白取春彦編訳『超訳 ニーチェの言葉 Ⅱ』

『超訳 ニーチェの言葉 Ⅱ』(ディスカバー)を読む。

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「Ⅱ」が刊行されたというからには「Ⅰ」が相当売れたのだろう。

私も「Ⅰ」を買って読んだ。そして、衝撃を受けた。なぜなら、私が知らないニーチェの言葉が大量に並んでいたからである。その驚きは筆舌に尽くせない。私は高校生の頃からニーチェを読んできたのに、その私に未知の言葉が次から次へと出てくる。私はニーチェを読んだつもりになって、実際にはニーチェを全く理解していなかったのだと愕然としたものである。

しかし、謎はすぐに解けた。『超訳 ニーチェの言葉』は翻訳書ではなかったのである。編訳者である白取春彦氏が、ニーチェの言葉を自分の解釈でくるんで本にしたのが『超訳 ニーチェの言葉』だったのだ。「超訳」とは何のことだろうと思っていたのだが、要するに自分の解釈をニーチェ風に書き換えたのだ。

とはいえ、『超訳 ニーチェの言葉』を全否定する気はさらさらない。白取春彦流人生訓の書と見なせば十分おもしろい。「Ⅱ」もそのつもりで読んだ。白取春彦氏の言葉だと割り切って読んでいると、人生訓どころか、心理カウンセリングの本のようにも思えてきた。例えば、最後に掲載されている「悩みの小箱から脱出せよ」の前半部分を抜粋すると次のとおりだ。

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悩む人というのはいつも閉じ籠もっている。従来の考え方と感情が浮遊している狭くて小さな箱の中に閉じ籠もっている。その箱から出ることすら思いつかない。
その悩みの小箱に詰まっているのはみな古いものばかりだ。古い考え方、古い感情、古い自分。そこにあるものはすべて昔から同じ価値を持ち、同じ名前を持っている。
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この部分の出典は『ツァラトゥストラはかく語りき』(至福の島々で)らしい。できれば『ツァラトゥストラはかく語りき』を参照して、どのようにニーチェの言葉を変容させたのか確認したいところだが、引っ越しの際に書物をほぼすべて処分してしまったのでそれが叶わない。身を軽くしたのは良かったが、自分にとって重要な書物はむやみに処分してはならないのだ。もっとも、そんなレベルの人生訓は『超訳 ニーチェの言葉』の「Ⅰ」にも「Ⅱ」にも記載されていない。

(2015年7月25日)