松田道雄の『続 人生ってなんだろ』(筑摩書房)を読む。
1974年発行。「続」というのだから「続」がつかない正編があるのだろうが、図書館にはなかった。
中学生向けに書かれた文章をまとめた本である。2ページ見開きに、ひとつのテーマに対する文章(主に人生訓話)がまとめられ、全部で100の文章が掲載されている。私は軽い気持ちで読み始めた。
すると、これが名文揃いなのである。わずか2ページに著者の考えはこれ以上ない明確さで表されている。言葉も文体も平易であり、まるで中学生に語りかけているかのようである。著者は読者に理解してもらえるように平易に書いている。これは大変な文章力だ。これほどお手本になりそうな優れた文章にはなかなかお目にかかれない。
果たして、著者が「文章について」というテーマで書いた文章が出てきた。長いが、後半部分を引用しておく。
***********************************************************
文章もていねいであればわかる。ていねいというのは、相手にわからせようという熱意のあることだ。その意味で、文章はたんなる技術ではない。だれに、どんな気持ちではなしかけるかということが大事だ。
私は結核の無料相談所の医者であったことで、文章のけいこができたと思っている。
病気のことを何も知らない病人ばかりやってきた。無料相談所へくるのは、貧乏でこまっている人だったから、中学にもいけなかったような人がおおかった。
そういう結核の病人に、病気のおこってくるわけを、わかるようにはなさねばならなかった。私は熱心にはなした。私のはなしがわからないで、病人が養生しなかったら、死んでしまう。それは人の命にかかわることだった。
私はていねいにはなすことを自然にまなんだ。だから文章をかくときも、ていねいにはなすようにかけた。
このごろの大学生がくれるビラにかいている文章は、わけのわからないのがおおい。あれは、ていねいでないからだと思う。
演説をきいても、だれを相手にしているのかがはっきりしない。自分だけわかって満足し、相手にわからせようとしない。
***********************************************************
やはりそうだったかと唸る。
(2015年10月15日)