月別アーカイブ: 2015年3月

カラフル

『カラフル』

1998年作品
森絵都著
理論社

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主人公の「ぼく」の魂があの世に向かって漂っていると、天使に呼び止められ、「あなたは抽選に当たった」と訳の分からないことを言われます。「ぼく」は現世である大きな過ちを起こしたらしい。そういう人は輪廻のサイクルから除外され、二度と生き返ることができません。しかし、下界に戻って修行をすれば輪廻のサイクルに入れてもらえると天使は言います。そうして「ぼく」は現世で14歳の少年小林真の身体を借りて修行を始めます。さて、「ぼく」の犯した大きな罪とは何なのでしょうか?

結論から言いますと、「ぼく」の正体は、他ならぬ小林真自身で、犯した罪とは自殺でした。小林真の家庭環境、友人関係が明らかになるにつれて、彼が自殺したくなるのも分からないではありませんが、自殺は間違いなく大きな罪なのです。「ぼく」は下界で自分の生きる世界を見つめ直し、もがきます。そして最後に、人間のいる世界で生きていくことを決意します。そこは目も眩むほどカラフルな世界です。彼の修行はそこで終わり、力強く生きていくのです。

死について考えることは、生について考えるのと表裏一体です。この作品はその両面からアプローチし、生きることの意味を伝えています。森絵都の代表作であり、傑作の誉れ高いのも頷けます。

この作品の文章は平易ですので、読もうと思えば小学5、6年生から読めます。しかし、作品理解のためには精神的に大人になってくる中学生以降が良いでしょう。小林真の母親は不倫をしていますし、彼の意中の女子中学生は平然と援助交際をして荒稼ぎをしています。こうした部分は小学生には刺激が強すぎますし、場合によってはその重大な意味を理解されない可能性もあります。子どもに読ませる場合はお母様ご自身の目で確認なさってからの方が良いでしょう。

(2015年3月23日)

マチルダはちいさな大天才

『マチルダはちいさな大天才』

1988年作品
ロアルド・ダール著
宮下嶺夫訳
評論社

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マチルダは3歳になる前に字を覚え、4歳3か月時点で図書館にある児童書を読み尽くしました。図書館の館員は、それまでに読んだ本の中では『秘密の花園』が一番良かったというマチルダに仰天しながら、ディケンズやヘミングウェイ,スタインベックを貸し出し始めます。5歳半になって小学校に入ったマチルダは、ハニー先生の最初の授業で驚くべき能力を明らかにします。彼女は 2×487=974 とか、12×7=84 とか、14×19=266 といったかけ算をクラスメイトの前で何の苦もなく暗算でやってのけるのです。ハニー先生はこの驚嘆すべき生徒に興味を持ち始め、やがて二人は親密になります。

マチルダの両親は子どもが天才であることに気がつきません。それどころか、子どもの教育に無関心です。彼らに興味があるのはあくどい金儲けと気儘な生活でした。また、学校では校長先生がマチルダを目の敵にします。マチルダはどうなってしまうのでしょうか。

このように、ロアルド・ダールの作品には、大人から見れば過剰とも見える設定が次々と現れてきます。悪く言えばやや漫画的です。本作もその傾向がありますが、物語の語り口が上手なのであまり本に親しんでいない子どもでも一気に読めるのが特長です。『マチルダはちいさな大天才』も早ければ小学3年生から読めます。小4ならもっと楽しめるでしょう。この本や『チョコレート工場の秘密』が気に入った子どもにはダールの作品をどんどん渡してみましょう。読書の世界の入口になるかもしれません。

(2015年3月20日)

町かどのジム

『町かどのジム』

1958年作品
エリノア・ファージョン著
松岡享子訳
童話館出版

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ジムは町かどのポストの側にあるみかん箱にじっと座って孤独な毎日を過ごしている元船乗りです。年齢は80歳。そのジムと8歳の少年デリーは仲良しです。デリーはいつもジムから船乗り時代の愉快な話を聞かせてもらっています。それは明らかにほら話なのですが、子どものジムにとっては奇想天外で、わくわくするような冒険の世界に連れて行ってくれるものでした。だから、デリーはジムのことが大好きなのです。

老人と子どもは天国からの距離が同じくらいであるために相性が良いそうです。ジムとでリーはその典型で、二人は年齢差を超えた友情で強く結ばれています。作者のファージョンは子どもが好きでたまらなかったのでしょう。作品を通じて見えてくる子どもへのまなざしが愛情に満ちています。そのために、大人にとっても慈愛に満ちた読み物に感じられるのです。

