葛飾区図書館CD第4弾。検索していたら懐かしのCDがあったので思わずクリックしました。ブレンデルのバッハです。
ヨハン・セバスチャン・バッハ
- イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971
- コラール・プレリュード「イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ BWV639」(ブゾーニ編)
- プレリュード(幻想曲)BWV922
- 半音階的幻想曲とフーガ BWV903
- コラール・プレリュード「来たれ、異教徒の救い主よ BWV659」(ブゾーニ編)
- 幻想曲とフーガ BWV904
ピアノ:アルフレッド・ブレンデル
録音:1976年5月27日、ロンドン、ウォルサムストウ
PHILIPS(国内盤 32CD-153)
若い頃このCDをよく聴いたものです。その頃は何も疑問を感じることなく聴いていたのですが、クラシック音楽を一通り聴いてきたこの歳になって改めてこのCDを手にしてみると、実に奇跡的な録音だったのだと分かります。解説書冒頭には、ブレンデルがこの録音をした1976年時点でもブレンデルが演奏会でバッハを弾くことは珍しいと記載されています。その解説書の中でブレンデルは、バッハは現代のコンサートレパートリーに残すべきだと主張しています。そして現代のコンサートホールで演奏するには、古楽器ではなく、現代のピアノが適していると付け加えます。それは古楽器演奏の成果を十分吟味しての発言でした。さらに、ブレンデルはエトヴィン・フィッシャーのバッハ演奏から自由になり、自分のバッハ演奏ができるようになるのを待ったと語ります。つまり、このCDはブレンデルとしては満を持してのバッハ録音だったのです。
では、その後にブレンデルがバッハ録音を多数残したのかというと、そのような事実はありません。ブレンデルにはバッハ「だけ」を収録した録音はこのCD以外にないのです。私が若かった頃は、そのうちにブレンデルのバッハ録音がもっと出てくるだろうと高をくくっていたのですが、光陰矢の如しとはよく言ったもので、あっという間にブレンデルは引退しました。告別コンサートではコラール・プレリュード「来たれ、異教徒の救い主よ BWV659」を弾いていますが、バッハの記念碑的な鍵盤作品の数々は結局録音されていないのです。膨大な録音をし、再録音も多数残したブレンデルであったのに。ブレンデルの「平均律クラヴィーア曲集」「イギリス組曲」「フランス組曲」「パルティータ」「ゴルトベルク変奏曲」などの独奏曲はもちろん、ピアノ(クラヴィーア)協奏曲のような名曲も録音されることはありませんでした。「ゴルトベルク変奏曲」は「変奏曲」録音の中で予定が組まれていたそうですが、実現しなかったのは惜しいです。本当に惜しい。
そうなると、このCDに収録された曲目は、ブレンデルにとってよほど特別なものであったと考えられます。他の傑作を差し置いて弾きたかった曲ばかりなのでしょう。このバッハ録音に収録された曲は、イタリア協奏曲を除けば、やや陰鬱なものが多く、私は初めて耳にした際には気が滅入ったものでした。しかし、その後にその多彩な響きに魅せられ、さらにそのロマンチックさに溺れるようになったのです。今改めて聴いてみると、そのロマンチックさは並大抵のものではありません。「半音階的幻想曲とフーガ BWV903」はその極致と言えます。ブレンデルはこの曲でバッハ演奏でのロマンチシズム実現を極めてしまったのだと思わせられます。さらに、終曲の「幻想曲とフーガ BWV904」では駄目押しをしています。さすがブレンデルは徹底しています。もうこれ以上の表現はできないというところまで来てしまったのですね。
ここからは私の勝手な想像ですが、さしものブレンデルも、このような演奏を「平均律クラヴィーア曲集」や「イギリス組曲」「フランス組曲」「パルティータ」などで聴衆の前で繰り広げ、録音するというのは憚られたのはないでしょうか。もしくはPHILIPSが首を縦に振らなかったのかもしれません。時代は古楽器演奏を礼賛していましたから、ブレンデルが確信に満ちた演奏をしたとしても厳しい評価がなされた可能性があります。しかし、そうした時代の風潮はこの超絶的にロマンティックなバッハ演奏を埋もれさせることになりました。ブレンデルが弾いた、とびきりロマンティックな「パルティータ」を私はぜひとも聴いてみたいのですが、もはやブレンデルは引退しているのです。せめてこのCDを聴きながら想像し、思いを馳せるしかありません。
(2015年7月14日)
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(2015年7月20日)