鷲田清一 『じぶん・この不思議な存在』

鷲田清一の『じぶん・この不思議な存在』(講談社現代新書)を読む。

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鷲田清一の著書の中では抜群に平易な言葉で書かれた良書だ。難解な哲学用語を使わずに、中学生でも分かるように記述している。

鷲田は、「《わたしはだれ?》という問いに答えはない」とこの本のエピローグで述べているが、その一方で「〈わたし〉というものは《他者の他者》としてはじめて確認されるものだ」とも主張している。鷲田はそれがいかなることかつぶさに説明していて、大変読み応えがあった。例えば、電車の中で化粧をする女性を見ると、ある人は腹立たしくなるが、それは、その女性にとって、それを見ている人が他者でないからである。要するに人としてさえ認識されていないのである。それが直感的に分かるから嫌な気持ちになるのである。

一頃、「自分探しの旅」という言葉をよく見かけたものだ。私は「自分は自分なのに、探さなくてはいけないのか? また、どこかへ旅に出ることで自分は探せるのか?」と疑問を抱いたものだった。鷲田清一の考え方を使えば、一人旅をして仮に誰とも関わらず、風景の一部になってしまうのであれば、誰からも「他者」として確認されないことになる。そのような事態に陥るのであれば、「自分探しの旅」は本来の目的とは逆に自分を喪失する旅になる。やはり「自分探しの旅」は自分探しではあり得ないのだ。

(2015年8月2日)