鷲田清一の『哲学の使い方』(岩波新書)を読む。
「著者渾身の書き下ろし」という言葉に嘘偽りはなかった。
哲学は日常生活から極端に遊離し、時代の困難から最も隔絶した学問になっているが、鷲田はむしろ同時代の問題こそ哲学を必要としていると主張する。その例として現代の諸問題を列挙する。環境危機、生命操作、先進国における人口減少、介護・年金問題、食品の安全、グローバル経済、教育崩壊、家族とコミュニティの空洞化、性差別、マイノリティの権利、民族対立、宗教的狂信、公共性の再構築・・・。どれも頷けるものばかりだ。しかし、そうであるにもかかわらず、哲学はあまりの難解さから問題解決の手がかりとして求めてくる人間を門前で拒絶している。拒絶されたという経験を持たない人など、どれだけいるのか。また、門前で拒絶するほど敷居が高い学問が他にあろうか。鷲田はそのような状態に堕した哲学の再生のために、対話形式という西洋哲学の伝統に立脚した「哲学カフェ」を紹介している。哲学に光明を感じさせる本だ。