二宮晧監修『こんなに違う! 世界の国語教科書』(メディアファクトリー)を読む。
私は日本の小学生が使う国語教科書があまりに薄っぺらいのを見ていつも嘆かわしい気持ちになったものだった。本当に薄っぺらい。活字は大きく、長い文章は掲載されていない。その一方で、授業時間数は決して少なくない。ということは、生徒たちはその貧弱な国語教科書に書いてある文章を粘り強く読んで鑑賞しているわけだ。その時間は楽しいのだろうか。
『こんなに違う! 世界の国語教科書』を読んで、ますます日本の国語教育は危ういのではないかと心配になってきた。この本で紹介されている事例を見ると、何の哲学も感じられない日本の国語教科書とは雲泥の差だ。詩や戯曲を扱うだけでなく、その中にたっぷりとユーモアを盛りつけるイギリスの教科書、本格的な文学作品や芸術作品を掲載し、それについて考えさせるフランスの教科書の内容を知ると羨望を禁じ得ない。すごいのはロシアだ。小学4年生になるとかなりの大作を読ませるという。「短い作品ばかり読ませていて、ドストエフスキーが読めるようになるのか」という声があるのだという。至極ごもっともだ。
どのような教師も父兄も、「国語はすべての科目の基礎なので重要だ」と声を揃える。しかし、本当にそう思っているのであれば、どうして今のような国語教科書が放置されているのだろうか。私にはさっぱり分からない。
(2015年7月28日)