカンタービレ フィナーレ」が視聴可能になったので、やらなければならないことが山積しているのに、観てしまいました。
    今回も既視感十分な展開でしたが、行きつ戻りつしながら、人生経験を積んだ分だけ、演奏のレベルが上がるということでしょうか。
    それよりも驚いたのは、曲が凄かったことです。何しろ、ベートーヴェンの作品110のピアノソナタを、のだめが弾くのですから。
    アニメでベートーヴェンの後期のソナタが使われるとは思いませんでした。
    「のだめ1」がベートーヴェンの7番のシンフォニーでしたから、「のだめ3」を後期のピアノソナタで締めくくるとは、双六でいう「上がり」ですね。
    私はベートーヴェンの後期のピアノソナタが大好きで、いつも聴いているので、今回は弦楽四重奏曲が聴きたくなってしまいました。ピアノソナタよりもこちらの方がベートーヴェンの思いをより強く感じるのです。「自分は耳が聞こえなくなってしまったけれど、それでも良かったのだ」と言っているように聞こえます。
    作品131が聴きたくなったので、珍品のバーンスタインがウィーンフィルと録音した弦楽合奏編曲版を出してきました。でも、ちょっと聴いて、止めてしまいました。何だかムード音楽みたいに聞こえるからです。やっぱり弦楽四重奏でなくてはと思い直して、アルバン・ベルクSQのセットを出してきました。伊東さんと同じように、この後期のアルバムには大変お世話になりました。
    日常的には作品132や作品135を聴くことが多いのですが、どういう訳か作品131を聴きたくなったのが不思議です。

    「のだめカンタービレ」の視聴をきっかけに、埃をかぶっていたCDを再度聴くことができて、「のだめ」には感謝しています。

  4. 「のだめ」の効果は絶大ですね。いろいろな曲をドラマの中で使っていましたが、それを自分のCD棚から引っ張り出してきて聴きたくなる。有名な曲もあったし、そうでない曲もありました。シューベルトのピアノソナタは「のだめ」で一躍ウルトラ有名曲になったような気がします。映画化も全部終了して、「のだめ」ブームは去って行きました。ちょっと寂しいですね。またクラシック音楽を扱ったドラマができるのを待ってみましょう。

  5. 9月2日からNETFLIXが視聴可能になったので、お試しに見ています。私の旧型のスマホでも視聴できたのには驚きました。(huluでは「この機種は対応していません」と言われてしまいます。)
    で、「のだめカンタービレ」の実写版が視られるので、またまた1日かけて見てしまいまいた。
    やっぱり、玉木・上野コンビが良い味を出していますね。アニメ版ではオーケストラの描写が粗かったので、実写版では実際にオーケストラが映っているので、満足度大です。
    また、テレビで放送された時に見逃していたところを、繰り返し見ることができ、オンデマンドのありがたさを感じます。
    アマゾンでもプライム会員向けにビデオサービスを始めるようなので、こちらも楽しみです。
    メットのライブビューイングもオンデマンドで見られるとうれしいのですが、こういったビデオサービス業界はクラシックには冷淡ですね。
    でもYOUTUBEで公開されている映像も多々あるので、それほど困ることはありません。オペラでは日本語字幕付きの音源の提供もあり、びっくりします。

    松本さんお薦めの「にとまいこ」さんも、YOUTUBEで映像をたくさん公開されているのですね。できたら、もっと「大きなピアノ」を弾いた時の映像を公開していただけるとありがたいです。

  6. 「のだめカンタービレ」には出てこない曲なのに、どういう訳か「のだめカンタービレ」を見ると、ベートーヴェンの作品131の弦楽四重奏曲が聴きたくなります。
    4人の奏者の掛け合いが、千秋とのだめの会話を連想させるからなのでしょうか。
    で、そんな時にぴったりの演奏がラサールカルテットの演奏なのです。
    軽やかな音で、「音楽って、良いだろう。」という千秋の声が聞こえてくるようです。

  7. ラサール四重奏団、懐かしいですね。図書館で借りて聴こうとしたら、何と、1枚も架蔵されていませんでした。残念無念。きっとそのうちにどこかで聴けると気を大きくして待つことにしました。

  8. 二戸麻衣子さんの、紹介したサイトは、確かに音楽を広める活動用のもの(母子のためのコンサートを継続して展開中)ですので、軽めの曲が多いですね。
    確か限定公開で、別途リサイタルの際の一部楽曲を公開されていると思います。限定公開の場合でも、直接リンク先から入れば誰でも聴くことができるので、探せば出てくると思います。