また、この心温まるファンタジーにはエドワード・アーディゾーニの挿絵がつけられていることを明記せねばなりません。ファージョンの作品にはアーディゾーニの絵がよく似合います。これ以外の組み合わせは考えられないと思います。

160本文は160ページほどです。そこに10の短編が掲載されているわけですから、小学2年生から読めるようになります。小3なら十分でしょう。また、大人にも是非読んでもらいたい本であります。

(2015年3月19日)

ドン・キホーテ

『ドン・キホーテ』

1605年、1615年作品
セルバンテス著
牛島信明編訳
岩波書店 岩波少年文庫

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世界的に著名なこの作品は、読後には哲学的思考をせざるを得なくなるという点で今なお大きな存在感を持っています。元来、長大な作品であり、全体の分量は、岩波文庫でも6分冊となっているほどです。岩波少年文庫版は全体を6分の1に圧縮し、単行本化したものです。その意味では完訳版からはほど遠いのですが、これでもドン・キホーテの魅力は十分に伝わるでしょう。そして、その岩波少年文庫版でも中学生上の読み物なのです。大人が読んでも差し支えありません。

風車を巨人と思い戦いを挑むドン・キホーテ。羊の群れに飛び込み包囲されるドン・キホーテ。目の前の旅館を騎士にふさわしい城と言い張るドン・キホーテ。この主人公の数々の言動は誰がどうみても狂っているとしかいいようがありません。しかし、彼は死に際して、あたかも真の騎士のように至極真っ当な遺言を残します。その中で、自分が騎士として遍歴をしていたのは狂気に陥っていたからだと明言します。

彼は本当に狂っていたのでしょうか? もし狂っていたのであれば、彼は不幸だったのでしょうか? ドン・キホーテは物笑いの種となり、馬鹿げた行動の報いとしてさんざんな目に遭い続けます。それでも、彼を心配し、家に連れ帰ろうとする人たちがいて、実際に彼を帰郷させることに成功しています。最後には肉親たちや彼を慕うサンチョ・パンサに看取られながら死んでいくのです。また、誰からも認められることがなくてもドン・キホーテはやりたい放題の騎士生活を過ごせたわけでもあり、内面的には非常に満ち足りた人生を送ったとも考えられるのです。

『ドン・キホーテ』を時代錯誤の夢物語に取り憑かれた男の荒唐無稽な遍歴を描いた愉快な娯楽作品と見ることもできます。しかし、それだけではないのです。だからこそ400年の時を超えて現代まで読み継がれているのです。少年たちにはまだ難しいかもしれないのですが、セルバンテスが何故この作品を書いたのか、この作品の裏に何があるのかをわずかでも考えながら読んでほしいと思います。それは貴重な読書体験になるでしょう。

(2015年3月18日)

冒険者たち

『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』

1972年作品
斎藤惇夫著
岩波書店 岩波少年文庫

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この作品は日本の誇る本格的なファンタジーです。斎藤惇夫は1970年に『グリックの冒険』を発表、その中では脇役に過ぎなかったドブネズミのガンバを主人公にして『冒険者たち』を書き上げました。

ある日、ガンバは幼なじみと一緒に海を見る旅に出ます。その途中、仲間たちが夢見が島でイタチのノロイのために絶滅の危機にさらされていることを知ります。彼はその島に行き、仲間とともに強大な力を持つノロイたちと戦うと決意します。ドブネズミの力はイタチの比ではありません。だからノロイと戦うのは無謀かもしれません。しかし、ガンバは戦います。果たしてガンバはノロイたちに勝てるのでしょうか。

読むには小学4年生の後半くらいからがお薦めです。400ページ近い大作でありながら、ガンバたちの行動は子どもたちにも勇気を与えるでしょう。また、リーダーとはいかにあるべきかも教えてくれます。わくわくする物語とそれを支える美しい日本語の文章。少しでも読書力がある生徒であれば一気に読み切ります。厚い本のため、何も言わずに渡すと子どもは尻込みしがちです。ぜひ大まかなストーリーを教えてあげてください。そしてこの名作を楽しんでもらってください。

(2015年3月17日)

アルフはひとりぼっち

『アルフはひとりぼっち』

コーラ・アネット:文
スティーブン・ケロッグ:絵
掛川恭子:訳
童話館出版

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農場で飼われているロバのアルフには悩みがありました。人間のおじいさん、おばあさんの農場で毎日一所懸命働いているのに、自分のことを気にかけてくれる人が誰もいないからです。ところが、一緒にいるイヌ、ネコ、カナリヤは何にもしていないのに、おじいさん、おばあさんの愛情を一身に受けているのです。自分にも愛情を分けてほしいアルフはおじいさん、おばあさんにアピールしますが、全く分かってもらえません。世を儚んだアルフは家出を決心します。しかし、自分がいなくなった後どうなるかを知りたいとも思います。そこで彼は家の屋根に登るのです。さあ、アルフがいなくなったと知った農場の人たちはどうするでしょうか?

