橋爪大三郎の『はじめての構造主義』(講談社現代新書)を読む。
今頃構造主義でもないかと思いながら手に取る。案の定、1988年初版のこの本の中で著者自身が「構造主義なんかにいまごろまだひっかかっているようでは、”遅れてる”もいいところでしょう」と自嘲気味だ。しかし、同時に「おませな中学生の皆さんにも読んでいただけるように」書いたというキャッチフレーズが気になって読み進めた。230pほどしかないが、中学生が最後まで投げ出さずに読むとはあまり考えられない。しかし、著者は口語調で書いたり、図版を多めに採用したり、学問的な専門用語はほどほどにしたりと、分かりやすく説明する努力をしている。その点は評価すべきだ。
構造主義を説明するのが第4章までだが、第5章の「結び」が読ませる。「構造主義は時代遅れか」に始まる率直な意見が述べられているのだ。一部を引用しよう。
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なるほど、ポストモダンもいいだろう。しかし、いくらこれまでの思想に関係ありません、という貌(かお)をしても、そうは問屋がおろさない。やっぱり思想は思想である。そして思想たるもの、これまで幅を利かせていた思想に正面から戦いをいどみ、雌雄を決する覚悟でないと、とてもじゃないが自分の居場所を確保することすら覚つかないはずだ。どうも(日本の)ポストモダンは、旧世代の思想とまるで対決していないんじゃないか。それをすませないうちは、またぞろ日本流モダニズムの焼直しなんだか、知れたものではないぞ。
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社会学、思想で飯を食うからにはこのくらいのことは言い切れないといけないのだな。
(2015年9月12日)