先日、ブルーノ・ワルターが指揮したブラームスを無性に聴きたくなりました。かといって、私の手許にはワルターのブラームスは1枚も残っていません。引っ越し前に処分したからです。「ああ、予想通りの展開になった。見境なく処分するのではなかった」と天を仰ぐことになりました。とはいえ、また新たに買うのも癪なので、葛飾区の図書館で借りてみました。図書館でCDを借りるのは生まれて初めてであります。
借りてきたのは以下のCDです。
ブラームス
交響曲第2番 ニ長調 作品73
大学祝典序曲 作品80
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団
録音:1960年1月11,14,16日
SONY(国内盤 28DC 5043)
発売時期や型番を見ると、どうやら運良くマックルーアがCD化したディスクを手にすることができた模様です。これは嬉しいです。さっそくCDプレーヤーにかけてみると、いかにもマックルーアのトラックダウンらしく、低弦が見事に強調された音が耳に飛び込んできます。それはともかく、欣喜雀躍した私は最初の部分だけを試しに聴くつもりがCD1枚分を丸々聴くことになってしまいました。ワルターは本当に聴かせ上手ですね。私はほとんど大満足です。なんだか微妙な表現ですが。
数年前に、私はブラームスの交響曲全集を片っ端から聴き比べしたことがあります。その際に、ふたつのことに気がつきました。批判や嘲笑を覚悟で申しあげますと、ひとつ目はアメリカのオーケストラによるブラームスは、地に足が着いていないような軽さがあり、それ故にわずかな違和感が感じられる場合が多いこと、ふたつ目はウィーンフィルハーモニー管弦楽団のブラームスというものがありそうだということでした。私の先入観なのかもしれませんが、誰が指揮台に立った録音でもウィーン・フィルのブラームスを聴いて違和感を感じたものは1枚たりともなく、それどころかウィーンフィルはブラームス演奏に必須の何かをDNA的に持っているのではないかと感じたものでした。
ワルターのブラームスは、アメリカの西海岸で録音されています。したがって、上記の観点からはあまり好ましからざる演奏のはずなのですが、私は最後までブラームスを満喫しました。さすがワルターの演奏であります。この演奏に対して、地に足が着いていないなどと恐ろしいことはとても言えません。ただし、「ほとんど大満足」と書いたように微妙な留保をつけたのには訳があります。1箇所だけ物足りなさを感じたからです。
この曲の第1楽章の終わり頃にやや長いホルンパートの出番がありますね。ここはブラームスが美しくも壮大な落日に惜別をおくるフレーズだと私は勝手に解釈しています。落日とは、実際に1日の落日を想起させるものでもありますし、人生の落日さえも描いているように思えます。私はその部分こそが第1楽章の白眉だと思っているのですが、ワルター盤はその箇所が少しあっけないのです。
しかし、そこまで聴いて、私がウィーンフィルのブラームスがあると感じた理由のひとつがはっきり分かりました。あくまでも理由のひとつに過ぎないでしょうが、それはホルンの音色のためです。ウィーンフィルの録音に聴くホルンの音色はやはり格別なのだと改めて思わずにはいられません。そして、コロンビア響とのセッションでは、ワルターのような大指揮者が指揮台に立ってさえ、それだけはどうにもならなかったのだと分かります。
それでもワルターのブラームスは魅力的です。たった1箇所物足りないところがあったからといってその価値を否定する気は毛頭ありません。今回はCDを図書館で借りましたが、やはり買い直した方が精神衛生上良さそうです。マックルーアのディスクを探して購入しようかと思います。
(2015年6月19日)