アルフには本当に愛が注がれていなかったのでしょうか? また、一緒にいた動物たちは何もしていないのにおじいさん、おばあさんに認めてもらっていたのでしょうか? そんなことはありませんね。おじいさん、おばあさんはアルフがいなくなったら泣いて悲しむに違いありません。また、他の動物たちだって。

アルフは自分を誰からも愛されないひとりぼっちのロバだと思い込みますが、最後には自分がひとりではなく、周りから愛され、認められているという自己肯定感を持ちます。その自己肯定感を得るまでの物語が『アルフはひとりぼっち』です。

アルフたちの関係を親子関係と捉えることもできますし、教師と生徒の人間関係とも、また、職場などの人間関係とも捉えることができます。この作品は動物を主人公にすることで奥行きのある物語になっています。

対象年齢は小学2年生前後。

(2015年3月16日)

幕が上がる

『幕が上がる』

2012年作品
平田オリザ著
講談社 講談社文庫

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劇作家 平田オリザによる小説。2015年にももいろクローバーZ主演の映画化によって脚光を浴びた作品でもあります。高校の演劇部を舞台にしていることや、女子高生の話し言葉で書かれていることから、軽い読み物であるように錯覚しますが、決してそうではありません。演劇の世界で活躍してきた平田オリザの演劇理論、特に演出とはどういうものなのか、その一端を垣間見ることができます。

ある高校の弱小演劇部に、舞台経験のある先生が赴任し、演劇部の副顧問になります。さらに、転校してきた実力派の女子生徒が入部してきます。そのあたらりから、主人公の高橋をはじめとした演劇部員は寝ても覚めても演劇の世界に浸るようになります。高橋は演出家としての才能があり、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を部員が演じられるように台本を作っていきます。そして、今までは弱小だった演劇部員たちは地区大会、ブロック大会、さらには全国大会を目指すようになるのです。

このあらすじだけを見ると、映画や漫画のスポ根物にありがちな展開ですね。確かに、この作品にそういう面があることは否定しません。しかし、この物語は大会で賞を勝ち取ることの素晴らしさを描いているのではなく、演劇がどのようにしてできあがっていくかを描いているのです。

主人公の高橋は『銀河鉄道の夜』を宮沢賢治の原作通りには上演していません。高橋がそれをどのように変えていくのかが後半の大きな山場となっています。自分たちがやりたいことを形にすることの難しさ。それができたときの喜び。平田オリザはそれを一気に読ませます。

対象は中学生以上。大人にもお勧めです。

(2015年3月14日)


追記

映画は予告編を見る限り、原作を大幅に変えているようです。映画は映画であって、原作の忠実な映像化とは限らないのでご注意くださいね。

鬼の橋

『鬼の橋』

1998年作品
伊藤遊著
偕成社

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読書意欲をかき立てるには地味な表紙ですね。内容を知らなければ、子どもが自分から進んで手に取ることはまれかもしれません。しかし、これは名作です。読み始めたら止まらないはずです。小学5年生以上の生徒に是非楽しんでもらいたいです。そして、日本の歴史や古典に少しでも興味をもってもらえたら嬉しいです。

舞台は平安時代初期の都。貴族の嫡男である少年 小野篁(たかむら)が主人公です。彼はふとしたことから現世と冥界の境目に落ちてしまいます。そこには橋があり、その先には人が死後に行く冥界があるのです。しかし、その橋には鬼がいます。鬼に捕まれば、冥界にたどり着く前に食らわれてしまいます。篁も危機にさらされます。そのとき、征夷大将軍 坂上田村麻呂が篁を助けます。田村麻呂は奥州征伐の折の残虐行為によって冥界に入ることを許されず、しかも、死してなお都を守護する役目をその場所で務めていました。

