1日から2日にかけてクーベリックのモーツァルト録音を聴いた。SONYへの録音は全6曲である。全曲を聴いても3時間はかからない。しかし、あっという間に聴き通すというわけにはいかなかった。本気で聴くには、聴く方にも相当のエネルギーが要求されるのである。1曲聴いては休み、真剣に聴いた。疲れたが、モーツァルトの音楽に浸りきることができたので満足した。
Rafael Kubelik Conducts Great Symphonies 7CDから
モーツァルト
交響曲第35番 ニ長調 K.385「ハフナー」
交響曲第36番 ハ長調 K.425「リンツ」
交響曲第38番 ニ長調 K.504「プラハ」
交響曲第39番 変ホ長調 K543
交響曲第40番 ト短調 K.550
交響曲第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団
録音:1980年6月、10月、ミュンヘン、ヘルクレスザール
SONY(輸入盤 88697884112)
1日に第38番「プラハ」、第39番、第35番「ハフナー」までを聴き、2日に第36番「リンツ」、第40番、第41番「ジュピター」を聴いた。モダン楽器によるひたすら美しいモーツァルトだった。豪快さや、重厚さを求める場合には他の指揮者・オーケストラとの演奏が俎上にのぼるだろうが、クーベリックのモーツァルトには光り輝くばかりの高貴さ、しなやかさ、格調高さがある。バイエルン放送交響楽団のアンサンブルは非常に精緻だ。このモーツァルト演奏は、いかにクーベリックが指揮しようとも、このオーケストラ抜きには成り立たなかっただろう。指揮とオーケストラが持てる力を発揮した総決算的な録音だ。また、モダン楽器によるモーツァルト演奏の最後の輝きを表した録音とも言える。
以下は余談である。
CDジャケットに掲載されているデータによると、録音は1980年の6月と10月に集中して行われている。
6月8日:第41番
6月9日:第35番
6月10日:第39番
10月15日:第36番
10月16日:第38番
10月17日:第40番
1日に1曲だ。私は1曲に数日かけているのではないかと思っていたのだが、これを見ると、1980年当時にはそんな時代がとうに終わっていたことが分かる。コンサートのリハーサルからの流れでセッションを組まなければセッション録音を行うことが難しかったのだろう。それでもセッション録音であることに変わりはない。
この時代の後、セッション録音は姿を消していく。大指揮者と名オーケストラのセッション録音だからこそこれだけ高品質の録音が完成したと私は考えているのだが、その後のクラシック音楽録音の歴史はライブでの録音に傾斜していく。その結果、夥しい数の録音が生産されたが、それらはクラシック音楽録音の資産となったのだろうか。演奏者や録音スタッフの労働時間短縮は実現したのかもしれないが、価値のないものが量産されるという皮肉な結果になっていないか。そして、今や、録音自体が減少している。
それともうひとつ。バイエルン放送響は、クーベリックの時代には数々の名録音を残した。名実ともに一流オーケストラであったが、その後はどうなのだろう。腕利きのオーケストラではある。技術的には数段向上したかもしれない。しかし、このオーケストラはクーベリックが去った後、これといった名盤を世に送り出していない。少なくとも、私は思いつかない。機能的な一流オーケストラには違いないのだが、このオーケストラはクーベリックあってこそのオーケストラだったのだ。クーベリックがいかに大きな音楽家であったかが窺い知れることである。
(2016年1月2日)