白狐魔記 源平の風

『白狐魔記 源平の風』

1996年作品
斉藤洋著
偕成社

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『白狐魔記』は「しらこまき」と読みます。人間に姿を変えることができる白狐魔丸という名の狐が主人公の歴史物語です。第1巻には源義経が登場します。白狐魔丸は大変な長命で、源平の時代から、延々と日本の歴史を見続けるのです。2015年時点の最新刊では元禄時代に生きています。

斉藤洋はプロットを重視する作家で、物語は非常にテンポよく進みます。文章も平易で非常に読みやすいです。そのため、この作品は歴史物に少しでも興味がある男子にはうってつけの読み物となっています。小学2年生が手にしているのを見かけることもありますが、斉藤洋がこの作品に込めたアイロニー等を理解するには小学4年生以上が良いかもしれません。文字を眺めて読んだというのと、内容を理解して読んだというのでは全く中身が違うのです。

白狐魔丸は母の元を離れて独り立ちした時から一風変わっていました。人里近くにいたこと、耳が良かったことから人間の言葉を聞き分けられるようになるのです。ある日、白狐魔丸は白駒山には不思議な力を持つ仙人がいると聞き、旅を始めるのです。旅の途中、一ノ谷で平家の兵たちに殺されそうになったところを源義経に助けられたり、漁師に追われたりしながら白駒山の近くに辿り着きます。白狐魔丸はそこで仙人狐と出会い、修行を始めます。

このように、源平時代を舞台にしたファンタジーであるわけですが、随所に斉藤洋らしさが垣間見える作品でもあります。例えば、白狐魔丸は「修行」というのだから、断食をしたり、逆さづりになったり、滝に打たれたりするのだと思っています。しかし、仙人はそんなものを一笑に付してこう言います。「滝にうたれて修行をしたという者がよくいるが、そういうことをいえるのは、生きているからだ。死ぬまでやったというわけではない。滝にうたれて、ああ、おれは苦しい修行をしているんだと思って、気持ちよがっているのだ。そんなものは、温泉につかって、ああ、いい湯だ、といっているのと、変わりはない。」なんとも小気味よいではありませんか。

さらに、白狐魔丸はこれから武士の世になることを嘆きます。白狐魔丸は人を殺すのを生業としている武士を最下級の人間だと見なしているからです。そうなると、当然、自分の命を助けてくれた源義経に対しても手厳しいです。「どんな者でも、家来を何百人も死なせてはならないのだ。」「戦は敵も死ぬが、味方も死ぬ。いろいろ理屈はあるのだろうが、それはよいことではない。戦いに勝つよりも、戦いをうまくさけるのが大将のつとめではなかろうか。」と考えます。

歴史物には勇壮な手柄話がつきものですが、このシリーズは軍記物の亜流ではないのです。物語の影に隠れた斉藤洋の主張を少しでも子どもたちには読み取ってほしいと思います。

(2015年7月24日)