このように、『鬼の橋』は小野篁と坂上田村麻呂という平安時代の著名人を中心に据えたファンタジーです。篁はなんということもない貴族の子弟として登場しますが、数々のピンチをくぐり抜けることによって、最後には父親が瞠目するほど凜々しい少年になっています。ファンタジーでありながらも、あの小野篁はこうしてできあがったのかと納得する物語であります。

なお、小野篁の歌

わたの原 八十島かけて 漕ぎいでぬと
人には告げよ 海人の釣舟

が小倉百人一首に入っていますね。百人一首を知っている生徒がいたら、その歌を詠んだ人の話だと教えてあげてください。

(2015年3月14日)

神秘の島

『神秘の島』(第一部・第二部・第三部)

ジュール・ヴェルヌ著
大友徳明訳
偕成社 偕成社文庫

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ジュール・ヴェルヌはその生涯に80もの作品を残しました。この『神秘の島』はデフォーの『ロビンソン・クルーソー』や自作の『二年間の休暇』と同じ系譜に並ぶ無人島漂流記です。

アメリカの南北戦争時に、南軍に囚われていた5人の男達が気球で脱出するものの、強力なハリケーンによって南半球にまで飛ばされ、無人島に漂着します。5人のリーダーは技師サイラス・スミス。彼は科学技術の知識・技能があるため、男達は徒手空拳で無人島に着いたにもかかわらず、どんどん文明的な生活を実現していきます。5人の中で最年少15歳の少年ですら、博物学に精通しているときています。彼らは火を作り、陶器を作り、やがては鉄を作ります。果てはダイナマイトや銃まで製造します。この作品は科学技術が大きく発展した時代の産物ですから、人間はその力によって世界を支配できるという考えがヴェルヌにあったのでしょう。

この作品はヴェルヌの傑作『海底二万海里』の続編的な意味合いも持ちます。『海底二万海里』のネモ船長の出自、生涯、そして死がこの作品の中で語られています。『海底二万海里』を読んでからの方がこの作品をより楽しめるでしょう。

偕成社文庫では3分冊となっています。十分長大な作品ですが、子どもが読めば科学の力が人間にとってどれだけの恩恵をもたらすかよく分かるでしょう。漢字には読み仮名が数多く振られていますが、その意味の理解までは少し難しいと思われますので小学6年生以上に薦めてみましょう。

(2015年3月13日)

青空のむこう

『青空のむこう』

2001年作品
アレックス・シアラー著
金原瑞人訳
求龍堂

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少年ハリーはは交通事故に遭って死にました。気がついたら「死者の国」にいました。死ぬ予定などなかったので、面食らいます。死はあまりにも突然のことであったために、やり残したこと、気になることがあります。特に、3歳年上の姉エギーには死の直前にひどい言葉を投げかけてしまっていたので、ハリーは死んでも死にきれません。そのため、ハリーは「死者の国」から「生者の国」に戻ります。彼は「生者の国」で、みんなが死んだ自分のことをどう思ってくれているんだろうと考えながらさまよい続けます。そして、ショックを受けたりします。そうしているうちにハリーは死後であるのにもかかわらず精神的に成長し、「生者の国」と決別します。彼の行く先は「死者の国」ではありません。今度は「彼方の青い世界」です。そこはどんな場所なのでしょう。

このように、この本は人の死を扱った物語です。そのテーマだと、とても湿っぽい内容を想像するかもしれませんが、イギリスの作品は表紙の絵のように実に爽やかに、感動をもって幕を閉じています。

子どもにとって死は身近ではありません。子どもは生そのものだからです。したがって、子どもにとってこれは特殊なジャンルの本ということになります。しかし、死について考えるというのは生について考えるのと同じかもしれないのです。その意味でたまにはこのような本に接しても良いのではないでしょうか。

内容的に、小学4年生から。小学3年生だと活字が読めたとしても内容を理解するまでには至らない場合があります。

(2015年3月12日)

窓ぎわのトットちゃん

『窓ぎわのトットちゃん』

1981年作品
黒柳徹子著
講談社 青い鳥文庫

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黒柳徹子の自伝的小説。第2次世界大戦前、トットちゃんは、学校で他の生徒と違ってあまりおとなしくしていられませんでした。たちまち学校を追い出されたトットちゃんは、東京都のトモエ学園に入学します。そこにはトットちゃんのような境遇の子どもたちがいました。トモエ学園の校長である小林先生はトットちゃんに、「君は、ほんとうは、いい子なんだよ。」と語りかけます。トットちゃんは小林先生の愛情に触れながら、自由なトモエ学園で毎日楽しく勉強し、生活をしていきます。そして、トットちゃん、つまり黒柳徹子は立派に成長していきます。また、トモエ学園の同窓生達は揃いも揃って日本を代表するような人物になりました。教育とは、学校とはどうあるべきなのだろうかと考えさせられる内容です。

