筒井康隆の『エディプスの恋人』(新潮文庫)を読む。
前作『七瀬ふたたび』で殺されたはずの七瀬が何事もなかったかのように生きている。
主人公七瀬は美貌の女性で、人の心を読めるという特殊能力を持つ。人の心が読めるということは、周囲の男どもの淫らな欲望をすべて知ってしまうことを意味する。その描写は「七瀬三部作」に共通している。その描写があるがためにこのシリーズは通俗エロ小説に堕してしまいかねないのだ。少なくとも女性にはおいそれとこの本を薦めるわけにはいかない。セクハラと受け止められるのは間違いないからだ。
七瀬はとある高校で教務事務をしている。その高校で七瀬は超常現象を引き起こす男子生徒に出会う。実は超常現象を引き起こしているのは彼ではなく、彼を守ろうとする「意思」だった。それが一体何なのか七瀬は知ろうとする。そして、彼を守っていたのが宇宙の超絶対者的存在だと判明する。
ここまでで終わっても物語は完結させられそうだ。しかし、筒井康隆はその先に重大な疑問を投げかける。宇宙の超絶対者的存在はどのようなことでも可能だ。人の存在の有無・生死を決定し、その思考を左右できる。不可能なことはない。七瀬も思想と行動を操作されている。その力によって高校生の少年と恋に落ちているのだ。しかし、それを突き詰めていけば、この世界はいったい何なのか。そして自分とは何なのだと思わざるを得なくなる。そもそも七瀬は前作で死んだはずだ。それなのに超絶対者によって「使える」と判断され、この世に存在しているのではないだろうか。死んだはずの自分はどうして今生きているのか。他にも七瀬は疑念を抱く。例えば、音楽に熱狂する人々は、そうするように思考と行動を操作されているのではないか。そのようなことを考えるとやるせない気持ちになっていく。自分とは何か、それが分からなくなるという恐るべき結末だ。これが筒井康隆の「七瀬三部作」の結末なのだが、最後の最後まで考え抜かれた内容に私は唸った。女性がこの作品をどう評価するか疑問だが、私は十分堪能した。「七瀬三部作」の最高傑作はこれである。
デカルトはすべてを疑うが疑っている自分の存在だけは疑う余地がないと結論したが、この作品を読んだらどう思うだろうか。
(2015年7月31日)