田中美知太郎の『哲学入門』(講談社学術文庫)を読む。
何度も読み返したくなる名著だ。
哲学の入門書と聞いて思い浮かべるのは、日本語とは思えぬ硬質な学術用語と、正確さを期すために使われる翻訳調の文体で学説の歴史を止めどもなく説明している解説書だ。この本はタイトルこそ『哲学入門』だが、中身はそうした類書と違う。というより、類書とは比べものにならない。田中美知太郎も過去の大哲学者の言葉を引用しているが、それを咀嚼した上で、自分の考えを述べている。その意味では哲学の学説史などではあり得ない。
全部で240ページ弱の本だが、さらに5つの文章に分かれている。「モームの哲学勉強」「関東大震災の頃」「京都での学生生活」「哲学とその根本問題」「科学史の視点」である。このうち、100ページ弱の「哲学とその根本問題」があるゆえに『哲学入門』というタイトルがつけられたようだ。
「哲学とその根本問題」は昭和30年(1955年)4月から5月にNHK教養大学で行われた講義録である。何と私が生まれる前である。8回の講義の中で、田中は哲学についての予備知識がない人にでも分かる言葉のみを用いて哲学を語る。これ以上分かりやすい文章を他に求めることはできない。また、その内容があくまでも現実を見据えて書かれている点に驚かされる。だからこそ田中の講義は今なお読者に訴えかけるのだ。例えば、第6回講義では「知」と「生」について述べられている。ここで田中はこう語る。
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ソクラテスの考えに従えば、「知る」ということは、「おこなう」ことになるのです。そうならない知は、まだ「知」ではないわけです。医学の知識は、病をいやし、健康をもたらすのであり、建築の知識は、家をつくる。病を治さぬ医学の知識、家をつくることのできぬ建築の知識というようなものは、無意味だということになります。哲学のためには、このようなつながりが必要なわけで、そのためには、哲学の求める智も単に知られるものについてだけ考えられる知ではなくて、知る者を医者にし、建築家につくる、ひとつの力としての知でなければならないでしょう。これらは現実に、技術として存在しています。哲学は、それらの技術の技術でなければならないのです。
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こんな名調子が続く。惚れ惚れとするような文章ではないか。
なお、「モームの哲学勉強」「関東大震災の頃」「京都での学生生活」は哲学者田中美知太郎を知る上でも、読み物としても面白い。
(2015年8月14日)