『窓ぎわのトットちゃん』は戦前の話ですが、日本の状況は大きく改善したと言えるのでしょうか? 今、学校では、他の児童と少しでも変わった子がいると発達障害だとか学習障害だとか恐ろしい名前をつけて特別な対応をしがちです。しかし、その子どもたちはそんな恐ろしく深刻な名前をもつ病気にかかっているのでしょうか? トモエ学園の小林先生は子どもをあるがままに受け入れ、「君は、ほんとうは、いい子なんだよ。」と言います。これだけで子どもがどんなに救われることでしょうか。トットちゃんが自分を肯定できるようにした小林先生。その出会いがトットちゃんを成長させるのです。今、大人たちは子どもを否定し、成長の目を摘んでいないか真剣に考えるべきです。

講談社 青い鳥文庫の本は356ページもありますが、自由なトモエ学園の描写が面白いうえ、すべての漢字に読み仮名が振ってあるので、読書力があれば小学3年生から読めるでしょう。また、子どもにこの本を薦める場合は、ぜひお母さんも読んでみてください。大人にも大きな感銘を与えるに違いありません。

(2015年3月11日)

秘密の花園

『秘密の花園』

1809年作品
フランシス・ホジソン・バーネット著

猪熊葉子訳
福音館書店 福音館古典童話シリーズ

土屋京子訳
光文社 光文社古典新訳文庫

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『小公子』や『小公女』で有名なバーネットの傑作。イギリスの植民地インドで王侯貴族同様の豪奢な生活をしてきた尊大な性格の少女メリー(光文社版ではメアリ)は、両親を亡くし、故国に住む遠縁の親戚に引き取られます。気が滅入るほど陰気で広大な屋敷内には心身を病んだ少年コリンが幽閉されるようにしてひっそりと暮らしていました。やがてメリーとコリンはその屋敷に隠されていた秘密の花園を、誰にも知られないようにして作り上げていきます。その過程で、特殊な環境にいたために人格形成にやや問題があった少年少女は大きく成長していくのです。

福音館古典童話シリーズの表紙には少女が花園への扉を開ける絵が使われています。花園が舞台となること、第1の主人公が少女であることから男子はこの本を敬遠しがちです。しかし、傑作だけにこれを女子向けの本としてしまうのはもったいないです。第2の主人公が少年であり、彼が逞しく変貌する過程は痛快でもあるので、ぜひ男子にも読んでもらいたいところです。

対象年齢は小学5年生から。活字も大きめで非常に読みやすい光文社古典新訳文庫もありますが、福音館書店版に比べると読みがなが少ないのでその点についてだけは注意が必要です。

尚、本作品は1993年にフランシス・コッポラの制作総指揮で映画化されています(監督はアニエスカ・ホランド)。映像美が賞賛されていますが、残念ながら原作小説の魅力をあまり伝えていません。バーネットの小説からは言葉の力をまざまざと感じます。

(2015年3月10日)

海底二万海里

『海底二万海里』(上・下)

1870年作品
ジュール・ヴェルヌ著
清水正和訳
福音館書店 福音館文庫

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ヴェルヌの傑作冒険科学小説。ネモ船長の潜水艦ノーチラス号にとらわれの身となったフランスの海洋生物学者アロナックス教授たち3人は、世界中の海で驚異に満ちた体験をします。この作品が発表されたのは1870年で、電気で動く潜水艦が就航するのは1888年でした。まさに時代を先取りした作品であり、しかも、今も古さを微塵も感じさせない圧倒的な作品です。

ヴェルヌは空想に基づき、小説としてこの作品を仕上げました。しかし、その書きぶりはまるでノン・フィクションです。彼の筆は微に入り細を穿ち、どのページの記述もまるで本人が見てきたようになされています。おそらく周囲には大量の資料を山積みにしてこの作品を書き上げたのでしょうが、ヴェルヌ自身の研究の成果に触れているような錯覚を覚えます。

潜水艦ノーチラス号のネモ艦長は謎の人物として描かれています。性格的描写はあるものの、出自やノーチラス号を建造し世界の海を航行する理由は説明されていません。しかも、ノーチラス号とネモ艦長らが最後にどうなったかも明記されていません。実は、こうした謎の解決はヴェルヌの別作品『神秘の島』に引き継がれているのです。まるでハリウッド映画のようですね。どうしたって続編を読みたくなるようにできています。