  9. NETFLIXが1ヶ月間無料ということで、見まくっているのですが、Huluと比べて「見たいものがある」という感じで、アメリカでシェア1位というのも頷けます。このままだと契約してしまいそうです。
    で、何を見ているかといると、またまた「のだめカンタービレ」です。本当に、何度見ても新しい発見があって、あきることがありません。
    マラドーナ・ピアノコンクールで、のだめが弾いていたシューベルトの曲(D.845)をどこかで聴いた覚えがあるなと思って、ブレンデルの全集を引っ張り出してきましたが、どうもイメージが違います。大体、ブレンデルのシューベルトは最後の3つのソナタを主に聴いていたので、この演奏は初めて聴いたと思います。
    では、誰だったかなと思って探すと、ポリーニが「さすらい人幻想曲」と一緒にいれたCDが出てきました。購入当時は「さすらい人」がメインだったので、記憶が薄かったのかもしれません。
    で、聴いてみると、のだめの演奏に通じるものがあるのです。勿論、音はのだめ以上にシャープなのですが、聴いているとのだめの顔が浮かんできます。
    「シューベルトはブレンデル!」という思いこみがあったのですが、ポリーニも良いではないですか。
    またCDが1枚甦りました。

  10. 私も、シューベルトのD845(第16番)のソナタは、ポリーニが好きですね。実は、私にとってのシューベルト(全集)の原点はケンプで、ブレンデルとシフがその後の興味主体です。ブレンデルのシューベルトは、特別に好んで聴くほどではありません。もちろん、好きな演奏群のなかの一つですけど。
    あと、旧東ドイツに、多くのシューベルトの名演が残っていますね。これらも無視しえないと思っています。

  11. ポリーニが録音した「ペトルーシュカ」が家にあったことを思い出して探したのですが、見つかりません。その代わり、アシュケナージとガヴリーロフが録音した2台のピアノのための「春の祭典」のCDが出てきました。
    2台のピアノといえば、千秋とのだめがラフマニノフやモーツァルトを弾くシーンが何度も出てきたではありませんか。その映像を思い浮かべながらこのCDを聴くと、空想のコンサートみたいで、楽しめました。
    ネットで調べたら、この曲は色々な名人が弾いているのですね。最近ではアルゲリッチがバレンボイム等と録音した盤があるようですが、私は若い頃のイメージしかなかったので、その画像を見ると、時の流れを感じてしまいました。

  12. ハルサイのピアノデュオ版は、不思議なところがあって、アシュケナージよりもガヴリーロフの方が映えているように聴こえますし、同様に最新盤のアルゲリッチとバレンボイムも、主導権は明らかにバレンボイムが取っているように聴こえます。
    ピアノデュオ版の楽譜は、ブージー&ホークスから出ているので、入手は比較的容易です。そして、変拍子の処理も、実はオケを振り分けるより、ピアノの方が弾きやすい特徴があります。
    もしもピアノが少し弾けるのでしたら、ゆっくりと部分部分を鍵盤で確かめてみると、思いのほか弾きやすいことに気付かれると思います。この前評論で紹介した「にとまいこ」さんと、何を弾こうか話し合っているときに、このハルサイも一旦は遡上に上ったのですよね。
    つまり、変拍子は1人または2人でピアノを弾くとしたら、当たり前の拍子の一つなのですね。ところが、オケのように多くの人が相手となると、とても演奏が困難になってきます。
    あ、最後に、ピアノもソロで演奏する場合以外は、楽譜を置いて弾くのが通常ですので、暗譜は不要です。あれを暗譜するのは確かに、脅威でしょう(笑)

  13. 追加です。
    ファジル・サイのソロピアノヴァージョンでのハルサイのディスクは、そもそも彼自身がより難曲になるように音符を書き加えた、独自ヴァージョンです。
    ああなると、流石にほとんど誰も弾けません。

  14. YOUTUBEでアルゲリッチとバレンボイムの演奏の一部が公開されていました。連弾の始めに鍵盤の上で二人が手を重ね合わせる映像が流れていてドキッとしてしまったのですが、二人ともブエノスアイレス出身で、1歳違いなのですね。(バレンボイムの方が年下ですが・・・・・・)
    そう言えば、のだめのモデルがアルゲリッチではないかという説がありましたね。(勿論、汚部屋のではなく、天才的な演奏者としてですが。)
    一方、千秋のモデルがバレンボイムという説もあります。(フルトヴェングラーに才能を認められた云々。)
    とすると、この演奏は数十年後の「リアルのだめ」ではないですか。
    という訳で、DVD版を注文してしまいました。
    私の中では10年遅れの「のだめブーム」です。

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