ブラームスを聴いていると、どこかの風景を思い浮かべることがあります。誰の耳にも分かりやすい例は交響曲第2番です。この曲を指して「ブラームスの田園交響曲である」というのはまことに陳腐ではありますが、私はいつものどかな風景を思い浮かべます。第1楽章はまさにドイツやオーストリアの田園風景です。山紫水明の景色の中に爽やかな風が吹き込んでくるような趣があります。ブラームスはよほど風光明媚な土地でこの曲を作曲したに違いない、その場所を是非この目で見たいものだと私は常々思ってきました。もちろん、交響曲第2番に限らず、ブラームスには様々な風景があります。そんなことを感じるのはブラームスの聴き方として正しくないといわれてしまいそうですが、私はどうしても風景を感じてしまうのです。
ブラームスの曲には風景があると考えたのは私だけではないらしくて、興味深いことに、ブラームスが名曲を作曲した地を写真付きで紹介している本が出ています。
ブラームス「音楽の森へ」
堀内みさ:文
堀内昭彦:写真
世界文化社
2011年刊
本には作曲の地の美麗な写真が多数掲載されています(写真をクリックするとamazonの画面に飛びますのでご覧ください)。どれもため息が出そうな景色です。交響曲第2番やヴァイオリン・ソナタ第1番はペルチャッハ。写真が伝えるものは、現実以上に美化された断片でしょうが、それでも私の予想を裏付ける風景を見ることができました。交響曲第1番ではリヒテンタール。ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲ではアルプスのふもとトゥーン湖畔。クラリネット五重奏曲ではバート・イシュル。どの風景もブラームスの曲の中にこっそり入っていますし、この本を眺めた後で曲を聴くと「ああ、なるほどね」などと子どもじみた単純な感慨をもつのでありました。
実際はブラームスが生きた時代から100年以上経っているのですから元の風景がそのまま残されているわけではありません。また、写真はあくまでも風景の断片にしか過ぎません。この本の写真を見て過大に美化するのは危険ですが、私はやはりブラームスは風景を曲に織り込んだと思いたいです。この本を見たら、それぞれの作曲の地に行ってみたくてたまらなくなりました。
ちなみに、ブラームスは自分の赤裸々な心情を曲に盛り込むこともあります。典型例はピアノ協奏曲第2番第3楽章Andanteです。寂寥感漂うこの楽章ではブラームスがやけ酒でも飲んで「俺はもうだめだ。いいんだ、放って置いてくれ」とでもつぶやいているようです。私はそのAndanteを聴くとブラームスには失礼だと思いながらくすっと笑いたくなるのですが、そんな感情を曲に込めたブラームスも大好きです。しかし、ブラームスの作曲時における赤裸々な心情をピックアップした本にはまだ出会っていません。
(2015年3月8日)