名作であるためにこの本も多数の版が出ています。ただし、ベルヌの並外れた創作力を満喫できるよう、抄訳ではなく完訳をお薦めしたいです。問題は長編であることです。福音館古典童話シリーズでは750ページもあり、まるで辞書のようです。子どもたちには、せめてそれを上下巻に分割した福音館文庫や岩波少年文庫等で楽しんでもらいたいです。

抄訳なら簡易版がありますのでその版によっては小学2,3年生から読めるでしょう。完訳版は小学6年生以上にお薦めです。最初の30ページをクリアできたら、ノーチラス号とともに世界の海を冒険できるでしょう。

(2015年3月9日)

ぼっこ

『ぼっこ』

1998年作品
富安陽子著
偕成社

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この作品には座敷わらしがでてきます。上掲の表紙を見てください。瓦屋根の上にきかん坊の雰囲気濃厚な男の子が座っていますね。これがこの家の座敷わらし「ぼっこ」です。でも、座敷わらしなんて本当にいるんでしょうか? それに、そんなものが出てくる話は現代に通用するのでしょうか?

これはずいぶん昔の話です。小学5年生のしげるは祖母の葬儀のために田舎に行きます。しげるはその古い家の奥座敷で奇妙な男の子ぼっこに会います。座敷に座っているぼっこは「オレが、ついててやる。だから、心配はいらんで」と言います。

都会から引っ越してきてその家に住むことになったしげるは、同級生との付き合い方に戸惑います。さっそくいじめにも遭いそうになります。しかし、何かがあると、その都度ぼっこが助けてくれるのです。そのお陰でしげるは同級生達の輪に溶け込んでいきます。ただし、この物語はそれだけで終わりません。

しげるはぼっことの付き合いを通じて古い家には家の力があることを知ります。だから、古い家を大事にしたいという気持ちを持っています。しかし、時代の波はそんな家の力を押しつぶしていきます。何と、しげるが住む田舎がニュータウンに変貌し、古い家はなくなっていくのです。ここは意外な展開です。富安陽子は、座敷わらしを取り上げていながらも、最後にはリアリズムに徹したのですね。最後は大人になったしげるがぼっこを回顧するという形で物語を締めくくっています。座敷わらしがいそうな過去とそうでもない現在をこうしてつないだのですね。

この本は、活字もゆったり組まれていますし、読みがなも数多く振られていますから、読もうと思えば小学3年生から読めます。しかし、物語最後のあたりの理解を考えると小4以降からの方が楽しめるでしょう。

(2015年3月8日)

みどりのスキップ

『みどりのスキップ』

2013年刊
安房直子:作
出久根育:絵
偕成社

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安房直子は日本を代表する児童文学作家です。その作品にはレトロな情緒と幻想性が横溢しています。彼女は1993年にわずか50歳で亡くなったのですが、死後20年経ってもこの『みどりのスキップ』のような優れた絵本が刊行されるのは大変喜ばしいです。

桜の花が咲く春爛漫のある日、みみずくは桜林の中できれいな女の子を見かけます。彼女は桜の精でした。みみずくはその子を守ることにしました。しかし、何者かがそこに近づいてきて、桜の精を脅かしはじめます。しかも、その足音はだんだんはっきりして来るのです。それはいったい何者なのでしょうか? みみずくは桜の精を守り切れるのでしょうか?

安房直子の詩情溢れ、リズム感のある文章に絵をつけているのは出久根育です。文・絵ともに第1級の出来映えで、本の作りも美しいです。偕成社は子どもの本を出版している会社ですが、ここまで素敵な本を手にすると、担当者の作品に対する強い愛を感じます。

桜の季節に、小学校低学年に。この幻想性を楽しみつつ、最後に「そうだったのか!」と分かってもらえれば十分です。

(2015年3月7日)

ぬすまれた宝物

『ぬすまれた宝物』

1973年作品
ウィリアム・スタイグ著
金子メロン訳
評論社

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これは本文が90ページもありませんし、挿絵もあるので小学3年生なら楽しんで読める本です。しかし、この本の内容が薄っぺらいわけでは決してありません。大人の鑑賞に十分に堪えます。

