交響曲第4番を無事に聴くことができたので、時間をかけてショスタコーヴィチの交響曲をすべて聴いてみた。第1番から第15番までを集中的に聴いたのは、昔ハイティンクの全集を買った時以来だ。曲と演奏の組み合わせは以下のとおりである。
- 1番 ロジェストヴェンスキー指揮ソビエト国立文科省交響楽団(MELODIYA)
- 2番 ハイティンク指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、アシュケナージ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(DECCA)
- 3番 ハイティンク指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(DECCA)
- 4番 サロネン指揮ロサンゼルス・フィルハーモニック(DG)
- 5番 ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(MELODIYA)
- 6番 バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(DG)
- 7番 アシュケナージ指揮サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団(DECCA)
- 8番 ゲルギエフ指揮キーロフ歌劇場管弦楽団(PHILIPS)
- 9番 ロジェストヴェンスキー指揮ソビエト国立文科省交響楽団(MELODIYA)、バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(DG)
- 10番 カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(DG)
- 11番 ストコフスキ指揮ヒューストン交響楽団(EMI)
- 12番 ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団(MELODIYA)
- 13番 ロストロポーヴィチ指揮ナショナル交響楽団(ERATO)
- 14番 ロジェストヴェンスキー指揮ソビエト国立文科省交響楽団(MELODIYA)
- 15番 ロジェストヴェンスキー指揮ソビエト国立文科省交響楽団(MELODIYA)
マニアからは、「よりによってどうしてそのような組み合わせのCDをを選んだのか」という質問が出てきそうだ。答えは簡単である。図書館のCDだからあまり選択の余地がないのである。だが、図書館CDで全15曲を聴けたことは感謝しなくてはならない。
交響曲第4番が聴けたからには他の曲も聴けると確信していたが、その通りだった。ここ2週間ほどの間にショスタコーヴィチを文字通り聴きまくった。ショスタコーヴィチの狂気にずっと付き合っていたわけで、なんだか自分もあっちの世界に足を突っ込んでしまったような気がする。ショスタコーヴィチの交響曲第4番をクリアした時には一挙に視界が開けたように感じ、私は欣喜雀躍したのだが、本当はそういうことではなくて、危ない世界に入ったのだから、これからの音楽生活に黄色い信号がともったことを意味しているのかもしれない。
閑話休題。
交響曲第13番や第14番を聴いた後、私は交響曲第5番をムラヴィンスキーの演奏で聴いた。もはや私の耳に第5番は通俗名曲的にしか聞こえないのではないかと最初から髙をくくってCDを聴き始めた。そして、ムラヴィンスキーに打ちのめされた。
ショスタコーヴィチ
交響曲第5番 ニ短調 作品47「革命」
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1878年6月12日、ウィーン・ムジークフェラインザール
JVC(国内盤 VDC 1007)
何というか、もう次元が違っているのである。旋律こそあの交響曲第5番だが、音楽としてのこの曲のあり方が極限まで追求されたという印象を強く受ける。厳しい音楽の厳しい演奏だ。また、ムラヴィンスキーの演奏は時代と場所を超越して現代に生きる私に緊張して聴くことを要求している。この演奏を聴き終えた瞬間、ムラヴィンスキーは音楽の神様の一人だったのだと改めて確信した。
ムラヴィンスキーの指揮で聴けたのは第5番だけではない。第12番もあった。この曲には「1917年」という標題が付けられているが、これまたとてつもなかった。ムラヴィンスキーの演奏は鍛えに鍛えた鋼のようであり、軟弱さは微塵もない。第12番に対する評価も激変した。
これらを聴いて以来、私の頭の中にムラヴィンスキーが居座ってしまった。もうどうやっても頭から離れない。それならば他のCDも聴こうと図書館のデータベースを検索してみた。ところが、ムラヴィンスキーのCDは数えるほどしかないのである。ああ、何ということか。ムラヴィンスキーは西側の音楽家ではなかったし、メジャーレーベルで次から次へと録音をしてきたわけでもなかったのだ。こうなっては、残された数少ない録音を探して拝聴するしかムラヴィンスキーに接する方法はない。
(2015年10月13日)