浅田次郎の『蒼穹の昴』を読んでいたら、中国清王朝の話なのにヴィヴァルディが登場してきてきました。Wikipediaで「乾隆帝」を見ると、右にその肖像画が表示されていますね。その絵を描いたのが『蒼穹の昴』で重要な役割を演じるイタリア人・ジュゼッペ・カスティリオーネです。彼がまだヴェネチアにいた頃、一人の女性を取り合った仲だったのがヴィヴァルディでした(その女性の件は浅田次郎の創作でしょう)。
というわけで、すっかりヴィヴァルディの気分になってしまったので、思わず図書館CDを検索しました。すると、ありました。アーヨの1959年盤が。
ヴィヴァルディ
協奏曲集『四季』作品8
イ・ムジチ合奏団
ヴァイオリン:フェリックス・アーヨ
録音:1959年4月29日-5月6日、ウィーン
PHILIPS(国内盤 PHCP-24001)
もはや古典的録音と呼んでも差し支えがない演奏です。演奏にもCDにも貫禄があります。私が手にしたCDは紙ジャケットで、CDの番号を見ても特別な位置にあることが分かります。
少なくとも日本でのヴィヴァルディ人気を決定づけた録音はこのアーヨによる『四季』だったはずです。そもそもこの録音にかける意気込みからして普通ではなかったようです。図書館から借りてきたCDの解説書を改めてしげしげと眺めてみると、イ・ムジチはわずか43分のこの曲を8日かけて録音しています。そして演奏はオーソドックスとはこのことだと謂わんばかりの楷書であります。本当に隙がありません。何となく録音したというものでは決してないのですね。イ・ムジチによる演奏が音楽界を長く席巻した後に登場したピリオド・アプローチによる演奏をいくつも聴いた今では、もっと過激さを求めたくなるところもありますが、この録音が登場した頃は曲の真価を表す演奏としてこれ以上の録音はなかったのではないでしょうか。PHILIPSの音もいまだに古さを感じさせません。
これからヴィヴァルディが忘れ去られるとはあまり考えにくいのですが、イ・ムジチの『四季』はどうなのでしょうか。40年前、30年前ほどの圧倒的な人気はさすがにもうありませんね。あと10年、20年もすると、工夫を凝らした新しめの録音に人気を取って代わられ、それこそ忘れられていくのでしょうか。若い人たちにはイ・ムジチ自体が古めかしくなっているかもしれません。しかし、私はこうして1959年録音盤を聴くだけでも清々しさを感じます。他にも私は特に評判が良いわけでもないカルミレッリ盤(1982年録音)を気に入っていて、他の録音を聴いた後でも必ずカルミレッリ盤の良さを再確認したものでした。ずっと、しかもいくつものイ・ムジチの『四季』に接してきただけに簡単に別れ話はできません。もしかしたら、私は死ぬまでイ・ムジチの『四季』を聴き続けるのではないかという気がしてきました。それもクラシック音楽ファンの生き方なのかもしれません。
(2015年8月13日)