がちょうのガーウェインは王宮の宝物殿を毎日誇りを持ちながら警備していました。それなのに、王様が大事にしていた宝物がそこからなくなっていきます。警備役のガーウェインに疑いの目が向けられ、裁判にかけられます。王様をはじめ、誰もがガーウェインを犯人だと思い込みます。ガーウェインは世を儚んで逃げ去り、誰も来ない場所でひとりで寂しく暮らし始めるのです。ところが、犯人だと目されていたガーウェインが逃げた後も、宝物殿から宝物はなくなっていきます。そのときになってはじめてガーウェインが犯人ではなかったと人々は理解します。そして、ガーウェインに無実の罪を着せたことを悔やみ始めるのです。

物語ではガーウェインが真犯人を許し、自分を犯人扱いした王様も許します。それによってこの冤罪事件は幕を下ろします。ハッピーエンドなので読後感も良いのですが、扱うテーマには深みがあります。著者のスタイグは許すことの重要性を子どもにも理解できる表現を使って、90ページ弱の作品で描いたのです。スタイグの筆力に惚れ惚れとするしかありません。

(2015年3月6日)

じっぽ

『じっぽ まいごのかっぱはくいしんぼう』

1994年作品
たつみや章著
あかね書房

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ある日、小学3年生の少年は台風で流されてきたかっぱの子どもを発見します。彼はそのかっぱに「じっぽ」と名前をつけてこっそり飼うことにしました。でも、どうやって? かっぱは何を食べるのでしょうか? 親にはばれないのでしょうか? そもそも家で飼っておけるのでしょうか? きっと簡単ではないような気がしますね。

「きゅるるる」と愛くるしい声を発するじっぽは少年に可愛がられますが、その存在をほかの人に知られると、少年がいない間に大学に連れて行かれてしまいます。大学では研究のために解剖され、標本にされるのだとか。これは一大事です。少年はじっぽを救出します。ところが、救出に成功したものの、じっぽは死にそうになります。かっぱは人間と同じ環境では生きられないのです。少年はじっぽを飼うことを諦め、水がきれいな生まれ故郷に帰すことにするのです。

動物を飼うのは決して簡単ではありません。子どもにとっては金魚を飼うのだって大変です。どんな生きものであれ、ゲーム機の中にいるのではなく、現実の世界で生きているのですから、飼うとなればその命に責任を持たねばなりません。ましてや少年が飼おうとしたのは世にも珍しいかっぱです。身体も大きく、えさの魚も大量に食べます。そして、心があるのです。飼うのは決して生やさしいことではないのです。『じっぽ』は生きものを飼うことはどんなことなのかを考えさせてくれます。

対象学年は小学3年生前後です。

(2015年3月5日)

ガリヴァー旅行記

『ガリヴァー旅行記』(上・下)

1726年作品
ジョナサン・スウィフト著
坂井晴彦訳
福音館書店 福音館文庫

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今から300年も前に出版された傑作。ただし、児童文学とはとても思えません。巷に溢れる抄訳版なら小学生でも読めますし、それを児童文学と呼ぶこともできます。しかし、ガリヴァーの見聞を大まかに示しただけの抄訳版はこの長大な作品の魅力の100分の1も伝えていません。抄訳版でも十分に面白いので決してそれを決して否定はしませんが、それでは『ガリヴァー旅行記』の読んだことにはならないのです。

福音館書店の古典童話シリーズ26及び上記福音館文庫版はほぼ完訳です。ほぼ、というところが微妙なのですが、この作品のおよそ全貌を知ることができます。

誰もが知っているとおり、ガリバーは小人国では自分が巨人となり、大人国では自分が小人になってしまいます。福音館文庫ではここまでが上巻です。小学生が読むには難しいでしょう。小人国、大人国をスウィフトが懇切丁寧に紹介しているために、かなり読書力のある生徒でも説明文を延々と読まされるような気分になり、うんざりするでしょう。また、300年前には周知のものだった世界の歴史的事実や分かりにくい度量衡に悩まされること間違いありません。上巻の半ばで投げ出してしまう可能性大です。

しかし、スウィフトの筆は後半に入るとますます冴え渡ってきます。同時代の制度。人間に対する風刺・批判は辛辣を極めるのです。物語中のユーモアに隠れていますがその舌鋒は鋭く、攻撃的であります。これが当時から話題にならなかったはずはありません。スウィフトが名前を伏せて出版したのも当然でしょう。

下巻には天空に浮かぶ国ラピュータが登場します。ジブリアニメの「ラピュタ」はここから取られています。ガリヴァーはそこから江戸時代の日本にも行くのです。その後ガリヴァーは、馬が支配する国に漂着し、そこで馬を主人として使えることになります。ガリヴァーはその主人を尊敬しながら使えるのです。一方、その国には人間そっくりのヤフーが住んでいます。そして、ヤフーはこの世で最も下劣で醜い生きものとして描かれているのです。スウィフトの筆の勢いは止まることなく、ありとあらゆる表現を使いヤフー、すなわち人間を罵倒します。まさしくブラックユーモアです。

この作品を抄訳で、冒険ものとして読むなら各種の本が出回っているのでそれを楽しめばよいでしょう。小学校の低学年から高学年に至るまで、生徒の学年に応じた版があるはずです。しかし、中学生になったら、福音館の完訳に近い版をぜひ読んでもらいたいと思います。中学生でも読み切るには根気が要るでしょうが、読後には何かしら得るものがあるでしょう。

(2015年3月4日)

秘密のマシン、アクイラ

『秘密のマシン、アクイラ』

1997年作品
アンドリュー・ノリス著
原田勝訳
あすなろ書房

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学校で指折りの落第生ジェフとトムは、ある日、国立公園の石切場跡から、不思議な物体を発見します。どうやらローマ時代のものらしいです。2人がその物体に乗り込み、ボタンを押してみると、それは空中に浮かび、空を飛び始めたではありませんか。わくわくするような出だしです。ただし、これは単純な冒険ものではありません。

アクイラと呼ばれるその物体は、いつ誰が作ったのか。どんなことができるのか? 動力は? 疑問はたくさんあります。落第生だったはずの2人はアクイラに夢中になり、いろいろなことを学んだり、調べ始めたります。まずはローマ時代の言語であるラテン語を学び始めます。先生たちには次々と質問を浴びせます。動力に関する最新の科学技術について。かつて軍で用いられていた航空航法について。また、動力の確保のため必死に数学の計算問題を解いたりもします。先生たちは、2人の変貌に目を見張るばかりです。

アクイラという夢の乗り物を手にしたことで、2人は知らず知らずのうちに学びの世界に入っていきます。しかも、自分たちは高度なことを勉強しているという意識が全くありません。少年たちは何かきっかけさえあれば大きな飛躍ができるのですね。これはアクイラを通じた2人の成長物語でもあるのです。

この本は早ければ小学4年生から読めます。5年生の男子に勧めると夢中になって読みます。わずか200ページの作品ですが、子どもたちの空想を刺激してやまないでしょう。

(2015年3月3日)

さすらいの孤児ラスムス

『さすらいの孤児ラスムス』

1956年作品
アストリッド・リンドグレーン著
尾崎義訳
岩波書店 岩波少年文庫

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リンドグレーンの作品は傑作揃いです。作品に底流しているのは子どもに対する溢れるような愛です。子どもを幸福にしたいという作者の強い気持ちが作品の中に滲み出ているために、大人であれ、子どもであれ、読者がそれを共有できた場合には満ち足りた幸福な気持ちに浸ることができるのです。

『さすらいの孤児ラスムス』の主人公ラスムスは9歳の孤児です。親の愛が欠乏しています。ある日、彼は孤児院を逃げ出し、あてのない旅に出ます。その途中にオスカルという謎の男に出会います。どうも風来坊らしいです。人は良さそうだし乞食でもなさそうですが、どうやって生きているの分かりません。ラスムスはこの謎の男オスカルと行動を共にします。その後、大きな事件があります。それが解決した時、ラスカルはお金持ちの農家の子どもにしてもらえそうになりました。しかし、ラスムスはそれを断り、オスカルを追いかけます。オスカルはラスムスを受け入れ、自分の家に連れて行きます。何と彼はちゃんと自分の家を持ち、奥さんもいる立派な人だったのです。そして、オスカルはラスムスを自分の子どもにするのです。ラスムスはここで初めて親と家庭を得ます。

9歳と言えば日本では小学3年生です。その年になれば自分の意見をはっきり主張しますし、時には大人っぽい発言もします。しかし、まだまだ子どもであって、親の愛情が必要な時期です。そんな時期の親のない子どもが温かい愛を得る物語が『さすらいの孤児ラスムス』なのです。子どもがこれを読む際にはこれを単純に少年の冒険小説として楽しむことも可能ではありますが、決してそれだけではありません。ラスムスの気持ちをぜひとも読み取ってほしいと願います。

この本を薦めるのは、そうした心情を理解できる小学5年生以上です。性別に関係なく好評です。

(2015年3月2日)